2010.12.24発 ウガンダ・ゴリラ・トレッキングとサファリ 10日間

ウガンダの魅力は、野生動物もさることながら、その植生も大変素晴らしいです。植物園で見た大木です。
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ピンクの花が美しく、良い香りがしました。
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花々、木々、深い森、並木道、そして車で移動中に何度も目にする、道路の両側の見渡す限りのバナナ畑。食用だったり、お酒用だったりしますが、日本のように甘い果物のバナナももちろんあります。とても美味しいです。自転車に山積みにして、道路の端を押して歩いている人を良く見かけます。ワラギ用でしょうか?ワラギはバナナから作る蒸留酒で、無色透明です。甘い香りとすっきりした口当たりで、人気があります。高地を走ると、行けども行けどもお茶畑が続きます。整然と、日本の静岡のように、お茶の木が続きます。違うのは高度。霧が良いお茶を作ってくれるので、高地にあり、全て良質の紅茶になります。今回のツアーでは、まずキバレでチンパンジーを観に行きます。女性のガイド同行で、森の中を歩きました。約1時間歩いて、チンパンジーに遭遇。前にいるチンパンジーに見入っていると、後ろからも歩いてきます。どうやらお目当ては、前にある木のようです。するすると木に登って、実を食べています。午後のおやつ?
☆チンパンジーの写真は暗くて撮れませんでした。
キバレの次はクィーン・エリザベス国立公園です。象の親子をたくさん見ることが出来ました。小象が本当に小さくて、お母さん象にぴったりついて歩いているのはどの国の象も同じです。
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午後はボートサファリなのですが、なんとボート乗り場に草がいっぱいです。風も強く、ボート乗り場からボートを出すことが出来ない様子。多くの人たちの助けがあって、ボートは出航することになりましたが、乗り場は別の所です。屈強な男性に引っ張り上げてもらって、やっとボートへ。下船も同じです。体を支えてもらって飛び降ります。小さな子供たちは、大人が皆で手助けしながら、乗船・下船します。不思議な一体感がありました。ボートからは様々な鳥たち。クィーン・エリザベス国立公園だけで、606種もの鳥類が見られる。
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いよいよ最終はブウィンディ国立公園でマウンテンゴリラトレッキングです。集合場所で、熟練のガイドさんが装備をチェックします。赤色はダメ。帽子、ヤッケ、レインパンツ、リュックサック全て赤以外の色で。ご希望によりポーターを雇って、杖を持って、山中に入ります。添乗員はゴリラトレッキングには同行せず、ロッジで待っています。ロッジからの眺めも素晴らしく、雲が下の方に見えます。ゴリラはこんなに高い地に生息しているのですね。
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カンパラに戻る途中で見たベルベットモンキーの母子です。なんとも微笑ましい姿でした。お母さんが起き上がるとしっかりつかまってました。
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動物園で見た、ハシビロコウです。歩きまわって魚を捕獲していました。ウガンダの動物園は単に餌をまくのではなく、自ら捕獲することもありなんですね。
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木下

WILD AFRICA 12 繊細さと危うさを感じさせるチーター

高校生の頃、「わくわく動物ランド」や「野生の王国」と言ったテレビ番組をよく見ていた。西アフリカから日本に戻り、東京という大都市での生活を強いられていた私は、画面に映し出されるセレンゲティやマサイマラの野生動物たちの姿に心を躍らせていたものだ。中でもガゼルを追いかけて草原を疾走するチーターの姿は大好きで、いつか本物を見てみたいと思っていた。(人間に駆逐されてしまい、西アフリカでは大型肉食獣はほぼ絶滅している)
願いが叶ったのは高校卒業後、東アフリカのタンザニアで暮らすようになってからだ。正にテレビで見た通りの、あのどこまでも続くセレンゲティ大平原がそこにはあった。ヌーやシマウマ、トムソンガゼル、そしてそれらを狙うライオンやハイエナ、チーターなどがいるべき場所にいた。理屈では分かっていたが、本物の「野生の王国」を目の当たりにした時のあの衝撃は強烈だった。
ただ実のことを言うと、あの当時はヒョウとチーターの見分け方すら知らないド素人だった。思い返しただけでも赤面してしまうが、チーターの親子だと思っていたものが、本当はヒョウの親子で、写真の現像が上がった時点でやっとその事に気づくという有様だった。
あれから随分年月が経ち、私も多少の経験を積んだ。これまでにタンザニア、南アフリカ、ナミビア、ボツワナで数十頭のチーターたちを写真に収めてきたが、彼等との出合いはいつでも新鮮で飽きる事が無い。ライオンやヒョウのようなふてぶてしさは無く、むしろある種の繊細さ、危うささえ感じさせるチーター。彼等は他の大型肉食獣にしょっちゅう獲物を奪われてしまうため、いつも周囲を警戒しながら行動する。そんな弱さもチーターの魅力の一つなのかも知れない。
写真は1997年にセレンゲティ国立公園のゴル・コピー付近で出会ったチーターたちだ。左にいるのが4頭の子供とその母親、そして右の1頭が成獣のオスだ。通常子連れのメスが成獣のオスに接近することはあまり無いのだが、恐らくはオスがこの母親と血縁関係にあったのだろう。(コピーとはサバンナでよく見られる、丸みを帯びた花崗岩の岩場の事で、獲物から身を隠すのに都合が良いため肉食獣たちに良く利用される)
撮影機材:恐らくニコンF3Tで撮影。それ以外のデータは不明
チーター
英名:Cheetah
学名:Acninonyx jubatus
全長:110~150cm
体高:67~94cm
体重:35~65kg
寿命:16年
写真・文  山形 豪さん

やまがた ごう 1974年、群馬県生まれ。幼少期から中学にかけて、グアテマラやブルキナファソ、トーゴなどで過ごす。高校卒業後、タンザニアで2年半を過ごし、野生動物写真を撮り始める。英イーストアングリア大学開発学部卒業後、帰国しフリーの写真家に。南部アフリカを頻繁に訪れ、大自然の姿を写真に収め続けている。www.goyamagata.com

African Art 8 ブードゥーの祠の祖先像(トーゴ)

アフリカには木で作られる彫像の他、土で作られた土偶や壺にとても面白いものがたくさんある。それらは木彫品と同じく部族ごとに独特な造形を持つ。そのひとつトーゴの“ブードゥー”として知られる祭礼、儀礼用に使われる土偶を取り上げてみた。

エウェ族(トーゴ)の祖先像 素焼きの上に石灰石(H61cm)
エウェ族(トーゴ)の祖先像 素焼きの上に石灰石(H61cm)

ガーナからトーゴにかけて分布するエヴェ族、アジャ族、フォン族およびその同系の文化圏に属する人々は“ブードゥー”として知られる宗教を持っている。ブードゥーとは彼らの住むすべての世界に存在する、生命を支配する神秘的な力を表す言葉である。ブードゥーに関するもっとも良く知られる工芸品は、王家の主人のために作られた金属製の洗練された彫刻や、真鍮や金などで覆われたり、包まれたり、また結びつけられたりした木製の彫像である。
(H71cm)
(H71cm)

しかし土製の焼き物の塑像も儀礼に使われる重要な役割を担っている。特有のかたちを持つテラコッタの器や塑像は、個々の神々と関連があり、主に神殿や祠に置かれている。かたちとしては底が開いて空洞になっていて、本来は上下逆の壺である。明らかに陶工によって作られたものである。生贄の供物の体液が頭部から滴りその線が腰のまわりまで染みになっており、その腰の部分から下は土の中に埋められていたものである。
(H50cm)
(H50cm)

トーゴの首都ロメから20km位北にドライブした時、フェティッシュマーケットと呼ばれる市場に遭遇した。占いに使うあらゆるものを売っている。牛、猿の頭蓋骨、カメレオンの干からびたもの、蛇、鳥、蛙などあらゆる動物の死骸。その市場に近づくと何とも異様なにおいが漂う。そんな中にまだ儀礼をおこなっていない新品のテラコッタの像が並んでいた。新品の土偶はまだ本当に生命が吹き込まれていないようで少々かわいらしい。これがいったん祠に安置され何度かの生贄の儀式を経るとこの写真のように神秘的な力が宿るように見えるのは暗示に掛けられた気のせいなのだろうか?
像は命を吹き込まれて力強く面白い作品に成長していくように思える。
写真提供/小川 弘さん

小川 弘さん
1977年、(株)東京かんかん設立。アフリカの美術品を中心に、アフリカ・インド・東南アジアの雑貨、テキスタイルなどを取り扱っている。著書にアフリカ美術の専門書「アフリカのかたち」。公式ウェブサイト http://www.kankan.co.jp/

Africa Deep!! 41 砂漠の民に潜む優しさとしたたかさと

エジプトのカイロ郊外で開かれているラクダ市を見に行ったときのこと。
ラクダは気性が荒く、気に食わない人間が近寄ると、すごく臭いゲップを吐きかけてくる、と聞いていたので、最初は用心して遠巻きに眺めていた。ラクダは前足を縛られ、逃げられないようにされている。
売買する人たちは皆ターバンを巻き、いかにも砂漠の民といった風の男だ。市が始まってずいぶんと経つのに、男たちはひそひそと静かに話し合ったり、水煙草を悠然とくゆらせている。そこのジャパニ、チャイでも飲んでいけと誘ってくれる人もいる。
砂漠の民は外の世界からの旅人には優しく物静かだ。しかし、それにしてもいったいいつ取引が始まるのだろうか。と、見物するのも少々飽きてきた。暇なので、ラクダは本当に臭いゲップを吐きつけるのか、棒でつついて試してみようかと考え始めたときだった。
突然、背後から激昂した怒鳴り声が浴びせかけられた。思わず振り返ると、ターバンの男がふたり睨みあいながら、いまにも掴みかからんばかりの勢いで互いにののしりあっている。いったい何事が起きたのだろう。
喧嘩をしているふたりの男は顔を真っ赤にし、拳を振り上げながら唾を飛ばしている。周囲の人たちはしかし、仲裁に入るわけでもなく、さりとて無視するでもなく、成り行きを静かに見守っているだけだ。このふたりが単にラクダの取引をしているのだと気がついたのはそれからしばらくしてからのことである。それだけ売買の仕方は激しかった。ぼくたち和をもって尊しとする東洋の人間ではとても歯が立ちそうにない。
しかし、取引が終了したとたん、ふたりは旧知の親友のような親密さで、互いに肩を抱き寄せ、手をつなぎながら満面の笑みを浮かべている。そして何度も何度も抱擁を繰り返す。さきほどまでの激しさはどこにもない。ふたりの表情のあまりの急激な変化の裏に、ぼくは砂漠の民のしたたかさを見る思いだった。
写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。
公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/

高達潔のソウェトウオッチング45 ソウェト・ツアー事情 その11

歴史あるフリーダム・スクウェア

ソウェトと、旧カラード・タウンシップのエルドラドパークとの間のクリップタウンに、ウォルター・シスル・スクウェアという広場があります。ここはソウェトの淵(外側)にあたり、アパルトヘイト時代でも、黒人、白人、インド人などが入れる場所でした。
そのため、1955年6月26日、アフリカ民族会議(ANC)を中心として、南アフリカ・インド人会議、南アフリカ・カラード人民機構、民主主義者会議(ほとんどが白人)、南アフリカ労働組合会議の各団体代表者3,000人が南アフリカ中から集まり、人民会議でフリーダム・チャーター(自由憲章)を採択した場所として、フリーダム・スクウェアと呼ばれていました。(泊まりがけの集会でしたが、翌27日に警察に解散させられたそうです)。

政府が大改造してウォルター・シスル・スクウェアに

ウォルター・シスル・スクウェア
ウォルター・シスル・スクウェア

私が2001年にソウェトに入り始めたころのフリーダム・スクウェアはただの空き地で、隣接した商店街クリップタウンのためのタクシーが集まっているという感じでした。横を通る時に、ツアーガイドから「この場所でフリーダム・チャーター云々」という話を聞かされる程度でしたが、2004年の選挙の前に、政府が大金を投じ、この広場を大改造しました。
ゼネコンにコンクリートで固めさせ、グレート・ジンバブウェ遺跡にあるコニカルタワーを模したモニュメント(その中に自由憲章が書かれている)、自由憲章の10カ条を表すつもりの10本のピラー(言われないと意味は分らないが、言われても大金を投じた意味が理解できない)、コミュニティー・ホール、4星ホテル(開業当時はホリデイ・イン・ソウェトで、今はソウェト・ホテル)などを建て、店舗スペースを造りました。
10本のピラー
10本のピラー

路上販売していたおばちゃんたちは追い出され、販売場所を作って利用料を徴収するようにし、観光客が来ると目を伏せて仕事をしているフリをして案内したがらない職員のいる観光案内所もできました。そして、その名称は、ANC長老達のご機嫌取りの様に、ANCのリーダーであった故ウォルター・シスル氏に捧げる広場と変えられたのです。
線路を渡った所にあるスクウォッター・キャンプのNPOで活動しているメンバーは、大手ゼネコンが外から労働者を連れて来て建設しているのを横目で見て、これはディベロップメント(開発)ではなく、単なるビルディング(建設)だ、地域には何ももたらさないと不満を言っていたのを今も思い出します。

時間があれば自由憲章関係の博物館へ

観光案内所の愛想の無さもあり、時間にゆとりがないソウェト・ツアーではわざわざ立ち寄る所とも思えず、ここにある自由憲章関係の博物館も以前は素通りしていました。しかし、こちらに来て何年も経ってアパルトヘイトの歴史も以前よりは知ったせいか、昨年立ち寄ってみたら、この博物館も中々捨てたものではないと見直してしまい、最近では時間があればソウェト・ツアーの途中で立ち寄るようにしています。
自由憲章は、アパルトヘイト政策に抵抗して、全人種平等の民主主義(リベラリストからの共産主義的という批判などもあったが)をうたい、そのために当時の政府はそのメンバーの中からネルソン・マンデラ、ウォルター・シスルを含む156人を逮捕して、反逆罪で告発しました。この自由憲章が、ANCの基本理念になり、今のこの国の民主主義憲法の元となったのです。(反逆裁判に関しては、ヨハネスブルグのニュータウンにあるミュージアム・アフリカに展示があります。アパルトヘイト博物館にも自由憲章の展示はありますが、あまり詳しくはありません)。

ソウェト(Soweto)
南アフリカ共和国ハウテン州ヨハネスブルグ市にある地域。地名の由来は“South Western Townships”(南西居住地区の短縮形)。アパルトヘイト政策によって迫害されたアフリカ系住民の居住区として知られる。観光では、ソウェト蜂起の際に警官に射殺されたヘクター・ピーターソンや反アパルトヘイト運動を率いたネルソン・マンデラの記念館が有名。