African Art 14 ヨルバの扉

今回、写真でご紹介するこの扉は、おそらく20世紀半ば頃の制作である。この扉のモチーフにはヨルバ族の重要なメッセージが表現されている。パネルの左側面と中央下から2番目に見られる人間の目を突いている鳥を見ていただきたい。この鳥は神々の神聖な使者としてのハゲワシである。かつて、ヨルバ族の儀礼では神と人間のコミュニケーションの手段として人間が生贄として捧げられてきた。19世紀以前には鉄の神「オグン」を讃える祭りや新しい王の就任式などの最も重要な儀礼において、人間は神に捧げる最高の生贄であった。この写真の扉ではハゲワシが人間の目を突いているが、これは神がこの生贄を喜んで受け入れたという意味であり、儀礼の成功を表している。

ヨルバの扉(H183cm×W61cm)
ヨルバの扉(H183cm×W61cm)

ハゲワシが生贄の人間の目を突いている
ハゲワシが生贄の人間の目を突いている

この扉以外にもアフリカには表面にユニークなデザインが施された扉がたくさんある。マリのドゴン族やナイジェリアのヌペ族などの戸外で用いられる扉のなかには、幾何学模様がモダンアートのように描かれている芸術的なものがある。風雨に晒されて使い込まれたその独特な味わいは現代空間を飾るオブジェとして人気が高い。
また一方で、室内に使われる扉には具象的な造形が施されていることが多い。今回取り上げたヨルバ族の扉は室内で使われる具象的なデザインを代表するひとつである。もともとヨルバ族の祖先は紀元前2~3世紀のノック時代まで遡り、既にその時代の塑像において世界的レベルの洗練された作品を創っていた。その後、12世紀頃から17世紀頃まで繁栄を謳歌するイフェ、ベニン時代になると、その美術的な技術や質は更に向上し、アフリカにおけるルネッサンスと呼ばれるほどの完成度に達した。
現存するイフェやベニンの彫像はほとんどブロンズ作品であるが、同時代には数多くの優れた木彫作品も存在したであろう。アフリカの厳しい気象条件と保管の悪さによりこの時代の木彫作品は現存しないが、ブロンズ作品に匹敵する多くの秀作が創られていたことは間違いない。現存する木彫作品は19世紀位のものから残っているが、それらの仮面や神像から卓越した完成度を感じることができる。19世紀の後半から20世紀の頃は、腕のある造形職人たちは宮廷のお抱え職人となり優遇されていたので、優れた職人の工房には腕を磨こうとする若い職人たちが弟子入りして技術は練磨され発展していった。
ヨルバ族 母子像(H56cm)
ヨルバ族 母子像(H56cm)

ノック・テラコッタ頭像(H27cm)
ノック・テラコッタ頭像(H27cm)

写真提供/小川 弘さん

小川 弘さん
1977年、(株)東京かんかん設立。アフリカの美術品を中心に、アフリカ・インド・東南アジアの雑貨、テキスタイルなどを取り扱っている。著書にアフリカ美術の専門書「アフリカのかたち」。公式ウェブサイト http://www.kankan.co.jp/

Africa Deep!! 47 エチオピアに美人が多い、という話は本当なのだろうか

旅好きの男同士の会話なら、きっとこういうのがあるはずだ。「で、どこの国の女性が一番美人だった?」 もしかしたら女性同士の会話にも、「どこの国の男が……?」というのがあるのかもしれない。いや、きっとあるはずだ。
美の基準は人それぞれだから、まあこの手の会話はだいたいが他愛のないものが多い。しかし、旅行者の間ではかなりの確信を持って流布している噂もまた結構あるものなのだ。たとえば、中南米の美人国ベストスリーといえば、コロンビア、チリ、コスタリカの3Cだよね、といった類の。
では、これをアフリカという括りにしたらどうなるか。僕はこれまで、ここがベストスリーだ、という話は聞いたことがないが、「この国!」というのは何人からも聞いたことがある。それは、エチオピアである。
かなり前にアジスアベバへ行ったとき、たまたまミス・アジスアベバのコンテストがあるという話を聞きつけた僕は、現地に駐在する友人ら四人でそれを観に行った。高級ホテルに設置されたショウの舞台はなかなか本格的で、鼻の下を伸ばして見入っている男どもがたくさんいた。もちろん僕たちもその一部である。
街を歩いていても、たしかにときどきびっくりするぐらいの美人がいる。アフリカ一の美人国という評判はまんざらでたらめでもないと思う。エチオピアの建国伝説によると、紀元前に栄えたシバの女王とソロモン王との間にできたメネリクⅠ世がエチオピアの父祖とされている。そしてシバの女王は絶世の美女であったともいわれている。
シバの国はイエメンあたりにあったと推定されているから、アラブの血とブラックアフリカの血が混じりあったために、現在のような混血美人が生まれたという考え方もできるかもしれない。
参考までに、これまで60回ほど開かれているミス・ユニバース世界大会では、アフリカ勢は三度栄冠に輝いている。南アフリカ、ボツワナ、ナミビアの出身者だ。エチオピア出身者はまだいない。何度もいうようだが、美人の基準は人それぞれ。何はともあれ、旅人ならば真偽を確かめに、一度はエチオピアへ出向いてみたらどうだろうか。
写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。
公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/

初心者がゼロから始める登山 キリマンジャロへの道 Lesson 5 オフシーズンの過ごし方 -メンテナンスと体力維持-

10月の机上講習会(大阪事務所)をもって、今年度の登山講習は終了しました。初心者向けの当講習会では冬&雪山登山は行わないため、冬のオフシーズンには、頼れる相棒として活躍してくれた登山靴やレインウェアなどの登山用具には、しばらくお休みしてもらうことになります。オフシーズンといっても、キリマンジャロを目指す方には欠かせない作業があります。それは登山道具のメンテナンスと体力の維持。今回はこのオフシーズンの作業について簡単にお話します。
日常の外に身を置く「登山」という行為には、その環境に身を置くことをサポートしてくれる特別な道具が欠かせません。特に、登山靴、レインウェア、バックパックは、大切な相棒とも呼べる存在です。もともとアウトドアでの使用に限定されている道具ですので、頑丈に作られてはいますが、過酷な環境にさらされ、汚れや傷みも激しくなっているでしょう。山での数々の思い出づくりに一役買ってくれた、愛着のある道具はできるだけ長く使いたいもの。オフシーズンのみならず、日頃のメンテナンスは非常に重要です。“自然の中に身を置くエコなスポーツ”、としての登山を愛好している皆さんには、大量生産・大量消費ではない、「よいモノを長く使う」という心がけを持っていただきたいと思います。各用具にはそれぞれ合った洗い方、乾かし方、保管の仕方がありますが、油や泥汚れに弱い、摩擦や折れに弱い、湿気に弱い、という3点はいずれの用具にも共通します。基本はきちんと洗って汚れを落とし、通気性の良い所で乾かして、窮屈ではない自然な形で保管すれば、どの用具も長持ちしてくれます。このメンテナンスをしながら、翌年春の計画を練ったり、新たに購入する登山用具をチェックしたりして過ごすのも、また非常に楽しい時間の過ごし方ではないかと思います。
yama-5-2
yama-5-3
もう一つ重要なのは、体力の維持。今年の夏も2名の添乗員がキリマンジャロ登山ツアーに同行しましたが、どちらも「低い山でも良いから、日頃の登山経験が大事」と実感したようです。日本の場合、冬になるとほぼ全ての高い山は雪に覆われてしまい、登山には特別な技術が必要になり、かつ危険度も比較にならないほどアップしますので、夏山の経験しかない方にとっては山から足が遠のくシーズンになります。そこで、冬の山歩きは思い切って高い山を諦め、近郊の低山に的を絞りましょう。冬は晴天率も高く、歩いていても不快な汗をかくこともないので、実は非常に快適な山歩きが楽しめます。広葉樹林であれば葉も落ちますので、見晴らしも当然良くなるでしょう。余裕のある行程で山歩きを楽しみついでに温泉に入って帰るという日帰り低山歩きは、冬場こそより一層楽しいイベントになるのではないかと思います。
羽鳥

風まかせ旅まかせ Vol.13 幸福な時間

最初にケニアを訪れたのは78年、今から34年前だ。まだナイロビの車の数も少なく、夜の一人歩きも不安がなかった。マサイの兄ちゃん達が牛を追いながら、ケニヤッタアベニューを横切ったりしていた。
ある日、駐在員のKちゃんと、事務所近くのカフェに入った。私は当時好きだったビターレモンを注文した。レモンスカッシュのようなソーダだ。するとKちゃんがウェイターに向かって「×××××・・・!」と強く言った。ウェイターは笑っている。スワヒリ語のできない私が、「今、何て言ったの?」と聞くと、「ビンの詮を歯で開けるんじゃないわよ!」と言ったそうだ。
スコールになれば道路は下水で溢れ、ドロドロになった市内を走るバスは、窓ガラスが割れたままだったし、ギアチェンジのシフトレバーにはグリップの代わりに食べ終わったトウモロコシの芯が刺さっていた。運転手はトウモロコシをかじりながら、当たり前のようにトウモロコシレバーでギアチャンジをしていたし、満員のお客の誰も不思議がる人はいなかった。ひどくノンビリとした幸せな時代だったように思う。
その後ナイロビは急激な人口の流入とともに、巨大なスラム街が生まれ、治安も悪化し、他のアフリカの都市同様、自動車の増加とともに酷い渋滞が発生するようになり、多くの社会問題が取り上げられる大都市へと変化した。
変わらないのは赤道直下の太陽と空、プカプカと浮かぶ雲とサバンナの広がり、そしてそこに住む多くの野生動物だ。ロッジの芝生に寝転がり、鳥やサバンナモンキーのキーキーという鳴き声を聞きながら、空を見上げ、手の届きそうなところに浮ぶ雲を見て、高原の風に吹かれている時ほど、幸福な時間はないと思っている。
日本の仕事や生活から生まれるアレやコレや…ストレスの原因一切合切が、実はどうでもいいことに思えてきてしまう。本当にアフリカに来て良かった! と思える時間だ。ウソだと思うなら、ぜひ一度、サバンナで寝転んでみてほしい。幸福な時間は私が約束します!
写真 : マサイ・マラ国立保護区

Nelson Mandela Note登場

南アフリカの新ネルソン・マンデラ札が出回りだしました。
裏面はBIG5。
札の金種(特に100ランド札)によっては、最新札(マンデラ)、これまでのお札と、さらにその前の旧札(量は既に少ない)と3種類の紙幣が出回って居ます。
01
02