ナイロビ ダイアリー no.15 ナイロビのお洒落事情

ケニアの人たちはお洒落に余念がない。抜けるような青空の下、真紅の布を身に纏ったマサイの人々、アートのレベルまで昇華したビーズアクセサリーを身に纏うサンブルの人々。そういったエスニックな魅力の人々だけでなく、東京の街と変わらないようなビジネスライフを送るナイロビの人々も、細身のスーツに身を包み、ピカピカの革靴で街を闊歩する。夜になれば、拘りのファッションに身を包んだ若者たちで溢れかえる。人々はみな決して楽な暮らしばかりではないだろうが、日々のささやかな楽しみを満喫している。

ナイロビ・布屋街

ナイロビの市内中心部、ダウンタウンの一角に「ナイロビ・テキスタイル・センター」と呼ばれる雑居ビルがある。築何十年かは分からないが、建て増しにつぐ建て増しで、現在も成長中。全フロアの全てに小さな布屋と仕立屋がひしめき合っていて、その数は250店を超える。多くは2~3畳くらいの大きさで、扱う布の種類に拘りがあったり、仕立屋も現代風の服が得意な店から、伝統衣装が得意な店など千差万別。問屋街にもなっているので、朝から晩まで地元の人たちで賑わっている。好きな人には堪らない場所なのだが、1時間も居ると目がチカチカ、頭がクラクラしてくる。

雑居ビルの上から下まで、無数の布が飛び交う
雑居ビルの上から下まで、無数の布が飛び交う

品揃えは、さすがに東アフリカの大都市ナイロビ。アフリカ大陸の全土から、様々な布地が集まる。東アフリカのカンガ布、ナイジェリアや西アフリカでよく使われるキテンゲやパーニュといったワックスプリントもの、バゼンと呼ばれる糊の効いた光沢の布、ガーナのケンテ生地、マリ共和国の泥染め・藍染め、コンゴで見られるラフィアで織られたクバ王国の草ビロード布(さすがに摸造ですが)まで見つけたときはたまげた。ここに来て誰かに聞いてみれば、きっとアフリカの布で見つからないものはないと思う。
私も、カラフルなアフリカの服に憧れて、気に入った布でシャツなど仕立ててもらったりするものの、悲しいかな、薄い顔立ちと貧弱な身体つきではどうにも似合わない。街を歩いてみて、ガラスに映った自分を見ると、何かの罰ゲームでしょうか?と思うような見苦しさだ。通りすがりの人に「ルッキン!グッド!」なんて誉められても、そのまま日本まで飛んで帰りたくなる。アフリカンなお洒落は、あまりにもレベルが高過ぎるが、それでも何故か惹かれてしまい、たまに時間を見つけては布漁りに行ってしまう。
ナイロビでは、毎月のように様々なファッションショーが行われる。流行は常に変わり続ける
ナイロビでは、毎月のように様々なファッションショーが行われる。流行は常に変わり続ける

仕立屋

アフリカ諸国では、カラフルな布地を仕立てて着るのが今でも主流だ。ケニアでも田舎に行くと今でもそういう伝統服を着る人が多い。サンダル履きの農家のお母さんが、農作業に出るのに、カンガ布を頭と腰に巻いているだけでも絵になる。そんな風景でも、よく見るとサンダルと腰巻の布地の色を秘かに合わせていたりと、日々の暮らしの中の、ささやかな拘りが垣間見える。
残念ながら、近代化の進むナイロビでは、そういった伝統服に身を包む人は年々少なくなっている。それでも、この街にはまだ『服を仕立てる/直す』という文化が残っている。体型が変われば裾を詰める、端切れ布をアレンジして付け足す。着なくなった服は裁断してパーツを組み換え、布地を組み込んでリフォームする。全国どこに行っても同じファッションブランドの服が手に入る昨今の日本では、なかなか目にすることのできない光景だ。
そんな文化の担い手が、畳1畳分あればどこでも仕事ができてしまう「仕立屋」さんたちだ。メジャーでお客さんの寸法を測ると、型紙なぞ使うことなく、いきなり布地に鋏を入れる。足踏みミシンがカタカタと音を立てれば、あれよあれよという間に服ができあがっていく様は、本当に魔法使いのようだ。そんな名もなき市井のアーティストたちが踏むミシンから、今日もナイロビの流行が生み出されていく。

ミシン1台で何でも作り出してしまう。仕立ては男性の仕事だ
ミシン1台で何でも作り出してしまう。仕立ては男性の仕事だ

生野

お土産が安い国 「ジンバブエ」

ハイパーインフレで100兆ジンバブエドルというとんでもない額のお札を発行していた国。

現在ではジンバブエドルは廃止され、米ドルが流通しています。ジンバブエドルはお土産用に売られているのをよく目にしましたが、9月にはジンバブエドルの回収が完了するそうなので、入手が難しくなっているかもしれません。
そんなジンバブエですが、個人的にいいなぁと思ったところは、お土産が安いこと!アフリカのお土産屋では交渉が必要なところが多いですが、言い値がすでに安いです。
特にグレートジンバブエ遺跡の周辺にあるお土産屋さんは破格の安さ!これ以上交渉して安くするのは気が引けるほどでした。クオリティも高いのでお勧めです!
by 菊地佑介

風まかせ旅まかせ Vol.24 弊誌創刊150号に想う

――旅はやっぱり一人旅、ほんものを求める人々のコンサルタント、若者よ旅に出て太陽を掴め!――
1978年7月に発行された『どぅどぅわーるどにゅーす』第1号のキャッチコピーだ。しみじみ時代を感じる。
弊社が旅行業のライセンスを取得したのが1980年なので、当時はまだ『どぅどぅわーるど・アフリカ同好会』で、正式には旅行会社になっていないノンビリした時代だった。その記念すべき第1号(写真)は、A4の紙1枚の表裏で、縦も横もなく、斜めの行まである。めちゃくちゃで読み難いったらありゃしない。素人臭さムンムンで、なにやら笑ってしまうが、大変貴重な第1号だ。
そして、今回が創刊150号。37年かかったのだから、年平均4号の発行となる。あっという間だったような、とても長かったような、複雑な気持ちだ。お金が無かったせいもあり(たぶん!?)、紙1枚のニュースが3年ほど続く。その後、A3の2つ折4頁となり、変形の小型新聞になったり、変形正方形になったり様々に変わっていく。頁数も記事の内容も現在とは大きく異なり、ケニアやセネガルの旅行と一緒にハワイやオーストラリアの旅行を提供したり、会社の試行錯誤の時代も感じられる。
2000年に入り現在の形に定着したものの、当初は全頁モノクロ。やがて表紙だけカラーになり、印刷代が下がったせいか現在は全頁カラーになっている。これだけ見ると会社の成長とともに順調に弊誌も成長(?)してきたように思えるが、いまだに毎回試行錯誤は続いている。
年代別に仕分けされたファイルをペラペラとめくっていると、37年の間に企画したツアーや地域、当時のスタッフや記事などが飛び出してきて思わず笑ってしまう。整理してアーカイブを作ってみるのも楽しいかなと思う。
最近はホームページを見て、弊社に関心を寄せてくださるお客様も多い。活字離れが、こんな末端でも進んでいるのだろう。ひょっとすると将来は、『DODO WORLD NEWS』も、データ配信になってしまうのかも知れない。ただ、どんなカタチになっても、創業社長熊澤の基本理念であった、「偏見に満ちたアフリカ情報を、できるだけローカルな視線で正直に発信するベースであろう」という気持ちは、これからもきっちり継承していこうと思う。
写真 : 記念すべき創刊第1号は、A4の紙1枚だった

コートジボワールの調味料

コートジボワールの料理ではいろいろな調味料が使われています。塩、現地で収穫される唐辛子(現地ではペーストを作るよりも、直接シチューの入っている鍋に入れてしまうことや、たまねぎと一緒に和えて料理に添えることも)、ヒロハフサマメノキの種を発酵させてシチューなどに添えるスンバラなどがあります。
今回はうまみ調味料について紹介してみたいと思います。
主なブランドとしてはマギー(現地ではマジー)やジャンボ(現地ではジュンボ)等があります。

コートジボワールで主に食べられているシチューは、もともとは肉や魚に、野菜【トマト、たまねぎ】をベースに、そのほかの野菜【ほうれん草、落花生、アブラヤシの種子、ナス】を煮込んで作る料理です。
最近は、上記のようなうまみ調味料があるので、牛肉の味、鶏肉の味、えびの味、魚の味などのうまみ調味料を加えることによって、短時間の煮込みでそれらの味が味わえるようになってきています。
コートジボワールで作られる料理のすべてに入っているわけではありませんが、コートジボワールや西アフリカでは欠かせない調味料の一つと言っても過言ではないと思います。
画像はアビジャンのポールブエ地区でのジャンボの販促キャンペーン(建物の屋根はマギーで塗装されています。)
ジャンボの販促キャンペーン1
ジャンボの販促キャンペーン1

ジャンボの販促キャンペーン2
ジャンボの販促キャンペーン2

by 虎

エチオピアで車が動かなくなった時の素敵な出会い

エチオピアを旅している途中で、いきなり車が動かなくなった!ということがあった。

そんな時、たまたま止まった場所に小さな集落が。
なんだなんだ!?と大人や子どもたちがやってくる。
大人たちは、快く故障した車の修理を手伝ってくれたりする。
子どもたちは、珍しい外国人に興味津々。
「写真を撮ってもいい?」と聞くと、
きめポーズをするかわいい子どもたち。
旅のトラブルが素敵な出会いになることもあります♪
写真はきめポーズのやんちゃ坊主たち!
by 伊藤