壮大なタンザニア・サファリ 12日間 後編

2011年9月17日出発、壮大なタンザニア サファリ 12日間に参加された戸田 克之さんからのレポート 後編です。
“ビッグファイブ”と云うのは聞いたことがあった。今回のツアーでは、探すのに苦労することなく割と早い時点で結構それぞれを近くで見ることが出来て、「やったー、ビッグファイブ制覇!!」と、ある種のミーハー的満足感があった。が、その昔ヨーロッパのお金持ち達が、サバンナにやって来てハンティングを楽しみ、その倒しがいのある動物5種のことを言うのだと聞いて少し複雑な気持ちになった。選ばれし動物たちもさぞ迷惑だったに違いない。
日本を出発する前、オプションでの“マサイ村訪問”希望は、私一人だけと聞いていた。ほかのオプション(オルドバイ峡谷見学)希望者と別コースに分かれて行くことになるらしい。ドライバーが村まで送ってくれて、2~3時間したら迎えに来てくれるだろうという。・・・ということは、たった私一人だけで村に放り込まれて「じゃあね~っ」て、ことだよね。ツアー紹介文には、英語通じますと書いてあったが、私にはほとんど意味をなさない・・・。スワヒリ語、もっと無理。さて、う~ん、村で何をどうしよう。優しく出迎えてくれるのかな~?・・・身ぐるみ剥されて、バッグやカメラ盗られて、枯れ枝で囲われた村の門からポイってか!・・・一人では抵抗できないし、やっぱりキャンセル?・・・でも、メッチャ興味あるし・・・かの有名なマサイ族(カメラ向けると、魂盗られると信じて拒絶し槍もって追いかけてくるらしい・・・と、少し前に教えられた!!)怖いけど張り合ってみたいし・・・。二度とチャンスはないだろうから、やっぱり後悔しないためにも一大決心し行くことにした。でも、遺書は書き忘れた。
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神は、私に救いの手を伸べてくれた。当日になって、ツアーグループのうち3人が、同行してくれることになった。おまけに、ドライバーのT氏も帰るまで車で待っていてくれるという。「いや~、ハハハ!」
村の入り口で出迎えてくれた青年“ニナ”(写真の強面の大きな剣を持った人・・・恐れていたことが起きてしまうのか!?)が仕切ってくれるという。彼は、大学を出ていて村長の代理とのこと。村の住民は120人、男性は全員赤の衣装、女性は青で統一されている。始まりは、ブー、ブーと筒(寸切りしただけの塩ビ管!!)を吹く音楽で足踏みする大勢の人の歓迎の踊り。その後続けて周知・恒例のマサイのハイジャンプ、勿論お前もやれと言われ張り合ってみるが敵うものではなかった。自分では結構飛べたほうだと思っている(自己満足)。
飛ぶ時に手荷物のバッグが邪魔になるので、ニナに持って欲しいと渡すと、すかさずドライバーのT氏が割って入り「俺が持つ、渡せ」とニナから取り上げた。ガイドとセキュリティーを預かるドライバーの行為に、プロの気概を感じさせられた。でもニナには、気まずい思いをさせてしまった、私の軽率な行為が故に。
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村の中は生活ゴミひとつなく家畜のフンも葉っぱも落ちていない、不自然なほど整然としていて綺麗だ。家畜の臭いもほとんど気にならないぐらい。観光案内で生計を立てている村だからなのか、ゴミが出るほどの物資を持たない・持てないからなのか、まるで生活感がない。乾季故か牛のフンで塗られた家は予想に反して臭わなかったし、かなり古く見えた。“この村”は、彼らの”職場“であって、実生活の村は他にあるのかな?
我々は二人ずつのグループに分けられ、別々に家庭訪問をして欲しいと他の男性に案内された。彼の家では、奥さんがせっせとビーズの編み物の内職をしていて乳飲み子が脇で泣いていた。横に立っている弟も一緒に住んでいるという。
予期した通り、奥さんが作ったものを買って欲しいと持ちかけられ商談が始まった。彼は細い小枝を拾って手の甲に値段を書いた。黒褐色の肌に数字が白く浮き出て、黒板代わりになった・・・紙も鉛筆もいらない・・・アフリカだ~・・・妙なところで感心してしまった。浪速で修業をしたことがあるのかと疑うほど彼は、値交渉に妥協を許さない。かなり粘る、まだ粘る。こちらも負けてはいられない。日本からお土産として持って行った女性用アクセサリーをオマケにあげるから私のいう値でどうだと言ってみた、一瞬彼は目を輝かせたが少し躊躇して「NO!」・・・すごく欲しそうだった。アクセサリーでは食べて行けない、生活の足しにならないのだろう。果たして折半で話は付いた。勿論+オマケもしてあげた。
この間、商談を続けながら子供たち(3~7歳ぐらい)の学校に案内された。スワヒリ語と英語と算数を15人ほどが、大きな声で一生懸命学んでいた。日常は、部族の言葉を使う、バイリンガル×2である。これに比べたら日本の学校教育は生温い、挨拶程度の英語もろくに話せない私が言うのもおこがましいけど。うまく表現できないが、こういった彼らの真剣さを目の当りにして何故か私は、心のどこかに少し恐れのようなものを感じていた。
許可をもらったうえで学校の子供たちと先生(若い女性)に、キャンディーを一つずつ配ってあげた。一つ余ったので先生に二つ目をあげた。村のマサイの男の人が、その二つ目は取り上げた。
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ツアー日程途中2回洗濯をした。赤茶けた大地の土は非常に細かく埃っぽい。時々小さな竜巻にも出くわす。サファリ中はフィールドを歩き廻るのではなく殆ど車中に居るにもかかわらず、服を洗ってみるとご覧の通り洗面器の水が赤黒く濁る。目には見えないが、かなり土埃を浴びているようだ。目薬や洗眼剤・防塵サングラスは、やはり必携である。他の人達は、こんなに濁らなかったという。私だけなぜ!?・・・近くの人が私から一歩遠ざかった、ディナーの時の隣の椅子の距離もいつもより遠かった気がする。・・・う~んっ、探究心旺盛な筆者が絞り出した結論は、・・・鉄分の多い土埃が付いた服を漂白成分の多い洗剤で洗うとFeとClが化学反応して・・・因みに使った洗剤名は、“部屋干しトッ〇”でした。空気が乾燥しているのでサファリに行っている間に乾きます。ンゴロンゴロのホテルでは、暖房用スチームパネルの上に吊るせば一晩でOKです。(ベッドには、湯タンポも入っていました、アフリカなのに結構寒いのです。)洗濯に、プールに、シャワーに、トイレに、・・・日本に居るときと同じように、ついついたっぷりと水を使ってしまいました。翌朝、大型給水車がホテルの前に・・・。この車が干ばつで困っている地域へ行っていたら・・・、・・・。「ごめんなさい!!」
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日本のODAで作られた道路は、イタリアなど他の国が支援したものと比べると格段に出来が良いので現地でも高い評価を受けている。日本の鴻〇組に拍手!道路脇を通る牛車を追い越した。荷台に直に人が横たわっていて、四人の若い男性が囲むように随行している。布も何も掛けてはいない。寝ているのか、病人を運んでいるのか、霊柩なのか、少し気になった。一直線に数キロも延びているところもあり、ついウツラウツラと心地よく気だるい夢の世界をさまよってしまう。ドライバーに眠くならないかと聞いてみた。「just now!」の返答に、我々はアタフタと飴を手渡したり、一生懸命話しかけたり・・・。
行程途中2台のサファリカーで延べ3回パンクした。日常茶飯事らしい。やっぱり予備タイヤは2つずつ必要なんだ。
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セレンゲティーの蟻塚は、丸っぽい普通の形。写真は、タランギレのもの。こちらは、気温と湿度が高いので蟻塚内部の空調効率が良いように表面積を増やすためにこんなツインタワー形になったりもする。しかし、ンゴロンゴロには、蟻塚がない。太古の昔、海にあったクレーターが隆起して形成されたので塩分を含んでいる、アリは塩が嫌い。アカシアの木も塩が嫌い、だからこの木を好むキリンもいない。と、ドライバーのS氏は、私の疑問に拙くない日本語で明確に教えてくれた。バオバブのことも聞いてみた。この木の樹齢は六百年程らしいが、ここタランギレは巨木ばかりで若木や幼木が見当たらない。増え過ぎた象たちは喉が渇くと、スポンジ状の内部に豊富に水を蓄えるこれらのバオバブを食べてしまうらしい。象でも倒せない巨木だけが残っているという訳だ。彼は、殆どの質問に答えられる。勉強会にはできる限り参加し、日本語教室にも時々通うらしい。“一番怖い動物は?“の問いに・・・「ワタシノオクサンネ!」・・・三十代後半、部族語、スワヒリ語、英語、日本語、今はフランス語も勉強中。
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タランギレのロッジは、個別コテージになっていて高床式タイプが多い。見晴らしと侵入者(動物?)を防ぐためらしい。らせん階段には、蓋が付いていて朝・夕にマサイ族のガードマンが開閉してくれる。私たち人間が、勝手に“あぶない動物たち”の居住地で寝泊まりさせてもらっているので夜間は外出禁止、ディナーの時はガードマンが迎えに来てくれるし、終わるとコテージまで送り届けてくれるので安心だ。遠いコテージの場合彼らは、勝手知ったる近道を誘導する。闇の中を附いて歩いていると、時々柔らかいものを踏むことがある、動物たちの〇〇だ。そこは、ケモノ道。マサイ族のガードマンが履いている靴は、バイクのタイヤで作った廃材利用のエコシューズだ。ブッシュでも泥濘でもとても調子が良いし長持ちするのだと自慢していた。“この形ならフンを踏んでも大丈夫だろう。”・・・ m(__)m
夜になるとそこら中でミシミシ、パキポキ、ノシリノシリと音がする。時には、揺れることも。デッキに出て暗闇を懐中電灯で照らしてみると、目の前に灰色の大きなゆっくりと移動する壁!えっ壁?その時ブフーッ・ブルブルとそれが唸った、象の背中だった、血の気が引いた。・・・超サファリ!
昨夜は、時折“ウー・ウーッツ”と近くで響く低音の唸り声が聞こえていたが、耳を傾けているうちに、眠りに落ちていた。
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移動の途中で立ち寄ったコーヒー専門店、注文するとその場で挽いてくれる。種類も豊富で香りも良いので人気らしい。エスプレッソを何人かが頼んだ。白い泡の上にココアで☆の絵が描いてある。ドライバーのS氏にも運ばれてきたので模様は?と尋ねたら、隠しながらニヤッと笑って ♡ と答えた。皆が、「No! it’s a lie!」。彼は、残念自分も☆だったと悔しがった。最後に私のところに、・・・来たのは唯一の ♡ マーク!! “オー、イエッ!!”持って来てくれるウエイトレスが、ジーンズの似合うとてもグラマラスなプリティーガールなんです!!・・・人気の秘密は、こっちか!?・・・とっても美味しかった!!
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お昼前、日本でいう片田舎のドライブインのような土産物店でトイレ休憩をした。厨房兼従業員(?)食堂を恐々覗き込んでみたら、「カムイン、ノープロブレム、フォトオーケー」と明るく気さくに迎え入れてくれた。流し台の前で、若い男女が水仕事。男性が隣の女性を指さし「マイワイフ」と教えてくれた。「プリティー!」と言ってあげたら、彼は「サンキュー!」と彼女の頬にキスをした。周りにいた彼の仕事仲間たち(?)が「オーッ、イエー!」「ヒューッ!」・・・ウガリが美味しそうだった、食べたかったな~。
<終>
■余談のトイレレポート
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写真左:ドバイ空港のトイレ、和式に近い造り。“小”用は別にあり。入り口に向かってしゃがむ。かなり違和感があり落ち着かない。的中させるのが難しそう。大きな空港なのに数が少なく朝は混み合うので要注意。モップを持ったトイレ掃除専門の人が24時間常駐するのがすごい。
写真中:ナショナルパークの休憩所。見慣れた和式に類似するが、何故かドアのカギは外側にしか付いていないので、中に置いてある石で閉めた戸が開かないよう押さえる(アフリカの七不思議には入っていないらしい)。何処も綺麗に掃除が行き届いていました。ツアーでは、そういうところしか選んでいないと思いますが・・・。
そして噂通りやっぱりありました写真右:便座のない洋式便器・・・ウワッ!お尻が触れちゃった、どうしよう!!スクワットでもっと足腰鍛えておけば良かった!!・・・苦労しました、半分くらいしか果たせませんでした。
これで私も“故臭い人(国際人)”になりました。・・・ m(__)m
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タンザニアのツアー・旅行一覧はこちら。
サファリ・動物がテーマのツアー・旅行一覧はこちら。

壮大なタンザニア・サファリ 12日間 前編

2011年9月17日出発、壮大なタンザニア サファリ 12日間に参加された戸田 克之さんからのレポート 前編です。
出発する二ヶ月ほど前、と或る経緯があって、このツアーに参加を決めた私であったが、道祖神ホームページの当該募集案内を再度読み直しながらブツブツと一人つぶやいていた。

パンフレットの謳い文句 参加前の私
特に一度でもサファリを経験された方にお進め!! まだ一度も行ったこと無いけど
バオバブ林のタランギレ バオバブはマダガスカルで観たけど珍しいの?
世界でも唯一、野生動物が見られるンゴロンゴロ・クレーター 唯一って何が??
あのセレンゲティ国立公園で “あの”ってセレンゲティってそんなに凄いのかい?
企画者がこだわった、厳選・贅沢なロッジをそれぞれ指定! 私は、普通で構わないけどなあ
タランギレではナイト・サファリに挑戦 夜、動物たちは寝ちゃっているのでは?
黒サイで有名な世界遺産の一つ、ンゴロンゴロ自然保護区サファリ 黒サイは他のエリアにはいないの?
セレンゲティ3連泊フレキシブルなサファリ・アレンジ 3連泊もしたら飽きない?
セレンゲティへは一気に軽飛行機で 車では何でダメなの?遠いの?

先ずは何でもいいから兎に角、唯々、あの“あふりか”と云う所へ一度は行ってみたいとずっと思っていた。この超ベテラン企画者のこだわりの所以などさっぱり理解・推測もできず、私は、こんな無知丸出しで恥かしげもなく旅発ったのであった。数冊の“あふりか”本と少しのインターネット上の情報とTV番組、道祖神がくれた資料等を一夜漬け的に詰め込んではいたものの、この地のことはまったく実感的想像に難く、「行けば解る、行かなければ解らない、だから早く行こう」と。
旅に行く前にその地の勉強をして往くと数倍面白くなると諭す者もいれば、ことアフリカに関しては事前知識収集をあまりしないほうが・・・とアドバイスする某旅行社ブログ書き込みもあったが、私は勉強嫌いなので当然後者に賛成することにした。先入観を持たないよう“自分独自の感性で”見てみようとカッコ付けてみた。スワヒリ語なんぞはさっぱり、英語も殆どダメ(日本語でさえ時々通じない?!)、海外旅行は添乗員様頼りのこのワタクシが同行友達なし・こころ強い女房なしでの初めての一人参加。さて、どうなることやら・・。
皆さんから期待されるようなまともなサファリツアーレポートは、文才のない私には到底無理なことである。既にご存知のように道祖神には、これまでアフリカ旅の諸先輩方のプロライター顔負けの紀行文は沢山あるし、動物たちの写真もカレンダーになるほどのものがいっぱいあるのでそちらにお任せするとして、“<span class=”bold”>あふりか</span>”超ド初心者の旅がどう始まり、どう終わったのか、無知が所以の行動・愚問・珍問を含め恥しげもなく報告したいと思います。当然成り行き的で、支離滅裂になることを先にお詫びしておきます。
サファリツアーを何度か経験された方には、恐らく「そんなことも知らなかったの?!」って、サラリと流され終わってしまう内容も多いと思いますが、これから行かれる方に少しでも参考になるようでしたら嬉しいです。
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日本(関空)⇔ドバイは、業界屈指(近くに座った人の言葉)のエミレーツ航空である。私は、名古屋駅からエミレーツ航空無料直行バスを利用して関空で最終合流した。バスの添乗案内係が顔黒ハンサムインド系中東人で外国訛りの強い日本語を話していて、いきなり出だし名古屋から既に異国の地に来ているようであった。直行バスも飛行機内もドバイ空港内も、聞いていた通り空調が効き過ぎ、寒く乾燥していて上着とマスクと目薬が役立った。(この日の名古屋の気温29℃、ドバイは朝5時で外気32℃着るものにひと工夫必要だ)
ドバイでの乗り継ぎ待ちは、往5時間半・復4時間半とかなり長時間でホトホト参った。空港建物は、超近代的なデザインで素晴らしいと思うが暇をつぶす所が殆ど無い。DFショップも飲食店も同じような店が数多くあるだけで日本人にはあまり有難くないものばかりだ。ローカル色も全くなく無味乾燥でつまらない(新興国の人にとっては憧れかも知れないが)と言うのが私感である。ビジネスorファストクラスであれば話は別であろう、有料シャワーや仮眠室利用と言う手もあるらしいが何か他に良い方策は無いものか。読書もしたが空港内の照明がどこも暗かった。我々庶民用の“暇つぶしアイデア・おもしろベスト10”みたいなノウハウものありませんか道祖神さん?!それからもう一つ、広さの割にはトイレの数が少なく、朝方は結構混むので要注意・・・と言っても、どうにもならないか。
関空からドバイを経て19時間余り、睡眠と機内映画(このエミレーツのパーソナルモニターは優れものだ)にも飽きた頃ようやくナイロビ・ケニアッタ空港に着いた。ここは、ひと昔前にモダンデザインを誇ったであろうカラフルな建物だがケニアらしいローカル色(初めて訪れるのに、勝手にそう感じた)が出ていてなかなか良い。降り立つやいなや眼の中に“あふりか”がどんどん入ってくる、ここまで来ると流石にあふりかに来たゾーと云う感じがする、入国審査員も明るく陽気で他の国の人には無い親しみやすい独特な雰囲気で、コレが巷に言うあの“あふりか人”なのかと、周りにそんなあふりか人がいっぱいいて、なぜだかやたら嬉しくなる。この時の私は、ケニア=あふりかと短絡的。・・・この旅の目的地は、タンザニアのはずなんだが。
添乗員のIさんは、ごった返す空港ロビーでウロウロしながらどこに行けば良いのか“金魚のフン”(フンはもちろん私のこと)のような団体9人を引き連れ、数十組もいると思える迎えの人だかりの中からいとも簡単に迎えのドライバー(この時点では、私はまだ黒い顔の人の区別が付かず皆同じ顔に見えていた)とマイクロバスを見つけ出し、手際よく金魚とフンと荷物を載せ、ここからずーっと南のほう(土地勘が有る訳ないので地名がさっぱり分からない)の国境に向かわせた。道路の両側には、工事途中で放棄されている大小の建物が目に付く、やはりこの国も経済が混沌としているのだろう。
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往も復もケニア ⇔ タンザニア国境の其々の出入国管理事務所での顔写真と指紋採取は、あったりなかったり、1人だけだったり全員だったりとバラバラだった。職員は大勢いるのに1人で審査受付に追われる担当者のすぐ後で、並んで待っている我々をよそ目に堂々と他の係官たち3~4人が楽しそうにティーパーティーをしている。恐らく定時休憩なのだろうが、日本では考えられないシーンである。ここは“あふりか”だ~。しかしなぜだろう腹も立たない自分がそこに居た。
ここでのトイレは有料で、同行ドライバーが交渉してグループ10人分で5$を添乗員さんが払う。ここから更にずーっと南下してタンザニア初泊のホテルに向かう。夕暮れが近い。
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マイクロバスに再度長時間揺られてやっとたどり着いたのは、このタンザニアツアーの最初と最後に宿泊するアルーシャのスノークレストホテルだ。
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夜8時過ぎに到着、入室前に即、遅めの夕食開始。先ずサファリの先輩たちが頼んだものは動物図柄のビール、綺麗にラベルを剥して旅の記念に持ち帰る人も多いらしい。若輩初心者の私はオレンジジュースで我慢(本当は、アルコールが飲めない)。食事もそれなりに欧米人にも満足できるであろう洋食バイキング、あまり出無いと聞いていたサラダも盛りだくさんでありがたい。さり気なく地元の料理も2~3品加えてある。たっぷりお腹に詰め込んで部屋に入ると、大理石貼りのサニタリールーム(シャワーはあるがバスタブは無い)にガラススケルトンデザインのヘルスメーターがおいてあった。これも、サファリが始まる前と終わって帰るときに測り、どれだけ〇〇になったか判るように旅人の健康を祈ってくれているベテラン添乗員さんならではのご配慮であろうか。ベッドに入る前に明日の軽飛行機搭乗のためにソフトバッグへの荷物の詰め替えを済まさなければならない。トランクはここに預けて行く。
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フロントに6:00AMに依頼してあったモーニングコールが6:15に鳴った。が、実は、こんな事もあろうかと自分の目覚まし時計で既に起きて荷物のチェックをしていた。今日から6:00起床、7:00朝食、8:00出発と言う6・7・8パターンのタイムスケジュールが続くらしい。朝食も洋食バイキングである。ホットミルクと表示してあるポットからは、さ湯が出る。ここは“あふりか”だ~。
外に出てみるとガードマン達が駐車場の真ん中で朝礼をしていた。少し様子を見ていたが、連絡・指示・質疑忚答などきちんと大きな声で時間を掛けてテキパキやっている。こんな目立つ所でやっているのは、おそらく宿泊客への安心感、悪いことを企んでいる奴への牽制というパフォーマンスの意味もあるのだろうが、昨夜はこの人達に護られながら私たちは寝ていたのだと思った。安心して利用できるホテルを選んである、さすが道祖神!!・・・でも彼らのような人達が必要な社会でもあるのがここタンザニアなのだなあ。事実、ホテル前の通りを少し散歩しようとしたら、小柄で制服が愛嬌にみえてしまうドアマンがすかさず追ってきて、あまり出歩かないようにと忠告してくれた。朝の7時頃である。
昨日のマイクロバスで出発、8時前後はアルーシャでもラッシュアワーだ。交差点に信号があった(無いだろうと思っていた訳ではない)が、ランプ切れと土埃でひどく汚れて読めないのに、大量のクルマやバイク、荷車、人々が、滞ること無く上手く平然と流れている。色々な音色のクラクションをバックミュージックにしながら。この人達の運動神経を褒めずにはいられない。ここは“あふりか”だ~。
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アルーシャ郊外の飛行場から軽飛行機で待望のセレンゲティ国立公園へ向かう。いつものこのツアーでは、軽飛行機は一番最後にサファリから戻るために利用するらしいが、今回は、逆コースとなっているとのこと。待たされることもなくすこぶる順調に離陸した。長時間待たされたり、経由地が変更になったりすることは日常茶飯事らしい。運良く、コクピット丸見えの最前列に座ることができた。気軽にカメラポーズをしてくれる機長は白の制服、副操縦士は私服のブレザー姿(まさかアルバイトでは?と少し心配)で、おまけに、二人の間に置いてあるマニュアルがぎっしり入ってパックリと口を開けた革の仕事鞄の一番上にあるのは、キャンディーの大箱だ。副操縦士は、小柄で未成年に見えなくもないが、離着陸時は煩雑な仕事をテキパキとこなしているので本物であろう。「大丈夫だ」と何度も自分に言い聞かせた。
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機内からは、大地溝帯と推測できる谷や、あちこちに点在する丸く囲われたマサイの部落、そして草原を走る動物たちが見えた。象やキリン、シマウマなどはかろうじて見分けがつく。・・・ところがなんだか、TVを見ているようでまるでタンザニアに来ている実感が湧いてこない。ドキドキ・ワクワクするはずなのに妙に冷静に眺めている。幸い中継地も無く1時間のフライトだった。
降り着いて、眩しい日差しの下、乾燥した気温上昇中の独特とも言える空気を感じながら、出迎えのサファリカーに荷物を積み替えていると、背後から「Jambo! How do you do Mr…What your name?」・・・えっ、「はうどぅゆどぅ」って・・・誰か私に声を掛けている・・・振り返るとサングラスを掛けた大柄な“<span class=”bold”>あふりか人</span>”がニコヤカに手を差し出している。ガイドをしてくれるドライバーだ。「あ~、はうどぅゆどぅ。あ~、まいねーむいず“とだ”え~っと」「Welcome Tanzania」「いえ~す」・・・と、握手をした。あ~びっくりした~いきなり後ろから英語で声を掛けてくるんだもん。大きな温かい手だと感じた時、突然ここでタンザニアにサファリに来たんだ!と急に実感が湧いてきて心臓がバクバクし始めた。
ホテルのランチタイムまで、たっぷりと時間があったのでチェックインせずに2台の改造ランクルでサファリ開始。まだ今なら、肉食獣の捕獲行動を観られる可能性のある時間帯だからすぐ行こうとのことらしい。添乗員さんこだわりの軽飛行機利用は、上空からしか出来ない大地の観察以外に、こんな時にも生かされている。さすがベテラン、少しでもレアなシーンを観られる時間を増やそうとする緻密な謀だ。
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果たして、開始早々20分も経たないうちにオスの豹が樹の上で獲った獲物を食べているとの無線が入った。急行する。彼の獲物は、リードバックとのこと(リードバックってどんな奴?もらっていた簡易動物図鑑を早々に開く私)。
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食後の一服をしているらしく動かない。いや、動けないのだろうこんなに人が多くては。現実を知らない私は、サファリでは日常的にしょっちゅう見られる事かと思っていたが、どうやらこれでも結構レアなシーンらしい。でもTVのような獲物を狩るところや、食べているところが見たい!!と言ったら、サファリ通のひとから贅沢なオッサンやな~と言われてしまった。(出し惜しみしないで!サバンナの神様!)この後、午前中だけで、ライオンはもちろんマサイキリン、アフリカゾウ、ハイエナなど15種類ものどうぶつを見ることが出来た。これもかなりラッキーなことらしい。PM:1時過ぎに今日から3連泊するセロネラワイルドライフロッジへ 。昼食を摂り、チェックインをして午前のスケジュール終了。
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このロッジは、木材と石材・ガラスを上手く使ってデザインされた木造2階建のセンスの良い洒落た建物だ(でも部屋の床鳴りがギシギシとかなり酷かった)。敷地内で多くのハイラックス、サバンナモンキー、アガマトカゲなどが遊んでいる。鳥のさえずりもよく聞こえてくる。のんびりしていて落ち着けるところだ。ありがたい事に予想に反して蚊や蝿などの虫は、殆どいない。おまけに部屋には、TVも冷蔵庫も貴重品庫もいない。建物内に広いトレーニングジム室があったが、内部は空っぽで何も置いてないし入れない。それでもまあいいっか、大自然があれば・・。そういえば、ここは部屋にバスタブがある、時間制限付きで温水と電気が使える・・・でもこれって本当はすごい贅沢なことなんだよね~。次回は、キャンプサファリがいいかも・・・。
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休憩後PM:4時からは夕方サファリが始まった。見ることが出来た動物たちは、多すぎてここには書き尽くせない。
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今は9月、ここタンザニアでは、朝日は真東から昇り、昼の太陽は真上に、そして夕日は真西に沈む。赤道直下に近いのに過ごしやすい気候だ。言われていた通り“あふりか=熱帯=蒸し暑い”では無い。1日の気温差がかなりある、ちょうど2000メートル級の日本アルプスの夏山に似ていて、カラリとして快適だ。持っていた山用品で旅のアイテムを揃えて来たのは、正解であった。(この旅の為に新たにあつらえた物は必需のソフトバッグだけで済んだ。このダッフルは、70Lぐらいの容量がオススメ。)
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デジ亀(寒っ!、ダジャレ古すぎっ!)の電池を充電しようとしたが、変換プラグがバッグの中に無い、忘れたのだ。うかつだった。予備電池はあるが予想以上に使っているので心許ない。同行の人に借りようとしても多分今時は、ちょうど同じように充電のタイミングでダメだろう。試しにコンセントをじっと見てエイッと念力をかけてみるが穴の形は変わらない。微妙に穴のサイズは違うが、ダメ元でシェーバー専用のコンセント(こいつの形がいちばん類似している)に、そっとそして少し無理矢理差し込んでみた。やはり赤ランプは点かない。・・・ムムム・・・グリッと軽く回してみた(壊れない程度に、右回しがオススメ)・・・喝!と念ずると同時に・・・何と!、赤ランプ点灯!・・・やってみるもんだねー。(次に泊まったセレナロッジでは、ダメだった・・・多分念力が足りなかったのだろう・・・その次のトゥリートップスロッジでは成功した・・・特技がまた増えた)
早朝サファリの一コマ
途中で遅めの朝食です。ドライバーさんも一緒です。厚紙のBOXに色々入っていました。ランチBOXもそうですが、食べ切れないものは、全員の分を綺麗に仕分けして地元のマサイの人達などにあげます。
頭上には、ハタオリの巣があり、忙しそうに出入りしていました。まだ気温は上がらず、少し寒いです。
この公園内では、勝手にどこでも車外に出て好きな所で休憩できるわけではなく、指定サイトがある。もちろんオフロード走行も禁止です。スピード違反も然り。
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熱気球
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5:00AMモーニングコールは、TELではなく、ホテルガードマンの直接のドアノックだった。
5:30AM外はまだ寒くて暗い。ツアーオプションの熱気球に乗るのは、グループの中では私一人だけ。(少し不安。そんな私を事前察知してか、添乗員のIさんが早朝にもかかわらず見送りに来てくれていました、この気配りプロとしてもさすがです。これでツアー出発前のチョンボは、帳消しです。)予定時刻通りバルーンの迎えの車が来た。正刻だったので珍しいと思いきや、体格の良い白人(バルーンパイロットでした)、英語で他の人達とペラペラと話をしている。“何言ってるかさっぱり??”この先大丈夫かいな(だいぶ不安になってきた私)。
暗闇の中で大勢のスタッフが、気球3個を上げる準備をしている。かなり大掛かりで、大型トレーラー数台で持ち込んでいるようだ。膨らみかけたその中を覗いてみると、ここでソフトボールができそうな程大きい。乗客が呼び集められ、搭乗の注意事項説明が始まった。またもや“何言ってるかさっぱり??”でも「Do you understand?」だけは判った。開き直った私はもちろん「OK, of course!」
横倒しになった籠に升目毎に乗り込み、シートベルトを掛ける。日の出と共に待望のフライトが開まった。滑りこむように大空の中へ。時々ゴーっと単発的にガスバーナーを燃やす音がする以外は、全くの静寂。“雲に乗った様”と云う表現だけではとても言い表せない。パイロットは、バルーンを一度高くまで上げて、上空から動物たちを見つけ出すと、彼らを脅かさないよう巧みな操作で上下左右最適と思われるところに近づけてくれる。顔を上げて果てしなく広大なサバンナに目を遣ると、色々な沢山の思いが、私の脳裏を横切った。
約1時間のバルーンならではの空中サファリを楽しんだ後は、先ずは着地した場所で、フランスの高級シャンパン(飲めない私でもサラっと美味しく戴けました。・・「高級品」・・勿論お替りしました)で乾杯。ずぅ~と追って来ていたサファリカーに乗って場所を移し、英国式フルコースの野外ブレックファストがはじまった(英国人は、朝っぱらからフルコースを食べるのが好きらしい)。
仮設トイレの仕切りは、向こう側がオープンで大草原に向かっての〇〇です。もちろん 野××では無く、タンクの付いた洋式です、ご心配なく。少しドキドキの開放感がたまらない。
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人間が一方的に取り挙げていった蜂蜜を、ミツバチたちが取り返しに来ました。これを見ていたら・・・その昔、列強ヨーロッパの国々が勝手にアフリカを分断し、植民地化して様々な幸を取り挙げて行きました。一方的に自国の文化を持込み押付け ・・・なぜか、こんな思いが・・・ 美味しい食事を頬張りながら、少し悲しくなりました。
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スーパーハイウェイ(もちろん未舗装路!!)で、次のンゴロンゴロ自然保護区に向かう。壮大なサバンナのど真ん中、その地の果ては見えない。大地は陽の当たるところ、雲の蔭のところが、ハッキリ線引されている。巻きあげる砂煙が凄い。対向車とブンブンすれ違う度に、エアコンの無い車の窓を開けたり締めたり大忙し、降り注ぐ陽の道をバク走する。こんな車内の状態は、想像に容易い。ヘッドライトを点けた対向車も多い、まるでレース中の様。メガネ・マスク・目薬が必要とは、この事だったのか!
ドライバーのソロモンに制限時速はあるのかと聞いてみた、「公園内は時速50Km」、「えっ、今この車は?」、ソロモンは揺れる体でハンドルをしっかり握りながら、ニヤリと笑って、「だから今、50Kmネ!」。
途中、小高い丘で休憩をした。車から降りると、すぐさま男性陣はぐるりと回りを見廻して無言のまま四方に散らばって行く。車を背にしてモゾモゾとした後、しばし立ち止まっている。私のマーキングの〇〇が偏西風に乗って日本にたどり着くのに何日かかるのだろう。
ゆっくり深呼吸をしながらこの果てしない壮大なサバンナを見廻した時には、涙が出そうになった。確かに私は、ここサバンナの真ん中に居る。自分が今ここにこうして立って居られるのは、限りない沢山の人のお陰だ。家族に感謝、ご先祖様に感謝、友人・先輩・後輩に感謝、ツアー関係者に感謝、タンザニアに感謝、地球に感謝。そして一番飛切りの感謝は、妻に。
精一杯強がっても私は、こんなにも小さい。でも、この旅は、ほんの少しだけ私を大きくしてくれたような気がする。
ここは“アフリカ”だ~!!
あふりか”が少し“アフリカ”になった。
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後編は、「マサイ村訪問」から始めようかな。
タンザニアのツアー・旅行一覧はこちら。
サファリ・動物がテーマのツアー・旅行一覧はこちら。

タンザニア 未知のサファリ 手配旅行

2011年9月9日出発、タンザニア 未知のサファリ 手配旅行 12日間に行かれた新田見昌子様からの、ムコマズィ国立公園のレポートです。
9月9日
羽田空港のABCカウンターで、予め送っておいた荷物を受け取ろうとしたら、「ありませんね~」って(・。・;
ノッケからつまずいたのか!?
っていうか、係の人はハードケースを想像して捜していたみたい。
アフリカ旅行のキホンはソフトバッグでしょう??
とりあえず荷物を預け、検査場を通過して搭乗待ちしていたら、「使用機材の到着遅れで、出発時刻が20:15→20:30に変更」のアナウンス。
結局、KIX到着が20分遅れで、ダッシュでEKのカウンターへ・・・。
チェック・インのファイナルアナウンス、ギリギリで手続き終了~(ホッ)
しかも、EK317便は出発が10分繰り上がっている!
と言う訳で、チョイチョイつまづきながらも無事出発~
9月10日
DXBに着いたら、まず喫煙~~~
勝手知ったるDXBターミナル、喫煙場所は旧ターミナル123Gate脇・・・
と、歩く事15分(本当に広い!)、何だか誰もいないじゃない?
で、掲示を見ると、『リニューアル工事中~Gate 121へ』って、さらに遠くなっていた!!(ガクッ)
と言う訳で、せっかく遠路はるばる来たんだから、暫くコッチで過ごすことに。
AM5:00ごろなので、皆さん思い思いに仮眠をとっていらっしゃいます。
カーペット敷きなので、直接ゴロンと寝ている人もおり、自分も“郷に入っては・・・”で、小1時間横になって寝ました。
因みに、コチラ旧ターミナルは、中東近隣諸国のキャリアの発着が多いようで、ターミナル内に、ムスリムの方々のための“Pray Room = お祈り部屋”(男女別)があります。
そしてAM7:00過ぎ、EK乗り継ぎ“恒例”の無料の朝食・・・
思ったよりはすんなり入れて、席もほかの“おひとりさま”と相席でき、飲み物・チキンソーセージ(さすがイスラムのお国柄、ソーセージはポークじゃない!)等をいただきました。
それでも出発がAM10:50なので、まだまだ余裕~。
帰りに買うお土産や自分用の品々を、DFSで下見しました。
そして再び、片道20分歩いて喫煙ルームへ。機内の運動不足もコレで解消???
珍しく(!?)Gateが旧ターミナル133だったので、戻るのは楽チン!
バスで飛行機まで行き、搭乗。
って、今度はちょっと出発が遅延気味。
15:00(現地時間)ごろ、無事Dar es Salaamに着きました。
荷物も無事ピックアップし、外に出て、出迎えのSalimさんと会う事が出来ました。
両替も済ませ、一路今夜の宿Rainbow Hotelへ・・・。空港から車で10分ほどでした。
港が近いので、湿っぽくてムシ暑い。
部屋に落ち着き、時計を見たら、もう17:00!暗くならないうちに、とりあえず夕飯代わりなる食糧をGetせねば!ってことで、ガイドブックに、近所の『JM MallというチョッとしたアーケードにスーパーマーケットのSHOPRITEがある』ってことなので、行ってみることに。
しか~し!無いじゃん!
替わりに、インド人経営らしき小さなスーパーがあったので、飲み物・スナックなどを購入!
機内食から持ってきたパン・チーズ等も足して、Tanzania最初の夜は過ぎていくのでした。
そうそう、部屋のTVでパキスタンの料理専門番組(『Masala TV』)をやっていて、おもしろかった。
為替レート : US$小額紙幣 1$=1400TZS、100US$⇔14,000TZS
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9月11日
朝 7:00、約束どおりガイドのSalimさんが、ピックアップに来てくれました。
今日はMkomazi N.Pまで、8時間のロングドライブ!!
まずDar es Salaam郊外でミネラルウォーターを購入、給油も済ませ、前半は予想通り真っ直ぐヒタすら走る。
山が見え始めたあたりから、チョット涼しくなった。
13:30頃、Momboという街の、長距離バスやトラック等も立ち寄るドライブインのような所でランチ休憩。正味30分くらいかな?
レストランはビュッフェ形式で、最後にお会計・・・って流れだったようだけど、自分はそんなにお腹も空いていなかったので、レストラン入り口で売っているタマリンドジュースと、街頭売りの棒状メンチでごちそうさま!
タマリンドジュースはネクタータイプのトロみのある濃い~もので、甘酸っぱくて激ウマ!だった。
そして敷地内にある青果売り場をヒヤかしたりして、パッションフルーツと生のタマリンドを試食!
長距離バスが通過する街道沿いでは、特産品の“押し売り”が、バスめがけてすごい勢いで売り込みに来る。特にオレンジ売りがすごかった。
15:00、やっとMkomazi N.Pのゲートに到着!
入園手続きをしていると、ガイド代を請求されビックリ!
「全て込み込みで払ってある」旨説明し、Salimさんも会社の方に問い合わせてくれて一件落着!
更に車でBABU’S CAMPへ。
Gate→ロッジまで行く途中、キリン・オーストリッチが“出迎えて”くれました。
風の音・鳥のさえずりしか聞こえない静かな所。
ドライバーのSalimさんは、Gate→ロッジまで案内してくれたガイドさんを、再びGateまで送り届けに行きました。
夕方、風が強めに吹いて、テントロッジの“壁”がタワむ・・・
18:00、シャワー。これがまたワイルドな屋外シャワーで、予めお願いした時刻に、スタッフがお湯を沸かしてタンクに入れてくれるタイプ。
風が吹いているので、体温を奪われ、寒ぅ~~~
19:30~Dinner
夜に入り更に風が強まり、“布おお家”は風が抜けるので、かなり冷え込んだ。
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9月12日
6:00~7:00ごろまで小雨!
7:00~朝食、8:30 サファリに出発!
出会えた動物たちは、キリン・シマウマ・ハートビースト・エランド・ウォーターバック・・・
しかしどれも遠い。
ビューポイントで下車。珍しく(ガイドさん曰く)、別のサファリカーが先客で止まっていた。
11:30頃ロッジに戻った。
曇天で肌寒く湿気も多い。
夕食が自分たちだけなので、ローカルフードのウガリをリクエストした。
13:00~ランチ。午後のひととき、ノンビリした。
夕方は、また風が吹くと寒いので、午後のサファリ前にシャワーを浴びる事に。
16:00~午後のサファリに出発。
やはり動物が少なく、バードウォッチングもするが、名前がイマイチわからず。
でもホンノちょっとだけ、ディクディク・ジャネットにも会えた。
一瞬だったので写真は撮れなかったけど・・・。
ウォーターホールで下車。ハイラックスが居た。
Mkomaziは川・池等の水がないので、雨水の流れを堰きとめて貯水しているらしい。
そんな訳で、動物も生息しにくい環境・・・ってことです。
それと、サファリ用道路が少ない事や、動物たちが、“人馴れ”していないので、すぐにブッシュに隠れてしまう・・・
これが、Mkomaziが観光のメジャーになれない要因のようです。
昨日より風が弱く(コレなら夕方シャワーでも大丈夫!)
夕食は待望のウガリ・フィッシュシチュー(オクラ入り)!
何度もアフリカには来ているものの、ウガリは初めて!
正式に、食べる前に手を洗い、右手だけで食べることに挑戦!!
途中からスプーンにしちゃいました(^^ゞ
夜、風がおさまり、雲も晴れていたので月が明るい。多分満月?
星も見えきれいだった。
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9月13日
今日はランチボックス持参で、One Day サファリ。
朝は冷え込んだけど快晴!(明け方、WCに行ったとき星が良く見えていた。)
9:00~出発なので昨日より朝食時間が遅く、レストラン前の水のみ場には昨日とは違う鳥たちが来ていた。
サファリは、相変わらずコチラに気付いて、動物たちは素早くブッシュに逃げ込んでしまう為、写真は撮りづらい状況。
動物はキリン・インパラ・オーストリッチ・ディクディク・クドゥー・レッサークドゥー等
鳥類はライラックブレステッドローラー等・・・
日中は暑く、埃っぽい中このまま行っても、もう動物には会えそうもない。
と言う訳で、ガイドさんがかけ合って、サイ・リカオンのサンクチュアリー(=要は、飼っている)所へ連れて行ってくれることになった。(わぁ~い!!(^^)!)
人間との接触で病気が蔓延する事を恐れ、最近ではなかなか行かれないらしい。
恰幅の良い迷彩服を着た“所長さん”に挨拶をし、同行してもらって、まずリカオンとご対面!
金網の向こうに1組のペアと子供たちがいました。
子供たちは生後3ヶ月・・・だそうです。
次に、園内用のジープに乗り、サイの保護地域へ・・・。
厳しい警戒のゲートを通過し、サイにつけた発信機の電波を受信するアンテナを持ったスタッフが乗り込んで、サイがいそうなほうへ車を走らせる。
意外と早く“お出まし!”
スタッフは、「ブイ!ブイ!」って、呼んでいました。
といっても、またブッシュへ逃げこんでしまったので、束の間のご対面・・・となりました。
所長さんが「暑い日中は、木陰で休んでいるので、見つけにくい」と言っていたけど・・・。
でも、満足ぅ~~
その後、一旦その場所を離れ、遅めの野外ランチ!
サファリでのランチボックスといえば、紙のボックスに一人分ずつ入ったモノを想像していたけど、チャンとアルミの鍋に陶器のお皿まで入った、何だかゴージャスな入れ物。
まあ、内容はサンドイッチにゆで卵・・・等、フツーだったけど。
15:30、ランチ後はロッジに向かってひたすら走る。
夕方~また風が吹き始めたけど、今日はそれほど寒くない。
夜は昨夜同様、月も星もキレイに見えた。
Mkomazi最後の夜は更けていくのでした。
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9月14日
5:00起床。まだ真っ暗だけど、今日はRuahaへ移動の為、早朝よりパッキング。
小雨から曇りへ。
6:30、朝食。慌しくBadu’sのスタッフ全員の写真を撮り、7:00、Arushaへ向かって出発!
Arusha市内の渋滞を考慮し、早めの出発になった。
休暇でArushaの自宅へ帰るロッジのスタッフ3人も便乗。
11:30、Arushaの空港に到着!チェック・インが12:30なので余裕~~~
駐車場の車内で早めのランチ。
13:20、Arushaに向けセスナ機が離陸!
でも、その前にひと騒動(・。・;
というのは、まさかセスナ機移動なので、セキュリティーチェックなんて全然アタマになく、機内持ち込みのザックにサバイバルナイフが入れっぱなしだった。
当然、X線検査でバレて没収になりそうになったけど、何とか粘って預け荷物に入替え、事なきを得たのでした。
セスナ機は途中、Kuroというエアストップと、比較的大きな街(ドドマ?詳細不明)に立ち寄り、Ruahaのエアストリップには16:00頃到着。
途中は爆睡していたので、あまり景色は見なかった。
13 14 15

9月15日
朝、Mkomaziより暖かい(「Ruahaの方が気温が低い」って、聞いていたけど)。相変わらず部屋は風が抜けるけど、半袖でOK!
6:15、起床。7:00~朝食。
シナモンロールが美味しい。
8:00~ Safariに出発!ドイツ人のご夫婦と混乗。
彼らは、昨日もOneday Safariで、レオパード狙い・・・らしい。
キリン・シマウマ・インパラ・ゾウ・バブーン・レッサークドゥー・バッファローを間近で見られる。
11:00過ぎ、ドリンク休憩。
その後、何と!!バブーンとレオパードが鉢合わせして、ファイティングするシーンを一瞬だけ見られた!
あまりに急で一瞬だったので、写真は無理。
同乗のご夫婦はかなりエキサイトしていた。
14:00頃、ランチエリアにて昼食。
この日は既に、サファリカー4~5台が駐車しており、ランチエリアは満員状態。
一応WC小屋はあるものの、“おみくじ箱”タイプなので、ブッシュのほうがマシって感じだった。
屋根つきの小屋は他のグループで満員だったので、折りたたみチェアーが用意され(ひじ掛けにボトルホルダーが付いたもの)、景色を眺めながら食べた。
ランチボックスには、生のニンジンスティックやトマト丸ごと等が入っていた。
その後は、16:00までにロッジに戻るべく、所々動物を見ながら帰った。
ライオンを3ヶ所で見られ、これまた至近距離で、Mkomaziとは大違い!
16:30頃、ロッジに戻った。
今日は昨日とは反対側から風が吹いている。乾燥がスゴいので洗濯物はよく乾く。
夕方からは風向きが変わり、昨日と同じになった。
いつもどおり夕食。ゲストは24人。
夜、月が出たが、曇ってしまい薄っすらしか見えなかった。
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9月16日
今朝も暖かめ。
6:10、起床。7:00~朝食。
8:00~ Safariに出発。今日もOneday Safari!
同乗者4人だった。
ライオン・クドゥー・インパラ・キリン・ゾウ・ディクディク等と出会った。
そして、気にぶら下がったインパラを発見!
どうやらレオパードが食した残骸の様子。
と言う訳で、付近を注意深く観察。道路から外れたブッシュの中にも、車は入っていった。
そして!遂に発見!!
茂みの中でコチラの様子を窺っていました。でも、ほんの一瞬で更に奥に逃げこんでしまい、シャッターチャンス・・・だめだったかも!?
一同大興奮のまま、川べりの見晴台にて休憩。
その後、13:00~昨日と同じ場所でランチ。
昨日より空いていたので、屋根つき小屋で食べる事ができた。
帰路は相変わらず暑くてボーッとした。
ロッジに到着しTea Time。
その後Bandaに戻り、バルコニーから目の前の川を眺めた。
夕方なので象たちが水を飲みに来ていた。
ちょっと離れた場所でカバが喧嘩しているようで、鳴き声がうるさかった。
18:30~強風が吹き始めた。
今夜のゲスト数も24人!
大きなグループは帰ってしまい、カップルや少人数のため、“おひとりさま”の自分は端っこのテーブルに移動でした。
月が出る前は星がキレイだった。
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9月17日
今朝はちょっと冷えた。(夜中まで風が吹いていた)
今日は、Half Day Safari!でも、出発はいつもどおり、8:00
ライオン3頭が座っている向こうに、キリンの“残骸”を発見!
昨夜のうちにハンティングして食べたらしい。
ジャッカルが傍をウロウロしていたが、我々を警戒したのか!?逃げて行ってしまった。
昨日、レオパードが食べ残していた、気にぶら下がったインパラの死骸は、骨だけになっていた。
この日は一旦、午前中でロッジに戻るため、あまり遠くへは行かない。
他に会えた動物たちは・・・ディクディク・グレータークドゥー・キリン・ゾウ・シマウマ・バブーン等。
ランチは、自分が止まっているエリアよりちょっと高台にある、メインキャンプのダイニング。
そこから急な坂道を下って、自分のBandaへ戻った。
昼間は、スタッフも休んでいてすごく静かだ。
あたりを散策。
16:00~Tea Time。16:30~午後のSafariに出発。
途中、見晴らしの良い場所でサンセットを撮影。
18:30にロッジに戻った。
既に夕方の風が吹いていたので、さくさくシャワーを浴びないと寒くなってしまう。
今夜も星がキレイ。でも夜半まで風が吹いていた。
明日は、8:00~Safariがてら、エアストリップへ・・・。
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9月18日
5:20、起床
薄暗い中、トーチを点灯して荷造り開始!
いつもどおり7:00~朝食をとり、8:00~出発。最初、メインロッジでチェックアウトを済ませ、エアストリップまでSafariをしながら行く。
まずHippo Poolに立ち寄る。とはいえ、もう陽が昇ってしまったので、カバは鼻しか見えない。
水辺にはかなり大きなクロコダイルが寝そべっていた。
その後、最後にライオンを見て、11:00頃エアストリップに到着。
セスナが来るまで日陰で待機し、11:45、いよいよ帰路に着いた。
ドライバーのオットーさんが迎えに来てくれ、HOTELに行く途中、“念願”のお買い物!
大好きなスーパーめぐり。
といっても、丁度SHOPRITEとイラセコ・・・というスーパーしか無いのだけど・・・。
後は、丁度日曜日だったので、殆どのお店はお休み。
スパイス・お菓子・・・をゲットし、(でも、探していたチリガーリックは見つからず)16:00ごろ、行きと同じRainbow Hotelに到着。
「明日、AM10:00 ピックアップ」の約束をして、オットーさんとはお別れ。
チェックインするも、最初の部屋はドアキーがダメでチェンジ→次の部屋はバスルームの電気がつかず・・・でまたチェンジ→結局、廊下の奥の部屋に落ち着いたものの、今度はベッドサイドのランプがつかず、しかも、よく見たら小さい蟻みたいなのがチョコチョコしていた。
でも、もう面倒だし、1泊なのでそのまま荷物を広げた。
来た時と同じように、JM MallのCity Marketに夕飯の買出し。
前のスーパーには無かった、コリアンダーパウダーをゲット。
この日、朝から持ち歩いたRuahaのランチボックスとお菓子少々で、“最後の晩餐”
荷造りもしなきゃ!
久しぶりに、テレビも見た。
パキスタンのTV局がやっている、料理番組(『マサラTV』が面白かった)
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9月19日
8:40起床
10:00、オットーさんと会い、空港に行くまで時間があるので、Tinga tingaの工房がある地区へ・・・。
北部のビーチリゾートエリアへドライブ。途中、CoCo Beachで短時間下車し砂浜へ。
太陽がギラギラ照り付けてくる。
移動遊園地風の乗り物や、スナック・バーが建っていた。
Tinga tingaは見るだけ!のつもりが、手頃な空き缶にペイントされた物が目にとまってしまい、6,000Tzsを5,000Tzsにディスカウントしてもらってお買い上げ!!
その後、まだ時間があったので、Hilton Double Tree Hotel近くのショッピングエリアで時間をつぶした。
飲食店の中に、日本料理店“あずま”という店があったが、まだ営業時間外だった。
このエリアには幼稚園(保育園?)もあった。
海に突き出た桟橋は、夜ならキレイそう。
いよいよ空港へ!市内は案の定渋滞していたけど、13:30無事空港へ到着。
最初のセキュリティーチェックでは靴も脱がされた。
EKカウンターでチェック・インの確認をしに行ったら、まだ手続き準備中だったけどスグに手続きをしてくれた。(ラッキー!こういう所は、先手必勝じゃないと無駄に時間がかかる。)
出国手続きをしたけど、指紋照合は相変わらずうまくいかずタイムロス。
15:00、最終セキュリティーチェック開始!出発が16:50だからやけに早いけど、16:20搭乗開始。
いよいよ、アフリカともお別れ~。
23:10、DXB到着。まずはタバコ!!KIXへの便の出発ゲートとは反対方向なので、なんと!!喫煙エリアまで徒歩で片道20分~
9月20日
そうこうしているうちに日付は変わって、一段落したらショッピングへ。
といっても行きに目星をつけておいたので、お土産用チョコ→タバコ→オード・トワレ→ラクダミルクのチョコを購入!
今一度、喫煙!
そしてゲートに行ったら、もうオープンしました。
機内ではTV画面が使えず、何回もクレームしてやっとみられるようになった!
17:10、KIX着。
一旦入国手続きをして、ANA国内線カウンターへ。
すご~く混んでいて、出発時刻ギリギリの人が優先に!
21:30出発なので、手続き終了後、喫煙室近くのベンチで仮眠。
21:30ってその日の最終便だった!
預け荷物にライターが入っていた事が発覚し、呼び出しをくらった。
没収となり荷物を元に戻すのだが、客は触ってはいけないらしい。でも係の兄ぃちゃんが荷造りがヘタくそ!!
HND22:50着。なんか台風が接近しているらしい。
23:10発のリムジンバスでYCATへ。予想より早いバスに乗れた。
もしかして、KIXで荷物チェックに引っかかったおかげで、積むのが最後になり、HNDで最初の方に荷物がでたのかも?
YCATからタクシーで自宅まで。
タンザニアのツアー・旅行一覧はこちら。
サファリ・動物がテーマのツアー・旅行一覧はこちら。

人間の原点を捜す旅~ハッザとの出会い~

2011年6月13日発、タンザニアの狩猟の民、ハッザの村に滞在された生井貞行様からのレポートです。弊社のツアー「タンザニア・狩猟民“ハッザ”と歩く大地溝帯 10日間」のアレンジで、ハッザの村に長めに滞在されたオリジナルのプランです。
出会い
ブッシュが広がる乾燥したサバンナにはアカシアがよく似合う。照り付ける太陽の下、風が吹くたびに細かい砂が舞い上がる。ここはタンザニア・エヤシ湖の畔。ガイドのバッガーが口笛を吹く。それに応える口笛がどこからともなく風にのって聞こえてくる。音はすれども姿は見えない。バッガーが指をさした方向を見た。そこにはただブッシュがひろがっているだけ。そこに向かって歩くバッガーの後を追いブッシュの中へ入っていく。すると突然草木の陰に母と子が座っていた(写真1)。ハッザである。近くのブッシュの陰には男性たちがいた。狩で使う弓と矢の調整をしていた(写真2)。住居は枝を絡ませた骨組みに草をかぶせたものであった(写真3)。私はハッザとの出会いにまず衝撃を受け、そして感動した。
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ハッザ民族とは
ハッザの人々はアフリカ西部大地溝帯にあるタンザニアのエヤシ湖周辺に昔から暮らしてきた。今は1000人ほどがここで生活している。その四分の一の人が今でも狩猟・採集生活を営んでいる。農耕はせず、家畜も飼わず、定住する家も持たない。また家財道具は鍋、水を入れる容器(写真4)などと狩猟のための弓や矢、斧、ナイフ(写真5)であり、生活する上での必要最小限な物だけである。男性たちは夜明けと黄昏時の二回、狩猟に出る。また蜂蜜の採集も男性たちの役割である。女性たちはバオバブの木の実の採集や根菜類の掘り出しそして水汲みが主な役割となっている。食べ物は一日に二回、食べるだけの量しか獲らず、皆で分け合う。ハッザは居住地を転々と移す。乾季は草原に居を構え、雨季には高台に居を移す。いっしょに暮らすのは家族や友人など、ゆるやかな絆で結ばれた集団であり、多くて30人程度である。自然とともに生きるハッザ。ハッザと自然との関わりを知りたくて旅に出た。
参考文献「National Geographic 2009年12月号」
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水汲み
ハッザの女性たちと水汲みに出かけた。鍋とポリバケツを持ち、水場に向かって炎天下の中、歩いた。女性たちは世間話をしながら楽しそうに歩く(写真6)。居住地を出てから30分ほど歩いたら、バライ川についた。水は流れていない。水の無い川を上流に15分ほど歩く。本流と支流の合流点と思える場所に着いた。女性たちはそこに座り込み、水の無い川底を掘り始めた。しばらくしたら水が湧いてきた。水をすくい鍋やポリバケツに入れていく。1時間ほどで満タンとなった(写真7)。容器から水がこぼれないように草でふたをして頭の上にのせて帰途についた。四人合わせて20リットルの水が確保できた。水汲みは朝夕二回行われる。一回の水汲みにかかる時間は3時間30分ほどである。バオバブの木が繁るブッシュを満タンの水を入れた容器を頭の上にのせてゆっくりとハッザの女性たちは歩く(写真8)。ブッシュの草原に「ポレポレ」の詩が流れる。
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蜂蜜取り
カヌゥアという木に蜂は巣をつくり、蜜をためる。事前に木の幹に穴をあけ、蜂が巣をつくりやすいように細工をしておく。そしてしばらくしてからできた蜂蜜を採取するのである。ハッザにとって蜂蜜は貴重な栄養源である。また婚礼の際に、蜂蜜を女性方に贈るのがしきたりである。ハッザは母系制社会を基礎とした婿入り婚である。シャクワが蜂蜜取りに連れて行ってくれた。シャクワは5家族11人のグループの首長である。山の斜面を下草をかきわきながらすすんだ。シャクワにはカヌゥアが植わっている場所は分かっている。そのため簡単にカヌゥアを見つけることができた。斧を手にかざし木を切り始めた(写真9)。そして蜂蜜を手に入れた(写真10)。シャクワは採集した蜂蜜を木の皮にのせ私にさしだし「なめてみるか」とすすめた。私は「No thank you.」と答えた。行きずりの旅人がハッザの貴重な嗜好品を消費するわけにはいかない。
09 10

根菜取り
岩山に住むハッザを訪問した。グループ名は長老の名が付けられ、マンボスという。6家族11人が居住している。ハッザの間では乾季には岩山から草原に移動するのが一般的であるのに、このグループは岩山に住んでいる。その理由を尋ねたら、食料が獲れるとのことであった。軽く納得した。テッタとクリック、テヌーが根菜取りに連れて行ってくれた。根菜はハッザの言葉でシュムクワという。居住地から5分程歩いた。ブッシュの根元を三人が木の棒で掘り始めた(写真11)。根元をよく見たらツルがのびていた。そこを40cmほど掘ったらジャガイモのような根が取れた(写真12)。バッガーは「ブッシュ ポテト」と説明してくれた。食べてみた。生のジャガイモの味がした。自然の「家庭菜園」に囲まれたハッザの生活環境を学ぶことができた。
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狩猟
「明日、狩りに行く。いっしょにどうだ。」と誘われた。もちろん「OK」と返事をする。「ところで、出発は何時だ。」とバッガーに聞く。バッガーは肩をすぼませ「ハッザには時刻はない。」と私に答えた。愚かな質問をしたものだとつくづく思った。翌日、陽が昇る前、暗いうちにハッザの居住地に行った。シュムクワ、ンネクゥネティそしてネッスイカが焚き火を囲んで狩りの準備をしていた。暗い中、出発した。足早で丘を登る。そして丘を下る。山の斜面を横切り、駆け下りる。川を渡り、崖をよじ登る。私ははぐれないように彼らの後をついていくのに必死であった。足元には鋭い刃先をもった草が茂る。何度かスネが傷つく。足元に注意していると今度はアカシアのトゲで頭がやられる。帽子が飛ばされ、くびに巻いたタオルが引き裂かれ、パニック状態に陥る。そんな中、彼らを見失った。周囲を見回しても彼らがどこにいるのかわからない。どうしょう。そんな時、口笛が聞こえた。時々、口笛を吹いてお互いの居場所を確認するのだ。リーダーのネッスイカが立ち止まり、獣道を観察していた。湿ったフンが落ちていた。獲物が近くにいる。ネッスイカは他の二人に指示を与えた。獲物を見つけたらしい。緊迫した状況であった。狩りにはお互いの役割分担がある。獲物を取り囲んで捕獲しようとしているのだ。私は狩りの邪魔にならないように息をひそめ、うずくまり、動かずにいた。木の上にブッシュ・ベビー(サルの一種)を追い詰めた。獲物はもう逃げられない。隣の木までの間隔が広すぎて飛び移れないのだ。三人は獲物めがけて矢を放った(写真13)。その日の収穫はブッシュ・ベビー五匹と野鳩一羽であった。帰る途中、木の陰で休憩をした。朝食の時間なのだ。そこでネッスイカは板切れに木の棒を押し当て、手の平を使ってキリを使うように力を入れ回した。火をおこしているのだ。しかしなかなか火はおきない。シュムクワが交代した。それでも火はおきない。見かねたバッガーがマッチを取り出し、火をつけた。すぐに火は燃え上がった。私とバッガーは目を合わせ、ニヤリとした。焚き火で獲れたてのブッシュ・ベビーを丸焼きにして食べた(写真14)。居住地に帰ったのは太陽が真上に昇ったころであった(写真15)。何時なのかは覚えていない。私もハッザと同じように時刻から自由になっていた。
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ハッザから学んだこと
大量生産・大量消費・大量廃棄の道をいまだに突き進んでいる近代社会の最終到着駅には、貧富の差の拡大と環境破壊という地球と生物にとっての危機的状況が待っていた。物にあふれた便利な生活。満たされた欲望は次の欲望を生むという欲望の底なし沼に陥ってしまった状況からいかに這い出すのか、克服されなければならない多くの課題にわれわれは今、直面している。ハッザの人々は生きていくのに必要最小限なものしかもっていない。また火をおこすのにも生活用水を得るのにも時間と労力を費やしている。ハッザの人々には貧富の差もなく、お互い助け合いながら生活を築いている。しかもその生活は便利な生活とは程遠い。しかし便利な生活と幸せな生活とは別なものであるということをハッザは私たちに教えてくれている。人と人との間に大切なものは何か。幸せとは何か。ハッザは重要なことを私たちに発信している。それを真正面から受信する必要のある時代状況である。
残念なことにハッザの人々の生活を脅かす状況が生まれている。私有地の拡大と国による生物保護地区の指定によりハッザの人々の生活領域が狭められているのだ。ハッザの人々の今後の動向について注視していきたい。
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悠々の大地セレンゲティ滞在型サファリ

2011年2月5日出発、悠々の大地セレンゲティ滞在型サファリ9日間に参加された小松 明 様からのレポートです。
一生に一度は訪れてみたいと思っていたアフリカ大地サバンナ、結婚25周年の記念もあって思い切ってこのツアーに夫婦で参加、想像以上の多くの動物や見渡す限りの大平原を満喫することができ、それは感動の毎日でした。
今回のツアーは私達2名と我々より年配の女性1名の合計3名、添乗員はおりませんでした。多少の不安もありましたが、同行の亀山様はアフリカ旅行の超ベテラン、サファリドライバーのTさんとも顔なじみで、色々と教えて頂き大変に助かりました。どうも有り難うございました。
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成田空港から
セレンゲティまでは遠い~。成田空港からドバイ空港へは約11時間、ドバイ空港で乗り継ぎに約6時間、ドバイ空港からナイロビ空港へは約5時間、ナイロビ空港からは車で約6時間の移動、途中国境を越えてやっとアルーシャのホテルへ到着。特に、最後の陸路は途中の道が非常に悪く、さらに到着時刻が夜になることも重なって、個人的にとても疲れました。しかし、サファリの時間を最大限に取るためにはやもえないスケジュールでもあると思います。ちなみに、帰路のスケジュールは乗り継ぎの時間も短く、ドバイから成田への飛行時間も短いことから、あまり疲れを感じずに、翌日からの仕事もOKでした。
翌日早朝、アルーシャからセレンゲティは小型飛行機で移動。小型機なので少し揺れました。直接なら1時間ほどのところですが、途中二カ所ほど立ち寄り2~3時間程度。昼にはセレンゲティの大地に立ち、早速迎えてくれたドライバーさんがサファリをしながらロッジまで案内。尚、小型飛行機では荷物重量15kg以下の制限があり、他の飛行機で外国人夫婦がかなり重そうなバッグを持っており、超過料金を請求されておりましたので注意が必要です! ちなみに帰路は計測機器がないのでフリーパスでした。
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セロネラ・ワイルドライフ・ロッジ
セロネラ・ワイルドライフ・ロッジはセレンゲティの中央に位置し、一歩外に出ればすぐに様々な動物を目にすることができる、絶好のロケーションである。我々が宿泊したのは2Fで、インパラやキリンなどの動物が窓のすぐそこまで来ることがあり、とても感動しました。下記の写真左は部屋から撮影したインパラの群れ。逆に夜はハイエナと思える動物が徘徊している鳴き声が聞こえる。一方、中庭はとても綺麗で安全。(写真中央)食事はバイキング形式で味はまあまあですが、ほとんど毎食同じようなメニューが難点。右写真はある日の私の昼食一枚目の皿です。
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サファリは早朝が最高
今回のツアーは全9日間、セレンゲティ滞在は4泊。貴重な時間、着いたその日からサファリが出来るのがとても嬉しい。今回のツアーは2月上旬で現地は乾季、毎日が晴天で日中はやや暑いが早朝はヤッケかカッパが丁度よかったです。この時期はヌーの大移動は見ることができないで残念ですが、その代わりその他の動物は沢山の種類を見ることができ、更に毎日晴天で良い時期だと思いました。
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サファリはトヨタ社のランクルを改造した車両に乗り込み、こちらの希望する動物の直ぐそこまで行って見ることができ、少人数ツアーの良さを感じました。ロッジのロケーションの良さや天候にも恵まれ、さらにベテランドライバーのTさんの腕により、セレンゲティならではのほとんどの大型動物を見てそしてカメラに収めることができ、とても感激でした。時にはチータの兄弟がポーズも取ってくれました。どうもありがとう~
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日中は気温も高くライオンなどは木陰で休んでおり、こちらのリクエストで早朝サファリを実施して頂きました。おかけで夜行性の動物が早朝に獲物を食べているところなど、様々な場面を見ることができて、とても素晴らしい体験でした。ちょっとかわいそうでもありますが、小型動物が自分の順番を待っております。
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基本的にはサファリ中の下車は禁止、但し早朝サファリではランチBOXを準備して頂き、大草原のど真ん中での朝食は格別でした。早朝サファリは毎回場所を変えて頂き、時には大きな岩の上で360°見渡す限りの地平線と、遠くにいる動物の群れを見ながらの朝食は大変に素晴らしく、この感激は言葉でも撮影してきたビデオでも伝えることはできません。個人的にはこの体験だけでも今回のツアーに参加できてとても良かったと感じた瞬間でした。
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旅行後記
以上、大きなトラブルもなく無事アフリカ旅行を満喫できましたが、細かいトラブルはありました。やはり海外それもアフリカなので体調含めた十分な準備が必要かと思います。下記は個人的な感想や体験談。参考になれば幸いです。
ロッジの場所はとても素晴らしく最高の立地ですが一方で多少の問題点もあり、例えば私達の2Fの部屋は歩くだけでギシギシ音がしましたが、1Fはうるさくはないのでしょうか?また我々の部屋はシャワーの出がとても悪く、一方バスタブのお湯はとてもよく出るので、大きいペットボトルをカッターで切り、手桶代わりにして使用するなど工夫しました。場合によっては部屋の交換をお願いするのも良いと思いますが、日本とは違うのである程度は我慢ですかね?全体的には改装も進んでおり思ったより綺麗でした。この時期の夜間は乾燥し喉を痛めるので、部屋にロープを張って洗濯物を干し加湿しました。ロッジ全体で虫は少ないですが、それでも蚊取り線香は大変に便利で、寝る前だけ使用しておりました。むしろアルーシャのホテルでも蚊がいたので有効でした。また、ドライバーさんの宿舎は我々とは離れて蚊が多いとのことで、残った蚊取り線香はドライバーのTさんにあげたら大喜びでした!(下の写真はロッジ内で撮影した小動物)
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その他、アルーシャで携帯は通じましたが、ここのロッジでは通じませんでした。尚、現在ここでは売店やネットカフェさらにはフィットネスマシンルームなどの工事を行っておりましたので、今後はさらに便利かと思います。
今回の旅行用に望遠付きのデジタルカメラを購入しました。機種はCanon Power Shot SX30ISで、理由は性能と安さと使い易さです。ズームは光学35倍×デジタル4倍=合計最大140倍、本文中のチータ兄弟の写真を参考にして下さい。素人の私が買ったその日から使用可能で、ビデオ撮影もできるのでこれ一台でOK!荷物も少なくて楽でした。カメラを持たない方は双眼鏡も便利ですが、15倍程度の安いモノで十分だと思います。
さて楽しくもあり、また面倒でもあるのがお土産。セレンゲティのホテルに帰る途中、お土産屋さんに一軒寄ってくれましたが値段がやや高く、ドライバーさんにお願いしてもう一軒寄って頂き、ティンガティンガやソープストーンのお皿を購入、直径8cm程度の小さなお皿はUS$5でしたが、10枚以上購入するからと言ってUS$3まで値切りました。アルーシャのホテルに戻り時間があるので町に買い物で出かけましたが、一歩ホテルを出ると売り子の若い兄ちゃんが寄ってきて思うように歩けませんでした。ほとんどの店で値段が付いておらず、値段はあってないようなモノ。ある店で上記と同じお皿の値段を聞いたらUS$50だと言っており、また別の店でキリマンジャロのコーヒー豆(2袋)も最初はUS$50でしたが値切ると最後は1/3程度になりました。コーヒーの味は普通で、「町に出回って売るのはB級品でA級品は直接日本などに輸出している」との話もあるようですがどうでしょうか?
最後に、今回の旅行から帰ってもう数カ月が経過しましたが、あの感動を取り戻しに今すぐにでも再出発したい旅行であり、アフリカはリピータの方が多いのが分かりました。
「悠久の大地セレンゲティ 滞在型サファリ 9日間」ツアーページはこちら。
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