動物園の目玉の一つとしても人気のあるキリン。サバンナを優雅に歩くキリンには惚れ惚れします。
まつげも非常に長くフサフサです。少しでも周りが見えるようにと目がデメキンのように少し出っ張っているため、紫外線から目を守るために長く多いそうです。
ちなみに日本国内でペットとして飼える最大の哺乳類がキリンだそうです。飼える人は限られるでしょうが・・・
動物園の目玉の一つとしても人気のあるキリン。サバンナを優雅に歩くキリンには惚れ惚れします。
ツチブタほど奇妙奇天烈という言葉がぴったりと当てはまる動物もいまい。ブタのような鼻、ウサギのような耳、丸く湾曲した背中と太く長い尻尾、中途半端に生えた毛。どれをとっても何かがおかしい。その姿かたちは、正に珍獣と呼ぶにふさわしい。
ブタと名がついてはいるが、ツチブタは一目一種の動物であり、イノシシなどとはまったく関係がない。主食はシロアリやアリで、前足の強力な爪で巣を破壊し、出てきた虫を長い舌でからめとって食べる。赤道付近の熱帯林地帯など一部地域を除き、サハラ以南アフリカに極めて広く分布しているため、決して希少種ではないが、とても警戒心が強い上に夜行性でもあるために通常のサファリでお目にかかることはまずない。写真は南アフリカのキンバリー市近郊で夜間に撮影したものだ。スポットライトが届くギリギリの距離だったので、カメラのISO感度を思い切り上げて撮った。画質にザラつきがあるのはそのためだ。
姿を見るのは難しくても、ツチブタが辺りにいるかいないかを判断するのは簡単だ。そこかしこに直径50cmほど、深さ数メートルの斜めに掘られた穴があったら、そのエリアにはツチブタが暮らしている。あんな巨大な穴を掘る動物は、アフリカのサバンナには他に存在しない。この穴が実に厄介で、ブッシュを歩く際には、気をつけていないと足を取られて骨折などの大怪我をしかねない。特に足元が見えづらい草むらでは注意が必要となる。オフロードで車を運転する場合も油断ができない。大型四輪駆動車でさえ車輪がはまってスタックしたり横転した事例はあり、死亡事故も起きている。そのため現地の住民からは迷惑な存在として扱われることが多い。
ところで、ウォーキングサファリの最中にツチブタの穴を見つけても、むやみに穴の正面に立って中を覗き込んだりしないように。使い古しの穴は多くの動物たちに再利用される。特にイボイノシシはツチブタの穴をねぐらとしてよく使う。中にイノシシがいる時に出口を塞いでしまうと、相手は退路を絶たれたと思い込んで突進してくる可能性があり非常に危険だ。中を確認したいのであれば、開口部の横からそっと覗き込むようにすることをお勧めする。入り口にクモの巣が張っていたら、そこに哺乳動物はいないだろう。しかし、もしかしたらヘビがいるかもしれないのでご注意あれ。
撮影データ:ニコンD800、AF-S VR 80-400mm f4.5-5.6、1/200秒 f5.6 ISO5000
ツチブタ
英名:Aardvark
学名:Orycteropus afer
全長:1.45〜1.75m
体重:40〜65kg
写真・文 山形 豪さん
やまがた ごう 1974年、群馬県生まれ。幼少期から中学にかけて、グアテマラやブルキナファソ、トーゴなどで過ごす。高校卒業後、タンザニアで2年半を過ごし、野生動物写真を撮り始める。英イーストアングリア大学開発学部卒業後、帰国しフリーの写真家に。南部アフリカを頻繁に訪れ、大自然の姿を写真に収め続けている。www.goyamagata.com
アフリカには多種多様な人形がある。その多くは愛玩用というより占いの儀式に使うものであったり、願いを託した身代わり像であったり、土着信仰に由来している。しかし、今回ご紹介するトーゴのエウェ族のコロン人形はそうした一般的な人形と全く違うジャンルに属す大変ユニークなものである。

トーゴは1885年にヨーロッパ連合の取り決めによりドイツの植民地になった。ドイツはトーゴをアフリカの文明化のモデルとして他のヨーロッパ諸国に示そうと鉄道の建設や道路整備などに着手して急速な近代化を進めた。この政策のためにドイツからは優秀で教養のある上流階級の人間が派遣され、豊富な資金とエネルギーが惜しみなく使われた。トーゴ、特にエウェの人々の目にこのような最新の技術を駆使する白人たちは特別の魔力を持った存在として映ることになった。テクノロジーとは一切無縁の長い時代を過ごした人々にとって次々と新しいものに出会うということはどんなことだったろう。ある意味で白人たちは神のような存在として出現したのだとしても不思議ではない。


祖先信仰としてコロン人形を祀る習慣を持つエウェの人たちであったが、ドイツの入植者からは生贄の血液を伴う伝統的な祭祀を禁じられていた。そのこともあり、白人を象った新しい種類のフェティッシュを注文する人たちが現れて、白人の典型的な服装や装飾品を付けた人形が作られるようになった。エウェの家庭の祭壇では白人の持つ力を取り入れようとこの新しいコロン人形が飾られ、不吉な事から身を守るために願いを込めて大切に祀られた。伝統的な儀礼とは異なった方法でこのような人形が作られたことはドイツ人の入植がエウェの社会にポジティブな意味を持っていたということだろう。これらの独特なコロン人形は1885年以前には見られず、1914年以降にもほとんど見られない。この30年弱の期間は白人が神のように考えられた歴史的に稀にみる幸福な時間であったといえるだろう。その意味で、最初の入植者としてのドイツ人が上流階級の人間であったということは重要である。彼らは勇気があり、優しく、勤勉であり、惜しみなく文明の利器を伝えた。


エウェの人たちがドイツ人を恩人として尊敬し、人形に表現したことはうなずける。
写真提供/小川 弘さん
小川 弘さん 1977年、(株)東京かんかん設立。アフリカの美術品を中心に、アフリカ・インド・東南アジアの雑貨、テキスタイルなどを取り扱っている。著書にアフリカ美術の専門書「アフリカのかたち」。公式ウェブサイト http://www.kankan.co.jp/
先日、ミャンマーの少数民族が暮らす地域を訪ねたとき、小学生ぐらいの女の子が地面に線を引いて「ケンケンパー」をしていた。こうした「子どものあそび」には当然、地域ごとの特徴があるものだが、どういうわけか世界中で共通したあそびというのも結構あるらしい。代表的なものといえば、「あやとり」や「なわとび」だろうか。だれしもたぶん子どものころにはこうしたあそびを経験していると思うが、民俗学者の研究によると、そうしたあそびは単一起源ではないという。つまりどこかで発生して伝わったというのではなく、自然発生的に世界各地であそびが生まれたらしいのだ。
あやとりはいっけん女の子の遊びのように思えるが、そうでもないらしい。僕も子どものころは熱中してやっていたことがある。たしか「ホウキ」とか「ハシゴ」とか呼ばれる形を作ることを競っていた。ひとりであそぶこともあれば、ふたりで交互に形を作っていく場合もある。写真のようにアフリカではエチオピアで見かけたことがあったし、コンゴ民主共和国のイトゥリの森で暮らすムブティ・ピグミーの女の子たちがやっていたのを見たこともある。
僕は自分の子どもを観察していて、あそびが子どもの仕事なのだな、と実感することがある。あそびを通じて子どもは成長していく。人間が成長して大人になってゆく過程というかシステムは、おそらく人種や民族に関係なく世界中で同じなのだろう。そういう成長の過程であやとりなどのあそびも自然発生的に生まれるのではないだろうか。そう考えると、たかがあやとりというあそびも、幼少期の言語の習得と同じくらい脳の発達に関して大切なものなのかもしれない。
もし生まれた直後からプラスチックでできた玩具などが与えられてしまったら、あやとりというあそびとも無縁のままで子ども時代を過ごしてしまうような気がする。アフリカを旅したことのある人はまず子どもの数の多さに驚かれたと思うが、ありあわせの廃材や空き缶などを利用してつくった玩具であそんでいる姿を目撃された方も多いだろう。ちゃんとハンドルが付いた小さなトラックを得意げに運転している男の子もよく見かける。思わず自分の子ども時代に重ね合わせて懐かしさを感じる旅人も多いはずだ。そういう姿を目撃すると、なぜかホッとして救われた気持ちになる。と同時に、ゲームばかりしている日本の子どもは大丈夫か、と心配になってしまうのである。
写真・文 船尾 修さん
船尾修さん 1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。 公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/
ケニアの人たちはお洒落に余念がない。抜けるような青空の下、真紅の布を身に纏ったマサイの人々、アートのレベルまで昇華したビーズアクセサリーを身に纏うサンブルの人々。そういったエスニックな魅力の人々だけでなく、東京の街と変わらないようなビジネスライフを送るナイロビの人々も、細身のスーツに身を包み、ピカピカの革靴で街を闊歩する。夜になれば、拘りのファッションに身を包んだ若者たちで溢れかえる。人々はみな決して楽な暮らしばかりではないだろうが、日々のささやかな楽しみを満喫している。
ナイロビの市内中心部、ダウンタウンの一角に「ナイロビ・テキスタイル・センター」と呼ばれる雑居ビルがある。築何十年かは分からないが、建て増しにつぐ建て増しで、現在も成長中。全フロアの全てに小さな布屋と仕立屋がひしめき合っていて、その数は250店を超える。多くは2~3畳くらいの大きさで、扱う布の種類に拘りがあったり、仕立屋も現代風の服が得意な店から、伝統衣装が得意な店など千差万別。問屋街にもなっているので、朝から晩まで地元の人たちで賑わっている。好きな人には堪らない場所なのだが、1時間も居ると目がチカチカ、頭がクラクラしてくる。

品揃えは、さすがに東アフリカの大都市ナイロビ。アフリカ大陸の全土から、様々な布地が集まる。東アフリカのカンガ布、ナイジェリアや西アフリカでよく使われるキテンゲやパーニュといったワックスプリントもの、バゼンと呼ばれる糊の効いた光沢の布、ガーナのケンテ生地、マリ共和国の泥染め・藍染め、コンゴで見られるラフィアで織られたクバ王国の草ビロード布(さすがに摸造ですが)まで見つけたときはたまげた。ここに来て誰かに聞いてみれば、きっとアフリカの布で見つからないものはないと思う。
私も、カラフルなアフリカの服に憧れて、気に入った布でシャツなど仕立ててもらったりするものの、悲しいかな、薄い顔立ちと貧弱な身体つきではどうにも似合わない。街を歩いてみて、ガラスに映った自分を見ると、何かの罰ゲームでしょうか?と思うような見苦しさだ。通りすがりの人に「ルッキン!グッド!」なんて誉められても、そのまま日本まで飛んで帰りたくなる。アフリカンなお洒落は、あまりにもレベルが高過ぎるが、それでも何故か惹かれてしまい、たまに時間を見つけては布漁りに行ってしまう。

アフリカ諸国では、カラフルな布地を仕立てて着るのが今でも主流だ。ケニアでも田舎に行くと今でもそういう伝統服を着る人が多い。サンダル履きの農家のお母さんが、農作業に出るのに、カンガ布を頭と腰に巻いているだけでも絵になる。そんな風景でも、よく見るとサンダルと腰巻の布地の色を秘かに合わせていたりと、日々の暮らしの中の、ささやかな拘りが垣間見える。
残念ながら、近代化の進むナイロビでは、そういった伝統服に身を包む人は年々少なくなっている。それでも、この街にはまだ『服を仕立てる/直す』という文化が残っている。体型が変われば裾を詰める、端切れ布をアレンジして付け足す。着なくなった服は裁断してパーツを組み換え、布地を組み込んでリフォームする。全国どこに行っても同じファッションブランドの服が手に入る昨今の日本では、なかなか目にすることのできない光景だ。
そんな文化の担い手が、畳1畳分あればどこでも仕事ができてしまう「仕立屋」さんたちだ。メジャーでお客さんの寸法を測ると、型紙なぞ使うことなく、いきなり布地に鋏を入れる。足踏みミシンがカタカタと音を立てれば、あれよあれよという間に服ができあがっていく様は、本当に魔法使いのようだ。そんな名もなき市井のアーティストたちが踏むミシンから、今日もナイロビの流行が生み出されていく。

生野