ハイパーインフレで100兆ジンバブエドルというとんでもない額のお札を発行していた国。
そんなジンバブエですが、個人的にいいなぁと思ったところは、お土産が安いこと!アフリカのお土産屋では交渉が必要なところが多いですが、言い値がすでに安いです。
特にグレートジンバブエ遺跡の周辺にあるお土産屋さんは破格の安さ!これ以上交渉して安くするのは気が引けるほどでした。クオリティも高いのでお勧めです!
by 菊地佑介
ハイパーインフレで100兆ジンバブエドルというとんでもない額のお札を発行していた国。
――旅はやっぱり一人旅、ほんものを求める人々のコンサルタント、若者よ旅に出て太陽を掴め!――
1978年7月に発行された『どぅどぅわーるどにゅーす』第1号のキャッチコピーだ。しみじみ時代を感じる。
弊社が旅行業のライセンスを取得したのが1980年なので、当時はまだ『どぅどぅわーるど・アフリカ同好会』で、正式には旅行会社になっていないノンビリした時代だった。その記念すべき第1号(写真)は、A4の紙1枚の表裏で、縦も横もなく、斜めの行まである。めちゃくちゃで読み難いったらありゃしない。素人臭さムンムンで、なにやら笑ってしまうが、大変貴重な第1号だ。
そして、今回が創刊150号。37年かかったのだから、年平均4号の発行となる。あっという間だったような、とても長かったような、複雑な気持ちだ。お金が無かったせいもあり(たぶん!?)、紙1枚のニュースが3年ほど続く。その後、A3の2つ折4頁となり、変形の小型新聞になったり、変形正方形になったり様々に変わっていく。頁数も記事の内容も現在とは大きく異なり、ケニアやセネガルの旅行と一緒にハワイやオーストラリアの旅行を提供したり、会社の試行錯誤の時代も感じられる。
2000年に入り現在の形に定着したものの、当初は全頁モノクロ。やがて表紙だけカラーになり、印刷代が下がったせいか現在は全頁カラーになっている。これだけ見ると会社の成長とともに順調に弊誌も成長(?)してきたように思えるが、いまだに毎回試行錯誤は続いている。
年代別に仕分けされたファイルをペラペラとめくっていると、37年の間に企画したツアーや地域、当時のスタッフや記事などが飛び出してきて思わず笑ってしまう。整理してアーカイブを作ってみるのも楽しいかなと思う。
最近はホームページを見て、弊社に関心を寄せてくださるお客様も多い。活字離れが、こんな末端でも進んでいるのだろう。ひょっとすると将来は、『DODO WORLD NEWS』も、データ配信になってしまうのかも知れない。ただ、どんなカタチになっても、創業社長熊澤の基本理念であった、「偏見に満ちたアフリカ情報を、できるだけローカルな視線で正直に発信するベースであろう」という気持ちは、これからもきっちり継承していこうと思う。
写真 : 記念すべき創刊第1号は、A4の紙1枚だった
コートジボワールの料理ではいろいろな調味料が使われています。塩、現地で収穫される唐辛子(現地ではペーストを作るよりも、直接シチューの入っている鍋に入れてしまうことや、たまねぎと一緒に和えて料理に添えることも)、ヒロハフサマメノキの種を発酵させてシチューなどに添えるスンバラなどがあります。
今回はうまみ調味料について紹介してみたいと思います。
主なブランドとしてはマギー(現地ではマジー)やジャンボ(現地ではジュンボ)等があります。


エチオピアを旅している途中で、いきなり車が動かなくなった!ということがあった。
アフリカをロケ地として撮影された映画というと、
皆さんはどの辺りを想像されますでしょうか。
一番の有名どころといえば、愛と憎しみのデカン高・・・もとい、
「愛と哀しみの果て・OUT OF AFRICA」でしょうか。


