ゴリラは人間を超えている

ノーベル物理学賞の湯川秀樹という偉大な存在に憧れ、京都大学理学部に入学。物理にも宇宙にも興味はあったが、山スキーで出会ったサルがきっかけで、ゴリラの道へ。今回は、ゴリラを愛し、現地の人々とともに研究・保護活動を続けるゴリラ研究の第一人者、京都大学総長の山極寿一さんにお話を伺った。

「雪の上のサル」を観る人

高校時代は、学生紛争の時代でした。ほとんど授業もなく、本を読んだり映画を観たり、友達と「人間とは何か」なんてペダンチックな議論ばかりで結局何もわからない。そんな状況がイヤで、大学はとにかく東京から離れたかった。調べているうちに京都大学、特に理学部は留年制がなく、卒業までどんな単位の取り方をしてもいいので、自分の可能性を試せると思いました。
もともとスポーツが好きだったので、入学後はスキー部に入ってクロスカントリーを始めました。当初は物理や宇宙に興味があり、ゴリラなんて一切考えていなかったし、人類学も知らなかった(笑)。ところが二年の終わり頃、志賀高原のヒュッテで練習をしていたら、雪の上で双眼鏡を構えてサルを観ている人がいたんです。何をしているんだろうと思って話しかけると、理学部の先輩だった。理学部にサルを研究するところがあるんだって、驚きましたね。それで興味を持ち、伊谷純一郎先生を訪ねたのがすべての始まりです。古本屋で買った伊谷先生の『ゴリラとピグミーの森』には感動しました。子どもの頃から探検にも興味があったので、アフリカが一気に近づきました。理学部は頭を使う学問ですが、体を使う学問っていうのも面白いと思いましたね。
当時の研究室の対象は、チンパンジーと1972年に調査を始めたコンゴ民主共和国(旧ザイール)のボノボでした。伊谷さん自身が1960年にゴリラの調査を断念していたんです。コンゴは独立紛争が続き、ゴリラの研究には時間がかかるため紛争の合間では何もできず、チンパンジーになったという事情があります。日本では、ゴリラはすでに見捨てられた類人猿で、僕の卒業研究も志賀高原のニホンザルでした。
とはいえ、高校時代から「人間とは何か」なんて考えていたくらいですから、人間を知りたいという気持ちも強かったですね。人間の起源、家族の起源を調べるなら、家族的な要素を持たないチンパンジーよりは、ゴリラを調べた方が可能性があると思ったし、アフリカの人間社会にも興味がありました。日本にゴリラの研究者はいないし、欧米の研究者には日本人的な家族の起源を調べようという発想はなかったから、全く違うモチベーションで研究テーマにできると考えました。

ニシローランドゴリラの集団
ニシローランドゴリラの集団

ヒガシローランドゴリラ
ヒガシローランドゴリラ

子どものマウンテンゴリラ、タイタス
子どものマウンテンゴリラ、タイタス

山極寿一さん
山極寿一さん

キンシャサに捨てられて

初めて行ったアフリカは、1978年のコンゴ民主共和国でした。ゴリラの研究者は僕ひとりだったのでボノボ隊に付いて行き、キンシャサで別れました。うちの研究室のフィールドワークは「捨て子の方針」と言われ、初めての人は先輩か指導教員が現地まで同行するが、その後は自力で研究する。僕の場合はキンシャサで捨てられて、現地までも連れて行ってもらえなかった(笑)。当時、世界最悪と言われる国内線で、どこに行くのかわからない。オーバーブッキングが多いため、搭乗アナウンスがあるとみんな走る。僕も荷物を持って走って、近くの人に「ブカブ? ゴマ?」とか訊いて乗り込む。それでも飛ぶとは限らないし、大変な時代でした。一人で千数百キロ東に戻り、国立公園を訪ねて公園長に直談判。それが、ヒガシローランドゴリラが生息するカフジ国立公園でした。
ゴリラの研究は、公園のトラッカーたちと毎晩酒を飲んで、信頼関係を築くところから始めました。ピグミーのトラッカーを味方につけて、調査許可をもらう。それから三人のトラッカーに連れられてキャンプしながら二週間、森を歩き回りました。ゴリラの痕跡をたどりながら山を登って、公園の感触をつかむ作業です。その後、近くに家を借りてトラッカーたちの話を聞きながら、少しずつゴリラに慣れていきました。
公園長のベルギー人は、現地の女性と結婚してザイール化した人でした。ゴリラ観光をやるためにゴリラを人に慣れさせる「人付け」をして、当時二つのグループが慣れ始めていました。僕は、観光客と一緒にゴリラのところまで行って、そのあと残って観察する。観光客が行けないところに移動した場合は、トラッカーと一緒にテントを持って移動してゴリラを独占することができました。まだ慣れてないから、ずいぶん怒られましたよ(笑)。
九カ月間、多くのことを学びました。研究するためにはゴリラを人付けする必要があるし、ピグミーのトラッカーや公園のレンジャー、地元の人々と付き合うことも学んだ。トラッカーたちと話すためにスワヒリ語も勉強しました。カルチャーショックは全くなくて、食事も生活も人付き合いも、いろんな体験ができて面白かったですね。

ヒガシローランドゴリラのシルバーバック、チマヌーカ
ヒガシローランドゴリラのシルバーバック、チマヌーカ

ヒガシローランドゴリラの双子
ヒガシローランドゴリラの双子

調査初期 カフジ国立公園のスタッフと
調査初期 カフジ国立公園のスタッフと

調査初期 初めてゴリラを観察
調査初期 初めてゴリラを観察

師匠はダイアン・フォッシー

僕はドクターになってからゴリラを始めたので、学位論文を書くためにはあまり時間がありませんでした。カフジに一回行ったくらいで論文は書けない。一人だし、まだ学生だから予算も取れない。結局、伊谷先生の計らいで、博士課程を中退して日本学術振興会の駐在員としてナイロビに赴任しました。「ナイロビに駐在して、あとは自費でやれ!」というわけです。当時、ルワンダのカリソケ研究センターにはマウンテンゴリラの研究者として知られるダイアン・フォッシーがいました。映画『愛は霧のかなたに』でシガニー・ウィーバーが演じた人物です。彼女がナイロビに来るのを待ち構えて会わせてもらいました。個性の強い人で、研究者嫌いでも有名。「ゴリラの声を出してみろ」とテストされて、かなり違ったと思いますがOKをいただきました(笑)。カフジで苦労してヒガシローランドゴリラの調査をしていたから、面白そうだと思ってくれたんでしょう。僕のフィールドワークの師匠は、ダイアン・フォッシーになりました。
1980年、ルワンダのヴィルンガ山地に初めて足を踏み入れて、マウンテンゴリラと対面しました。彼女はゴリラの行動を自分が真似て、ゴリラに近づいていく。声も行動も真似ることで、時間をかけてゴリラと信頼関係を築いていきます。僕も彼女の指導のもとでゴリラを観察しているときは、ゴリラと一緒に行動して、自分の方がゴリラのペットになっていました。だから彼らの自然な行動を記録できたんだと思います。

ゴリラを観察する山極さん(1980年)
ゴリラを観察する山極さん(1980年)

ワナを手に持つダイアン・フォッシー
ワナを手に持つダイアン・フォッシー

ルワンダのカリソケキャンプにて(1982年)
ルワンダのカリソケキャンプにて(1982年)

マウンテンゴリラの家族
マウンテンゴリラの家族

「発見」は、ある日突然

僕の座右の銘は「ゴリラのように泰然自若」なんです。サルもチンパンジーも人間を超えているとは思えませんが、ゴリラは人間を超えている。人間より高尚という印象があります。一番いい例を挙げると、「ゴリラは人間をペットにできるけど、人間はゴリラをペットにできない」。ヴィルンガの森で、ゴリラはペットのような感覚で僕を森の中にいさせてくれました。包容力が高いから、僕がいても全く緊張がなく、人とゴリラの境界がなくなる。この距離感のなさは、野生の動物ではありえないですよね。どの人間が大丈夫か、ゴリラにはわかるんです。
もう一つ、ゴリラの魅力は負けず嫌いなところ。負けないためには、勝敗をつけるのではなく、対等に引き分ける。勝つためには相手を負かせ続けなければいけないから、どんどん孤独になっていく。勝つ論理と負けない論理は、全く違うということを学びました。研究者には、「気付き」が求められます。常に彼らの行動を観察しながら、他の対象と比較して、頭の中で質問を作っていく。僕はニホンザルを知っているから比較しやすいし、その比較の中に人間を入れれば、三角測量ができるから面白い。人間はサルでもゴリラでもないが、似たところがある。そこから人間という輪郭が見えてきます。
こうして現場で地道な作業を続けていると、ある日、目の前で「えっ!?」という不思議な事象が起こる。それが「発見」。例えば、ある日ゴリラが僕の顔をずっと見ているので威嚇だと思い、顔を伏せた。ニホンザルが相手の顔を見るのは威嚇だからです。でもゴリラはさらに僕の顔に自分の顔を近づけてくる。僕はそらす。ゴリラは執拗にのぞき込む。「えっ! 何だろう?」。ゴリラは僕が顔をそらしたことに憤慨してドラミングという行動に出た。「威嚇じゃなかった!」。これが発見。ゴリラの挨拶だったんです。僕は「のぞき込み行動」と名付けました。一緒に過ごしていると、「仲裁行動」「和解行動」「交尾の誘い」「遊びの誘い」など、行動の意味がいろいろわかってきます。「発見」は現場にいればできるものではありませんが、いなければ絶対にできません。

ドラミング
ドラミング

求愛行動
求愛行動

三者のぞき込み行動
三者のぞき込み行動

仲裁行動
仲裁行動

研究も保護も現地の人たちと

ダイアン・フォッシーは、ゴリラを研究するなら保護にも力を注ぐべきと考えていました。少女のような心を持った人で、自分が愛していたゴリラを殺されたため、密猟者に並々ならぬ敵意を抱いていました。礼儀をわきまえない欧米の研究者や、動物に罠をかける地元の人々、ピグミーのトラッカーさえも信じられなくなっていった。やがてゴリラの保護から逸脱し、過激な行動で密猟者を取り締まったために報復を受けるという悲劇が起こってしまいました。
僕はこの事件から多くを学び、教訓を二つ得ました。一つは現地の研究者と一緒に仕事をすること。もう一つは現地の人とゴリラの保護のための組織を作ることです。
1986年、初めて科研費の代表者になり、チンパンジーとゴリラが一緒に暮らすカフジに戻りました。植物生態、サル、チンパンジー、ゴリラの総合調査を行うためです。その後も内乱状態が続くコンゴで、現地の優秀な研究者であるバサボセ・カニュニを中心とした十数人のスタッフとともに基地を維持し、二人で論文を書くことで世界の研究者たちにカフジでの研究をアピールしてきました。内戦が激化し、学生を送り込めなくなってからは、ガボンのムカラバにもう一つの新しい調査地を求め、ニシローランドゴリラの研究を始めました。私は通年で滞在できないため、教務補佐員の安藤智恵子さんに現地に張り付いてもらいました。そして学生たちと協力しながら、パパジャンティ率いる22頭という大きな集団の人付けに成功。欧米の研究者も成しえなかった快挙です。
もう一方の教訓では、カフジのツアーガイドをしている地元のジョン・カヘークワと1992年に「ポレポレファウンデーション(ポポフ基金)」を設立しました。僕自身は保護活動のためにゴリラを研究してきたわけではありません。これまで接してきたゴリラたちから得た認識を現地の人たちと共有し、現地の人たちにゴリラと一緒に生きるという気持ちになってほしいと思っています。それが僕の考えるゴリラの保護。だから、地元の人たちが中心になって、保護・保全の活動を担い、ツアーガイド、ツアーキューレターをやってもらう。ゴリラの人付けにも地元の人たちを巻き込んで、一緒に森のことを知ってもらいます。ダイアン・フォッシーの事件がなければ、これほど一生懸命に保護活動をしなかったかもしれませんね。

一緒にポポフ基金を設立したジョンと
一緒にポポフ基金を設立したジョンと

安藤さんやムカラバのスタッフたちと
安藤さんやムカラバのスタッフたちと

ゴリラの糞を分析するスタッフ
ゴリラの糞を分析するスタッフ

ポポフ基金創立20周年記念
ポポフ基金創立20周年記念

エコツーリズムも実現間近

観光客がゴリラを観察するときのコツは、決してゴリラより速く動かないこと。サルやチンパンジーに比べると、ゴリラは何もしない。じっとしています。でも、その目線の先に何があるのかを体のしぐさに注目しながら、よく観てください。例えばゴリラ同士が出会っても、じっとしている。その間の取り方がすごく長く、ゴリラは頭の中で何かシミュレーションしながら、相手の反応を待っている。そして、行動に移ったときは目的に向かってまっしぐら。そういった状況をゴリラの身になって考えると、彼らの視線の置き方とか行動が見えてくると思います。
ゴリラと同じ目線で歩いて、ゴリラがつかんだものをつかんでみる。ゴリラの周りにある環境を自分も味わい、ゴリラが寝ころんでいるところに寝ころんでみる。そうすれば彼らの世界観がわかってくるでしょう。そして、ほんの瞬間でもゴリラがこちらに注目してくれたら、その一瞬を大事にすること。その時、ゴリラの目の中に何が起きるか。好奇心いっぱいのゴリラの目は金色に輝きますよ。
最近では、ガボンとルワンダも飛行機で行けるようになりました。ローランドゴリラとマウンテンゴリラを一緒に観るツアーも可能です。ガボンのムカラバ国立公園もようやく形になってきたので、エコツーリズム化も考えています。そんなに時間はかからないと思いますので、道祖神のお客さんも期待していてください。

マウンテンゴリラと一緒に(2010年)
マウンテンゴリラと一緒に(2010年)

写真提供:山極 寿一さん

著書紹介

『ゴリラ』第2版 東京大学出版会 2,900円(税別)
『ゴリラ』第2版 東京大学出版会 2,900円(税別)

『ゴリラからの警告』~人間社会、ここがおかしい~ 毎日新聞出版 1,400円(税別)
『ゴリラからの警告』~人間社会、ここがおかしい~ 毎日新聞出版 1,400円(税別)

山極寿一さん
1952年、東京都生まれ。1975年、京都大学理学部卒業。1980年、京都大学大学院理学研究科博士課程退学。ルワンダ・カリソケ研究センター、日本モンキーセンター、京都大学霊長類研究所、同大学院理学研究科教授を経て、現在は京都大学総長、理学博士。40年にわたり、野生のニホンザルやチンパンジー、ゴリラの行動の研究を続けている。『ゴリラは語る』『家族進化論』『「サル化」する人間社会』など著書多数。

2018.8.10発 ケニア・サファリ・ハイライト 10日間

ケニアのベストシーズン8月に「ケニア・サファリ・ハイライト10日間」に同行させていただきました。1か月前の7月にも同じツアーに参加させていただきましたが、一面トピだらけだったマサイ・マラはヌーの大群で埋め尽くされ、川渡りの本番ムードが漂っていました。

マサイ・マラに集まるヌーの群れ
マサイ・マラに集まるヌーの群れ

ツアーの初めに訪れるアンボセリ国立公園。ゲートを通ると待っていましたかのように、立派な牙を持つゾウがお出迎え。

この時期にだけ生える栄養豊富な草を求めゾウの大群が訪れます。
この時期にだけ生える栄養豊富な草を求めゾウの大群が訪れます。
日中は水を求めて湿原へ。
日中は水を求めて湿原へ。


鼻を使って遊んだり、耳を広げたり、うとうとと寝ていたり。時間が経つのを忘れて見入ってしまいます。

キリマンジャロとシマウマ
キリマンジャロとシマウマ

サファリ中は、キリマンジャロも顔をのぞかせてくれました。同じ8/10に日本を経った弊社のキリマンジャロ登山ツアーの方々が無事に登頂できるように祈りを込めて。

火おこし披露中!
火おこし披露中!

アンボセリでは、マサイ村も訪問。あっという間に火を起こすマサイの戦士たち。彼らの家作りや伝統薬に、皆さん興味津々です。
さて、ベストシーズンというこの時期のサファリはというと。
ナクル湖では珍しい雄ライオンに遭遇!


丘の上から、湖畔のヌーやインパラの様子をうかがい、ゆっくり、ゆっくりと湖の方に向かって歩いていきました。
少し痩せておりお腹を空かせているようにも見えます。残念ながらハンティングは逃してしましましたが、この後、無事、食糧(ヌーの子ども)を手に入れることができたようです!

仲良くお食事中のシロサイの親子。
仲良くお食事中のシロサイの親子。
なんだか眠たそうなバッファローじいさん。
なんだか眠たそうなバッファローじいさん。
ハイソックスが特徴のロスチャイルドキリン。
ハイソックスが特徴のロスチャイルドキリン。
獲物を狙うサンショクウミワシ。
獲物を狙うサンショクウミワシ。

マサイ・マラに続く舗装道路は、1か月前よりもさらに3kmほど伸び、未舗装路が短くはなっていたものの、乾期のこの時期の砂埃はまさに、パリダカ?なみです。視界を遮るほどの砂埃を抜けてたどり着く、動物の王国マサイ・マラ。1500kmもの距離を1年で往復するヌーの大群がお出迎えです。

前に続け続けと行進するヌーたち。
前に続け続けと行進するヌーたち。
ヌーを仕留めたチーター兄弟。
ヌーを仕留めたチーター兄弟。
さっきまで居眠りしていたライオンもハンティング。
さっきまで居眠りしていたライオンもハンティング。
そして、また茂みでお休みです。
そして、また茂みでお休みです。
2日連続で出会ったお昼寝中のハネムーンライオンカップル。
2日連続で出会ったお昼寝中のハネムーンライオンカップル。
2日目も奥様は旦那さんの横でお昼寝中。なんともよく寝る奥さんです。
2日目も奥様は旦那さんの横でお昼寝中。なんともよく寝る奥さんです。

そして、私たちも木陰でお休みです。

遠くの方にはヌーの群れ。どこまでも続く地平線を眺めながらのランチタイムはなんとも贅沢です。

水を求めて、移動するキリンとヌーの群れ
水を求めて、移動するキリンとヌーの群れ
マラ川で日課の水浴び中のカバの家族。
マラ川で日課の水浴び中のカバの家族。
最終日に、ロッジから眺めた大きく、温かく、力強いアフリカの夕日。
最終日に、ロッジから眺めた大きく、温かく、力強いアフリカの夕日。

10日間で3つの公園を巡る弊社ベストセラーの「ケニア・サファリ・ハイライト」。いつ訪れても動物との出会いは一期一会です。

なかなかお休みが取りづらいという方には、年末スペシャルとして限定ツアーもご用意しております。

【特別企画】ケニアで年越しサファリ! 6日間

1年の締めくくり、始まりをアフリカの大地で迎えてみてはいかがでしょうか。
根本

ケニア・サファリ・ハイライト 10日間

2018.8.9発 ボツワナ・キャンプ オカバンゴからチョベへ 11日間

ボツワナキャンプ オカバンゴからチョベへ11日間に同行させていただきました。ボツワナでのサファリは何と10年振りとなりましたが、風景は全く以前と変わらず、見渡す限りの地平線や豊富な森に湿原と走る度に移り変わる風景は非常に癒されました。
日本からの3度のフライトを乗り継ぎ、オカバンゴデルタの入り口であるマウンに到着。でも、もう一度40分ほどプロペラ機でキャンプ地へ向かいます。ここはオカバンゴデルタの中である「クワイ」地区。周りを見渡すと普通にゾウが歩いているところでキャンプ!

ボツワナでのキャンプのお楽しみと言えば、やっぱりキャンプ飯!焚火での調理は本当に難しいのですが、毎日色々な美味しい料理を作ってくれます。今回はなんとインパラの煮込みまでありました。





クワイを後にして、向かうは「サブティ」地区。風景も湿地帯から灌木が地平線まで続く砂の道を一日かけて走ります。そしてサブティ地区より、広大なチョベ国立公園となります。

今回は、クワイ、サブティ、チョベ川沿いの3か所でキャンプをしたのですが、なんとどの地区でもリカオンを見ることができました!非常にラッキーだと思います。でも写真は2点のみ・・・申し訳ございません。


ライオンもかなりの頭数を見ましたが、ヒョウ2頭がのんびり樹上で食事していたのが印象的でした。


そして、チョベ川のクルーズでは珍しいゾウの川渡りに遭遇し、しばし無言・・・大きな船ではなく、今回は私たちだけの小さな船は小回りが利きます。


名物ガイドの「ショウゾウさん」ことルングさんのサファリドライブは早朝からランチまで、毎日が非常に濃いサファリとなりました。ボツワナキャンプツアーの人気を再確認させていただきました。
次回も夏にこのコースを予定していますので、ご検討いただけると幸いです。
■ボツワナ・キャンプ オカバンゴからチョベへ 11日間
久世

2018.8.10発 ザンビア・キャンプ・手配旅行 10日間

1年前に引き続き、パンフレットに載ってない旅行の添乗に行ってきました。今回はザンビアでのサウスルアングアとロウワーザンベジでキャンプです。以前は密猟などで動物が減ってしまいましたが、国立公園の管理がうまく行き、最近は数が戻ってきました。人気も上昇中です。日本人にはあまりなじみがありませんが、欧米人観光客は多く、ピーク時はロッジの確保が難しくなってきています。ウォーキングやナイトサファリ、カヌーなど、やってみると東アフリカとの違いがあり、意外に面白さを感じました。

サウスルアングアのロッジの敷地内でキャンプをします。目の前にはルアングア川が流れています。
サウスルアングアのロッジの敷地内でキャンプをします。目の前にはルアングア川が流れています。
遠くでゾウが川を渡っていました。
遠くでゾウが川を渡っていました。
トイレやシャワーも完備され、プールを使う事もできました。
トイレやシャワーも完備され、プールを使う事もできました。
敷地内にはハンモックもあります。日なたは暑いけど日陰にいると気持ち良くて眠くなります。
敷地内にはハンモックもあります。日なたは暑いけど日陰にいると気持ち良くて眠くなります。
ゾウが敷地内にやってきてお客さんは大喜び、後でガイドさんから近すぎると注意されてしまいました。
ゾウが敷地内にやってきてお客さんは大喜び、後でガイドさんから近すぎると注意されてしまいました。
フロントガラスがなくて、ドアもないサファリカーは初めてでした。
フロントガラスがなくて、ドアもないサファリカーは初めてでした。
助手席に乗ってドアのない状況でオスライオンが通り過ぎるのはさすがに緊張します。
助手席に乗ってドアのない状況でオスライオンが通り過ぎるのはさすがに緊張します。
ここにはアルビノのオスライオンを見られました。ホワイトライオンとは違います。
ここにはアルビノのオスライオンを見られました。ホワイトライオンとは違います。
普通のオスとの2頭でプライドを形成しているので違いがよくわかります。見たい人はプライドを追われる前に、お早めに是非どうぞ。
普通のオスとの2頭でプライドを形成しているので違いがよくわかります。見たい人はプライドを追われる前に、お早めに是非どうぞ。
亜種のクロウシェイズシマウマです。
亜種のクロウシェイズシマウマです。
ナイトサファリではジーネットが見られました。
ナイトサファリではジーネットが見られました。
ヒョウは5mほどの近さでした。見ている時はおしゃべり厳禁です。
ヒョウは5mほどの近さでした。見ている時はおしゃべり厳禁です。
ウォーキングサファリではソーニークロフトキリンが見られました。あまり逃げません。
ウォーキングサファリではソーニークロフトキリンが見られました。あまり逃げません。
ロウワーザンベジではカヌーに挑戦。前半は風が強くて泣きそうでした。
ロウワーザンベジではカヌーに挑戦。前半は風が強くて泣きそうでした。
ここにはワニやカバも住んでいます。
ここにはワニやカバも住んでいます。
夕方は中州に上陸して、テントを張ります。
夕方は中州に上陸して、テントを張ります。
何の設備もない所でコックさんがチキンのブロシェットを用意してくれます。
何の設備もない所でコックさんがチキンのブロシェットを用意してくれます。
南部アフリカでは一般的なサイズのテントで眠りました。夜はホタルが見られました。
南部アフリカでは一般的なサイズのテントで眠りました。夜はホタルが見られました。
ザンベジ川のほとりで朝食は贅沢なひと時です。
ザンベジ川のほとりで朝食は贅沢なひと時です。

魚釣りにも挑戦しました。見た事のないフルーツも試食しました。最後の夜はガイドさんの家で家庭料理を食べさせてもらいました。サファリとキャンプだけではなく、いろいろな事ができたのも満足です。ザンビアは観光客が少ない国です。他の国に比べて素朴と言えます。ロッジにやってくるゾウを見て、何となく動物も素朴な気がしました。
手配旅行(オーダーメイド旅行)にご興味のある方は下記ページをご覧ください。
■アフリカ 手配旅行の手引き
藤井

タンザニア旅行レポート

2018年7月出発の手配旅行でタンザニアに行かれた、Tご夫妻からのレポートです。

今年の3~4月頃に夏休みの旅行先を協議した結果、タンザニアへ行く事に決定。これまでにアフリカ大陸へはケニア・モロッコ・セネガルと行ったが、久しぶりにまたがっつりとサファリに行きたくなり、以前道祖神さんにお願いしたケニアでのサファリがすばらしかったため、今回も道祖神さんにお願いさせて頂く事にした。
日本から団体で行くツアーだと、他のお客さんに気を遣ってやりたいことができない(例えば気になったとこがあった際、ちょっと寄ってもらったりなど)こともあり、できれば現地で自分たちの希望が通りやすいようにしたかったため、プライベートツアーを希望。しかし一方、旅行費用も節約したかったので、自分達で安い空路を探してチケットを準備し、現地集合、現地ガイドで御願いさせて頂く事にした。更に経費削減のため、細かいところがわからなくてもなんとかなるかとも思い、現地ガイドは英語ガイドをチョイスして申し込みする事に。

出発~1日目

成田空港からエチオピア航空で出発。これが他航空会社よりもお値段抑えめなのだが、ネットで見ていた前情報通り、やはりその分不便さもあり。一度韓国の仁川空港で降ろされ、手荷物検査を受けた後に再度飛行機に乗るという過程を経て、エチオピアのアディスアベベで乗り継ぎ。そこからキリマンジャロ空港へ。遅延する情報などネット上で見かけたが、我々は1時間ほどの遅延で済みそれほどの被害は無し。最後、到着近くでは窓からキリマンジャロ山も見えテンションを上げさせてくれる。
入国審査では、ビザを見せて係員に言われた列に並んだのに、どうもビザが無い人の審査の前の列らしく、直前まで来たのになかなか進まず…。うしろにいたイタリア人ファミリーも「なんですすまないんだよ」的な感じになる…。係員が適当に空いたところに入れ、的に答えたため、横の列の審査のところが空いたら乗り込んで割り込むなどするしかなく、それで入国審査はクリアー。Baggage claimのところでそのイタリア人ファミリーとも最後に声を掛け合い無事入国。出口では、現地会社のドライバー兼ガイドであるアブドラさんとご対面。このアブドラさん、結構日本語が話せ、我々のへっぽこ英語でも簡単にコミュニケーションがとれ、とても楽させて頂いた。
到着当日はそのままアルーシャ市内まで車で送迎してもらい、ホテルへ。移動の景色がアフリカの町から地方へと移動し、その景色に長旅の疲れもどこへやら、興奮して見入ってしまう。何度かアフリカに来た事があったため、懐かしさと新鮮さが混ざった感じであった。ホテルでは手配会社のスタッフのユウカさんとお会いしお話し。現地通貨のタンザニアシリングへの交換も気になり相談したのだが、必要ないとの事で、結局米ドルのままとする(結果として、確かに交換しなくても問題ならず)。このホテルが想像以上に立派で、部屋に入りようやく長旅の疲れを癒す事に。夕食のレストランでも他のお客さんが少しリッチな感じに見え、自分の服装が冒険風だったため、もう少しちゃんとした方がよかったかな、と反省…。

窓から。放牧されている牛などを見ると着いたことを実感。
窓から。放牧されている牛などを見ると着いたことを実感。

2日目

翌日、アブさんのお迎えのもとンゴロンゴロへのドライブヘ。車窓から飼われている牛や羊などを見て、あぁ、この感じいいな~、と思って車窓を見ているうちにンゴロンゴロ国立公園内へ。ここでアブさんがサファリ用に天井を上げてサファリ使用に。もちろんテンションが上がり、妻とともに立って周りの景色を見ながらのドライブ。徐々にガゼルなどの動物が見え更にテンションup。遠方に象や水牛が見えるも、方向をかえ、おあずけ的に先にランチタイムに。しかし、この初日のランチボック、旅行中のランチボックスで最もおいしいものであった。前日お会いした、ユウカさん手作りとのこと。ライス・調味料がタンザニア的なものなのだが、サーモンが入っており、日本のしゃけごはんに近い味付け。きっちり完食し、いざサファリへ。ンゴロンゴロでは、水牛や象などだけでなく、ヌーもいた。また、貴重と言われるクロサイも見つけ(結構遠方だが)、かなり久しぶりでもあり、やはりテンションが上がりまくる。そうやって見て回っているうちに気がつけばあっという間に夕方になったため、我々の泊まるロッジへ移動。このロッジ、外にあるラウンジからクレーターが見え、丁度夕日の景色を見ることができた。若干寒くなるもせっかくなので、ビールを注文し表の席で夕景を。中のラウンジでは丁度ワールドカップの決勝が放送されておりかなり盛り上がっているが、サッカーよりも景色をチョイス。この景色がとてもきれいであり、心地よいものであった。ただ、どんどん寒くなり、辛くなってきたので室内へ。このンゴロンゴロは標高が高いだけあって、確かにこの旅行の中で最も寒い夜であった。

ヌーの群れ
ヌーの群れ
ロッジから見たクレータービュー
ロッジから見たクレータービュー

3日目

この日はセレンゲティへ向けて出発。前日の夜に、初日のホテルに服を置き忘れた事に気が付く…。これは戻ってこないだろう、とほぼ諦めながアブさんに一応尋ねてみるとホテルに連絡をしてくれる。すると服はあったようで、なんと空輸でセレンゲティに運んでくれるとの事!期待しながらも、ぬか喜びのパターンもあると期待しすぎないようにする…。移動途中、オルドバイ渓谷によってもらい、小さな博物館的なところを見学したあと、実際に渓谷を眺める。広い大地が見渡せ、とても良い景色であった。再びセレンゲティへ向けて出発し、途中で展望spaceがある休憩所でランチタイムに。アブさんはランチのたびにカフェセットを出してくれて、一緒にコーヒー(アフリカでよく見かけるけど結構おいしいAfricafe)を出してくれとても有り難い。昼食を食べてると、入国審査で後ろに並んでいたイタリア人ファミリーの方々が通りかかり、我々に気が付き向こうからわざわざ声をかけてくれた。こういったのも旅の楽しさの一つだと感じる。
再びドライブにうつり、セレンゲティへ到着。このセレンゲティ、確かに広い!走っているとひたすら地平線でとても気持ちいい。車が走っていると、ダチョウ、ガゼル、イボイノシシ、シマウマなど次々に動物が現れ最高である。早速ライオンも発見。初日から様々な動物を見る事ができ、とても満足したまま宿泊先のロッジへ。セレンゲティでは3泊するが、予約が埋まっていたため、この日宿泊のトーティリス・キャンプはこの日だけ。ここはシャワーのお湯が申告した時間に短時間出るシステムのため、時間になったら急いで2人続けてシャワーを浴びるが結構せわしない。しかし、テントロッジなのに部屋が広く、スタッフもフレンドリーでとても感じが良い。夕食前にはキャンプファイヤーのような火のまわりにイスがセッティングされており、ここで少し食前酒を飲みながら、スタッフの方のトークと歌・踊りを楽しむ。さらに夕食はコース料理で味も素晴らしい!なんてサービスがいいとこなんだ、と驚く。夕食後は立派なベッドでゆっくり睡眠をとることができた。

オルドバイ渓谷
オルドバイ渓谷
セレンゲティ国立公園へ!
セレンゲティ国立公園へ!
広い!
広い!
あくびするライオン
あくびするライオン

4日目~5日目

2日とも、場所の関係で1日サファリへ。ライオンはちょこちょこ見るのだが、ケニアに行った時にヒョウが一度も見られなかった事をアブさんに伝えていた。今回もなかなか見れないか、と思っていたら一度でなく数回、木の上で寝ているヒョウを意外とすんなり見る事が出来る。さすがアブさん!ゾウやキリン、ハイエナ、ジャッカル、カバ、水牛、インパラ、トピ、ハゲワシなど、様々な動物をセレンゲティで拝むことが出来た。おかげであっという間に1日が過ぎてしまうのであった。また、初日のホテルに置き忘れた服も空港に無事到着!本当に届いた!疑ってすみません、と心の中でお詫びする…。
セレンゲティ2日目からの宿はアカシア・キャンプでの2連泊であった。このキャンプの近くになると草や木が生えているエリアになり、ツェツェバエが大量発生…。窓を閉じるも何匹か内部に侵入してしまい、こいつらを退治しながらキャンプへ。しかしこいつは飛ぶだけならいいのだが、人を刺すので痛くて厄介なのである。妻は何カ所か刺されてしまう…。さすがにキャンプに着けばいなくなるだろう、と思い到着後車外へでるもまだツェツェバエがブンブンとんでいる…。宿泊するロッジに案内してもらう道にもブンブンしており、ロッジのスタッフが運んでくれている我々の荷物にもたくさん止まっている。そしてそのままロッジの中へ…。かくしてテントロッジの中には10匹近いツェツェバエが侵入する事に。フロントで虫用スプレーが必要であれば言ってくれ、といっていたのでその場でスタッフに持って来てもらうように御願いするもその後全くこない。仕方ないので、全てのハエを叩いて退治。意外と普通のハエよりも倒しやすく、思ったより時間はかからず。スタッフの対応もなんだかそっけない感があり、これは選択をミスったか、と思うも、ツェツェバエは暑い時間帯のみ飛んでいて、夕方~朝はほとんどいなくなるのであまり困らなかった。また、スタッフも過剰なサービスは無いがしばらくいると別に対応が悪いわけでなく、自然な感じでむしろ気を遣わず自分達には逆に心地よいくらいに感じられた。そしてこのロッジの素晴らしい所は、いつでもお湯のシャワーが使える事である。おかげでゆっくりと体を洗う事が出来た。夕食はビュッフェ形式であり、アブさんと一緒に夕食。サファリでは毎食アブさんと食事をし、タンザニアの分化など様々な話を聞く事ができ、とても楽しい時間を過ごせた。また、アブさんが部屋に戻った後、二人でコーヒーなど飲んでいると、横のテーブルの若いイタリア人カップルが話しかけてきて、食堂が閉まる時間まで色々な話をする事ができ、また貴重な時間を過ごす事が出来た。

初ヒョウ
初ヒョウ
小象がかわいい…。
小象がかわいい…。
走るチーター
走るチーター

5日目

この日でサファリは最後であり、アブさんとのお別れの日でもあった。飛行機の時間までサファリを案内してくれ、昼前発の飛行機に乗るため空港へ。国立公園内の小さな空港であり、小型のセスナ機が発着しているのみの空港であった。預け荷物はソフトスーツケースorソフトバッグで、20kg以下とか大きさは機内持ち込み可能サイズまで、など聞いてはいたのだが、我々のバッグは実はちょっとサイズが大きかったので少しだけ心配する。しかしアブさんは、問題ないよ、との答え。預け荷物はスタッフに渡すも、重さなど全くノーチェック…。周囲を見ると、なかにはハードタイプのスーツケースの人までみかける…。全く無駄な心配であった。
最後にアブさんがランチボックスを渡してくれ、ここでお別れ。本当にいいガイドさんだったと心から思い、ザンジバルへ島へと旅立つのであった。

我々が乗るセスナ機。手前のグレーの服の人がアブさん。ナイスガイ。
我々が乗るセスナ機。手前のグレーの服の人がアブさん。ナイスガイ。
セスナ窓から。キリマンジャロ山?
セスナ窓から。キリマンジャロ山?

※ザンジバルは個人手配のため、ここまでで…。