African Art 10 ケンテの布、エウェの布(ガーナ、トーゴ)

アフリカの布の中でもその鮮やかさが際立っているのがアシャンティ族のケンテクロスとエウェ族のエウェクロスである。この布は肩から足首まで体を包む衣装として用いられる。西アフリカ特有の10cm位の細幅の布を縫い合わせて一枚の大きな布にしたもので、そこには幾何学文様や動物、人などのさまざまな文様が織りこまれている。素材は、綿や絹、また最近ではレーヨンも使われている。絹の布は王様やチーフだけが着るものであるがその絹は日本からも輸入されたという。細幅の布の織りは、中央アジアのステップからコーカサス地方、アフリカ北西部に至る地域で2000年以上の歴史を持つ。イスラム教の勢力拡大とともに、サハラ砂漠を越えて西アフリカに伝わったという。西アフリカのほとんどの地域で、布を織るのは男性の仕事である。布を織ることはとても神聖な作業だった。職工は一日の仕事を終えると、儀式的な事をして仕事場を去った。機織りの道具で人をたたいたりすると悪病をもたらすと信じられた。また機織り機は、その持ち主が死ぬと壊され、他の人に引き渡されることはなかったという。

ケンテクロス
ケンテクロス

ケンテクロス
ケンテクロス

エウェクロス
エウェクロス

エウェクロス
エウェクロス

アシャンティ族は15世紀以前からこの地方に住みつき、交易などで繁栄、王国を形成した。金を産出したこととヨーロッパとの交易が盛んで鮮やかな染料や絹などの素材が入手できたこともあり、エウェのそれに比べて艶やかな布が多い。一般の人たちの着る藍と白の綿布とは別にして、絹を用いたり草木染めで色をつけたり、文様を複雑化して独特の発展を遂げた。アシャンティの人々の間では、使われる色や文様によってそれぞれの布に呼び方がある。布の名前は、“唐辛子”“トウモロコシの葉”など文様のデザインで呼ばれるものと、ことわざで呼ばれるものがたくさんある。アシャンティ族はことわざが豊富なのでその数は計り知れない。身分によって使える色や文様は決まっていて、エウェ族が動物や人などの具象的な文様を使うのに対してアシャンティの文様は全て幾何学文様である。エウェ族にも、日常に用いる布とエウェの言葉で“アダヌド”と呼ばれる特別の布がある。“アダヌド”はチーフや年配者が着る布で質の良い綿、または絹で織られ、複雑な文様が織り込まれる。アシャンティほどの厳しい決まりごとがないので、身分による決まった文様も見られない。こちらにもたくさんの布の名前がある。アシャンティのようには高価な鮮やかな染料が入手できなかったので、主に天然染料や、ややくすんだ色合いが使われた。しかし結果的にエウェの色合いには天然染料や落ち着いた色合いが多いので一般的な評価は高い。
機を織る老人(マリ)
機を織る老人(マリ)

写真提供/小川 弘さん

小川 弘さん
1977年、(株)東京かんかん設立。アフリカの美術品を中心に、アフリカ・インド・東南アジアの雑貨、テキスタイルなどを取り扱っている。著書にアフリカ美術の専門書「アフリカのかたち」。公式ウェブサイト http://www.kankan.co.jp/

Africa Deep!! 43 アフリカの砂漠に打ち捨てられた砂上の楼閣

このところ「時間により色彩が刻々と変化する赤い砂漠」でツーリストに人気のナミビア。この国には他のアフリカにはない「地球の古い時代の記憶」というものがあちこちに露出しており、私もまた訪れたいと思っているところだ。
アフリカ大陸全体にさまざまな地下資源が埋蔵されているのは最近よく耳にするようになった。携帯電話をつくるのに欠かせない貴金属もある。しかし貴重な地下資源といったらやはりダイヤモンドの右に出るものはないだろう。その中でもナミビア産のダイヤモンドは品質が良いということで事情通にはよく知られている。
その理由として、ナミビア産のは「海洋ダイヤモンド」と呼ばれるもので、もともとは海中に存在していたためキズが少ないのだという。そしてその海洋ダイヤモンドはナミブ砂漠一帯に分布している。
金鉱と同様、富が埋もれる場所には人が一攫千金を夢見て集まるのはいずこも同じ。砂漠という本来は人間が住むことができない場所にも、かつて人が集った。日露戦争よりさらに時代をさかのぼる1908年、ナミビアが「ドイツ領南西ナミビア」と呼ばれていた植民地時代に砂漠の中でダイヤモンドが発見されると、大西洋岸の港町との間で鉄道が敷設され、たくさんのドイツ人が入植してきた。
ドイツ風の住宅や学校、病院、さらには発電所や劇場、カジノなども建てられ、コールマンスコップという街が忽然と姿を現したのである。当時アフリカで初めてのレントゲン機器が導入されるなど、コールマンスコップはダイヤモンドという小さな光り輝く石のおかげでアフリカでも最も裕福で先進的な街になった。
ところがこの砂漠の街は突然打ち捨てられた。その石が採れなくなったからである。戦後の1954年には完全に廃れた。街の最盛期はわずか20年ほどだった。栄枯盛衰。人間の欲望の象徴のようなこの砂上の楼閣は、いまはただ風が舞い砂に日々埋もれていくのみである。
写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。
公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/

初心者がゼロから始める登山 キリマンジャロへの道 Lesson 1 「中高年登山」も「山ガール」も大歓迎!

十数年前からブームが始まり、すっかり定着した感のある「中高年登山」に加え、数年前から続く「山ガール」ブーム。キツイ、クサイ、キタナイと3拍子揃ったマイナースポーツ時代が長く続いた登山・トレッキングも、オートキャンプなどと同様に自然と親しむアウトドアアクティビティの代表格として幅広い愛好者を再び獲得し、ブームはますます加速していく様子です。登山・トレッキングを、趣味を超えたライフワークとして続けてきた身からすると、非常に好ましく感じます。
一方、インターネットを通じた山の情報収集や局地的な天候予測が可能になったことや、道具・ウェア類の進化によって間口が広くなり、初心者が登山を始める環境もかなり整ってきました。反面、山では常識とされる知識と経験の欠如は、初心者の遭難や山岳事故の増加を顕著にしている、という事実もあります。
ここ数年で登山を始められた方にとっての目標の山は「富士山」だそうです。もちろん、日本一の山ですし、素晴らしい山だというのは十分承知しておりますが、夏場だけで毎年20万人を超える人々が登る親しみやすい山(簡単だ、という意味ではありません)である富士山を最終目標としてしまうのは、ちょっと勿体ない。そんな風に感じてしまった弊社登山ツアー担当スタッフが、アフリカ旅行専門店として最も得意とする山『キリマンジャロ』を目標にしていただき、氷河が溶けてしまう前に(※)その絶景をご覧いただきたいと、「初心者がゼロから始める登山―キリマンジャロへの道―」と称した講習会を約3年のスパンで計画しました。
冬以外(降雪が多くない山であれば冬季も考慮します)の期間、机上講習と年数回の日帰り~数泊の山行を、毎回テーマを設けて行います。目指すはもちろん『キリマンジャロ登頂』ですが、この講習を通じて末永く生涯スポーツとして登山・トレッキングを行い、自然に触れていただけるだけの知識は身に付けられる予定です。
「登山には非常に興味があるけど、どこから始めていいのかわからない」、「始めたいけど一人で行くのは不安だし、教えてくれる人もいない」という方、特に女性のご参加をお待ちしております!大学山岳部出身の筋金入りの山男スタッフが、講習会・講習山行を通じて「登山・トレッキングのイロハ」をお教えします。
写真 : キリマンジャロは山頂の氷河で有名ですが、温暖化によりあと数年で全ての氷が消失する恐れがあります。
羽鳥

11月11日(金)

前回から一週間空いてしまいました。
日曜日に書こうと思っていたことです。
開店から10年たったJAVA HOUSEはナイロビでも有名なカフェレストランです。
日曜日限定の新しいブランチメニューが出ていました。

①ストロベリー&バナナクレープ with カラメルソース(400シリング)
①ストロベリー&バナナクレープ with カラメルソース(400シリング)

②クレープ・エッグベネディクト with HOLLANDAISE ソース(450シリング)
②クレープ・エッグベネディクト with HOLLANDAISE ソース(450シリング)

とりあえずお腹が空いていたので、どちらも食べました。
①についてはカラメルソースをチョコレートソースに変更してもらいました。
日本のクレープのような、しなやかさのある生地ではありませんが、悪くはないです。が、お腹はイッパイにならない量です。(私だけか・・)
②のソースはいわゆるバター・ソースでした。ベネディクトの売りの半熟さには欠けていましたが、どちらかというと私はこちらの方が好きです。
注文の前にウェイター4名に新メニューについて確認しましたが、2対2でやはり人の好みによるんでしょう・・。
もし、日曜日にJAVAに行く機会があれば、お試しください!

風まかせ旅まかせ Vol.9 英雄アベベの国、エチオピアに想う

今年、創立33年の記念に自社でカレンダーを制作することにした。この手の仕事は佐藤が得意だ。写真選びからデザインまで佐藤に一任した。サイズはA4判見開き、弊社スタッフがアフリカ各地で撮ったオリジナル写真にこだわり、素晴らしいカレンダーが出来上がった(自我自讃!ぜひご購入ください)。企画過程で様々な意見があった。その一つが「アフリカ各国の独立記念日を国旗とともに入れよう!」というもので、皆迷わず賛成。全54カ国の独立記念日が、弊社のカレンダーには記載されている…と思って佐藤に確認すると「全53カ国です。エチオピアには独立記念日がありませんよ!」と言うではないか。うかつだった。エチオピアはもともと長い歴史のある独立国で、ヨーロッパ列強に完全に植民地化された歴史はないのだ!唯一イタリア軍との戦争、一部の占領(この戦争では多くのエチオピア人が命を落としている)の時代を経験している。
エチオピア人が一番嫌いな国はイタリアだ。現地ガイドから幾度となく聞かされているので間違いないだろう。そんな話の中で必ず登場するのが、英雄アベベ・ビキラだ。ガイドが言う。「マラソンランナーのアベベを知っていますか?」。キクチ「もちろん知ってるさ。64年の東京オリンピックで優勝したエチオピアの英雄だろ?史上初のマラソン2連覇を成し遂げて、その後、交通事故が原因で亡くなっている」。ガイド「そう、東京の前のローマでも優勝したんだ。その時、アベベは“裸足”で走って、イタリアの新聞はこぞって“靴も買えない貧乏国エチオピアの選手”と紹介した。そのアベベが優勝したんだ…」。よっぽど悔しかったんだろう。自分で話しながら目に涙を浮かべている。祖国を武力で植民地化しようとしたイタリアで、“裸足の英雄”は生まれた。当時のエチオピアの熱狂は想像に難くない。
そういえば59年の伊勢湾台風で甚大な被害を被った日本にいち早く義援金を贈ってくれたのもエチオピアだったと言うし、今年の震災でも世界最貧国と言われながら2500万円の義援金を贈ってくれた。
改めて、多くの旅行者をエチオピアに送るのが弊社の責務だと思う。
写真 : 1960年ローマオリンピックのアベベ・ビキラ from Wikimedia Commons