キリマンジャロ登山とサファリ14日間 その3

下山後に待っているのは熱いシャワーとビールとサファリ、そしてロッジのプールと午後の昼寝。心に勲章を掲げて長大な尾根を一泊二日で駆け下ります。頼りになるガイド達、ユニークなポーター達とのお別れ。キリマンジャロの歌を合唱してくれました。こちらはお返しに「証城寺の狸」を合唱。気の良い山男達と記念撮影。
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登山の後はケニアのアンボセリ国立公園でポレポレなサファリ。雨季の後で緑が多く草食動物達がのんびりしていて、水没した場所は水鳥の楽園のようでした。押し寄せるゾウの大群には内心ドキドキ。
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ロッジから見えるキリマンジャロを眺めつつ、登山中の四苦八苦を振り返ります。長いようで短い6泊7日の山旅。2泊3日のサファリ。今回の参加者は全員、登頂証明をカバンに大事にしまっての帰国です。日本の山屋・旅屋がタフだということを知らしめる旅になりました。皆さんの今後の山登りが安全かつ刺激的であることを祈っています。ありがとうございました。
※一部、写真を小森 允様、中島 幸雄様より提供していただきました。ありがとうございました。
有冨

キリマンジャロ登山とサファリ14日間 その2

料理は登山の重要なポイントなのですが、腕利きコックは煮物も焼き物もお手の物。日頃山の中でレトルトカレーを常用している日本の山屋さん達は上機嫌。参加者全員でコックに感謝の拍手をしてくれました。
キャンプ地のトイレは新しいもの、古いものとありますが、新しいほうは造りが立派です。古いほうは扉の蝶番が取れていたり屋根が飛んでいったりしていることがあるのであまり落ち着きません。
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シラーキャンプの朝、空気は冷え込んで寒く、サミットには雪煙が舞っていました。登山3日目は4,500m付近まで高度を上げて、そこから3,950mのバランコキャンプまで谷沿いを下ります。谷沿いではガスに覆われ、なんだか過酷な雰囲気。所々ガレ場なので歩きも真剣です。雲の通り道である谷沿いにはジャイアントセネシオやジャイアントロベリアが群生していて、ガスの中で遭遇するその奇怪な姿はお化けの様。バランコキャンプもガスで真っ白。テントは一体どこ!?
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約束事のように明け方はガスが晴れて、眼前には巨大なサミットが現れました。今やまさにキリマンジャロの懐の中にいる感があります。4日目はこのルート一番の急登であるバランコウォールを越えて、カランガキャンプまで3時間半の歩き。急峻な場所をものともせずに荷物を担ぎあげるポーターのラフな姿を見ていると、ゴアテックスやらUVカットやらの機能で身を包んだ自分たちの格好が逆に不自然に思えてきます。
カランガハットも夕時にはガスに包まれて寒い寒い。そんな時の鶏肉たっぷりのシチューが美味いのなんの。
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登山5日目。一日中快晴で太陽が燦々。日焼けクリームを塗らないでいるとあっという間に肌が焦げそうです。標高の最も高いバラフキャンプまで3時間半の歩き。空気が薄くなり高山病の心配はあるけれど、氷河が形作った宇宙的な景観、大地を滑って行く雲を眺めていると気が晴れ晴れとしてきます。ようこそ4,000mの世界へ。
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バラフキャンプについたらこれまでと雰囲気が違います。深夜0時にはいよいよアタックです。本当にやれるのか、自分の身体との対話が始まります。夕食をとって仮眠した後、装備を入念にチェック。新月の暗闇の中、空気はいよいよ冷え込んで、集合した参加者の表情は緊張気味。さあ勝負勝負!
事前に「証城寺の狸」でも歌いながらのんびり登ろうかという打ち合わせがあったものの、薄い空気と寒さが気分的にそれを許さず。他チームを抜いたり抜かされたりしながら少しずつ高度を上げていきます。眼が合うと二コリとしてくれる参加者の表情が固め。新月の夜は本当に寒く、カッパやザックの表面は霜で真っ白になるほどだった。
明け方にやっとのことで登頂。思わずハグ。嬉しくない訳がない。
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その3へつづく
有冨

キリマンジャロ登山とサファリ14日間 その1

2月、東アフリカは小雨期明けの夏。キリマンジャロ登山のベストシーズンです。この時期に合わせて集まった9人の山好き、旅好きは用意周到で気合いも十分。早く山に着かないかと道中そわそわしてしまいます。
タンザニアはあいにくの曇。キリマンジャロは雲に隠れてしまい遠望はかなわなかったものの、雲の下にうっすら見える稜線の角度はあまりに大きく、雲に隠れた巨大な山容を想像すると身体が慄きます。
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登山開始。早朝、雲の切れ間からキリマンジャロが姿を見せてくれました。「あんなの本当に登れるの~?」という声。氷河を抱いた頂きに立つ自分の姿を想像してしばし呆然。
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マチャメゲートで手続きの後、マチャメキャンプまで4時間半の登り。キリマンジャロの赤道雨林帯は雨の多い照葉樹の森。湿度が高く苔の量が多いので鬱蒼としているように感じます。花や昆虫は日本では見られないものが多いので動植物好きには楽園です。今回はカメレオンに遭遇。とりあえず皆でスキンシップ。キャンプ地も森林帯にあります。星空はもちろん一級品。
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標高3,600mに位置するシラーキャンプまで5時間の登り。森林帯、低潅木帯から砂礫帯へ景色が移り変わります。天気が良く、参加者の歩きも軽快。所々でサミットが姿を見せてくれました。なだらかな尾根を目で追っていった先にはアフリカらしい遠大なサバンナが広がっていました。
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その2へつづく
有冨

大ニジェール河の舟旅とサバンナの民族 15日間 その3

幻想の都ティンブクトゥ
かつて探検家達が目指した伝説の黄金都市ティンブクトゥ…。現在は、かなり過疎化が進んでいて、泥土で出来た家々が並ぶ、少し大きな村といった程度の規模ですが、街並みの随所に刻まれたかつての栄華の記憶やサハラ交易の足跡には、アフリカ大陸の歴史に深く関係を持たない我々日本人も旅情を揺さぶられたのではないでしょうか。
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夕方からは、街の郊外(サハラ砂漠です)に出かけてラクダに乗って、トゥアレグのキャンプを訪ねます。ラクダは、揺れが激しいので乗るには慣れが必要ですが、皆さん悪戦苦闘されていました。翌日ぐらいまでお尻が痛かった人も多かったのでは…。
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ドゴンの人々を訪ねる
ティンブクトゥの街を出発し、隣国ブルキナファソの方向へと、荒れた大地をひた走ります。切り立った岩山や、塩を運ぶキャラバン隊とすれ違いながら、目指すは、バンディアガラの台地。未だ昔ながらの生活を送り続けるドゴンの人々に会いに行きます。
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ドゴンの入口、クンドゥーの村で1泊し、翌日は崖をトレッキングして、村々を訪ね歩きます。幅150kmにも及ぶ崖にへばり付くようにして約700の村があり、およそ25万人が暮らしているといわれています。何度も休憩しながら、台地の頂上まで登り切った時の感動と絶景は、格別でした。
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村を訪ね歩くトレッキングを終え、ホッと一息休憩した後は本日の訪問地ティレリの村へと向かいます。ここで、今回の最後のハイライト!ドゴン・ダンスを見せてもらいました。仮面を被った屈強な男達が、次々に現れては飛び跳ね、踊る!息を飲むほどの素晴らしさでした。ツアー終盤を締めくくるに相応しい、まさに圧巻の一時でした。
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ドゴンの地に別れを告げた後は国境を超えてブルキナファソへ。2日間しか滞在できませんでしたが、マリでの怒涛の日々の後に、ゆっくりと滞在することが出来ました。15日間という短い日程では、とても味わい尽くせない魅力を持った土地ですが、お客様も西アフリカの土地が持つ空気や風土、人々に触れて何かしら感じ取って頂けたのではないかと思います。
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※一部、写真を福島 毅様より提供していただきました。ありがとうございました。
生野

大ニジェール河の舟旅とサバンナの民族 15日間 その2

ジェンネの大モスクと月曜市
セグゥの街は、普段はのどかで落ち着ける街ですが、我々が到着した夜は年に1度の『ニジェール河フェスティバル』という音楽祭の最終日だった為に、夜遅くまで街中が賑わっていました。
街中で見かけた音楽祭のポスター。夜中の街は、まさしくお祭り騒ぎの様相でした。
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翌朝は、静かな街の河沿いを散歩です。洗濯をしている女性達や、水浴びをする子供、行き交う小舟などの景色に目を奪われていると、河沿いの土で焼き物を作っているところに出くわしました。暫らく、茶碗や壷を物色してからセグゥを出発、河を渡って車を走らせ、1つ目のハイライト、月曜市で賑わうジェンネの街へ。
セグゥのニジェール河沿いでは素朴な焼き物がたくさん売られています。彩色もない、剥き出しの土色をした焼き物の数々は力強くて温かい雰囲気のものが多い。
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また、道中の河沿いに見た景色は、この土地の人々とニジェール河は切っても切り離せないんだな、と実感させるものでした。
ある時、河は、みんなの洗濯場です。
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洗車もしますし、炊事場にもなります。
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勿論、体も洗います。
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そんなニジェール河とバニ河の中州に位置し、13~16世紀には交易の中継地として栄えた都市がジェンネです。世界遺産にも登録されている美しいジェンネ旧市街を抜けると、巨大な泥のモスクがお出迎え。
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ジェンネの見所はこの壮大なモスクと、何といっても、モスク前の広場で開かれる月曜市。遠方からはるばるやってきたマーケットで商う人、人、人。いったいどこから湧いてきたのかと思うほどの怒涛の人混みで埋め尽くされてしまいます。
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野菜や魚や香辛料などの食べ物、衣類や布地、鍋や釜などの日用品から、何から、とにかくありとあらゆるものが売り買いされています。大声を張り上げて売買する商人達、笑顔でお喋りに興じるお母さん達、この日の為に、とびっきりのお洒落をして着飾った女性達の姿も絵になります。
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人々の熱気とパワーを肌で感じさせてくれるジェンネの月曜市は、まちがいなくこのツアーで最初のハイライトの一つでした。
大ニジェール河の舟旅
ジェンネで夜を明かした後、港町モプティへ。この町は現在でも、昔と変わらない交易でにぎわうマリ第二の都市としてエネルギーに満ち溢れた街です。バンバラ、フラニ、ボゾ、等々周辺の様々なエスニックグループの人々が混在し、漁港や魚市場は、とてもエネルギッシュで港町ならではの喧噪と熱を感じます。
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北方からは、サハラ砂漠で切り出した塩の塊り(岩塩)を運んで来ているのですが、板状の塩をノコギリで切って、小分けして売っているのが印象的でした。
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そして、このモプティの街から今回のツアーのメインイベントの一つ、『大ニジェール河の舟旅』が始まります。
4日間、我々を載せて運んでくれるのは、ピローグ船と呼ばれる木造のカヌーです。ツアーで乗船するのは、改造をしてトイレや台所、テーブルを設置した旅行者用のものですが、元は現地の人々の生活船です。エンジンも取り付けておりますが、河の流れや吹く風に身をまかせ、のんびりとしたペースで、マリの空気や薫りを感じながらの船旅となります。快晴の中、いよいよ船旅に出発です。
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頼りになる3人の船員達。毎食、彼らが腕をふるってくれ、シンプルながらも力強い船員達の料理は舌鼓を打ちます。意外にも?バラエティに富んでおり、お米やクスクスを主食にした料理は日本人の口にもあい、ついついおかわりしてしまう方も。
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特に、魚は絶品です。小舟の漁師達から、捕ったばかりの魚を買い付け、そのまま船内で捌いて調理してくれるので、新鮮そのもの!焼いた白身の川魚に、ピリピリ(赤唐辛子)を刻んでふりかけ、熱々のまま口に放り込み、舌に残る辛さをビールで流し込む…、船旅中の料理はツアー中でも全員一致で一番人気でした。
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幾度か訪れる河沿いの村々では、観光客の姿も珍しいのでしょう、子供たちを何人も引き連れて歩くことになってしまいます。素朴な村の人々と触れ合い、食事や漁の風景を眺め、人々の家を訪問する。。。目的地まで、車に揺られているだけではわからない移動そのものの楽しみがありました。
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このニジェール河の舟旅は、かつて数多の探検家達が通った道でもあります。夜は満天の星空を眺めながら、河の音に耳を傾け眠りにつきます。そんな数日間の旅を経て、だんだんと肌に感じる風が乾いたものになってきた頃、舟は目的地に到着します。そこはサハラの玄関口、ティンブクトゥの街でした。
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※一部、写真を福島 毅様より提供していただきました。ありがとうございました。
その3へつづく
生野