タンザニア・ンゴロンゴロのコーヒー

タンザニアにあるンゴロンゴロ自然保護区が産地のコーヒーを頂きました!
ンゴロンゴロといえば、サファリの目的地となるクレーターの中をイメージされる方が多いと思いますが、実はこのクレーターはンゴロンゴロ自然保護区のほんの一部。
自然保護区はいくつもの火山、平原、湖など広大なエリアになっています。
そしてこのエリアは標高も高く、気候もいいため、コーヒーにはとっても適しているのです。
ンゴロンゴロで育ったコーヒーは、サファリの拠点となる街・アルーシャのスーパーマーケットでも買えます。
タンザニアといえばキリマンジャロ・コーヒーが有名ですが、お土産にはこんなコーヒーもお薦めです!
by 紙田

2018.2.16発 ベストシーズンのタンザニア 10日間

ヌーの出産シーズンをターゲットにタンザニアのンドゥトゥ地区に行ってきました。私にとっては2年ぶりのタンザニアです。1月にはヌーがたくさん見られたようですが、2月は雨が少ないために西の方に行ってしまい、ヌーの少ないンドゥトゥとなってしまいました。それでもライオンやチータはかなりいい状況だったと思います。

お母さんチータは遠くのグラントガゼルを見ていました。この後ハンティングに失敗してしまいました。
お母さんチータは遠くのグラントガゼルを見ていました。この後ハンティングに失敗してしまいました。

どこかトイレをしたいと場所を探していたらライオンを発見、何とも気持ちよさそうに寝ています。
どこかトイレをしたいと場所を探していたらライオンを発見、何とも気持ちよさそうに寝ています。

さらに食後のチータを見つけました。満腹になってお互いを舐めています。
さらに食後のチータを見つけました。満腹になってお互いを舐めています。

ヌーの小さな群れには生まれて間もない赤ちゃんが一緒に移動しています。
ヌーの小さな群れには生まれて間もない赤ちゃんが一緒に移動しています。

午後のサファリでは湖でハイエナが涼んでいました。昼間は適度に暑さを感じます。
午後のサファリでは湖でハイエナが涼んでいました。昼間は適度に暑さを感じます。

夕方になるとキリンが水飲みにやってきます。
夕方になるとキリンが水飲みにやってきます。

次の日は別のエリアでサファリです。乾燥してるためにガゼルはたくさんいます。
次の日は別のエリアでサファリです。乾燥してるためにガゼルはたくさんいます。

小高い丘の上でチータが見渡しています。
小高い丘の上でチータが見渡しています。

そこから1kmほど離れた所ではチータの家族を見ました。ひょっとしてお父さんだったのかもしれません。
そこから1kmほど離れた所ではチータの家族を見ました。ひょっとしてお父さんだったのかもしれません。

少ないながらも子連れのシマウマは時々見られました。
少ないながらも子連れのシマウマは時々見られました。

エランドは臆病なのであまり近づくのは難しいのですが、ちょうどこちらを振り向いてくれました。
エランドは臆病なのであまり近づくのは難しいのですが、ちょうどこちらを振り向いてくれました。

ゴールデンジャッカルはンゴロンゴロクレーター以外にンドゥトゥでも見られる事があります。
ゴールデンジャッカルはンゴロンゴロクレーター以外にンドゥトゥでも見られる事があります。

ライオンのオス
ライオンのオス

ンドゥトゥでは見かけませんでしたが、セロネラのエリアでは子連れのゾウを見られました。
ンドゥトゥでは見かけませんでしたが、セロネラのエリアでは子連れのゾウを見られました。

セロネラの南側にはシマウマやヌーが多くいました。
セロネラの南側にはシマウマやヌーが多くいました。

ンゴロンゴロのサファリでは道の上にシマウマの子供が寝ていました。
ンゴロンゴロのサファリでは道の上にシマウマの子供が寝ていました。

授乳のシーンは癒されます。
授乳のシーンは癒されます。

ホオジロカンムリヅルの群れ。
ホオジロカンムリヅルの群れ。

クレーターサファリのシメはライオンの子供達でした。
クレーターサファリのシメはライオンの子供達でした。

ルビーオナガタイヨウチョウの写真が撮れたのはラッキーでした。
ルビーオナガタイヨウチョウの写真が撮れたのはラッキーでした。

今回はカティカティというテント式ロッジで5連泊しました。毎晩のようにライオンかハイエナの声が聞こえました。
今回はカティカティというテント式ロッジで5連泊しました。毎晩のようにライオンかハイエナの声が聞こえました。

バケツ式シャワーです。スタッフにシャワーを浴びたいと言えばここにお湯を入れてくれます。約20リットルですが、足りない場合は追加してもらえます。
バケツ式シャワーです。スタッフにシャワーを浴びたいと言えばここにお湯を入れてくれます。約20リットルですが、足りない場合は追加してもらえます。

リッチとは言えませんが食事は味付けが良く、好評でした。
リッチとは言えませんが食事は味付けが良く、好評でした。

ランチボックスは自分で好きなものを好きなだけ選んで箱に入れます。
ランチボックスは自分で好きなものを好きなだけ選んで箱に入れます。

■ベスト・シーズンのタンザニア 10日間
藤井

青バナナ(調理用バナナ・プランティン)

「アフリカで食べた青いバナナが食べたい。」
気まぐれに現れる、あれが無性に食べたい!欲求。
今回は、青バナナ。
熟す前の青い調理用バナナ(プランティン)は、蒸して、揚げて、煮て、アフリカの食卓には欠かせない代表食材です。赤道をはさんで南緯30°から北緯30°間のバナナベルトに位置する東アフリカ、西アフリカの国々で広く食べられています。
黄色いバナナが主流の日本では見かけることは稀ですが、念じれば通じるとはこのこと?
仕事帰りに立ち寄るスーパーで、なんと青バナナの山を発見。
フィリピン産食用バナナと分かっていても、目の前に突然現れた青バナナチャンスに興奮して一房購入。
まだ硬いバナナの皮をザクザクと包丁で剥くというのはなんとも新鮮。
品種が異なるということもあり、アフリカ産よりも甘みは少なくほんのり酸味がありましたが、触感は変わらずお芋のようで少しねっとりとした柔らかさ。素揚げ、トマト煮込み、カレー、とトライしてみましたが、特に、青バナナ味噌汁は美味でした◎


そんな青バナナには美味しいだけではなく、レジスタントスターチという大腸まで届く食物繊維が豊富。お腹の調子を整え、生活習慣病にも効果があると言われ、巷で良く騒がれている次なるスーパーフードかも?
旅で疲れた際は、胃に優しい青バナナをチョイスしてみてはいかがでしょうか。
写真は、購入した青バナナ(次は本物のプランティンと出会いたい)、トマト煮もどき(ロイ粉はないので、コンソメで)、頼んでもないのに出てきたベナンで食べた揚げバナナ
by 根本

モロッコ 砂漠と海の旅11日間 後編

2017年12月15日発の手配旅行でモロッコに行かれた、津島様からのレポートです。

前編はこちら → モロッコ 砂漠と海の旅11日間 前編

12月19日(火)第5日目

いつものモロッコの朝食を済ませて、大きな荷物はホテルに預けて、ディパック1つで砂漠の中のキャンプへ向かいます。モロッコの朝食は、自家絞りのオレンジジュースにパンが3~4種類、ジャムも同じ数だけ並びます。それにゆで卵か目玉焼き、ざくろやバナナなどのフルーツとチーズ(自家製のカッテージチーズの時もありますが、お馴染みのプロセスチーズの時もあり)パンが主食のようなメニューです。フランスの影響を受けているのでパンは美味しい。
午前10時に待ち合わせて、初のラクダ体験です。でも、なんか昨日のオッさんではなく若いベルベル人のラクダ引きが付いてくれました。まあ細かい事は気にしないのがモロッコ流。出発します。水だけは必ず各自持参と言われていました。
ヒトコブラクダなので、コブに毛布を巻いたようなクッションを被せ、その上に防水キャンバスで作った両側が袋になったバイクのサイドバックみたいなものを被せます。最後に毛布を敷いて完成。鞍はありません。ただ、巻いた毛布のようなクッションにハンドルが付いていて、乗っている人はここを掴んでいます。鐙もありませんので、大股を開いてコブの後ろあたりにドカッと座ります。意外にラクダは幅があるので、ホントにガバッと股を開かないと乗れません。脚は前の方へ投げ出す感じです。乗り降りの時はラクダが膝を折って、地面にペタッと座ってくれますのでいいのですが、いざ出発となって立ち上がる時が大変です。まず、後ろ脚が立ち上がり、自分の身体が大きく前のめりになります。スキーで言えば30度の急斜面でしょうか。そのあと前脚が立ち上がり、今度は大きく後ろに身体が振られます。このラクダの乗り降りが一番落っこちやすいので注意が必要です。(ラクダなので落馬とは言わないのか)
そして歩き始めるのですが、こいつら歩く時に大きく腰を振るので、上の人間もそれに合わせてゆらゆらと揺れに合わせなければなりません。すごく乗り難い。すでに後悔しています。ラクダは荷物を運ぶもの、人間はラクダと一緒に歩くものです。どおりで、「ラクダに乗るのは1時間ちょいだから」と言われていたのだなと。初心者に長距離はムリです。せいぜい1時間半くらいでしょう。それと、ラクダは下りに滅法弱い。少しの下り坂でもヨロヨロと腰砕けのように歩きます。この時もしっかりつかまっていないと落ちます。


砂漠には色がないと思っていました。砂の色、1色きりだと。しかし、実は光の加減で様々な色があります。でもこれは、写真には残らない。カメラで撮るとあれだけ豊かな色合いが一色にされてしまいます。誰も砂漠を表現出来るように写真を作ってはいないのです。これは実際に行かないと分からない。目で見ると、一色の砂漠に様々な色があるのです。モロッコの砂漠はピンク色です。これは多分モロッコの土が赤いから、その土が長い年月のあいだに削られて砂になったからでしょう。でも、日中の強い日射しでは砂色になってしまいます。日が傾くと本来の色が現れます。そして、日の光の変化に合わせるように砂漠の色も変化していきます。ピンク、オレンジ、イエロー、そしてグリーンやブルーもあります。砂漠は実にカラフルです。もしかすると、砂の生まれた場所によっても色が違うのかもしれません。途中ラクダ引きが谷間の遥か先を指差して、あそこはアルジェリアだと教えてくれました。本当にモロッコの端まで来たのだと感慨に耽るも、別に国境に柵などあるはずもない。漫然とあの辺かなと思うだけです。






生命を拒絶する死の大地と思っていた砂漠が、実に多くの生き物が生活している事を今回実感しました。砂の上に丸くて平らなラクダの足跡。その側に小さな足跡。砂狐のものだと教えてくれました。さらにその側にもっと小さな足跡が。ねずみのものだと。昼食を摂ったキャンプの近くではフンコロガンに遭遇し、宿泊したキャンプはオアシスだったので、樹木が茂り小鳥が何処からか飛んできます。砂漠も実は活気に溢れています。ただ、静寂は怖いほどです。音は空気の流れる音だけ。風ではなく空気の動くようなゴーという感じの音圧を感じます。耳の中には、シーンという耳鳴りがしますが、およそ普段聞こえる音は感じません。全てのものが吸い込まれていくように思われます。それなのに、遥か遠くの話し声は聞こえてきます。ここでは、内緒話はできないようです。そう言えば、砂漠の民は大きな声で話さないと聞きました。




夜、寝静まった頃に日本から持参したラム酒と葉巻を持ち出して、外で満天の星を眺めながら呑みましたが全然味がしません。口に入れた綿あめがスーっと溶けてなくなるように、さらに甘みも残らないようなそんな感じでラム酒と葉巻もまるっきりダメ。自然の容量が大き過ぎて全部そっちに持っていかれているようです。
砂漠に行くなら、やはり新月の日がいいと思います。地平線まで満天の星空というのを初めて見ました。月明りもロマンチックでしょうが、深遠なる宇宙に想いを馳せるには、この場所は最高です。

12月20日(水)第6日目

冬の砂漠は本当に寒い。とにかくありったけの服を着て寝ました。靴下も2枚重ねで履き、翌朝もそのままラクダに乗りました。日が昇っても気温はすぐには上がらないので、これくらいが丁度良いくらいです。
昨夜の晩御飯も朝食もキャンプで作るので、出来たての温かい食事が食べられます。ホテルの朝食は大体冷めていたので、少しの温かみでも心に滲みます。
朝食後、すぐにキャンプを出発しホテルへ戻ります。帰りはノンストップでラクダに揺られます。何度かラクダ引きが、休まなくて大丈夫か声をかけてくれました。天気も良く日差しもたっぷりとありますが、冬の朝の砂漠は寒い。特に手先足先が冷えます。ホテルに着くとお別れの前に「ここから俺のビジネスだ」と私を絨毯に座らせ、ラクダ引きがお土産ものを並べ始めました。まあこれもお約束。いくつか記念に購入。
そしてホテルからエルフードまでは4WDで、そこからカリームの車に乗り換えてひたすらマラケシュを目指します。行きは1日半掛けた行程を帰りは1日で戻ります。もう寄り道の余裕はありません。カリーム無双の走り(安全には十分配慮して)で、ほぼ時間通りに到着。最初に泊まったRIAD DAR ASSADにまたお世話になりました。このリヤドは旅の疲れを癒すには最高です。静かで食事も美味、風呂もベッドも大きいので、とても寛げます。ここを拠点にしてモロッコを観光してもいいと思うほどです。

12月21日(木)第7日目

今日から海沿いを巡るコースに突入します。
半日掛けてエッサウィラへ向かいます。途中アルガンオイルの樹が沢山植えられていて、観光用にヤギが木に登っています。昔はヤギが木に登ってアルガンの実を食べていたそうです。一応農園なのでしょうが、そんなにきちんと樹は並んでいません。写真を撮ろうとすると飼い主がチップをもらいに寄って来ます。
昼前にホテルにチェックイン。HOTEL LES ILESは海岸沿いで、ビーチへも道を隔ててすぐ、旧市街のすぐ外側で新市街の途中に位置します。リゾートホテルといった趣です。まあ、シーズンオフですから宿泊客も少なくのんびりとしています。ホテル前のビーチから見る大西洋に沈む夕陽は美しかった。
昼ご飯を食べに港へ向かいます。捕れたての魚を塩焼きで食べさせる屋台がいくつもあります。量り売りで、パンと飲み物が付きます。小振りの鯛にシャコと車海老をもらいます。豪快に炭火で網焼きし、味付けは塩のみ。日本の塩焼きのまんまです。烏賊はありましたが、蛸は見掛けず、何故かウツボを結構見掛けました。どうやって食べるのか不明です。内陸ではほとんで飲めなかったアルコールが海沿いの街では比較的オープンに飲めます。屋台でもビールか?と聞かれました。屋台はどこも賑わっていて、バスクのカップルとドイツのご夫婦と相席でした。一時国際交流を深めました。港の一部が城塞になっていて見学ができます。





12月22日(金)第8日目

今日も朝からカサブランカに向けて移動です。
途中、エルジャディーダで昼食です。海沿いのビーチリゾートのような街で、フレンチの影響を受けたレストランでビールを飲みながら白身の魚をソテーしたものを頂きました。ここでも基本塩味で、変なフレンチのソースはありません。モロッコ人は魚の美味しさが分かっているのでしょう、決して華美なソースに逃げません。ここのホール係の女の子は、いくつかの日本語を知っていて、ちゃんと喋れる訳でもないのに発音が自然で、私が「日本語上手だね」と言うと日本のアニメ好きだと白状しました。モロッコのヲタ女に遭遇。この後、何故か彼女はテンパって英語でも上手く話せなくなって、あたふたしているのがチャーミングでした。
夕方、カサブランカに到着。市内は各所で道路工事があり渋滞しています。エッサウィラで会ったドイツ人夫妻が話していた通りです。その渋滞を見込んでカリームが早めに行程を進めていてくれました。
ホテルFARAHにチェックイン。ここでもカリームがサポートしてくれます。大きなホテルなら問題ありませんが、基本フランス語とアラビア語の国ですから、英語でのコミュニケーションに困る事があります。こんな時にドライバーのカリームが手助けをしてくれます。彼は単なる運転手ではなく、旅のコーディネートもしてくれるのです。
別れ際、「友達」とカリームが言ってくれた事がとても嬉しかった。1週間二人っきりで、モロッコの東の端から西の端まで旅した訳ですから、お互い何かの達成感を感じていたはずです。
きっと、太古のラクダ隊商も長い旅路の中で仲間たちとの絆が深まっていた事でしょう。
実はトラブルもあり、ホテルから帰りの空港までの移動が手配されていなかったようです。この時も日本人が経営されている現地の旅行代理店が昼夜関係なく対応してくれました。日本語が通じて、日本的なニュアンスが伝わる事は、簡単なトラブルの場合でも非常に心強い。

12月23日(土)第9日目

今日は1日フリーです。このホテルを選んだ基準は、サン=テグジュペリ所縁の場所に近いという事でした。ちょっと遅めの朝食の後、彼がよく行ったと言われているカフェ、「Le Petit Pouchet」でエスプレッソを一杯。私以外はみんな常連の近くのオッさんばかり。私のような異邦人は他にはおりませんでしたが、常連さんは意に介さずのんびり談笑しながらカフェを飲んでいます。カフェのあるムハンマド5世通りは、古いパリの佇まいを感じます。
日々、何もない砂漠での生活からここに来ると、彼も遠い故郷の雰囲気と人々の温もりに癒されていたのでしょう。私も砂漠からここへ来た時に言葉は分からなくても、人々の穏やかな感触に触れて、何かホッとした感じがしました。
その後、リックスカフェの前を抜け少し行くと、École Royale Navale(海軍兵学校)の門が現れます。地球の歩き方にも書いてありませんが、カサブランカには海軍基地もあります。どうりで白い制服の人が目に付いた訳です。兵学校の脇を歩き進むと海岸に出て、目指すハッサン2世のモスクに到着です。とにかくケタ違いに大きい。



ここでは、小中学生の社会科見学の一行に遭遇。日本人だと分かると大騒ぎ。握手やら写真やら大歓迎を受けました。どこの子供達も一緒です。変わったものにはスゴク興味を示します。淋しい一人旅ですから、こうした触れ合いは大歓迎です。
モスクからの帰りは海沿いの道を通り、途中の漁港にあるレストランで遅めの昼ご飯をしました。OSTREAと言う名前からしてシーフードのレストランです。生牡蠣もありましたが、この日はあまり良いサイズのものが揚がらなかったようです。大中小の「中」を頂きました。もちろん、白ワインも一緒に。モロッコ産の白ワインをもらいましたが、酸味もミネラル分も甘味もしっかりあって、飲み応えのある濃いロの白でした。モロッコは野菜が立派ですが、葡萄も濃いのでしょう。だからこれほどに濃密な白ワインができるのでしょう。ここも白身の魚をシンプルにソテーして塩だけで味付けするスタイルです。シンプルですが、洗練されてもいます。食後、お腹一杯でしたが、帰りにサン=テグジュペリ所縁のホテルでエスプレッソを一杯。
人通りの多い大通りの交差点に面したHotel Excelsiorは、ホテルとしては今はもうお薦めできないそうですが、1階のカフェは広く天井も高く席もゆったりしています。屋外より屋内の席の方が寛げます。ホテルの裏にあるスーパーでお土産の買い出し。ACIMAというチェーン店。酒はありませんが、カードが使えてミントティーやらタジンスパイスやらを買いました。




12月24日(日)第10日目

帰国の日。
約束の時間にカリームとは別のドライバーが迎えに来てくれました。もう何度も顔を合わせているベルマンのオッさんが荷物を積み込んでくれました。まだ少し残っていたディルハムを最後の握手と一緒に渡す。
少し早めに空港に到着するも違うターミナルに降ろされてウロウロする。まあこのあたりは大らかなお国柄なので。こっちもターミナル確認してなかったし。どうもカリームの丁寧な仕事に慣れてしまって迂闊だった。それでも小さな空港なので、徒歩で移動して5分くらいか。
早めに着いたのには訳があり、昨夜エミレーツから搭乗便の遅れを知らせるメールが届いていたからです。ドバイでの乗り換えは1時間ほどしかなく、大幅な遅れでは乗り遅れる事も考えられます。多少遅れても大概の場合は待っていてくれるそうです。カウンターでは乗り継ぎ便のチケットも発券されたので、多分大丈夫だと自分に言い聞かせていました。待合ロビーで軽く食事をして、最後の買い物でモロッコワインを買い飛行機の到着を待ちました。

12月25日(月)第11日目

1時間40分遅れで出発したドバイ行きの機長は頑張って飛んでくれました。ほぼ乗り継ぎ便の出発時刻でしたが、ドバイ国際空港上空までやってきました。しかし、無情にも45分の上空待機のアナウンスがありました。これで完全にアウトです。どうもこの週、アラビア半島は極度に天候が悪く、この日も霧でフライトがメチャメチャだったようです。とても待っている余裕はなかったようです。空港も大混乱で多くの人がチケットの再発行待ちでごったがえしていました。でも、流石エミレーツです。ホテルをちゃんと手配して、それも一人部屋を準備くれました。最安のチケットなのにスマンね。これが格安航空会社だったら、丸一日空港の床に寝ている事になったでしょう。シャワー浴びて、ベットで休めて、さらに3食提供されたので大変助かりました。今回の事で、復路は逆に一気に飛ばないでドバイで一泊した方が身体は楽だと思います。近代的なドバイの街も楽しめたでしょうし。

12月26日(火)第12日目

ホテルと空港間の送迎ももちろん手配されていますので、こちらは決められた時間にロビーに集合するだけでした。実は出国審査後の手荷物チェックでモロッコワインを没収されてしまいました。入国時はフリーパスだったのに。あれだけ待合ロビーで酒を売っているのに。
まあその後は何事もなくすんなりと搭乗し、定刻より遅れてはいましたが無事に離陸しました。順調に飛んで成田に到着、入国審査も混雑せず帰って来たのですが、最後の最後にロストバケッジ。エミレーツの担当者も恐縮しつつ、一昨日はもっと大変だったと教えてくれました。今回はそれだけ大きな天候不良だったのでしょう。友人に話したら、タダで宅配してもらったと思えばいいのでは?と言われ、確かに帰りの道中身軽で楽だったな。旅の最後に色々ありましたが、まあこれも「アラーの神さまの思召し」と思いましょう。
年寄りの一人旅、しかも文化も違う初めての国に行くのなら綿密なプラン作りが大切です。プランがしっかりしていて手配もきちんとされていれば、もし思いも寄らない事が起こっても対処は容易です。それを今回痛感しました。モロッコを全て車で移動するのはどうかと最初は思っていましたが、それもこちらのペースに合わせて移動できるので良かったと思いますし、宿泊先はどこも素晴らしく、女性の方にもきっと気に入ってもらえると思います。(一人旅であった事が悔やまれます)若い時は体力と熱意で旅をすればいいのですが、齢50のオッさんは素直にプロの見立てに従うのがベストでしょう。食事もほとんど手配してもらいましたが、これも一人見知らぬ街を空腹を抱えて彷徨う事なく済みましたので良かったと思います。
実は次はどうしようか、もう考え始めています。それだけ今回の旅が思い出深く楽しかったという事なのでしょう。
最後に旅の終わりに彼の地で出会い、挫けそうな私を助けてくださいました、志村医師ご夫婦と料理人の高橋君に謝意を表して、私の珍道中記を終わります。

モロッコ 砂漠と海の旅11日間 前編

2017年12月15日発の手配旅行でモロッコに行かれた、津島様からのレポートです。

今回、同じような11日間のもっと安いパックツアーがあるのに、何故わざわざ個人旅行の形を取ったかと言えば、唯々「砂漠を見たい」それだけを満たすツアーがなかったから。
鳥取砂丘ではなく、本物の砂漠。生命を拒否した灰色のモノトーンの世界を見てみたかった。(この認識が間違っている事は、後々知れることとなります)
多くのパックツアーでも砂漠は旅程に含まれていることが多いのですが、夕日を見るだけとか、朝日を見るだけのものとか、砂漠に浸るという自分の希望には合わないなぁと。
現在は、初心者向きでサハラ砂漠に入れるルートはモロッコだけの状況のようです。ですから今回モロッコを旅することにしました。
前置きが長くなりましたが、普通の方と少し違うアプローチからモロッコを目指し、そして気ままな一人旅を楽しみたいというのが、今回の旅の目的となります。
前半は砂漠を堪能し、後半は海沿いを楽しむ、そんなコースになっています。
私のような年代の人間には、若い時分は欧州を往復するだけでエコノミーでも50万円を超えていました。それからすれば、今回の旅行は「それほど」高いとは思っていません。

12月15日(金)第1日目

成田からドバイを経由して、モロッコのカサブランカまで飛びます。
飛行機好きでもあり、新しい機体に乗ってみたかったので、2階建旅客機A380を運行しているエミレーツ航空をチョイス。中東風のエキゾチックな制服のCAさんにも興味がありましたし。ただ、カタール航空のB787も捨てがたく最後まで悩みました。
A380はエコノミーでも座席ピッチが広くて185㎝の私でも窮屈な感じはありません。それと窓側の席は、壁までの距離もあり余裕があります。さすが大型機です。そのお陰で壁からの冷気も幾分少なく感じました。食事はまあこんなものでしょう、エコノミーですし。意外に魚系のメニューはおいしかった。チキンは大概固くて食べ辛かった。それと、飲み物は最初にノンアルコールと酒を両方もらっておくことをお勧めします。なんせ大型機で乗客も多いので、次にCAさんが来るときには食べ終わっていますので。成田発の便では、緑茶のサービスもあったり、保安設備の案内が日本語でされたりします。

12月16日(土)第2日目

経由地のドバイ空港はとにかく広いです。驚いたのは、朝の5時なのに免税店が営業していたこと。それに朝のアザーンが空港に響き渡っていたこと。さすがにイスラム教国です。トランジットは2時間ほど。
ドバイを飛び立って直ぐに朝食が出て、3時間ほど飛んだところで紅海に出ました。ペルシャンブルーの海にデザートピンクの大地の対比がとても美しく、これから向かう先もこんな風なのかと思いを馳せました。




12月のモロッコは雨季にあたるせいか、モロッコに入るとほぼ一面雲に覆われ、地上の様子は伺い知れません。昼にカサブランカのムハンマド5世空港に到着しました。規模で言えば、大阪の伊丹空港ほどです。
結局、到着も少し遅れイミグレと荷物の受け取りに手間取り、2時間弱かかってやっとターミナルビルの外に出ました。セキュリティーと建物の大きさの為か、出迎えの人はビルの外で待たされます。ドライバーのカリームとはすんなり合流でき、彼に「だいぶ時間掛かったな」と言われました。よく見ると地面が濡れています。午前中に少し降ってようです。空は雲がびっしり。この先が思いやられます。これから11日間、同じドライバーでずっとモロッコを周ります。車は黒のベンツワンボックスです。ミニバンクラスでしょうか。これを独り占めの大名旅行のスタートです。
空港から高速を使って一気にマラケシュまで、2時間半のドライブです。高速道路の両側は見渡す限り農地です。それも肥沃な土地、黒土です。礫が多い感じですが、冬だと言うのに全部が耕されています。モロッコの農家はみんな働き者のようです。この景色だけで、自分のモロッコ感がガラッと変わりました。
高速を降りて、マラケシュへ向かう一般道では高い建物はなく、新しいコンクリートの建物も赤い色をしています。旧市街を囲む壁が見えてくると、待ち合わせのフナ広場はすぐです。壁に不規則に穴が開いていますが、これは棒を指す為のようです。銃眼もあるのでしょうが、ほとんどは足場用の小さな穴でした。(今は足場用の穴は使わないそうです)
午後4時半にフナ広場の入り口に到着しました。段々と人が増えてくる時間のようで、迎えのホテルの人が見つかりません。ドライバーのカリームが電話しています。程なく、ホテルの小柄なオッさんが現れ、私の鞄を背負うとさっさと歩き始めます。旧市街は道が狭く、ホテルの側まで車で行けません。その為、こうしてホテルの人が迎えに来て荷物を運んでくれます。明日の朝、またここでカリームと落ち合う約束をして、私もホテルのオッさんの後を追います。
フナ広場は宵の口で人出はそこそこですが、それでもかなり混雑していて、人並みをかき分け、バイクをやり過ごし、リヤカーのオヤジに怒鳴られながらホテルへ向かいました。本物のコブラ使いも何人かいました。人通りの多い通りを曲がり裏路地を100mも行くと今晩泊まるリヤドが見えてきます。私の泊まった、RIAD DAR ASSADはホテルというより食事も摂れるゲストハウスのようなスタイルでした。食事が終わるとリヤドのスタッフはみんな帰ってしまいます。賑やかな通りからそれほど遠くはないのに、このリヤドの中はとても静かです。昔のお金持ちの邸宅を改装して使っているので、大きく頑丈な門扉を通って中庭にまず出ます。その周りに部屋があり、食事はこの中庭で摂れます。でもリヤドの玄関には、小さなプレートがあるきりで気をつけないと見つけられなくなりそうです。旧邸宅の雰囲気を壊さず、中庭をガラスの天井で覆い、水回りをホテル並みに改装されていますので実に快適です。リネン類もシティホテル並みに用意されています。(今回宿泊した宿は何処も最低バスタオルが用意されていました)
それと閉鎖された環境の中庭のはずが、何処からかスズメが入ってきて、私を歓迎してくれました。人に慣れていて、結構近寄ってきます。長旅の疲れを癒すには、うってつけの所です。




12月17日(日)第3日目

朝8時半にフナ広場の真ん中でカリームの車に乗り込みました。朝は人も少なく車も乗入れられるようです。ここで日本語を話す観光ガイドと合流し、半日のマラケシュ観光をします。
最初はフナ広場から西に3㎞ほどの12世紀に作られたオリーブ園です。メナラ公園と言われているようですが、だだっ広いオリーブ畑です。ただ、中央に広い通路があり、両側に整然とオリーブが植えられています。奥には灌漑用の池がありますが、まるでプールのようです。時の王様がアトラス山脈から水を引き、オリーブ畑を開墾しました。王様の治世が伺われます。大きな通りから真っ直ぐ遠くを見るとクトゥービア・モスクの塔が見えます。同じ王様が建てたそうで、同じ塔が別にあと2カ所にあるそうです。1つはスペインにあり、その当時は領地がスペインにまで及んでいたそうです。モスクの塔はてっぺんが丸い印象がありますが、モロッコの塔は四角で先端は三角の尖った屋根になっています。マラケシュでは、クトゥービア・モスクの塔より高い建物を建ててはいけないそうです。また新築の建物でも外装は赤土色に塗らなければなりません。古都の風情を壊さない心があります。
そのあと、サード朝の墳墓群に行きました。狭い通路をくねくねと進むと、急に開けた中庭に出ます。ここも外側は全面壁で、何処からが入り口だったのかも分からない様な所です。中庭に面して女性達が埋葬されている部屋、王様や男達が埋葬された部屋と子供達が埋葬された部屋があります。子供達の部屋は元々は礼拝の部屋だったそうです。中庭は家臣達のお墓になっていて、墓石がモザイクタイルになっています。墓碑銘はありません。みんなメッカの方向に顔を向けて埋葬されているそうです。
日本語のできるガイドはマラケシュに何人かいるようです。私を受け持った人もユーモアたっぷり、時には学校の先生のように質問してきたりと楽しませてくれます。
昼はフナ広場の入り口にあるスペイン料理で摂りました。私の場合、結構移動もあり、ましてや一人旅でもあるので、食事はツアーの中に結構付けてもらってありました。ここは数少ない酒の飲める店で、日本人の団体もいました。食後、車に乗ってマラケシュを出発しましたが、ドライバーのカリームが「リゾット食べた?」と聞いてきてので、いやピザだったと答えたら変な顔してました。リゾットがおススメだったようです。確かにスペインでピザか?とは思ったのですが。


これからアトラス山脈を越えて、アイントベンハッドウまで190km程の長距離ドライブです。アトラスは低いところは高い木もあり、道幅もある良く見る峠道のようですが、峠に近づくにつれ森林限界を超え木もなく灌木もわずか、まったく違った姿を見せます。結構高い所にも町があり人が生活していますが、所々道が非常に悪くなりアドベンチャーな雰囲気がしてきます。車が行き違うのにも苦労しそうな所が結構あります。こんな道でも大型トラックや観光バスがバンバン走ります。道を広げる工事をそこかしこでしていますが、完成は当分先でしょう。今は道も難があり、車に弱い方には峠越えをお勧めできませんが、いずれ全線開通した時には是非皆様に越えて頂きたいと思います。見た事のない風景が広がります。地層が露出したところもあり、あーあの褶曲した地層は昔海だったところが隆起したのだな、と昔高校の地学で習ったような景色に出くわします。まさか、今になってその時に教わった事が役に立つとは思いもしませんでした。とにかく想像を超える風景が続きます。カリームはいつでも車を止めて私の撮影に付き合ってくれます。これも個人旅行のいいところでしょう。(本当なら、とっとと走って目的地に着いた方が楽なはずなのに)



アルガンオイルを買いたいと前待って話していたので、アトラスの途中のそれらしい場所にも止まってくれます。ぽつんとそれしかない店でしたが、なんとここは店の女性が日本語で案内をしてくれます。何本かお土産に購入しましたが、ちゃんといい店を紹介してくれたようです。私がウロウロしている間に別の日本人団体もアルガンオイルの店に到着し、賑やかなお買い物タイムになりました。そんな感じで寄り道もだいぶしましたが、予定通りアイト・ベン・ハッドゥの宿に夕方到着。アトラスを境に西と東で風景が一変します。西は肥沃な農地の大地、東は砂漠へとつながる荒涼とした大地。特に東の風景は今までの想像を軽く超えて、長く車から眺めていると頭がパンクしそうになります。
少し疲れたので、今日はアイト・ベン・ハッドゥの観光はせずホテルでくつろぎました。
田舎のホテルでしたが、部屋にエアコンもありバスタオルを備えてあります。ちょっとお湯は緩いですが、汗もかいていないので足だけ洗い気持ちよく眠る事が出来ました。このホテルにはプールもあり夏場は泳げるようです。冬場の今でもプールの水は綺麗で、とても贅沢なとこだなと思いました。

12月18日(月)第4日目

朝、ドライバーのカリームに連れられて、アイト・ベン・ハッドゥの頂上まで登りました。まだ早い時間なので、店も開いてはおらず他に観光客もいません。清麗な空気に包まれ、登りに少し息を切らして着いた先には、見渡す限り荒涼としたモロッコの大地が広がります。遥か1000km先まで見渡せそうです。頂上にある見張り小屋のような建物の前で「ここなら1000km先の敵まで見えるな」と言ったらカリームは笑っていました。川のほとりで見通しのいいこの場所に城砦都市が築かれたのだなと分かります。ここの景色も他に比べるとものがないと思いました。
今日も長距離ドライブになりますので、観光はほどほどに出発します。





映画の街、ワルザザードを通りカスバ街道をモロッコの東の端まで330kmほど走ります。ワルザザードは近代的で綺麗な街です。流石、映画関係者が多く訪れるだけあって、ちょっとモロッコっぽくありません。街の手前に映画スタジオがあり見学ができるところもあります。その後、バラの谷の近くの街でローズウォーターを何本か購入。色々迷惑をかけている会社の同僚へのお土産です。最初あまり香りを感じませんでしたが、実際には良い香りが長く続きます。(蓋の緩いものから旅行鞄の中に漏れていて、何日間かバラの香りに包まれていました)その先をカスバ街道から少し外れトドラ渓谷に入り昼食となりました。トドラ渓谷への道もカスバ街道沿いも川が流れています。全体に乾燥した荒地なのに川沿いは緑も濃く畑もあります。でも道沿いに川があるのではなく、川があって緑があって道になったのでしょう。ともすると道が最初にあったと勘違いしてしまいますが、道はそこになんらかの理由があって出来るものです。だから時として真っ直ぐでない事が多い。そして真っ直ぐでない道に何の疑問も持たず歩いています。トドラ渓谷はインディー・ジョーンズの映画にでも出てきそうな場所です。大変深い谷なのですが、両側は絶壁です。そして、その壁を登りに世界中からクライマーが訪れるそうです。そういえば、途中の店の軒先にクライマーの人形がぶら下がっていましたが、多分あそこはクライマー向けの店だったのでしょう。しかし、宙吊りになっているようにしか見えず、ちょっとシュールな感じでした。
谷底部分には川と道が通っていて、川と道の高低差は50cmほどでしょうか。川はそれほど深くはありませんが流れも早く水量もあります。アトラスの雪解け水か、とても綺麗な水です。
昼食は渓谷から少し降ったところのレストランでした。内装もモロッコ風でよかったのですが、天気がいいので少し寒いのを我慢して屋上のテラスで食べることにしました。斜面に建てられたレストランからは目の前に険しい山を間近に見る大パノラマが広がっています。青い空と相待って、非常に清々しい気持ちになります。薄暗い室内より、天気が良ければ断然屋外で食べるべきです。今日は日差しも十分で思ったほど寒くはありません。雨季と聞いていましたが、日本のようにずっと降り続くという事ではないようで、この後も雨が降る事もありませんでした。





まだまだ道半ば、頑張ってドライブを続けます。
3分の2ほど走ったところでカスバ街道を外れて、エルフードへ向かう道に入ります。この辺りで、これも前からお願いしていたターバンの店に寄りました。ここでは中国からの団体さんと遭遇。ベルベル人のターバンが欲しいとアピールし、3mを超える長くて青いガーゼの布を買いました。(ほんと、ただの布です)でも絞りの柄も入っていてオシャレです。店の子が巻いてくれて、記念撮影。私はターバンは悪人顔に似合うと思っていましたので、友人の2人にもターバンを買って帰ります。やっと自分のものが買えて安心したせいか、ここで大失敗をしでかしました。
買い物を終え、意気揚々と車に乗り込みエルフードへ出発。カリームも自分用の白いターバンを買い頭に巻いてご機嫌です。30分ほど走ったところで、自分の青いハードシェルのマウンテンパーカーがない事に気付きました。あの店に忘れたのです。「カリーム、コートをあの店に忘れた…」彼も驚いて「それはいけない!」と安全に注意しながらも最大限に急いで戻ってくれました。今回の旅行は移動距離も長く、時間的にもそれほど余裕がある訳でもないので、このロスは実に痛いのですが、こんな時でもカリームは嫌な顔もせず真摯に対応してくれます。只々頭の下がる思いです(その後、何度かこのネタでからかわれましたが)。青いパーカーは無事手元に戻りました。ベルベルの青のおかげか、店でおまけに貰ったファティマの手のお守りのご利益か。
カリームの努力で最小限の遅れでエルフードに到着。ここで4WDに乗り換えて砂漠へと向かいます。一旦カリームともお別れ、地元のドライバーが担当してくれます。しかし、ずっと砂の上を走るのかと思いきや、ホテルまでほとんど舗装路でした。これなら、カリームの車でも来られたな。まあ、9日間ずっと運転という訳にもいかないでしょうから、ここら辺でカリームもお休みです。
それでも4WDのドライバーは気をきかせて、ホテルの手前から砂漠へ突っ込んでオフロードを体験させてくれました。そんな悪路には見えませんが大きく揺れます。「サハラマッサージ」とドライバーは笑って言います。もっと奥に行けばこんなものでは済まされないだろうなと思いました。
ホテルは砂漠の中にある感じで、オーベルジュ・スッドというところでした。外も内もモロッコ風ですが、部屋は洒落た装飾がなされています。外階段で上階のテラスに行けます。このテラスは外側にあり、私の部屋からは夕日もよく見えます。ここも中庭に面して部屋がぐるっと囲むようにあり、外面には小さな窓しかありません。中庭には樹木もありオアシスのようです。
荷物を部屋に置いて一旦ホテルのエントランスから砂漠の方へ向かって、砂漠を眺めていると青いターバンを巻いたラクダ引きのオヤジが近づいてきて、「俺が明日、オマエをあの一番高い砂丘の向こう側へ連れて行く」と挨拶してきました。名前も確認せず、よくまあ分かるものだな、半信半疑の思いのまま曖昧に相槌をうっていました。
晩ご飯はもちろんホテルで摂りました。周りは他に店もありませんので。珍しくタジン鍋が出てきませんでしたが、皿に並んだものはまさしくタジンそのもの。単に取り分けたものが並んだだけのようです。ここのホール係はかなりのイケメンで白いターバンを巻き、民族衣装を着ているのでまるでアラジンのようです。女性にはさぞ好評な事でしょう。アラジン君に水を頼みます。たいがい大きなペットボトルで来るので、飲み残しは明日の砂漠用に部屋へ持ち帰ります。
こんな砂漠の中のホテルでも、ラウンジとレストランではWiFiが使えるとの事。ただし、この日は通信トラブルで不通でした。持参したWiFiルータは接続できましたので、ホテル側の機器の問題でしょう。




後編はこちら → モロッコ 砂漠と海の旅11日間 後編