「教」日本の中学生 エチオピアに行く

独自の暦を使い、独自の文字を持つエチオピアは、アフリカで唯一、植民地支配を免れた国。「デナ!(元気な)エチオピア」では、その個性豊かな文化を同国に長年暮らした白鳥くるみさんに紹介していただく。
子どもたちに「エチオピアの今」を見せたい。ガールスカウトのリーダーから相談を受けて、スタディツアーを企画した。彼女たちは長年、エチオピアの女の子の支援活動をしている。7泊8日のプログラムは、「ものづくりの現場を知る」「ボランティア・専門家の仕事を知る」「文化と食を体験する」「奨学生に会いに行く」「農業を知る」など盛りだくさん。奨学生が暮らす牧畜民地域へは治安が理由で行けなかったが、農村部の学校を訪問することができた。

訪問したアダマの中・高校
訪問したアダマの中・高校

「温暖化」を日本語で書いて説明
「温暖化」を日本語で書いて説明

海外に関心のある生徒が多い
海外に関心のある生徒が多い

スクールライフと夢

訪ねた中・高校は、オロミヤ州アダマにある男子430人女子500人の大きな学校だ。教科は日本とあまり変わらず、国語(オロモ語とアムハラ語)、英語、化学、地理、歴史、体育、情報などで、私たちがお邪魔した教室では地理の授業をしていた。黒板にはアムハラ語と英語で「地球温暖化」と書かれていた。「今やっている単元だ!」と共通点を見つけた日本の子どもたちは嬉しそうだ。先生は質問タイムも設けてくれた。エチオピア側からは、「宗教はなんですか?」「民族の数は?」「家の手伝いをしますか?」「広島に原爆を落とされたことをどう思いますか?」といった質問がつづき、日本側が答えに窮する場面もあった。
質問の定番?「将来の夢」の答えは興味深い。Q.あなたは将来何になりたいですか? A.エチオピア: エンジニア(男1女1)、医者(男2)、先生(女1)。A.日本:保育士、食品関係、弁護士、女優、研究者、キャビンアテンダント。多様な職業があがる日本に対して、職種の少ないエチオピア。経済の成長が若者に降りてこない現実に、子どもたちは夢を持ちにくいのかもしれない。

ワット(おかず)の種類が多い!
ワット(おかず)の種類が多い!

ダンスとインジェラ体験。美味しい!
ダンスとインジェラ体験。美味しい!

イメージががらりと変わった!

日本の子どもたちは、この旅で何を思っただろう。全員が「エチオピアのイメージが変わった」と言う。「都市部には日本車があふれ道路も整備されていた」「立派な建物が建っていてThe都会だ」「農家は雨季や干ばつを想定した農業を行っている」「田舎の風景や校舎はイメージ通りだったが、日本と同じくらい勉強している」「みんな好奇心が強く、エネルギーに満ちていた」。
「” 旅の目的地」というのは場所のことではない。新たな視点で物事をみる方法のことである”とヘンリー・ミラーは言っている。新たな視点を持った子どもたちが、これからアフリカとどんな関係を築いていくか楽しみだ。

AU本会議場で。スタッフの案内で会議も見せてもらった
AU本会議場で。スタッフの案内で会議も見せてもらった

エチオピアの教育制度(2018年4月現在)

■学校制度:小学校(8年)、中・高校(4年)、総合大学(4年)、専科大学(2~ 3年)※幼稚園(4歳から小学校入学前)
■義務教育:小学校(6~ 13歳)
■学校年度:9~ 6月/4学期制
■学校の種類:国立、公立、私立、キリスト教系、州立
■学費:義務教育は無償
■教授言語:主にアムハラ語、オロモ語、英語(州によって異なる)※高校・大学では英語
■時間割:小学校/月~金曜日。午前と午後の部があり、1カ月ごとに入れ替わる。中学校/午前5時間、午後2時間の計7時間
■放課後:都市部では、サッカー、バスケット、園芸、保健、生徒会などの部活動。農村では、水汲み、家畜の世話、夕食の準備など家の手伝い。
※参考:外務省ホームページ
文・写真提供 白鳥くるみさん

白鳥くるみさん
(アフリカ理解プロジェクト代表)
80年代に青年海外協力隊(ケニア)に参加。以来、教育開発分野で国際協力に力を注ぎ、多くの課題を抱えるアフリカのために何かできたらと「アフリカ理解プロジェクト」を立ち上げる。エチオピアを中心に活動の後、2015年、日本に拠点を移し本の企画出版などの活動をつづけている。

「学」 歴史は多くの教訓を私たちに教えてくれる

40年前、道祖神が創立された頃、エチオピアでは軍事独裁体制による社会主義政権がつづき、隣国ケニアではジョモ・ケニヤッタ初代大統領が亡くなり、混乱とクーデターが起こっていた。アフリカ諸国が独立を勝ち取ったのはわずか60年前。その後、めまぐるしく変化するアフリカの中で、エチオピアはどのように変わったのか。今回は、その歴史が学べるいくつかの場所をご紹介する。

世界で最も成長する新興国のひとつエチオピア。急速な都市化が進んでいる
世界で最も成長する新興国のひとつエチオピア。急速な都市化が進んでいる

宮殿跡にある国立民族学博物館

アディスアベバ大学の敷地内にあるハイレ・セラシエ皇帝の宮殿跡が博物館となっている。アフリカ最高峰の博物館のひとつとして評価が高い。1階は大学の歴史展示、2階は各民族の暮らし(ゲーム、宗教、通過儀礼、冠婚葬祭、生活道具)の展示、修復された両陛下の寝室も見学ルートに入っている。3階には教会宝物や歴史的な絵画、様々な地域や時代に奏でられた楽器の展示もある。
見学を終えて外に出ると「空に向かってのびる奇妙な階段」が見える。イタリア占領時(1936年-41年)に造られたモニュメントで、各階段はイタリアファシズム支配年を表すという。支配が終わってもエチオピア人はこれを壊さず、階段トップに同国の象徴ライオン像を置き今日に伝えている。大人なやり方だ。※有料100ブル(約400円)2017年現在/ガイド案内あり

空に伸びる階段のモニュメント
空に伸びる階段のモニュメント

「赤い恐怖」殉教者記念博物館

2010年オープン。冒頭に書いたメンギスツ独裁政権下では、数十万人が惨殺されたとされる。ここには残虐の歴史、文書、犠牲者の写真、衣服、頭蓋骨までもが展示されている。正直、直視するのがつらい場所だが、歴史をより深く理解することで「Never Ever Again(繰り返してはならない)」の強いメッセージを来訪者は受け取るに違いない。※入場無料/寄付箱あり/ガイド案内あり

アディスアベバの歴史が始まった山
メネリク皇帝2世とタイトゥ皇后の宮殿

エントット山は観光名所だが、重要な歴史建造物があることはあまり知られていない。アドワの戦いでイタリア侵略軍を倒し首都を築いた「メネリク2世(在位1889~1913)」の宮殿と皇帝が建立した教会(マリアム教会・ギドゥスラグエル教会)だ。

エントット山麓に広がるアジスの街
エントット山麓に広がるアジスの街

メネリク2世は、欧米列強がアフリカを分割し植民地化しようとした時代に生き、白人と戦い独立を守り、エチオピアを統一したスーパーヒーローとして知られている。鉄道や道路建設、税制、郵便制度、国立銀行の設立など近代化にも尽力し、当時のエチオピアをアフリカ諸国のなかで最も進んだ国にしている。皇后タイトゥも政治力と行動力を持つ女性で皇帝と共に歴史を動かした。建築様式が美しい宮殿は一部が残り、内部も見学できる。
山頂にあるメネリク2世の王宮跡
山頂にあるメネリク2世の王宮跡

この3月28日、エチオピアでは任期半ばで退任した前首相に代わって、42歳の若い新首相が選ばれた。都が一望できる山頂で、メネリク2世と皇后が描いたエチオピアに思いをはせてみてはどうだろう。※有料/教会宝物殿、宮殿の見学が可能/ガイド案内あり
メネリク2世とタイトゥ皇后
メネリク2世とタイトゥ皇后

おすすめ歴史書(どちらも平易な英語で書かれている)

■「The City & Its Architectural Heritage The ADDIS ABABA 1886-1941/Shama books」
歴史的な建物と当時の暮らしぶりが、豊富な写真と説明でよくわかる。
■「a History of Ethiopia in Picture from Ancient to Modern Time/Arada Books」
古代から現代までの歴史の重要ポイントが簡潔な文章とイラストで描かれている。

文 白鳥くるみさん / 写真 白鳥清志さん

白鳥くるみさん
(アフリカ理解プロジェクト代表)
80年代に青年海外協力隊(ケニア)に参加。以来、教育開発分野で国際協力に力を注ぎ、多くの課題を抱えるアフリカのために何かできたらと「アフリカ理解プロジェクト」を立ち上げる。エチオピアを中心に活動の後、2015年、日本に拠点を移し本の企画出版などの活動をつづけている。

「買」 東アフリカ随一といわれる市場「マルカート(MARCART)」

歴史とエネルギーに満ちた露天市場

市場(いちば)は楽しい!市場ほどその国の暮らしや文化を知ることができ、ふだんの人々の姿が見られるところはない。エチオピアには、東アフリカ随一といわれる「マルカート(イタリア語で市場の意)」がある。首都の西に広がるこの市場は、1937年イタリア占拠時代に造られた。古くはオロモ人の露天市場があり、salt bars(塩の塊)で売買を行うこともあったという。場内にぽつんと残る「塩売り場」がその歴史を留めている。

場内に残る「塩売り場」。今は、家畜用の塩として売られている
場内に残る「塩売り場」。今は、家畜用の塩として売られている

エチオピアの露店市場は、万華鏡のように広がる小道、老朽化した歴史的な建物、手仕事が見られる近さ、活気ある掛け声など、市場の魅力がいっぱい詰まっている。カオスの中でたくましく生きる人々に圧倒されながら、そのエネルギーが自分の中にも充填されていくのを感じるのも、また魅力のひとつだ。

カオスの中にある独自のシステム

人、車、家畜が道にあふれ、すべてが高速で動く露天市場では危険もつきまとう。市場をよく知る人と行動するか、ガイドを雇うことが必要だ。慣れてくるとカオスにしかみえない市場にも、独自のシステムや売り方があることに気づく。
まずは売り場。無秩序に並んでいるようにみえるが、商品ごとに売る場所が決まっている。マルカートの場合は、アンティークと土産物、仕立て・生地、古本、教会で使う品物、金銀細工、野菜・果物、バター、刃物みがき、塩売り場、台所用品とリサイクル、民族衣装とお土産、乳香とスパイス、オープンマーケットと14区分されている。地方にある露店市場も売るものは多少異なるが、商品ごとにエリアが決まっている。はじめから興味のある場所を目指していけばそう迷うこともない。

マルカート内のリサイクルショップ
マルカート内のリサイクルショップ

次に値段交渉。はじめは提示された金額の約3分の1から(とエチオピアの人はいう)。私は気が小さいので2分の1くらいからだが、ここでは値切ることが原則(とエチオピアの人はいう)。値が下がらなければ、興味ないという顔で立ち去る(呼び戻されなかったらどうする⁉)。交渉を続けたければ、必ず呼び戻される。ふっかけられたと腹を立てず、「交渉を楽しむ余裕」がほしい。それが市場のルールだから。
初期のオロモ人の露店をほうふつとさせるラリベラの市場
初期のオロモ人の露店をほうふつとさせるラリベラの市場

100年かけて変貌していった露店市場は、今も巨大市場へと進化を続けている。一坪にも満たない小さな店には、何もないように見える。が、何でもある。あなたが想像する以上のものが。
マルカートは再開発が進められ、露店の多くは建設されたビルへの入居が始まっている
マルカートは再開発が進められ、露店の多くは建設されたビルへの入居が始まっている

成功者の物語

古い歴史をもつエチオピアの露天市場には、都市伝説めいた成功者の物語も多い。もっとも有名なのは「グラゲ少年の物語」だ。彼らは6歳くらいで故郷をはなれ出稼ぎにでる。先輩の少年たちが仕事の世話や面倒をみてくれ、少年は靴磨きの道具を借り、生活費を稼ぎながら小学校へも通う。お金が貯まると次はたばこやガムを売り歩き、乗り合いバスの車掌のような仕事もこなす。正月には里帰りし、貯めたお金を家族に手渡す。そして何年か過ぎると仲間と小さな店を共同経営し、最後に自分の店をもつというストーリーだ。事実、店のオーナーにはグラゲの人たちが多いそうだ。

キオスクを手伝う少年。いつかは店のオーナーに
キオスクを手伝う少年。いつかは店のオーナーに

■マルカート情報:平日と土曜日。日曜日と祝日は、服と土産を売る一部の店を除き閉まっている。モスクで礼拝がある金曜日と、土曜日が混む。
写真・文 白鳥くるみさん

白鳥くるみさん
(アフリカ理解プロジェクト代表)
80年代に青年海外協力隊(ケニア)に参加。以来、教育開発分野で国際協力に力を注ぎ、多くの課題を抱えるアフリカのために何かできたらと「アフリカ理解プロジェクト」を立ち上げる。エチオピアを中心に活動の後、2015年、日本に拠点を移し本の企画出版などの活動をつづけている。

「美」 ギャラリーで、カフェで、エチオピアン・アートと出会う

ディープなエチオピアン・アート

三千年の歴史を有するエチオピアン・アートの世界はディープだ。世界文化遺産に残されてきた絵画、クロス、写本などの「教会美術」がまず深い。テキスタイル、ジュエリーなどの「民衆美術」にも歴史の重みがある。このディープさを求めて世界中から観光客がやってくる。優れた美術品を時系列に紹介する『30,000 years of art』には、エチオピアからはAD300年のアクスム王国「オベリスク」、1462年Fre Seyon画「聖母マリアその息子と天使たち」、1743年彫金「ゴンダールクロス」がエントリーしている。オベリスク以外は一般公開されていないが、ラリベラの教会群では古い絵画や写本、クロスなどを観ることができる。

ラリベラ教会群の一つが所蔵する写本、希望すれば見せてもらえる
ラリベラ教会群の一つが所蔵する写本、希望すれば見せてもらえる

ギャラリー、アートカフェ&レストランが続々オープン

ディープなアートに押され、現代アートの存在はごく最近まで知られていなかった。ここに商機をみたTesfaye Hiwet氏は15年前に移住先の米国からエチオピアに戻り15人のアーティストと、レストラン&ギャラリーを併設した「Makush Art Gallery&Restaurant」をオープン。顧客の7割は観光客と外国人、残りは裕福なエチオピア人が占めている。アートな店内を見せたくて、私もよく日本からのお客様をお連れした(ちなみにこの店のピザマルガリータとほうれん草サラダも美味)。今では70人ものアーティストを抱え、常時650点以上の絵画が収蔵されている。ギャラリーからの収入は30万ドルを超えレストランの2倍以上という。現代アートがにわかにクローズアップされ、急成長するアートシーンに、ギャラリーやアートカフェが急増している。

Makush Art Gallery。扉の中がイタリアンレストラン
Makush Art Gallery。扉の中がイタリアンレストラン

人気のエチオピアンアーティストMezgebu Tesemaの作品
人気のエチオピアンアーティストMezgebu Tesemaの作品

アジスアベバで観るべき作品

Modern Art Museumに展示されているGebre Kristos Desta氏(1932–1981)の作品は、エチオピアで観るべきアートのひとつだろう。モダンアートの父と呼ばれ尊敬を集めた同氏は、「人間の悲惨さと複雑さ」を斬新な表現とアプローチで芸術に取り入れている。
National Museumで公開されているAfewerk Tekle (1932–2012)の油絵「アフリカの遺産」も知名度の高い作品だ。アフリカとキリスト教のテーマが多く、アフリカ連合本部にある「アフリカの悲しみ、闘い、未来と希望」を描いた大型ステンドグラスが最も有名な作品。同博物館には米国でも評価の高い、ゲーズ語をつかって言語の美的可能性を描くWosene Worke Kosrof(1950–)の作品も展示されている。

アフリカ連合本部ビル(入場許可が必要)に飾られた大型ステンドグラス
アフリカ連合本部ビル(入場許可が必要)に飾られた大型ステンドグラス

アートと出会えるお奨めの場所

有名アーティストの作品や宗教美術を観るならModern Art Museum、Ethnological Museumがお奨め。若手の意欲的な作品を観るならAsni Art Gallery、Lela Gallery、Netsa Arts Village、5Artist Galleryなどの小規模ギャラリーがよい。名の知れたアーティストの作品や美術工芸品を扱うSt.Gorge Art Gallaryも見逃せない。最も穴場的な存在のお奨めは、Sheraton Hotel内のアートコレクションと、同ホテル開催のアート展示販売会だ(1階ロビー、許可を得て2階のアートも無料で見学可能)。ちなみに最近では現代アートがネット購入できるようにもなった(https://www.thenextcanvas.com/)。

アジスアベバにあるModern Art Museum
アジスアベバにあるModern Art Museum

若手アーティストが共同でオープンした「5Artists Gallery」
若手アーティストが共同でオープンした「5Artists Gallery」

写真・文 白鳥くるみさん

白鳥くるみさん
(アフリカ理解プロジェクト代表)
80年代に青年海外協力隊(ケニア)に参加。以来、教育開発分野で国際協力に力を注ぎ、多くの課題を抱えるアフリカのために何かできたらと「アフリカ理解プロジェクト」を立ち上げる。エチオピアを中心に活動の後、2015年、日本に拠点を移し本の企画出版などの活動をつづけている。

「健」 エチオピア式スーパーヘルシーライフ

主食のテフはワンダーグレイン

本誌152号で、テフ粉から作るインジェラの話を書いた。そのテフが、いまやワンダーグレイン(驚異の穀物)として世界で注目され、日本でも販売が始まっている。

テフはイネ科の植物
テフはイネ科の植物

テフは、古代アビシニアから栽培されているエチオピア原産の穀物で、おそらく世界でもっとも小さな穀物の粒(テフ150粒が小麦1粒にあたる)という特徴をもつ。粒は小さいが、カルシウム・鉄分などのミネラルやタンパク質を豊富に含み、でんぷんでありながらエネルギーになりにくいレジスタントスターチ、グルテンフリーという驚くべき穀物だということが最新の研究で明らかになった。
インジェラに最適な白テフ粒(クリップは通常サイズ)
インジェラに最適な白テフ粒(クリップは通常サイズ)

インジェラに調理すれば発酵食というおまけも付く。インジェラの姿・形で「古雑巾みたい」などという人もいるが、恐れ入ってほしい効能である。エチオピアでもテフ粉は再評価され、パンやクッキーという形でも食べられるようになってきた。
テフの粉を発酵してつくるインジェラ
テフの粉を発酵してつくるインジェラ

バターコーヒーは最強の食事?!

コーヒーの効能や飲み方も、最近の研究は進んでいる。『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』という本では、「コーヒーと脂肪」が最も痩せる組み合わせであると書かれている。著者によれば、パフォーマンスを最大化する朝食のレシピは、コーヒーにココナッツオイル大さじ1~2杯と、良質の無塩バター大さじ1~2杯を加えること、だそうだ。

自家製バター入りコーヒー
自家製バター入りコーヒー

ん?!これってエチオピア式のコーヒーの飲み方じゃないですか。エチオピアでは、コーヒーに大量の砂糖を入れて飲むが、この習慣はイタリア占領時代に持ち込まれたと言われる。今でも田舎や産地、年配者には、岩塩や自家製バターでコーヒーを飲む人が多い。
エチオピアにはコーヒーセレモニーという、日本の茶道に似たコーヒーの飲み方もある。セレモニーは五感を使ってコーヒーを楽しむ。「香り」は特に重要で〝床に敷いた若草の香り″〝煎りあがったコーヒーの香り″〝乳香やハーブ・スパイスの香り″を客が楽しめるよう女主人は気を配る。これらの香りはどれもただいい匂いというだけでなく、一連の流れが薬効やリラックス効果を生み出す「アロマテラピー」として構成されていることに先人の知恵を感じる。
コーヒーセレモニーは五感で楽しむ
コーヒーセレモニーは五感で楽しむ

コーヒーセレモニー乳香の効能

乳香は、新約聖書にも出てくるほど古い香料で『マタイによる福音書』には、東方から救世主を探しにきた三博士がイエスに会い「ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬の贈り物をささげた」と記されている。乳香の複雑な香りを表すのは難しいが、高級な乳香ほど甘みとわずかな苦みと辛みを感じる。

乾燥地で育つ乳香の木は、遊牧民の貴重な収入源
乾燥地で育つ乳香の木は、遊牧民の貴重な収入源

セレモニーの最中、炭火で乳香が焚かれると、客は片手でその煙をすくい取り思いっきり吸いこむことがマナーとされている。エチオピアの人たちの大半は高地で暮らしている。乾燥の激しい高地で、人びとはたえず風邪やインフルエンザなど感染症のリスクにさらされている。乳香や没薬には優れた抗菌作用があり薬用に使われていること考えると、一日三度おこなわれるコーヒーセレモニーの合理性もみえてくる。
最高級の乳香は中国などに輸出される
最高級の乳香は中国などに輸出される

もっと詳しく知りたい方は
■アフリカ理解プロジェクト制作コーヒーセレモニー動画 https://www.youtube.com/user/africarikai
■インジェラの作り方:『アフリカ料理の本~62の有名なアフリカンレシピ&物語』
■乳香・没薬:『エチオピアコーヒー伝説/原木のある森 コーヒーのはじまりの物語』
文・写真提供 白鳥くるみさん

白鳥くるみさん
(アフリカ理解プロジェクト代表)
80年代に青年海外協力隊(ケニア)に参加。以来、教育開発分野で国際協力に力を注ぎ、多くの課題を抱えるアフリカのために何かできたらと「アフリカ理解プロジェクト」を立ち上げる。エチオピアを中心に活動の後、2015年、日本に拠点を移し本の企画出版などの活動をつづけている。