WILD AFRICA 11 シママングースの引越し

昨年10月末から12月半ばまで南アフリカ、ボツワナ、ナミビアの3カ国で撮影を行った。その際訪れた場所の一つがナミビア北部にあるエトシャ国立公園だ。ここは自然環境の豊かな南部アフリカの中でも特に野生動物が多いことで有名で、大砂丘の連なるソススフレイと並ぶナミビア観光の目玉である。当然のことながら、エトシャを訪れる人のお目当てはライオンやゾウ、サイなどの大型動物なわけだが、小さな生き物たちにも目を向けるようになると、より楽しみが増してくる。しかもそれらは案外身近な場所に現れたりするのだ。
例えば公園内のレストキャンプやピクニックサイトでも、様々な野生動物たちと出会う可能性がある。レストキャンプとはレストランやキャンプ場、コテージ等の宿泊施設が集まっている場所の事を指し、エトシャにはオカウクエヨ、ハラーリ、ナムトーニの3カ所が存在する。いずれもフェンスや塀で囲まれており、危険な大型動物は侵入できないようになっているのだが、小動物や鳥類には全く影響が無い。逆に猛獣がいない事を知って敷地内を生活の場としている動物も多く存在するため、思いがけず面白い場面に出くわしたりする。
写真のシママングースもその一例だ。これはナムトーニの駐車場で撮影したもので、生まれて間もない赤ん坊を違う巣穴へと移している母親の姿である。通常シママングースがこのように小さな子供を巣穴の外に出すなどあまり無いことだ。よっぽどの理由があるのだろうと思っていたら、同じ日の夕方に猛烈な雨が降ってキャンプの大半が水浸しになった。マングースたちは大雨の到来を予見して、より水はけの良い安全な場所に巣穴を移していたのだ。
休憩や宿泊のために利用するレストキャンプだが、気を抜かずに周囲に目を配ると、そこには様々な動物たちの営みがある。しかも敷地内は徒歩で行動できるので、非常に自由度の高い撮影が可能だ。この写真も被写体と同じ目線で撮りたかったので、地面に腹ばいになって撮影した。
撮影データ:ニコンD300, AF-S 500mm f4D, 1/1250 f11 ISO800
シママングース
英名:Banded Mongoose
学名:Mungos mungo
全長:45~70cm
体重:1.5~2.25kg
写真・文  山形 豪さん

やまがた ごう 1974年、群馬県生まれ。幼少期から中学にかけて、グアテマラやブルキナファソ、トーゴなどで過ごす。高校卒業後、タンザニアで2年半を過ごし、野生動物写真を撮り始める。英イーストアングリア大学開発学部卒業後、帰国しフリーの写真家に。南部アフリカを頻繁に訪れ、大自然の姿を写真に収め続けている。www.goyamagata.com

African Art 7 アフリカの仮面、神像の真贋と収集

15世紀半ば、ポルトガル人のディエゴ•カオンがヨーロッパ人として初めて西アフリカの海岸地域を調査し、コンゴで象牙製品といくつかの木製品を持ち帰り、ここで初めて黒人の仮面文化が知られるようになった。18世紀半ばを過ぎて植民地政策が盛んになるや、現地に出かけた船乗りたちが仮面や彫像を珍しい土人のお土産として競って持ち帰るが、野蛮な原始人の奇怪なものとして珍しがられるのが関の山だった。19世紀後半になり大規模な民族博物館がヨーロッパ各地に創設され、まとまった収集が行われるようになったが、それでもまだ美術的評価を受けることはなかった。それが評価を得るようになったのは、ようやく20世紀に入ってからである。また、コピーが作られるようになったのはアフリカ諸国の独立後、1950年代以降である。

ヤウレ族 仮面
ヤウレ族 仮面

ヨルバ族 母子像
ヨルバ族 母子像

ゼラ族 儀礼用イス
ゼラ族 儀礼用イス

私がこの仕事を始めた1980年代には、アフリカ各地のマーケットで売られるほとんどの仮面や神像はコピーだった。民具以外に本物を見つけることは稀であった。それでは本物とコピーはどこが違うのか。端的に言うなら本物とは本来の土着儀礼に使われる、または使われた仮面や神像である。古いから本物、新しいからコピーというわけではない。近年の儀礼では本来の伝統的なしきたりを忠実に守って行われるものは非常に少なく、旅行者用の見世物としても仮面舞踏が行われている。本物の儀礼が少なければ、作り手も祖先に対する敬意や願いを込めて製作することは希薄になる。近年の仮面や神像にアフリカ美術の大きな魅力であるスピリチュアルな力を感じられるものが少ないのは当然である。このような現状なので美術オークションでは、来歴と古さが最重要視される成り行きとなった。しかし来歴のはっきりしたもの、古い歴史を持ったもののほとんどは既に美術館や博物館に収蔵されている。だから、たまにマーケットに出てくる希少な作品の取引額は大変高額で1点が億単位の作品もままある。
アシャンティ族 儀礼用イス
アシャンティ族 儀礼用イス

バミレケ族 イス
バミレケ族 イス

この際、私はアフリカ美術を取り扱うプロの業者として、それに魅せられた者として、来歴などにあまりとらわれるなと言いたい。本来作り手は無名の職人たちである。本来収集とは投資ではない。作品と出会い、何らかの魅力を感じ、時にその作品に癒され、時に創作の新しいヒントを得る、そこに意義がある。3万円のものと300万円、3000万円の違いは当然理由がある。しかし自分で楽しめる金額の中で自分なりに楽しめばそれも良い意味での収集ではないだろうか。
写真提供/小川 弘さん

小川 弘さん
1977年、(株)東京かんかん設立。アフリカの美術品を中心に、アフリカ・インド・東南アジアの雑貨、テキスタイルなどを取り扱っている。著書にアフリカ美術の専門書「アフリカのかたち」。公式ウェブサイト http://www.kankan.co.jp/

Africa Deep!! 40 “買い食い”こそが旅の醍醐味なのかもしれない

これは何もアフリカだけに限ったことではないのだが、アジアや南米を旅したことのある人ならだれでも、露店でいろいろな食べものが販売されているのを見かけたことがあるだろう。季節の果物の他、手作りのスナック菓子から、その場で調理してくれる串焼肉などまで、国や地域によって実にさまざまな食材が並んでいる。あるいはバスなどの公共交通に、売り子がさまざまな食べものを手に乗り込んでくることもある。
レストランできちんと三食をとらなくても、こうした露店に並ぶ食べものだけを口にしながら旅をすることだって十分可能だ。しかし、旅人の多くは露店を前にしてこう考えることだろう。「果たして食べても大丈夫だろうか? お腹を壊さないだろうか?」
その考えはもっともだし、いたって正しいと思う。実際、炎天下や埃っぽい場所で売られていることもあるため、衛生面で心配だ。だが、同時に、そういった食べものを忌避することは、旅のヨロコビをみすみす半減させているともいえる。
露店でモノを売る文化というのは、どういうわけかGDP値が高くなればなるほど衰退に向かう(←僕の勝手な法則)。アジアやアフリカのGDP値が日本と比べて低い地域をわざわざ選んで旅しようと考える人の多くはきっと、その国の、あるいはそこの民族の文化に興味があるから訪れるのだと思う。なのに、彼らの食文化のエッセンスがギュッと凝縮されている露店の食べものを避けるのはもったいないのではないだろうか。
僕は長年旅を続けているせいか滅多に腹を壊さなくなった。口の悪い友人は「船尾の胃は現地人並みだ」と褒めているのか貶しているのかわからない言葉を吐くが、これでも僕なりのルールというものがちゃんとあるのだ。①果物は皮をむく ②火を通したばかりのものを購入する ③流行っている店を選ぶ。どうです、簡単でしょ。まあそれでも腹を壊してしまったら、まっすぐ病院へ行ってください。それも旅の貴重な経験です。
写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。
公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/

高達潔のソウェトウオッチング44 ソウェト・ツアー事情 その10

ホワイト・シティーからソウェタン憩いの場所、トコザ・パークへ

ジャバブ地区にある蒲鉾型の家は3軒長屋ですが、その壁が白いことから、その家がある辺りは通称ホワイト・シティーと呼ばれています。ホワイト・シティーは不良が多いので危ない、あの地区は他のソウェトとは違うから気をつけろと言われていましたが、私は不良ですと言う看板をぶら下げている人がいる訳でもなく、他の地区と雰囲気が違う訳でもなく、家の形がちょっと変わっているな~という程度の違いです。

路上八百屋のおばちゃん達
路上八百屋のおばちゃん達

そのホワイト・シティーを抜けると、トコザ・パークに出ます。トコザ・パークは道路によって幾つかに分れており、クリケット場があるエルカスタジアムは、ワールドカップの時のファンパークになりました。トコザ・パークというと、オールド・ポッチェフストローム沿いのモロカ警察署の並びで、緑が多く、池と小川があり、週末にはブライ(南アフリカのバーベキュー)をする人達がいたり、結婚式の記念撮影に来たり、時々コンサートがあったりする、ソウェタンの憩いの場所です。ワールドカップ時にはその公園にも大型のテレビが置かれ、FIFAのファンパークとは別にタウンシップテレビというワールドカップ無料観戦場になっていましたので、ネルソン・マンデラ元大統領の写真があるその公園の写真を新聞などで見た人がいるかも知れませんね。ちなみに私は、あるテレビ局の仕事で極寒の中にバファナバファナ対ウルグアイの試合を、そこのテレビで観戦しました。

ソウェトで最も有名な場所の一つレジナ・ムンディ教会

レジナ・ムンディ教会周辺
レジナ・ムンディ教会周辺

トコザ・パークの隣には、ソウェトで最大のカソリック教会、レジナ・ムンディ教会が建っています。レジナ・ムンディとは、ラテン語で世界の女神という意味だとか。この教会は6,000人がミサに出席できるという大きな教会で、ポーランド大統領夫人から寄付されたステンドグラスがあり、ブラック・マドンナの絵(アパルトヘイト時代に、オッペンハイマー家の当主ハリー・オッペンハイマーの依頼で画家が描いた、黒人のマリアとキリストの絵で、下の方の絵はソウェトを表している)が有名です。
アパルトヘイト時には、ソウェト蜂起の犠牲者の葬式など何回も合同葬儀が行われ、反アパルトヘイト活動家がミサを利用して集会をやったりしていましたので、反アパルトヘイト集会を阻止する為に、警察の襲撃を受けた事もあります。この教会内では虐殺は行われませんでしたが、警官隊が解散を要求した時に、銃座でたたき割られたテーブルや、天井の数か所に残された、威嚇射撃の弾の後を見る事ができます。
この教会でのデスモンド・ツツ大司教のお祈りや、反アパルトヘイト運動のリーダー、ドクター・モタナの演説などの映像、ソウェト蜂起時に学生たちが逃げ込んだ時の写真、ソウェト蜂起追悼記念式典を反アパルトヘイト集会になるという事で警察が襲撃した時の映像・写真は、アパルトヘイト博物館やヘクター・ピーターソン博物館などで見る事もでき、ソウェトで最も有名な場所のひとつです。教会の2階には、1950年代~ソウェト蜂起の時代~アパルトヘイト後の写真のエキジビションがあり、それも見所の一つです。
元々キリスト教会は誰でも受け入れる所で、カソリック信者ではない単なる観光客、異教徒であっても入る事ができます(但し、ミサや何かイベントをやっている時には関係者以外は入れません)。教会なので入場料は無料ですが、かつては見学後、神父さんがいる建物の献金箱に献金を入れていました。教会の人が案内してくれた時には、その献金の事も教えてくれますが、案内者が誰もいない時や他の人の相手をしている時でも自主的に献金していたのですが、ワールドカップの影響で観光客が増えたせいか、最近では教会内に入った所に係の人がいて、博物館で入場料を取られるように献金をお願いされ、世知辛くなったとも言えます。しかし、ツアーガイドとしてはお客さんを連れて行きやすくもなるので、有難いとも言えます。

ソウェト(Soweto)
南アフリカ共和国ハウテン州ヨハネスブルグ市にある地域。地名の由来は“South Western Townships”(南西居住地区の短縮形)。アパルトヘイト政策によって迫害されたアフリカ系住民の居住区として知られる。観光では、ソウェト蜂起の際に警官に射殺されたヘクター・ピーターソンや反アパルトヘイト運動を率いたネルソン・マンデラの記念館が有名。

風まかせ旅まかせ Vol.6 これからも“旅ごころ”を大切に

本号から、誌面を大幅にリニューアルいたしました。
リニューアルにあたり、是非とも“旅ごころ”のわかる作家に、寄稿してもらいたいと考えていました。自分の気持ちの中に何人かの候補者がいたのですが、その筆頭が沢木耕太郎さんでした。幸い沢木さんを良く知る友人がおり、その友人を介して沢木さんに原稿の依頼をすると、快く引き受けていただくことができました。
私自身、沢木さんの本との出会いは30年以上前になります。二十歳前後の頃、「敗れざる者たち」「人の砂漠」それから続く、代表的なノンフィクション作品の一つ「テロルの決算」を読んだときには、自分は生涯この作家の本を読み続けよう…と、人生のささやかな楽しみを見つけた思いでした。その後ベストセラー「深夜特急」へと続きます。実は沢木さんが“深夜特急”を発表した当時、出版社のパーティで立ち話をしたことがあります。私自身も沢木さんより少し後に、逆コースではありますがほぼ同じコースで、同じような期間、ユーラシア大陸を旅した経験があり、文中に出てくる安宿に泊まった話など、大変楽しい時間でした。
その後、写真集「天涯」や「凍」「旅する力」など最近の作品に続きます。何年か前に出されたノンフィクション全集も持っていますので、おそらく代表的な沢木作品の、ほとんどを読んでいるのではないか、と自負しています。
その沢木さんに、本誌のために書いていただきました。感無量です。
人との出会い、縁の不思議を感じます。2011年も、道祖神はアフリカニュースの発信、より魅力的な旅の提案をしてまいります。
これからも応援よろしくお願いいたします。

1977年 イスタンブールにて
1977年 イスタンブールにて