WILD AFRICA 16 草木と動物とフンコロガシ

サファリに参加する人々の目的は、ほとんどの場合ライオンやゾウ、サイ、チーター、ヒョウといった象徴的な大型哺乳類を見ることだろう。確かに、アフリカまで来たからにはそれらを全部見たいと思うのは当然だ。通常のゲームドライブでは、ガイドやドライバーもビッグファイブを見せておけば客は満足するという前提で行動している。
しかし、見たい「ターゲット」を限定し過ぎると、それらを見られなかった時の落胆が大きく、旅が台無しになってしまう可能性がある。如何にガイドが優秀だったとしても、自然相手の話である以上、必ずお目当ての動物に出会えるとは限らないのだ。天候が悪ければ生き物たちの活性は低くなるし、雨期と乾季では分布パターンだって違う。ついさっきまでそこにいたのにと、他のツアー客に言われたりすることもしばしばだ。動物園ではないのだから、金さえ払えば全てを見られるというものでもない。
過去幾度となく、仏頂面をしながらロッジに戻ってきて、「今日は全然動物がいなかった」と文句を言う観光客を目にしてきた。目当ての動物、例えばライオンが見たくてここまで来たのに、見られなかったから腹が立つというわけである。しかし、サバンナに暮らすのは、なにも大型動物だけではないし、特定の種を見られなければ不機嫌になるというのでは、あまりに勿体ない気がする。
もしかすると大型動物の姿はなくても、目の前の地面にはゾウやサイの落とし物からせっせと球を作るフンコロガシがいるかも知れない。彼等はその球体に卵を産みつけてから地中に埋める。ふ化した幼虫は、球の中身を食べながら大きくなり、やがてさなぎから成虫へと姿を変えて地上に姿を現すのである。草木と草食獣、そして昆虫という、全く異なった生き物同士が、自然界の不思議なつながりで結ばれているのだ。そんな命の営みを垣間見るのも、サファリの楽しみと言えるのではなかろうか。
はるばるアフリカまで来たのだから、何としてもライオンを見たいという気持ちも理解するに難くない。しかし、雄大で美しいサバンナの直中に身を置けるのは、それ自体とても幸せなことだ。そこに幾ばくかの知的好奇心と心の余裕を付け加えて周囲を見渡すようになれば、たとえ「大物」がいなくても、様々な生き物たちとの出会いに喜びを見出せるだろう。
撮影データ:ニコンD200、AF-S 17-35mm f2.8、1/500 f8 ISO200
ボツワナ、カマ・ライノ・サンクチュアリで、サイのフンから球を作るフンコロガシ。
写真・文  山形 豪さん

やまがた ごう 1974年、群馬県生まれ。幼少期から中学にかけて、グアテマラやブルキナファソ、トーゴなどで過ごす。高校卒業後、タンザニアで2年半を過ごし、野生動物写真を撮り始める。英イーストアングリア大学開発学部卒業後、帰国しフリーの写真家に。南部アフリカを頻繁に訪れ、大自然の姿を写真に収め続けている。www.goyamagata.com

African Art 12 ダオメイ王国(ベナン共和国)の祖先を敬う“アセン”

ベナン共和国のフォン族には、祖先を敬う儀礼の時に祭壇として用いる“アセン”と呼ばれる金属でできた円錐形の神具がある。20cm~40cm位の円形の平板を鉄の心棒で支え、高さは70cm位から150cm位のものまである。アセンは金属製の持ち運びできる祭壇で神や祖先の霊を敬う儀式の時に使われるものとして、ダホメイのフォン族王家の間で17世紀初頭に作られるようになったと聞く。最初の頃は王家の儀式のためだけに使われ銀や真鍮で作られていたようだが、徐々に一般に広まるにつれ錬鉄やブリキなどで作られるようになった。

アセン”帽子をかぶった王にひざまづき貢物を献上する人と日傘を持つ従者
アセン”帽子をかぶった王にひざまづき貢物を献上する人と日傘を持つ従者

“アセン”玉座に座る王とその周りを囲む木々とカメレオンや鳥
“アセン”玉座に座る王とその周りを囲む木々とカメレオンや鳥

“アセン”移動用イスの上の王と従者達。十字架と月
“アセン”移動用イスの上の王と従者達。十字架と月

ベナンの南に位置する小さな沿岸の町OUIDHA(ウイダ)は18世紀の中ごろから奴隷貿易が盛んでポルトガル商人とダオメイ国王との間で奴隷の取引が盛んに行われ、多くの奴隷がポルトガル領ブラジルに輸出された。1922年ブラジル帝国がポルトガルから独立した後も大農園主の意向で奴隷制は維持され続けたが、アメリカなどの奴隷制廃止と西欧社会からの非難によって1888年に奴隷制は廃止された。これに伴い奴隷の子孫たちの本国送還が始まった。彼らのほとんどがブラジルに連れて行かれた奴隷の第3世代だった。ウイダはブラジルから戻ってきた元奴隷一族の一大入植地となり、様々なブラジルの習慣や伝統が持ち込まれた。宗教はヴードゥー教とキリスト教が融合し、その世界観を表現する独特な“アセン”が発達した。
17世紀のフォン王国時代から使われている移動式祭壇“アセン”
17世紀のフォン王国時代から使われている移動式祭壇“アセン”

円形の平板の上には立派な玉座に座る王を象徴する人物が多分ブラジル産であろうタバコを王侯貴族の特権であった長い柄のパイプでくゆらし、横では女が大きな団扇を仰いでいる。王の前には膝まづいて献上物を捧げる家臣たちがいて、冨の象徴である水平に切り取られた大きなひょうたんが置かれている。またあるものには、ココヤシか何かの木が表現され、そこには一羽の鳥がいる。宇宙の創造物の中では男性を表すカメレオンが君主の方を向いているのに対し、鳥や犬などの動物は敵が近づくと大きな声で鳴き警報を出す見張り番として外を向いている。アセンにはその他、神や祖先にお祈りを捧げる人物像が多く表現されている。
この“アセン”は最近まで使われていたので、現在でもこの地方のマーケットに行くと、円盤の上に置かれていた古い真鍮の人物像や動物類を簡単に見つける事ができる。その造形は可愛く、美しく、小さな美術作品である。鉄製の鳥はとても素朴で、豹、犬、象、カメレオン、蛇などいろいろな動物類にも素晴らしいものがたくさんある。ダオメイ王国の栄華と宇宙観がこの直径30cmの円盤の上に繰り広げられていて、どれを見ても飽きる事はない。
アセンの上に取り付けられたブロンズの小像 1
アセンの上に取り付けられたブロンズの小像 1

アセンの上に取り付けられたブロンズの小像 2
アセンの上に取り付けられたブロンズの小像 2

アセンの上に取り付けられたブロンズの小像 3
アセンの上に取り付けられたブロンズの小像 3

アセンの上に取り付けられたブロンズの小像 4
アセンの上に取り付けられたブロンズの小像 4

アセンの上に取り付けられたブロンズの小像 5
アセンの上に取り付けられたブロンズの小像 5

アセンの上に取り付けられたブロンズの小像 6
アセンの上に取り付けられたブロンズの小像 6

写真提供/小川 弘さん

小川 弘さん
1977年、(株)東京かんかん設立。アフリカの美術品を中心に、アフリカ・インド・東南アジアの雑貨、テキスタイルなどを取り扱っている。著書にアフリカ美術の専門書「アフリカのかたち」。公式ウェブサイト http://www.kankan.co.jp/

Africa Deep!! 45 アフリカのロバはいったい何を考えて生きているのだろうか?

アフリカの田舎を訪れたことがある方なら、「ドヒューン、ドヒューン……」という胸を衝くような甲高い動物の悲鳴にぎょっとされたことがきっと一度や二度はあるにちがいない。何事かと音のするほうを見やれば、そこにはたいていじっと地面を見つめたままのロバが所在なげに立っている。土壁が塗られた家のドアの前でやはりじっと頭を垂れて無表情のまま立っていることもある。
ロバという生き物を見て、「かわいい!」という人はあまりいない。その代わりに、全身から哀愁を漂わせ、なんだかじっと何かに耐えているように見えるため、「おい大丈夫かい?」と一言かけたくなる。「何か悲しいことがあったんだな」という気持ちにさせられる。あまり注視してはいけないような雰囲気がロバにはある。
ロバはアフリカ原産だそうだ。もともとは野生で静かに暮らしていたのだろうが、動きがあまり機敏ではないせいか、かなり古くから家畜として飼われていたようで、その歴史は五千年ともいわれている。ただ食用としてではなく、荷物や人を運搬する手段として用いられてきた。いまでもモロッコやスーダンなどの北部アフリカを中心に、少年が奥歯の隙間から「チッチッチッチ……」という音を鳴らしながらロバにまたがって小走りに行く姿をよく見かける。
粗食によく耐えて重い荷物を持つことができるため、田舎では重宝される。ただし性格は馬などに比べると従順ではないらしい。そのくせ重い荷物をくくりつけられてもじっと何かに耐えているように見えるので、ついいらいらして「いったいお前は何を考えて生きているんだよ」と文句のひとつもいってやりたくなる。人間がロバに対して何か悪いことをしているような気分にさせられる。
日本にも古事記が編纂された時代あたりにロバが輸入された歴史があるそうだが、結局は家畜としてもペットとしても根付かなかった。それはおそらくロバのあの哀しそうな雰囲気が原因ではないかと思う。日本人の繊細な感性が、その哀しそうな動物に重荷をくくりつけることを許さなかったのではないだろうか。僕はそう思う。その証拠に僕はアフリカでロバを見るたびにやはりどことなく憂鬱な気分にさせられるのだ。
写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。
公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/

初心者がゼロから始める登山 キリマンジャロへの道 Lesson 3 登山の第一歩 ~里山歩きと低山ハイク~

去る3月24日に「登山・トレッキング講習会」の第1回机上講習会を開催しました。多くの皆様にご参加いただき、スタートとしてはこれ以上望めないくらいの大盛況となりました。内容は、登山の概要から始まり、装備、服装、山での歩き方、山の危険・遭難、山でのマナー、観天望気など、基本知識をひと通りご説明しましたが、詰め込み型の講習会だったことは否めません。ご参加いただいた皆様には、知識という肉に血を通わせるため、実地講習会へのご参加も含めてどんどん山へ足を運んでいただきたいところです。

週末登山
週末登山

講習会でもお話ししましたが、登山の第一歩は短時間、または日帰りの『里山歩き』や『低山ハイク』から始まります。気持ちの良い田舎道や、寺社巡りなどもこの部類に入り、1日の行動時間が4時間以内、標高差が700m以内、というのが低山ハイクの一つの基準です。
最近は、いわゆる「パワースポット」ブームもあり、東京近郊では高尾山や御岳、三峯山、筑波山などが若い女性に大変人気がありますが、山岳信仰が盛んだった日本では、有名な神社のある山だけではなく、全ての山に神が鎮座し、全ての山がパワースポットだと言っても過言ではありません。先に挙げた4つの山には全て神社があり、ロープウェー等を使って気軽に登ることができます。これらの非常によく整備された登山道を歩く際には、必ずしも登山靴やトレッキングシューズが必要というわけではなく、日常の延長という感覚で初歩の山歩きを楽しめます。とはいえ、全ての道が石段や階段で整備されている、というわけではありませんので、低くて気軽な山といえども、山を歩く際の道のバリエーションは2,000mを超える山と大差ありません。
平地とは違って、山では山独特の歩き方があります。基本は『バランスよく、テンポよく、疲れない歩き方』ということになります。山での転倒は即怪我や遭難の危険につながりますので、まずは転んでも安全な低山で地面のバリエーション(左右の傾斜、前後の傾斜、ぬかるみ、石ころだらけの道など)にスムースに対応できる「歩き方」を身に付けていただく必要があります。これには、机上でいくら知識をつけても限度があり、とにかく山道と言える場所をどんどん歩いていただくしかありません。
「ローマは1日にして成らず」という言葉がありますが、千里の道も一歩から、キリマンジャロへの道も近所の裏山から始まります。これから山を歩くには非常に気持のいい時期になります。いきなりキリマンジャロに挑戦する前に、ぜひご自宅の裏山の魅力を再発見していただきたいと思います。
羽鳥

2012.04.26発 ドラケンスバーグ・トレッキング11日間 前編

南アフリカとレソト王国にまたがる南北250kmの険しい山脈、ドラケンスバーグへトレッキングに行ってきました。
01
ドラケンスバーグとはアフリカーンス語で“竜の峰々”、ズールー語でウクハランバといい“槍の障壁”という意味。3,000m級の断崖絶壁の連なりは1億8千万年前のゴンドワナ大陸分裂の形跡で、隆起によってできた日本のアルプスとは趣きがまったく異なっています。
インド洋から入ってくる大量の湿気をおびた空気を阻んで雨を降らし、浸食がはげしく、無数の尾根と沢がひだを作っていることが確かに竜を連想させます。
02
ドラケンスバーグは複合遺産として世界遺産に登録されています。これは固有植物の多さ、希少動物の生息、原始のままの景観といった自然環境の価値だけではなく、サン(ブッシュマン)が残した洞窟壁画が約40,000点という規模で残されているためです。
03
ドラケンスバーグがいだく太古の自然の景観を、野生動物の生活空間を、そしてわたしたちの祖先の記憶の世界を、6日間歩きまわりました。
日本から香港経由で南アフリカのヨハネスブルグへ、ヨハネスブルグから国内線でインド洋に面した港湾都市ダーバンへ。ダーバンから車で内陸へ向けて3時間半ほど車で走るとドラケンスバーグ山脈が眼前に迫ってきます。
南北に250kmの長さというのはかなりのもので、日本の北アルプスと南アルプスを足した長さに勝ります。今回のトレッキングでは北部ドラケンスバーグ、南部ドラケンスバーグのそれぞれのバックパッカーズロッジを拠点にして見所を巡りました。
一日目は世界第二位の落差を誇るトゥゲラフォールズへ。
滝のある断崖絶壁はとても登れないので車でずいぶん回り込みます。滝の始点を目指して2時間程度歩きます。ちょうど南アフリカの連休にあたり、パーティーのメンバーは多く、アフリカーナーや南アフリカ在住の中国人、インド人、ドイツ人、オーストラリア人など様々。登り方に国民性があらわれて興味深い。弁当を先走って食べだす中国人、猛スピードで登りそしてバテることを繰り返すインド人、日本の万歳のポーズが大好きでことあるごとに万歳を繰り返すオーストラリア人。初日に丁度いい、賑やかでのんびりとした雰囲気のトレッキングになりました。
04
二日目は今回のツアーでもっともハードなカテドラルピーク登山。
カテドラルピークは「聖堂」の名のついた鋭鋒。日本では槍ヶ岳のような存在。朝は6時に出発し麓まで車で移動。車窓から遠目にピークが見えて、その鋭さに自信喪失ぎみ。(きつい山登りが気分でない場合はレソトへの一日ツアーにも参加できる。素朴なソト人の村に遊びに行って霊媒師に会ってみたり、岩絵を見に行ったり、これもなかなか魅力的です。)
カテドラルピークへの道は急登と平坦な道の繰り返し。グレイリーボックの群れを見つけたり、ケープバルチャーの旋回を眺めながらとにかく登ります。最後の方は急登ばかり。最後の最後は直登。ロッククライミングをしすぎて手の甲が人一倍厚くなったツワモノガイドに連れられてピークまでがんばる。カテドラルピークを登頂したならば遠慮なく自慢してください。
05
この日、ロッジに帰ってくるころには総じて精魂尽きたという表情。ビールで乾杯するころにはいつの間にか参加者同士、ずいぶん仲良くなっているのに気が付きます。
後編へつづく
有冨