ウガンダ・ホームステイ

アフリカの素朴な田舎生活を体験し、そこに住む人たちと交流してほしい・・・そんな思いから生まれた、ウガンダのホームステイプラン。このツアーに参加し、たっぷり村のステイを満喫していただいた松田真依さんのツアーレポートです。(2007年6月)
ンシェニ村ステイ 1日目
ンシェニ村1日目の朝。昨日は、夜中トイレに行きたかったのだけど、電気のないトイレに夜一人で行くのが怖くて我慢してた。朝5時ごろ、我慢しきれず暗い中を懐中電灯片手に行き、帰って二度寝。起きたら6時半すぎで空はほんのりピンク色で靄がかかっていた。他のメンバーが起きてくるまで玄関でガイドのエヴァンスとギターで歌を歌う。イッスンムルンジ~(教えてもらったウガンダの歌)。それに応えるかのように、鳩の声がした。
村では、一人100頭~200頭のアンコーレ牛と呼ばれる角の大きな牛を飼っており、村の一日はそのアンコーレ牛の乳しぼりから始まる。私たちも教えてもらいつつ、一緒に乳しぼりをさせてもらった。教えてくれた村の少年エノミ(雄牛という意味らしい)は、時々わたしが失敗してミルクをピューっと飛ばすと笑って「いいよ。いいよ。」と、慣れた手つきでまた乳房にミルクを溜めてくれた。「これなら、出るよ。やってみて」。Webale, ENOMI! (ありがとうエノミ)
01 02

乳しぼり後、朝ごはんを食べて腹ごしらえをしたら、サバンナを車で走り、タンザニアとの国境の川へ。「川の向こうはタンザニアの動物公園だから、暑いとカバや他の動物が水を飲みに降りてくるのが見られるよ」とのことだったのだけど、残念ながら今日はそこまで暑くなくカバは見られず。川辺で村の青年達と偶然会って、家や川辺を案内してもらった。別れ際、そのうちの一人“サム”に求婚される。「俺、牛200頭持ってるから、嫁に来てくれるなら、そのうちの100頭を君にあげるよ」村一番のイケメンの言葉にちょっと心が揺らいだ。
一旦、家に帰って昼食をとった後、マトケ畑を案内してもらった。マトケはウガンダの主食で緑のバナナのこと。このあたりはどこに行ってもマトケ畑が広がっている。その光景はうっとりするほどきれい。そんなマトケ畑でマトケの採り方を実演してもらった。
03 04

マトケ畑を抜けて、近くの村へ遊びに行く。エヴァンスのギターで「上を向いて歩こう」と「今日の日はさようなら」の歌を披露。村の人たちはとても喜んで、家の中まで見せてくれた。ここはとても小さな村で、家は3つだけ。村民は全員家族。「どうやって結婚するの?」と聞くと、近くの村(と言っても遠い)へお父さんが出かけて行き、お父さん同士で結婚相手を決めて帰ってきて、結婚式の当日、初めて結婚相手がわかるという風になっているらしい。「そしたら、相手が気に入らなくて離婚になったりしないの?」と思っていたら、この村には離婚なんてないらしい。「それはcan’t なの?」と聞くと「don’tだ」と言われた。どんなに相手と相性が合わなくても、彼らは離婚「できない」のではなく、「しない」のだと。
夕食はもちろん昼間とったマトケ。この村では電気もガスもないため、夜はランタンの灯りだけ。ランタンのあったかい灯のなか食べる晩ごはん。ご飯の後は、外の焚き火を囲んでダンスをした。私たちのために村の人がみんな集まってくれた!
05

今日はいっぱいいろんなことしたなぁ、そう思いながら床についた私は2秒後にはもう夢の中だった。
ンシェニ村ステイ 2日目
今日も朝から乳しぼり。今日の乳しぼりの先生はエノミの弟ルノワ。わたしがちょっとずつ覚えてきたルニャンゴーレの言葉を話すとルノワは大喜び。「君、ルニャンゴーレの言葉喋れるんだ!」おかげですっかり仲良しに。今日はその後に、ニワトリの餌やりもさせてもらう。コロコロコロと言いながらニワトリを呼び寄せる。予想外にアグレッシブな鶏に逃げまくる。
朝食後、近くの小学校へ見学に連れて行ってもらった。校長先生が全校生徒を集めてくれて、全校生徒の前で自己紹介をした私たち。子どもたちは、歓迎の歌を歌ってくれた。そのお礼に私たちはまた「上を向いて歩こう」を歌う。子どもたちの歌ってくれた歌はエイズの歌だった。学校の木にも「Together we can fight AIDS」と書かれた看板がくくりつけてあったりと、ウガンダの小学校ではエイズ教育がしっかり行われていた。
06

小学校の後はマーケットに行った。キテンゲ(ウガンダの布)を大量購入。自分の分、家族の分、友達の分…。先生(ステイ先のママ)が見事に値切ってくれた。
マーケットの後は国境を越え、タンザニアへちょこっと入国。レストランに入る。料理が出来上がるまで1~2 時間かかるということで、待っている間、近くにいた子供たちのところに遊びに行く。片言のスワヒリ語。彼らに教えてもらう形で仲良くなっていく。エヴァンスに昨日教えてもらったjambo!の歌。スワヒリ語の歌だけど、ケニアの古い歌らしくタンザニアの子どもたちは知らなかったので教えてあげると、子どもたち大喜び。最初は5人ほどだったのが、いつのまにか村中の子供たちが集まってきていた!!
07

ご飯が出てきてからも「マイー」「マイー」と構ってほしそうに言うので、わたしが唯一覚えていた I want to にあたるスワヒリ語の表現だけを使って、ご飯を食べながらもスワヒリ語カタコト会話。「何が食べたい?」「何が飲みたい?」聞くだけ聞いて彼らの答えは結局何を言っているのかわからなかったわたし。何度目かの「どこに行きたい?」の後、隣にいた英語もわかる大人に何気なく聞いてみた。「彼らは何て言っているの?」彼は笑顔で答えた。「『日本に行きたい』ってさ」。胸がいっぱいになった。「ナクペンダー、ワトト!!(みんな大好きー!!)」思わずさっき教えてもらった表現を叫ぶ。
ご飯も食べ終わり、帰ろうとすると後ろから「マイー!」「マイー!!」と子供たちが走ってきた。手を出すから、握手だと思って握り返すと手の中に何か入ってきた。見るとウガンダ100シリングが。一生懸命わたしに何かを伝えてくれている彼ら。でも何を言っているのかわからなかったので、近くにいた大人に通訳を頼む。「これ、あなたが今から行く国のお金でしょ?みんなからのマイへのプレゼントだよ。使ってね」目の奥で涙が動いた。Asante sana.ありがとう。その時のコインはもちろん今でも手元に大事にとってある。
帰って夕食をとった後は、また焚き火を囲んでのダンス。ルワンダとの国境近いこの村にはルワンダから来た人たちも多いらしく、今夜はルワンダのダンス。村の若い男の子たちが布を持ってダンスに誘いに来てくれる。布を巻いてもらって、男の子たちも自分で布を巻いて二人で踊る。焚き火の灯に黒く浮かびあがった、布を巻いた彼らのシルエットにドキドキした。ンシェニ村、最後の夜。
08

ンシェニ村ステイ 3日目
今日はいつもより1時間早起き。昨日一緒に踊ったティムとロバートの家を見せてもらい、そこで牛の乳しぼりをさせてもらう。彼らは朝ごはんも昼ごはんも夜ごはんも全食牛のお乳、牛乳のみ。そのかわりものすごい量を飲む。乳しぼりの合間に外で飲むのだけど、飲むときはちゃんとしゃがんで飲んでいた。立ったまま飲むのはお行儀が悪いからなのだそう。わたしたちも搾りたての牛乳を飲ませてもらう。
帰ってきて朝ごはんを食べたあと、今日はヨーグルト作りをさせてもらった。瓢箪みたいな容器に牛乳を入れてひたすら振る。できたてのヨーグルトはとってもおいしかった。お腹こわしたりしないかなぁ、と少し不安だったけど大丈夫だった。
09

最後に先生は、わたしのカンガでウガンダ巻きをしてくれた。「いつでも戻ってくるんだよ。ここはもうあなたの家だから」目に涙をいっぱい溜めてぎゅっと抱きしめてくれた先生。ありがとう。本当にありがとう。
帰りの車の中、みんなそれぞれウガンダネームをつけてもらった。わたしのもらった名前は Kenyangyi(ケニャンジ)。ウガンダの白い美しい鳥という意味。Enyangyi(エニャンジ)という白いきれいな鳥がいて、女の子を褒めるとき「よくできたね。エニャンジ。エニャンジ」と褒めるのだそう。それにKを付けて女の子の名前としてつけるらしい。もう夜のトイレも怖くない。牛の乳しぼりも一人でできる。ウガンダネームはそんな私たちへの彼らからの修了証みたいなものだったのかもしれない。ケニャンジ。ケニャンジ。あまりにも嬉しくって、車の中、わたしは何度もその名前を繰り返した。そしてまた絶対戻ってこようと、心の中で強く思った。
最後に、わたしはエヴァンスに 「ねぇ、あなたがもし日本に来たら 日本の人にウガンダの何を一番伝えたい?」と、聞いた。 彼は言った。「we live different, but normal」(俺達の生活は確かに違っているかもしれない。でもこれは普通なんだ。ノーマルなんだ)エヴァンスは外国に行って「ウガンダ出身だ」と言うと、まず「ウガンダってどこ?」って聞かれると言っていた。そしてそれはとても屈辱的だ、と。「東アフリカだ」と答えると 「えっ、アフリカ?大丈夫?大変だね」って言われるのだ、と。それほどショックなことはないよ、と悲しそうに言った。彼は言っていました。「みんなアフリカを原住民の国みたいに思っている。それか、紛争や貧困だけ暗いイメージしかなかったり。だけど違うだろ。世界はアフリカのことを知らなさすぎるよ。」「それにアフリカってひとくくりにされるのも好きじゃない。日本だって同じアジアでもカンボジアとは全然違うだろ?アフリカだって一緒さ。その中の国1つ1つは全然違うんだ」わたしは彼と握手して「大丈夫。私がそれをあなたの代わりに日本で伝えるから」そう、約束して帰ってきました。they live different, but normal.
10 11 12

「ウガンダ・ンシェニ村で文化体験 9日間」ツアーページはこちら。
ウガンダのツアー・旅行一覧はこちら。
民俗・文化がテーマのツアー・旅行一覧はこちら。

マリ、民俗にふれて・みる旅 後編

弊社ツアーに参加された ツルイ 様 からのレポートの後編です。
前々から見たかった、泥でできたモスク!念願かなって申し込んだものの、西アフリカの雨季ってどうなの?蚊が大発生して病気蔓延?他の体験談を見てみると、ただでさえ交通機関の遅れはあたりまえなのに砂漠の国に雨季(年末年始がお勧めの時期とあった)などに行っては大雨で道が寸断されて…??不安はつのる
7th 8月15日(サンガ→バナニ→イレリ→ティレリ)
ドゴンの村巡りのため今日は徒歩の1日。すこし歩くと、いきなり眼下が開け集落も見える。説明によると、神話に基づいて建物を配しているらしい。滝もあり、なかなかの絶景だ。
01
崖を下り始めるがチップ目当てに、ポーターや手を引いて崖を降りるのをサポートしようと現地人がいろいろと世話を焼こうと加わり、団体の人数が倍になる。サッカー並みのマンツーマンのマークであるが、助けもいらないので、ひたすら無視して歩を進める。道は細く、岩場で結構険しい。なる程、日が沈んだら崖を下るのは無理な訳だ。20分程下るとだんだん集落が近づいてくる。とんがり屋根の穀物庫やら、住居など、ひしめきあっている。高い建物はなく、みな平屋で小ぢんまりしている。村には電線も、近代的な建物もなく、何百年も変わらぬ佇まいのようだ。一服してから、次の村へ出発。
02
地形が河岸段丘みたいになっていて、右手に崖を見つつ小路を歩く。たいがいの観光地はパンフレットの写真に掲載されているような景色は、いわゆる「美観地区」といって、ほんの一部な地域だけだが、ドゴンの村は、崖づたいに集落が帯上に続いていて圧巻だ。
崖の上には大きな岩が鎮座している所もあり、今にもころがりだしそうだ。下にある家の人は、気が気でないのでは?とあらぬ心配をしてしまう。
04
ツアー名の通り、木々は緑をまとい、旅行前に抱いていた乾いたイメージとは全く違う。景色もよくピキニック気分だ。それでも、さすがに日ざしは強く結構バテる。
05
途中スレ違った車に迎えの打診を受け、皆の総意でおねがいすることに。その為昼食後は時間調整の為、お昼寝タイムが長くなる。皆お疲れギミで休んでいたが余力があったので、単独で村に向かう。そのうち子供たちが寄って来て道案内をしてくれる。
村の入り口まで来たが、お供の子供も多くなり土産モノ屋にでも引っ張り込まれたら厄介に思えたので、ここで戻ることに。子供たちは、村に来いと連れ戻そうとするが、どうせまた来るので深入りせず引き返した。やはり2時ごろは特に日ざしも強くちょっと動いただけでもれる。皆と一緒に一服しよう。
06
夕方、涼しくなってから村を散策。集会所やドゴン族特有の建物の説明を受ける。迎えの車に乗り、宿泊地へ。意外と時間がかかり徒歩にこだわらず良かったと実感。毎回この区間は皆完歩するのだろうか?今日はテント泊。住居の屋上(といって平屋だが)にテントが張ってある。
07
電気もきていない村なので、この日はビールを諦めていたが、冷たいビールもあるとの報に感激!夜空は満天の星でいっそのこと外で寝たくなるが、蚊にさされるのがこわいので、テントにて就寝。
8th 8月16日(ティレリ→サンガ→セグウ)
今日は旅行後半の目玉、ドゴンダンスだ。朝食後村の広場へ行き待つことしばし、まずは太鼓の音でスタート。すると村の上手の方から仮面を被った踊り手がたくさん登場。その人数に驚かされる。仮面の種類もたくさんあり、踊りも全員参加のものから1~2人(だいたい同じ仮面同士ペアで踊る)のもののまで多伎にわたる。
08
一方見学者はというと、他のツアー客はおらず、村の子供達が遠巻きに眺めているだけ。我々のためだけに、これだけの人が繰り出して踊ってくれるとは、なんとも贅沢なことである。観光用?でこれだけ盛大ならば、実際のシギの踊りはいかばかりか?と興味は尽きないが、27年待たなければ本物のものは見られない。
09
踊りの後は、仮面の説明や記念撮影など、サービス満点だ。仮面は動物のものが多いが、なかには泥棒や病人など、妙な面もある。喉のコブは、七福神の様に福々しい意味があるのかと思ったら、「悪い水を飲んだ為」とのこと・・不思議な面は、なにかの戒めだろうか?
ダンスも終わり、崖を登る。坂はだんだん急になってきて最後の方は、岩をよじ登るような感じだ。雨が降ったら大変そうだ!天気が良くてよかった。
10
駐車場兼休憩所に着いて、ホッと一息。ここから車にて、ひたすらセグウへ
9th 8月17日(セグウ→バマコ)
朝食後レストランから川岸まで行ってみる。川幅は広く雄大な景色だ。出発後、すぐに陶器売場に立ち寄り露店を覗いてみる。なかなか素朴な焼き物だ。なかには不思議な形をしたものもある。値段も安く、ついつい買ってしまった。大きな焼き物も見ていると欲しくなってくるが、サスガに重くて家まで持ち帰れそうにもない。
11
それから、以前この回りを治めていた王家を訪問。末裔の方にも会えたが、庭や飼っていた大きな鳥の方に興味がいってしまう。人に慣れているのか逃げもせず、女性たちが杵でついているものをつついたりと、のどかな雰囲気になごんだ。
午前中はバマコへ車で移動。途中の村々での人々の生業が面白い。バマコに到着後、地元のレストランにて昼食をとりホテルで一服。午後の一番暑い時間帯に休憩できるのはありがたい。
12
マリ最後の観光は、皆の買いたいものを聞いて、それが売っている店に行くということに。まずは初日に行ったグランマルシェへ、1週間前来たばかりなのに、それからの旅程を思うと、妙に懐かしい。次は香辛料を買うために、日本でもおなじみの食品スーパーに行ったが、おそらくマリでは髄一の高級スーパーだろう、というか他にスーパーや百貨店の類を見なかった。
13
市場の人ごみの中、いろいろな店をのぞくのも楽しいが、整然と陳列された品物を、じっくりと手にとって吟味できるので、落ち着いて買い物できる。 ホテルに戻り、夕食をとって、深夜の出発までひと休み。
03
10th/11th 8月18日/19日(→デュバイ→関空→羽田)
いよいよマリともお別れ。行きと同じくホテル・空港間は深夜の移動となる。明かりもすくなく閑散とした道を走っていると、バマコに降り立ってからのことが、いろいろと思いだされる。
そういえば、出発前は「雨季のマリ」ということで、雨にまつわる心配ごとをあれこれ考えていたが杞憂に終わった。雨に降られたのは、サンガの夜だけ。それもホテルに入った後だったので、結局雨具は一度も使うことはなかった。
事前に仕入れた情報では、ティムブクトゥはかなり砂っぽいということだったが、今回は砂に悩まされることも、コンタクトをはずすこともなく、快適に過ごせた。途中の風景は、緑が多かったが乾季は景色も一変するらしい。アフリカというと、「乾いて痩せた大地」というイメージがあったが、それはミゴトに覆させられた。ただ人の欲とは限りのないもので、できれば乾季のマリにもおとずれて見たいものだ。
「マリ・民俗にふれて・みる旅 10日間」ツアーページはこちら。
マリのツアー・旅行一覧はこちら。
民俗・文化がテーマのツアー・旅行一覧はこちら。

マリ、民俗にふれて・みる旅 前編

弊社ツアーに参加された ツルイ 様 からのレポートの前編です。後編はこちら
前々から見たかった、泥でできたモスク!念願かなって申し込んだものの、西アフリカの雨季ってどうなの?蚊が大発生して病気蔓延?他の体験談を見てみると、ただでさえ交通機関の遅れはあたりまえなのに砂漠の国に雨季(年末年始がお勧めの時期とあった)などに行っては大雨で道が寸断されて…??不安はつのる
1st day/2nd day 8月9日/8月10日(日本→デュバイ→カサブランカ→)
台風通過に伴い、羽田→関空の運航がピンチ!最悪関西まで新幹線か?と、やきもきしたが昼頃には天気もおさまり、当初の予定通り羽田発にて落ち着く。初手から焦るゼ。エミレーツ航空にてディバイを経由して第2経由地のカサブランカへ。機内設備の充実度はピカイチ。映画やゲームに現を抜かし、マリの予習をすっかり忘れてしまう。
カサブランカでは、乗り継ぎの時間があるために、市内観光へ。深夜の便にてバマコへ向かう。
3rd day 8月10日(→バマコ:市内観光)
空港から市内へ、明かりは少なく周りはよくわからないが、ニジェール河を渡る時は感動!さすがに橋も長い。
ホテルのチェックインは夜明け前、午前中は熟睡して昼食に合わせて起きる、ホテルは河に面しており対岸には建物もなく、いい眺め、と言うかのどかな景色だ。昼食は河にせり出しているテラスにて。風がそよいで気持ちがいい。
01
午後からいよいよ市内観光。街は、大きなビルはほとんどないが活気がある。くたびれた建物が多いが、いわゆるスラムみたいな感じはない。グランマルシェにて土産のリサーチ、と思いつつも、気に入った木彫りの像が手ごろな値段だったので、思わず買ってしまう。
4th day 8月12日(バマコ→ティムブクトゥ:市内観光・ラクダで砂漠)
前日ティムブクトゥ行き飛行機の遅延の案内があり、起床・集合時間が遅くなる。おかげで、ゆっくりテラスで朝食が取れる。河を眺めながらのコーヒーも格別。
飛行機はプロペラ機で高度を高くとらないため、下界がよく見える。河沿いに飛んでいるらしく、河のうねりがよくわかる。初めの頃は緑が多かったが、だんだんすくなくなる。たまに集落なども見え、いつまで見ていても飽きない。
途中モプチ空港を経由、ワンフロアの小さな建物だけの小ぢんまりとした空港だ。
02
いよいよティムブクトゥへ。もはや緑も少なく砂漠の中の街といった様相だ。ホテルにて食事・休憩後、市内観光。何かの本に、「古の黄金伝説の都も今は寂れて、将来砂漠化により砂に埋もれてしまう」とあったが、確かに人通りもまばらで“最果ての地”という感だ。
まずは、泥のモスクへ。尖った泥山から木がたくさん出ているミナレットに唸る。これが見たくて、はるばるここまで来たのダ!これらの木は、装飾の他に、泥を塗り直す際の足場にもなるそうだ。なるほど!なるほど!
それから、ヨーロッパの探検家が滞在した家を見学。まさにアフリカ版ジパング!エルドラドとはここのことか?さらに街を散策し、市場へ。この界隈は人も店も多く賑やかだ。
03 04

夕方には郊外(といっても、そこはサハラ砂漠)にてラクダ乗りを体験。こぶがあるので、なかなか乗るのが大変だ。またがつりそうになったのは俺だけか?20分程だろうか、ラクダに揺られて砂漠を体験。
その後トワレグ族の歌と舞に迎えられミントティをご馳走になる。これが、かなり甘いのだが気候に合っているのかオイシイ。砂漠に沈む夕陽を眺めつつ、ふと振り返ると遠くに街が臨める。
05 06

5th 8月13日(ティムブクトゥ:市内観光→モプチ:市内観光・バニ河ボート遊覧)
またもや飛行機遅延の連絡があり、ゆったりとした日程に。
市内に繰り出し博物館やモスクを見学、途中にパンを焼いているカマがあり、写真を取らせてもらう。パンを食べてみると、焼き立てでおいしい。
07
観光を終え、空路モプチへ まずは、モスクを見学。ここのモスクはなかなか大きく、迫力がある。モスクの全景を見るため、隣家の屋上に登らせてもらったが、料理を作っている脇をすり抜け階段を上がるなど、一般家庭の生活を垣間見た訪問だった。それから、市場へと徒歩にて移動。
08
モプチはいろいろな部族が集まるらしく、特に女性のカラフルな衣装や化粧がスバラシい。キョロキョロしているうちに市場へ。人混みと多くの露天に圧倒される。市場は港に隣接していて、舟の出入りに伴い、人の乗り降り、積み荷の出入りでスゴイ活気だ。
09
市場を散策後、河沿いのレストランにて昼食。船着場の雑踏を眺めながらの食事は格別だ。午後ホテルにチェックイン、一休みして、夕方涼しくなった頃バニ河遊覧に出発。
ニジェール河の支流だそうだが、結構大きな河だ。雨季だから水量も多いのだろう。舟から、先ほど散策した港を見る。河をさかのぼり中洲へ。ここは子供たちが、歓迎しているのか、好奇心からか、ともかく沢山集まってくる。中洲中の子供がきたのかと思えるくらいだ。皆やたらと手をつなぎたがり、素朴で人なつっこい。 賑やかに島内見学となる。
6th 8月14日(モプチ→ジェンネ→サンガ)
車2台に分乗しジェンネへ出発。途中は砂漠地域と思いきや、結構緑がおおい。雨季ならではの光景か?
集落が点々とあり、マリのパンフレットに出ていた穀物庫も見受けられる。てっきりドゴン特有のものかと思っていたが、この辺一帯に分布しているらしい。
チビッこいモスクもあり、なかなか絵になる光景である。途中の川では渡船を待つ。土産もの屋もでており、なかなかの賑わいだ。荷物を満載したトラックや舟を待つ人々など、見ていて飽きない。
10 11

ジェンネは朝市で、すごい賑わいだ。市はモスクの前だけかと思っていたが、そこかしこで商いをしている。さすがにモスクは圧巻。幾度となく写真で見ていたが、間近で見ると表面のヒビ割れですら迫力がある、自分にとってはこの旅一番のハイライトダ!
モスクの前の市もすごい混雑。売っているものも多彩で興味津々で見学。ここでも、隣家の屋上からモスクを俯瞰。市場の雑踏とモスクに威容は、忘れがたい光景となるだろう。
12 13

その後ドロ染めの売店にて買物。図柄はたくさんあるが、みな結構大きく、自分の狭い部屋では飾るのはちょっと無理。午後からサンガに向け移動。道はだんだん細くなり、そのうちダートに。
今日は天気がイイので問題ないが、雨が降ったらぬかるんで大変そうだ。夕方サンガに到着、更に崖を下る予定だったが、日没のため急遽サンガのホテルに泊まることに。部屋にて休憩していたら、突然の大雨!本来ならテント泊だが、この雨では無理だろう。強行して崖を下らず、ホテル泊で良かった・・と、ホッと一息
後編へつづく。
「マリ・民俗にふれて・みる旅 10日間」ツアーページはこちら。
マリのツアー・旅行一覧はこちら。
民俗・文化がテーマのツアー・旅行一覧はこちら。