風まかせ旅まかせ Vol.7 「旅行は人を元気にする!」を信じて――。

3月11日、ビルの9階にある弊社でも立っていられないほどのひどい揺れに襲われました。テレビやパソコンが床に落ち、棚の書類が辺り一面に散らばり、社内も騒然としました。5分ほどして揺れが収まったころ、遠くに見えるお台場のビルから黒く巨大な煙が立ち上り、しばらくすると上空にはヘリコプターが何台も飛びまわり、屋上に出ると近くに見える東京タワーのアンテナが曲がっていました。
床に落ちたテレビを戻して電源を入れると、「震源地は宮城県沖…マグニチュード…」。揺れの激しさから、震源は関東地方と勝手に思い込んでいたので驚きました。その後も激しく余震が続き、落ち着く間もなく大津波が東北の沿岸部を襲いました。
3月26日に1年間通った塾の卒塾式がありました。旅行産業の経営を様々な角度から学び、また各界の講師を招いて勉強しようという塾でした。震災や原発の問題もあり、華やかな式にはなりませんでしたが、ひとついい話がありました。4月23-24日に予定していた1泊2日の卒塾旅行を「風評被害で宿泊者が激減している地域の宿で行おう」という提案です。同じ旅行産業に関わるものとして、少しでも応援できればという気持ちで、塾生全員が賛成しました。その話を弊社のバイクツアースタッフに伝えると、5月28-29日に予定していたスタッフツーリングを急遽、福島ツーリングに変更し実施することになりました。毎年30人近くのお客様ライダーが参加してくださる1泊ツーリングなので、いわれのない風評被害で経営が苦しい宿に、少しでも喜んでもらえればと思っています。
旅行会社である我々が今できることは何か…。震災以降考えてきたことですが、「旅行は人を元気にする!」を信じて、これからも元気になる旅を企画していきます。節電でエアコンも使わず、薄暗い社内ですが、元気のでる旅の相談承ります!! ぜひ、お立ち寄りください。社員一同、元気にお待ちしております。
写真 : 福島県のシンボルの一つ磐梯山

2011.02.25発 究極のタンザニア・サファリ 16日間

早この“究極”シリーズも今回で第15弾となりました。最初の企画では12日間でしたが、その後催行を重ねる毎に1日づつ増えて、とうとう16日間となってしまいました。
何故“究極”と称するかですが、正にサファリの王国、タンザニア北部のセレンゲティ国立公園での滞在日数が巷ではたったの2泊や3泊ですが、道祖神特選ツアーの代表“究極のタンザニア・サファリ”では何と7日間と長期に渡る事。今や公園規則が厳重な状況で、オフロードが可能な貴重なンドゥトゥ地区(ンゴロンゴロ地区包括)滞在3日間を入れて、合計10日間のセレンゲティ周辺地区でサファリ三昧だからです。
01
(左 : モル・コピエ)
(右 : う~暑いと日中のヒョウ)
対象者は当然、本当のサファリを経験したい方、もしくは既に経験し、更なる段階のディープなサファリを求めて止まないリピーターの方々、タンザニア・ファンの方々を対象としています。最近は富に、コアなセレンゲティ国立公園のファン、カメラの被写体を猫科、特にヒョウ等に的を絞ったアマチュア写真家の方々が多くご参加され、昨年2010年は13名での催行と最初の目的から外れてしまう程の巨大なツアーとなってしまいましたが、今2011年はかなりコンパクトに濃いお客様方少人数での催行となりました。
以下は正に3月12日(土)、大地震の起きた翌日に日本に帰国した今回の“究極のタンザニア・サファリ・ツアー16日間“の報告です。この厳しい状況下の日本(この画面ですら見る事の出来ない方々もいらっしゃるとは思いますが・・・)、何とかお心・気持ちだけでも癒して頂けると嬉しいです・・・。
02
(左 : 時々遠くを眺めては・・・。)
(右 : シマウマの大群に続きやっとヌーがお出まし。)
このツアーで此処数年頭を悩ませている事柄は、ケニア・ナイロビ国際空港から陸路で国境を越え、目的国タンザニア第2の都市、サファリや登山の基地アルーシャまで向かう道程です。しかしその悪路模様は相変わらずでした。タンザニア側はアルーシャに入る手前部分を僅か残すのみとなりました。政府発表ではこの7月に完成とか??しかしケニア側の昔からあるセメント工場前、バンブリ・セメントと新しく出来たモンバサ・セメントの周囲は恐ろしい程の悪路です。マサイ・マラ国立保護区への道路が慢性的に悪路になっている事を考えれば、むしろ他の部分の工事の仕上がりの速さは逆に尋常ではないのかもしれません(笑)。
国境ナマンガは19時頃の時間帯は通過客の数も少なく(お土産店が閉店しているので、お手洗い借用に多少不便がありますが)、たまに指紋摂取されたりカメラ撮影がある場合以外、他のチェックは一切なしで何の支障もなく通過が可能。しかもこのツアーでは国境で車を乗り換える手間も省いており、お客様方は車にお乗りになっているだけで済みます。
03
(左 : 前面には水場とライオンが・・・。)
(右 : ちょっとでも高見、蟻塚の上のチーター。)
このツアーでは、セレンゲティ国立公園周辺でのサファリを中心にお楽しみ頂く事が最大限の目的なので、最終日は軽飛行機でセレンゲティから一気にアルーシャへ戻ります。そのため必要な荷物を形状の変化するソフト・バックへ入れ替えて(重量15kg)頂きます。ソフト・バックは皆さん面倒に思われるでしょうが、実は大変楽です。とにかくパッと荷物を突っ込めるからです。勿論それなりに余裕が無いと荷物詰めに苦慮しますが・・・。ハード・ケースはアルーシャの前後泊するホテルへ預けて行きます。この軽飛行機利用も道祖神のツアーでも2本しか設定されていません。
日本出発してから3日目、いよいよタンザニアの世界自然遺産、ンゴロンゴロ自然保護区へ向かいます。世界で唯一、火口原にあたかも保護・飼育されているかのように(キリンとインパラを除く)野生動物達が棲息。クレーター周辺地区への移動(雌と仔供は移動しません)を朝・晩毎日繰り返しています。
04
(左 : 正しくンゴロンゴロでゴロンゴロン!)
(右 : ンゴロンゴロの黒サイの親仔)
直径平均16~20km、段差平均500mのクレーターにチーター、時に、ヒョウまでの突然の出現にはわくわくします。他社では殆どがンゴロンゴロ止まりで、セレンゲティまで行かないです。箱庭でも確かに野生動物は宝物ではありますが、後少し僅か?140km程の距離に位置する壮大な大自然の野生動物の宝庫、セレンゲティ国立公園まで行かないなんて勿体無い限りです!折角後200km 、全行程の半分近くに来ているのに・・・。
ンゴロンゴロの黒サイは40数頭までに増えたと昨年9月に聞きましたが、今回はたったの4頭(親仔連れと成獣2頭)しか観察出来ませんでした。いつぞやは11頭がずらっと一列に並んでいて壮観でした。又最高22頭を観察した事も・・・。サイは寒くなるとすぐねぐらに戻ってしまい、中々姿を表しません。今回は此処数年と比較してやっとアフリカらしさを取り戻したかのような30度を超える暑さでした。通常の出現場所は夕方16時頃、ソパ側のルックアウト・ポイント周辺で草の中に寝ています。たった半日のクレーター・サファリでも雨で道がぬかるんでいない限りは、ほぼ全周可能なので、諦めずじっくり捜索(!)する事をお勧めします。
05
(左 : ダチョウの仔供達)
(右 : キリンのネッキング)
又“究極のタンザニア・サファリ” ツアーで最後に訪れる、セレンゲティ北部のマイグレーション・キャンプのすぐ側には黒サイの受け入れ先、環境に適応させるための一時保護施設が昨年建設されました。南アフリカで幼少期を育てた後、ここに5頭づつ空輸されて来て環境順応期間を設けた後、ンゴロンゴロ自然保護区を初め世界各国に移されます。交渉次第で施設の見学も可能です。
次の目的地はいよいよンドゥトゥ地区です。1989年以降90年代初頭まで催行していた初期の道祖神の代表主催ツアー(現在の募集型企画旅行)、“ケニア・タンザニア・サファリ15日間”のツアーでは必ず訪れていた場所でしたが、その頃は日本人をはじめとして世界中でも殆どの方々が知らない未知の場所でした。昨今はセレンゲティでの道路規則が厳しくなり、オフ・ロード・サファリが出来る事、170万頭を超えると言われるヌー(ワイルド ビースト)やしまうまがセレンゲティの北部から南部へ移動し、西部コリドール地区へと集結する通過場所になっているため、又セレンゲティ周辺で草食獣の90%が出産するため、12月末以降数多くの観光客がこぞってここンドゥトゥを集中訪問するようになりました。そして今やお目当てのヌーの動き情報は物凄い速さで世界中に益々広まる事になりました。
06
(左 : 大フラミンゴと小フラミンゴ)
(右 : 冠ツル)
12月の雨季が終わった後のンドゥトゥ湖周辺には、この塩湖を渡り損ねたり、疲労で息絶えたヌーの白骨死体が累々と横たわり、壮絶な風景です。又南下した彼等は更に西部コリドール地区へ向かうべく、ンゴロンゴロ周辺地区で雨の動向に応じて東西南北・右往左往します。
ンドゥトゥでの見所はマーシュ(クブワ)、ミティ・ミタトゥ、ンドゥトゥ湖周辺でしょうか?いつも思いますが、ドライバー兼ガイドの彼等はどうやって地形を記憶するのか?この広大な公園、色んな情報研修は受けるでしょうが、1年間ともなると乾季・雨季だけの変化だけでなく、正に木々や草花の環境状況が全く異なります。現地経験を相当積まないとそんじょそこらの日数での習得は難しいと思います。(勿論他の職業でもそうでしょうが・・・) 何回訪れても、地図を見ていてもちょっと異なった道を利用すると途端に位置が分からなくなるのは私だけでしょうか?もっとも彼等も随分苦労した経験を持ってるようですが、最初の頃はそれこそ今のように無線もなく、携帯なんぞも存在しなかった頃、公園の中で救出されるまでの野宿は当たり前だったようです。
07
(左 : ワニの捕食)
(右 : 余りにも獲物が大きすぎて・・・。)
ここで過去の苦い経験を2つばかり・・・。1990年代初期の事ですが、ヨーロッパ人のサファリカーが雨の後の泥川に嵌っていた事があり、少し手助けをしましたが埒が明かなく、且つ限られた日程なのでドライバーをせかしてその場から離れました。しかし翌日、全く同じ目に会い、何と昨日見捨ててしまった正にその車に助けられました。明日は我が身と非常に反省した1件でした。
1980年代半ば、タンザニアは一時経済恐慌に陥り、ケニアとの全国境も閉鎖されバターも砂糖も小麦も油もなく、サファリのガソリンは20L位のジェリ缶に3缶位を車の後部に積んで行っていました。小さい会社は当然手に入る量も少なく、公園へ行く途中で、ガス欠でドライバーが他社の車からゴム・ホースで直接口で吸い上げて貰っているという光景も多々見受けました。あれから30年、今やケニアを上回る観光立国となり、ロッヂもその設備も圧倒的な変化を遂げて贅沢になっています。唯一変化がないのは?日本からのアクセスでしょうか!? ケニアの知名度に比して、これほど豊富な大自然を所有するタンザニアが余り知られていないのは何故なのでしょうか・・・?、気になります。キリマンジャロ空港にアクセス出来ればタンザニアのサファリももっと楽に出来るようになるでしょうに!
08
(左 : ンドゥトゥ湖畔の延々と続くヌーの屍)
(右 : お腹一杯だけど・・・。)
さて本題に戻り、ンドゥトゥではヌーやしまうまの圧倒的な数の集合模様やバッファロー、ライオン、チーター、ヒョウ、サーバル・キャット等が見られます。特に乾季にはマカウ地区でカラカルが見られたという情報もあります。オフロードばかりが風評されても困りますが、やはりセレンゲティよりは動物がより間近に見易い事は否めません。ただのんびりンドゥトゥ湖等をドライブするにも湖を挟んだ南北の道路で包括地区が異なり、うっかりセレンゲティ地区に入ったりすると、罰金5000タンザニア・シリングは最低取られます。又むやみに動物に近づこうと例え停止していても走行方向の反対向きで車を止置き公園管理(緑)の車に見付かった場合、即罰金+訓告です。勿論観光客も車のハッチの上に登ったり、車から降りたり離れたりと危険な行動にはドライバー双方共注意しないと厳重注意されます。でも良く観ますよね~、ケニアなんかではヌーの川渡りを見ようとするマサイ・マラ国立保護区での観光客のマナーの悪さにはびっくりです。今にもヌーが崖を降りようか否か神経を尖らせ躊躇している反対側で、車から降り、大声で話、煙草をふかしている人達。とても由々しき事と思います。又ドライバーも関連者等誰も非難しないのは何故でしょう!残念です。
今回はンドゥトゥでもやはり執念のヒョウ探し。2回共あっという間に逃げられ、3回目にしてやっと写真にゲット出来ました。まだ木の上に狩りした獲物、トムソンガゼルの死体もあったのですが、その僅かな肉骨片をくわえて慌てて逃げ出した若い雌ヒョウでした。今まで木から降りる時に餌をくわえて逃げたヒョウは見た事がなかったのですが、よっぽどお腹が空いていたのでしょうか・・・?
09
(左 : 仔共は父親を追って・・・。)
(右 : ロッヂの目前で象が交尾)
さてセレンゲティ国立公園ですが、今回は計7泊。昨年より1泊延した理由は、ヌー達の結集状況がどうも例年2月の後半に思えたからです。ただ今回は出発日が10日間程後ろ倒しになっていたため、逆に中型肉食獣の観察が難しくなりました。余りにも沢山のしまうまやヌーが限られた水場に結集するので、ライオンは兎も角、チーターのような中型猫科は完全に退避、ヒョウすらもかなり距離を置いているように見えました。ただクミナスィタには相変わらず陣取っていましたが、多分昨年と同じヒョウでしょう。しかも今回は3ヶ月齢の仔連れでした。
今回特筆すべき事は、この仔供のやんちゃな動きでした。ソーセージ・トゥリーの木の枝をあっちこっち飛んで周り、木から降りたり登ったり、母親は多分遠くへ狩りをしに行ったんでしょう。無心に遊んでいるように見える仔供の顔にはちょっぴり寂しげで不安感が見えたような・・・。
10
(左 : 生後1ヶ月未満の仔供)
(右 : 親子兄弟が仲睦まじく)
何回も強調しますがこのツアーではセレンゲティで2ケ所、中心部に4泊、北部に3泊と地区を分けてサファリを実施しています。中心部のロッヂは位置こそ最高ですが、2泊もすると食事等に辟易する事になります。流石歳を重ねるに従って、もう少し快適な場所へ願ってしまうのも無理はありません。単に茹でたり、炒めたりするだけでも十分美味しい食材なのに、他はお湯も出てそこそこ快適なのに・・・。かっての国営経営から南アフリカ資本が買収しやっと何とかサファリ・ライフがより快適になるかと期待していましたが、りインド人が現場指揮を取ってるようで・・・。今の状況はさもありなんです。
北部は今やタンザニアではトップ・クラスの処遇体制を取っているロッヂ使用でサファリも然りですが、そのサービスに身も心も癒されるようにと常連さんへならではの日程になっています。
11
(左 : 珍しいニシキヘビ、しかも脱皮中?!)
(右 : 木登りチーター!)
ここに来ると皆さんすっかり寛げ、セレンゲティでの動物サファリにも満足され、食生活を通してもサファリ・ライフを楽しめます。毎回工夫を凝らした食事は、味は勿論、見た目もサービスも、絶対う~んと唸らせる程の出来映えです。1980年代の添乗時はそれこそハードな環境体験で毎回5kg位痩せて帰ったのですが、最近はツアーのたんびに太って帰国してます(笑)。
さていよいよセレンゲティからも別れを告げる時がやって来ました。名残惜しいのは山々ですが、一気に空路でアルーシャまで戻ります。約1時間。眼下?には活火山のオルドイニョレンガイ山、ンゴロンゴロ・クレーター、オルモティやエンパカイ・クレーターと運が良ければアルーシャ到着直前にキリマンジャロ山も。ただ添乗員はいつも最後部の通路側に座るので、マニャラ湖は確認出来てませんが、カラトゥの町は見えています。いつかゆっくりお客さんとして眺めたいな~(笑)。
12
(左 : 母親が狩りに・・・。あ~退屈。)
(右 : 何処まで行ったのかな~?)
アルーシャの町は季節により色とりどりの花が並木道の両側に咲き、一層美しい高原都市の様相を呈します。雨が降り終わった頃は黄色が主で、ピンク、赤、紫色と変わって行きます。いつまでもこの美しい町並みが続きますように・・・。
南アフリカ資本の近代的スーパー、ショップライトでは紅茶やコニャーギ(サトウキビの蒸留酒)、コーヒー豆等を購入し、中華屋さんで昼食。何処でも通用しているドルの換金計算率のせいで多少のトラブルも起きがち。そんな厄介な目にあわないようにするためには、やはりその国の通貨でやり取りする事が一番でしょう。勿論タンザニアでは個人商店等も強い外貨のドルが欲しいので、ドルの受け取りは拒否しません・・・。
13
(左 : 降りては見たけど・・・。)
(右 : ママ~。)
朝チェックアウト後、朝食BOX持参で再度陸路でナマンガ国境経由でケニア、ナイロビ国際空港へ向います。出発の時間帯が早いので朝の渋滞に合う事もなくスムースに早めに到着。その国境のTV映像が津波の映像でした。その映像は何処の国か読み取れない程乱れた画像でした。まだニュージーランドの件をやっているのかなとお客さんと談笑しながら呑気にナイロビ空港到着。ここで他のスタッフから東北の地震の件を聞き、成田空港が閉鎖されているとの情報。ただ利用航空会社はきっぱり成田線はキャンセルしない!と又搭乗券も用意されドバイから先に一抹の不安が残った物の日本へ連絡。電話は大阪営業所には通じるが、東京の事務所、社員の携帯には一切通じず。その後添乗員は実家と話が出来、ひとまず安心。お客さんのご家族にも大阪経由で連絡済。G-mailも活躍。外国でも日本語のメールが読めるので楽。後は成田からの足の確保。こちらもスムースに行き、お客様方にも翌日全員無事を確認出来ました。
最後に参考のためにご報告。ご参加のお客様のお一人が(多分ツエツエ蝿でしょうか)、夜中!に左足の甲を噛まれ、赤く膨れ上がり、時に身体中寒気を感じたり、暑かったりと一種のショック症状を呈した事。冷湿布や市販の湿布・鎮静薬を塗布して頂き、何とか事なきを得た。又アルーシャでは超近代的な新しい施設の病院で投薬と飲み薬も処方して貰った事。この方は60回近くもケニア・タンザニアのサファリを経験されていらっしゃる健康そのもののスポーツマンの方。ついかなりの量のお酒を飲み、睡眠中に噛まれても全然気が付かない状態だった事が症状を大きくしたと思われます。かなり快適になったとはいえ油断ならないアフリカでの生活。やはり全てに対して初心に戻り、注意するに越した事はないです!!
14
(左 : 寂しいな~。)
(右 : マイグレーション・ロッヂのレストランに夜な夜な出現のジーネット)
池田

2010.12.23発 世界遺産タッシリ・ナジュール岩絵トレック 11日間

昨年末にアルジェリアの世界遺産タッシリナジェールを訪れました。タッシリナジェールはサハラ砂漠の真中におよそ800kmにわたって連なる黒い台地で、あたかも月面を思わせるその荒涼とした世界の隅々に先史時代の壁画が隠されています。
01
02
風と水に激しく浸食された台地上では、奇岩が森のようになり、または果てしなく岩の絨毯が広がり、断層がむき出しにされ、涸川がいくつもの谷を形作っています。この生き物にとって過酷な世界にはかつては氷河が覆っていた時代があり、熱帯雨林が広がった時代があり、草原だった時代があり、多くの人の賑やかな声が聞こえた時代がありました。タッシリナジェールを7日間にわたって歩くこのツアーは、荒々しい自然の景観から大きな時間の流れを感じ、残された壁画から人の繁栄と衰退を目の当たりにする壮大なタイムスリップツアーというわけです。
03
04
トゥアレグのガイドの案内で、ロバに荷を乗せて谷に入り、標高約2,000mまで遡ると源流地点から月面台地が広がりました。初日に登りを終えてから最終日に下る時までの7日間、生き物の気配の乏しい空間を歩きまわり、生活しました。
05
幸いなことに今回は旅行者がかなり少なくただでさえ静かな場所はまさに無人島のように寂しく、美しい場所になっていましたが、そのもっとも美しい時間はやはり夜でした。満点の星空の下、焚火を熾し、少しシャイなトゥアレグ達と毎夜歌を歌いました。自分たちの灯りと星と月以外に光がなく、歌声以外にはまったく音がありません。トゥアレグの中にはまるで音痴な歌好きや、痺れるほどの美声の強面、ポリタンクドラマーの少年などいろいろいて、客の前で歌を披露することに慣れていなかった彼らが(お互い様だが)日を追うごとに伸び伸びと歌うようになるにつれ、お互いの距離が近くなっていきました。私達はというと、毎夜なんの歌を歌うかに頭を捻り、「炭坑節」や「月の砂漠」、「幸せなら手を叩こう」、「証城寺の狸」などを披露しました。受けが良かったのは意外にも「かえるの歌」で、シンプルな輪唱が珍しく聞こえるようでした。
06
壁画は古いもので新石器時代まで遡るものも見られますが、数千年もの間、壁画は描かれ続け、気候の変化にともなう動植物の変化、生活様式の変化、感性(デザイン)の変化を辿ることができます。肉体美や装飾を描いたもの、戦争を描いたもの、家族の愛を描いたもの、あるいは神のようなもの、ひどく抽象的で分からないものと、、テーマは本当に様々。一時期よりトゥアレグの祖先が登場し始め、ガイドの説明に熱が入ります。ターバンを巻いて昔ながらの姿をしているガイドの姿を見ていると、数千年の時間なんて自分たちの思っているほど長い時間ではないのではという気がしてきます。街から遠く離れて彼らと寝食をともにしていると、壁画に描かれた世界に迷い込んだような錯覚に陥ります。これぞまさにタイムスリップです。
07
サハラの懐にある荒野の画廊を歩く旅、、焚火の美しい野営の旅、、ぜひおすすめです。
08
有冨

年末スペシャル!エチオピアのクリスマスを訪ねる 11日間

このツアーのハイライトは、毎年1月7日におこなわれるエチオピアのクリスマス・ゲンナを見学することですが、北部エチオピアには世界遺産を初めとする見どころがたくさん。
まず首都から私達が向かったのは、バハル・ダル。青ナイルの源流でもある青ナイルの滝を訪ねました。水力発電所の建設で水量は比較できないほど減っているのは事実ですし、数年前に行った時はがっかりしたものですが、今回、想像していたよりは水の勢いも量もあって、なかなかの迫力でした。
01
そして古都、ゴンダールへフライト。ゴンダール朝の遺跡、天井いっぱいに描かれた天使が有名なデブレ・ベレハン・セラシエ教会とともに観光客が訪れるのがファラシャ村です。エチオピアのユダヤ教徒のことですが、ほとんどのユダヤ教徒は1980から1990年代にイスラエルに移住したため、この村に残るユダヤ教徒は1人だけと言われているようです。
02
次に訪れたアクスムで印象深かったのは、1000年前に羊皮に書かれたという聖書。観光客が行くと修道士がさりげなくペラペラとめくってくれるのですが、日本だったら普通は博物館などで厳重に保管されるような代物。エチオピアでは、歴史的な文化財レベルのものが、博物館の床に無造作に置かれていたり、埃をかぶっていたりで、勿体ないなーとおもってしまうのは私だけでしょうか。。。
もうひとつアクスムでの発見はコーヒーを炒るためのフライパン!路上の店で売られていたものですが、「さすがコーヒー原産地」と納得してしまうようなものでした。
03
そしていよいよクリスマスのセレモニーが行われるラリベラへ。聖地ラリベラには、全国から大勢の巡礼者が訪れるため、教会群の周辺は人、人、人。ちょっと前までは遠くから何週間、何か月掛けて徒歩で来てた信者達。現在は、首都アディスアベバからの巡礼ツアーもあるそうです。通りには、大型バスがズラリと並んでいました。といってもラリベラでは一部の人を除いては、信者は教会の敷地内や周辺に寝泊まりのため、時には教会に入るために、座っている人達の合間をかき分けるようにして進みました。教会見学のあとのほっと一息はコーヒーで。一般家庭で日常にもおこなわれるコーヒー・セレモニーは、日本の茶道と本当によく似ています。
04
クリスマスのセレモニーは、クリスマス・イブの夜から当日の朝まで厳かに行われます。イブの夜は、多くの信者で、セレモニーの近くに行くことは出来ませんでしたが、当日の朝には、聖職者たちが並び、祈り、歌う姿を見ることが出来ました。前日から祈り続けて疲れているはずの信者達が、信者でもない観光客の私達に座るためのスペースまでつくってくれた、その温かさには心からの感謝です。
05
ラリベラからは、首都のアディスアベバまで陸路の移動です。旅が始まってからの移動はこれまでフライトでしたが、エチオピアのワイルドな自然は、車で走ると実感できます。全長7000キロのグレートリフトバレーはどこまで走っても果てしなく続き、そして途中行き違うのは、車よりも圧倒的にラクダとロバ。
途中、たまたま立ち寄った村の一軒では、その家の中にもお邪魔させて頂きました。家の中には、家族とともに仔牛がいたのですが、家で飼うのは「動物の吐く息で温かくなるから」だといいます。高地で、時には寒さも厳しい地域での人の暮らしが見えてきました。
06
世界遺産、クリスマスのセレモニーがハイライトだったツアーですが、終わってみて、一番の印象に残ったのは、エチオピアの人たちの心の温かさや素朴でぬくもりを感じる暮らしでした。エチオピア北部への旅をされるには、観光地まで手頃に飛行機で飛ぶのもいいですが、人々の暮らしぶりや自然を満喫するには絶対的に車で走るのがお勧めです。
07
紙田

2010.12.24発 悠久の大地 セレンゲティ滞在型サファリ 9日間

世界屈指の動物の宝庫、セレンゲティ国立公園にてサファリ三昧の日々を過ごしてきました。9日間という短い日程ながらも、セレンゲティにはなんと4連泊!!。行き帰りの移動は若干ハードですが、その道のりも4連泊の為と思えば決して長くはない!と感じて頂けた方も多いのではないでしょうか。
01
日本から飛行機を乗り継いでナイロビ(ケニア)へ降り立ちます。ナイロビに到着後、すぐにタンザニア第3の街、アルーシャを目指します。ちょうどクリスマスだったので交通量も少なく、出入国審査もスムーズに済みました。日本を出発してから2日目の夜、ようやくアルーシャのホテルに到着し、夕食をお取りいただきました。このツアーは、セレンゲティでの滞在時間を少しでも長く取れるように、アルーシャ⇔セレンゲティ間の移動は軽飛行機を使います。そのため、翌日も朝早くホテルを出てアルーシャの空港に向かいました。ここまで慌ただしい日程でしたが、これも全てセレンゲティ4連泊の為です。ちなみにアルーシャからの軽飛行機は、荷物を入れるスペースが限られているので、スーツケースなどのハードケースの持込みはできません。ソフトバックにてお一人様15kg以内の制限がありますのでご注意ください。
02
(写真左:機体の下に荷物を収容します)
(写真右:上空から)
軽飛行機にて、いざセレンゲティへ。お天気が良かったので、機内からはアフリカ第5位(4,565m)のメルー山、そしてその奥にはアフリカ最高峰キリマンジャロの姿が見えました。約1時間の空の旅を終え、セレンゲティには午前9時過ぎに到着。ドライバーに出迎えられ、昼食まで時間があったのでサファリをすることに。最初に出会ったのは「カバ」でした。その後、ソーセージツリーの木の上で気持ち良さそうに寝ているライオン、さらに別の木の上にヒョウを発見。ちょっと遠くて写真は撮れませんでしたが、双眼鏡があればライオンもヒョウも表情までばっちり確認できました。
お腹が空き始めたころ、ロッジへ。今回宿泊したロッジは2年前に建設されたビリラ・ロッジです。滑走路のある中心部から45分ほどの距離にあり、なんとバスタブからサバンナが見えるのです!! 宿泊客用のプールの奥に人口の池があり、時には象が水を飲みに来ることもあるようです。
03
(写真左上:ロッジの外観)
(写真右上:バスルームからもセレンゲティが楽しめます)
(写真左下:夕方、虹がかかりました)
(写真右下:ロッジのレストランから~クリップスプリンガ―~)
セレンゲティ2日目:日の出前、肌寒い中、朝食バスケットを持ってサファリへ。しばらく車を走らせていると、小藪の奥にぴょんぴょんと飛び跳ねる姿を発見。近づくとトムソンガゼルの赤ちゃんでした。生後2週間ほどでしょうか。
その後、ゾウの群れに遭遇。お邪魔しないようにそっとエンジンを切って静かに観察していると、そのうちの一頭がどんどん我々のサファリカーに近付いてきます。気がつけば、サファリカーとの距離は50cmほど。ここで慌ててはいけません。音に敏感なゾウを刺激しないように、静かに通り過ぎるのを待ちました。動物との距離はドライバーが見極めてくれます。動物のしぐさや鳴き声などで彼らの心理状態を判断し、我々人間との安全な距離を測ってくれます。野生動物が相手ですから100%安全とは言えません。公園の定められたルールを守り、ドライバーの指示に従ってこそ、安全で楽しいサファリが出来るのです。
セレンゲティの中心、セロネラ地区では大型肉食獣を多く目にする機会に恵まれました。この近辺には現在、7つのライオンのプライド(群れ)がいるそうです。そしてなんと一番大きなプライドは46頭ものライオンで構成されているとか。滞在中、我々は3つのプライドと遭遇することが出来ました。
04
(写真左上:サファリカーとの距離わずか50cm)
(写真右上:喉の渇きを潤しているライオン達)
(写真左中:チーターの兄弟)
(写真右中:キリンの水飲み直前の姿)
(写真左下:ライラックニシブッポウソウの親子)
(写真右下:サバンナモンキーの毛づくろい)
セレンゲティにはビジターズセンターがあり、ピクニックランチなどを取る場所、水洗のお手洗い、またちょっとした飲み物や地図、お土産物も購入できます。ここで朝食や昼食などを食べるのも楽しみの一つです。色とりどりの鳥達に囲まれ、ハイラックスやマングースも姿を見せてくれます。また、時間がある方はセレンゲティの生態系を縮小したミニ・トレッキングコースもぜひ体験してください。
05
(写真左上:ビジターズセンター)
(写真右上:ナービヒルゲートでの昼食の様子)
(写真左下:大草原とシマウマ)
(写真右下:コピエのライオンたち)
セレンゲティの魅力は動物だけではありません。その名のごとく「果てしなく続く大草原」も、この大草原に点在するコピエと呼ばれる岩場も魅力の一つです。時期によっては、150万頭を超えるヌーたちが大草原を埋め尽くす姿も圧巻です。今回は年末だったのでセレンゲティの中央部でヌーやしまうまの姿を見かけることはありませんでした。それもそのはず、ヌー達は出産に備え、南西へ移動しており、4日目にようやくナービヒル・ゲート手前でヌーやシマウマの群れを見ることができました。
滞在した4日間のうち、初日以外の3日間は朝食または昼食のお弁当を持って終日サファリへ出かけました。もちろん、早朝と夕方の1日2回または3回のサファリも可能ですが、お弁当を持って出ると、ロッジに戻る時間などを気にしなくてすみます。また、当然ながら遠くへ行くこともできます。4連泊は思った以上に短く、本当にあっという間でした。4泊しても我々が見たのはセレンゲティのほんの一部です。またここでご紹介できたのもごく一部です。
別れ際、セレンゲティ国立公園をぐるっと1周してみたい(サファリをしながら)とドライバーに伝えたところ、「1カ月以上かかるよ」と笑われました。いつになるかは分かりませんが、是非実現してみたいものです。現在、セレンゲティ国立公園に高速道路の建設が予定されています。道路建設による影響は恐らく計り知れないものとなるでしょう。この大自然が100年後も200年後もずっと続くことを願っています。
06
土手