コートジボワールの外国人の就職事情 1

コートジボワールの総人口は約2000万人と言われている。とはいっても、1988年の国勢調査を最後に本格的な調査は行われていないので、多少のブレがあるのかもしれない。

コートジボワール国籍を持つ人々が1200万人ぐらいで、残り800万人が外国人になる。そのうちアフリカ系以外の外国人は、昔は3万人近くいたらしいが、内戦の影響でコートジボワールを離れたりしたので、3万人も戻っていないのではないかと個人的には思っている。
残りは西アフリカにルーツを持つ、アフリカ系の外国人である。
圧倒的多数はコートジボワールの北部で国境を接するブルキナファソやマリで、その次にギニア、モーリタニア、ニジェールが続きます。ここまでの諸国はフランス語を公用語とする国で、コートジボワールも公用語がフランス語なので、コミュニケーションはとりやすい。
さらにブルキナファソ、マリ、ニジェールでは、コートジボワールでも話されているジュラ語(マンディング系の言語)が通じるため、仮にフランス語が分からなくても、アビジャンや国内のいたるところで商売や働くことはできる。
残りは英語圏アフリカのガーナとナイジェリアである。ガーナに関してはコートジボワールと国境を東側で接しているため、バウレ語(アカン系)などが話せるものとは、フランス語ができなくともコミュニケーションはとれる。
今回は序章みたいな形になったので、また機会を見て、続きを書いてみたいと思う。
画像はアビジャン市内にあるキオスク(この手の商店はモーリタニア人の経営が圧倒的に多い)。
by 虎

ルワンダの豊富なウガリたち

「ウガリ」とは東部アフリカの多くの国の主食で、私の住むケニアでもよく食べられているが、コーンミールから作られる白いウガリが一般的。
ルワンダでは、このウガリの種類がとても豊富。
キャッサバやメイズなど様々な穀物を原料に作られたウガリは、色もカラフルで味も美味しい。これをおかずに、私がNo.1アフリカ・ビールとして敬愛する「プリムス」があれば、他にはもう何もいらない。
今夜もルワンダは満腹。
ナイロビ駐在員 生野

アフリカ料理の本

皆さん、この年末年始はいかがお過ごしになられましたでしょうか?
筆者は10年ぶりにアフリカではなく日本で新年を迎えました。
そうすると、正月の連休をどう過ごそう?
なに食べよう?いい歳して料理の知識が無い自分はお節料理なんて作れないし…

そんなことを思った時に、試してみたのがコチラの本のレシピ。
アフリカ料理の本。
道祖神の季刊誌、DoDoWorld Newsでも紹介していますが、いつか作って食べたいと思うかもしれない、と個人的に即購入しました。
東西南北アフリカのドリンク、スナック、伝統料理からデザートまで一通り網羅された62のレシピが紹介されており、スーパーなどで簡単に手に入る食材で作れてしまう上に、その料理、背景にある国の食にまつわる小話もあって面白いです。
ということで新年早々、「鶏肉のピーナッツ・シチュー」(ガーナ)と、あまったピーナッツバターで、「野菜とピーナッツバターソース」(ガンビア)を作ってみました。一昔前なら正月はスーパーなども休業でしょうが、今は365日オープンしていているんですね。日本ってスゴイ国です。
アフリカの料理は日本料理のような繊細さには欠けるかもしれませんが、お鍋一つで誰でも美味しい品が出来たり、レシピ通り作れば失敗が無いのが魅力です。そして手前味噌で恐縮ですが、これがご飯に合って結構美味しいんです。アフリカの大らかさを象徴してるなぁ、そんな風に思ったりします。
是非、皆さんもお試しください。

タンザニアの貨客船リエンバ号

タンザニアで今もなお現役で運航している貨客船、リエンバ号。

リエンバ号は、タンザニアの西側に位置するタンガニーカ湖(世界第2位の古代湖かつ、深さ)にて、タンザニアのキゴマ~隣国ザンビアのムプルングを繋いでいます。途中、いくつかの港へ向かいますが、なんとほとんど着岸しません。
人々は湖上の停泊場所へ岸から小舟で近づき、よっこらしょ…!とのんびり乗り移る…のではなく、我先に!と賑やかとのこと。それもそのはず、地元の人々のほとんどが一番安い等のチケットを購入している為、座席と荷物スペースを確保せねばなりません。
タンガニーカ湖はその大きさが琵琶湖の約50倍!
で、目的地まで最長で2泊3日となる船旅ですから、気持ちよく過ごせるスペースは大切ですよね。余裕のある方や旅行者は、個室や相部屋での~んびりと船旅です。
このリエンバ号の面白さは、これだけではありません。
なんとこの船は今年で御年102。
第一次世界大戦以前の1913年に、当時キゴマ地域を治めていたドイツによって建造されました。その後一度分解し、タンザニア東端のダルエスサラーム港へ輸送され、さらに列車でタンガニーカ湖畔の町キゴマまで運ばれ、そして再組立てへ…と、湖上に浮かぶまで大がかり。
当時は船名が異なり、1915年にグラーフ・フォン・ゲッツェンという貨客船として就航。第一次世界大戦中にはイギリス軍との交戦仕様に変更し、砲艦と姿を変えました。
1916年にはキゴマ地域から撤退したドイツ軍によって、この船は湖底に自沈させられましたが、1924年にイギリス軍が引上げ・修理を施し、リエンバ号と改めて運航を再開しました。
また、1935年にC.S.フォスターが発表し、1951年にこの原作を元にハリウッド映画になった「African Queen」ではドイツ砲艦・ルイザのモデルとなりました。その後は数回のオーバーホールや、アメリカ人による大修理を重ねて、現在も現役定期船としてポレポレと湖上を進んでいます。
私にとっては「死ぬまでに乗りたい!タンザニアの船」です(笑)
PHOTO BY : RocheDiracr from WIKIMEDIA COMMONS

サハラ砂漠の砂で焼く、遊牧民のパン

サハラ砂漠を旅したならば、星空と焚火の美しさに心が洗われる。遊牧民たちと焚火を囲っているだけでも得も言われぬ満足感がある。そして驚くべきは彼等の砂を使ったパン作りだ。既成の釜戸がなくても、生地を砂で覆い、その上に焚火の熾きを敷くことで蒸し焼きする。必要な道具は生地を練るタライだけだ。セモリナ粉(パスタ用の小麦粉)だけで、薄力粉は混ぜない。作り方も食べ応えも、砂漠の生活の厳しさを感じさせる最高にタフなパンだ。

砂漠の砂でパンを焼く
砂漠の砂でパンを焼く

by 有冨