11月15日(火)

久しぶりにフンコロガシを見た。
今まで「なぜ、フンを転がすのか?」と疑問を持ったことはなかったが
今回は気になったので、手っ取り早くWikipediaを開いてみた。
以下、一部抜粋~
新鮮な糞があると、匂いを嗅ぎつけてあちこちから集まってくる。
その場で糞を食べるものもあるが、地下に穴を掘り、糞を運び込むものもいる。
糞の下に部屋を作り、そこに運び込んだ糞を使って糞玉を作る。
糞玉は初めは球形で、その上面に部屋を作り、産卵して部屋を綴じるので洋梨型か卵形になる。
幼虫は糞玉内部を食い、そこで蛹になり、成虫になって出てくる。
生態系における糞虫のもう一つの大きな役割は、種子分散である。
哺乳類の糞に含まれる植物の種子は糞虫によって地中に埋められることで、発芽率が上昇する。
こんな大きな仕事を担っていたとは・・・。皆さんご存知でしたか??

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WILD AFRICA 14 キンモクセイとセミとヌー

2011年10月初旬のとある晴れた日、窓を開け放つとキンモクセイの甘い香りが漂ってきた。ああ、秋が訪れたなと思うところまではよかったのだが、よく考えると何かがおかしい。先ず自分の服装。10月というのにTシャツ・短パンだ。それくらい気温が高い。そして聞こえてくる音。どこかでセミがまだ鳴いている。これが、私の住んでいる神奈川県・横須賀市だけの話であったなら、笑い飛ばすこともできたであろう。しかし、北極海の氷が観測至上最も小さくなったり、アフリカで大飢饉が頻発するようになったりと、温室効果ガスの排出による全地球規模の気候変動は紛れもない現実だ。
当然ながら、温暖化は野生動物の世界にも甚大な影響を与えている。東アフリカのヌーの大移動もその一例だ。通常ヌーたちは、雨を追いかける形で移動をする。小雨季が終わりを告げた1月ごろ、セレンゲティ大平原の南部に集結している彼らは、大雨季の訪れとともに北西方向へ動き出し、「西部回廊」と呼ばれるルートを辿ってヴィクトリア湖方面へ抜ける。そして6月、乾季が始まると今度は北東へと転進してケニヤのマサイマラへ入り、10月ごろに南下を始めてセレンゲティ南部へ戻る。これが大移動の大まかなパターンだ。
ところが近年、降雨が不規則・極端になってきたため、ヌーたちが草を求めて右往左往する現象が報告されるようになった。如何にセレンゲティが広大とは言え、百万頭ものヌーの行動に異変が起きれば、周辺環境や他の動物にも多大な影響を及ぼす。また、2007年にアフリカ各地を襲った大洪水の際には、マラ川の増水によって1万頭を超えるヌーが溺死した。ヌーの渡河は例年の事で、溺れたりワニに襲われたりして命を落とす個体は常にいるのだが、その規模が問題だ。何しろ1万頭といえば全体の1%に相当する数だ。
これまで絶妙なバランスを保ってきた生態系が崩れ去ろうとしている。気候変動が止まらなければ、ヌーの大移動に終わりが来るのも、そう遠い未来のことではないかもしれない。もちろん、この世界には永遠に続くものなど存在しない。しかしその終焉をもたらすものが我々人間の身勝手さであってよいのだろうか?キンモクセイの香りとセミの声に戦慄を覚えた私は、そんな事を考えた。
撮影データ:ニコンF3T、シグマ28-70mm f2.8-4、フジクローム・センシア 十数年前、4月のセレンゲティにて撮影
オグロヌー
英名:Wildebeest (Gnu)
学名:Connochaetes taurinus
体長:170~240cm
体高:115~145cm
体重:♀140~260kg
♂165~290kg
寿命:20年
写真・文  山形 豪さん

やまがた ごう 1974年、群馬県生まれ。幼少期から中学にかけて、グアテマラやブルキナファソ、トーゴなどで過ごす。高校卒業後、タンザニアで2年半を過ごし、野生動物写真を撮り始める。英イーストアングリア大学開発学部卒業後、帰国しフリーの写真家に。南部アフリカを頻繁に訪れ、大自然の姿を写真に収め続けている。www.goyamagata.com

African Art 10 ケンテの布、エウェの布(ガーナ、トーゴ)

アフリカの布の中でもその鮮やかさが際立っているのがアシャンティ族のケンテクロスとエウェ族のエウェクロスである。この布は肩から足首まで体を包む衣装として用いられる。西アフリカ特有の10cm位の細幅の布を縫い合わせて一枚の大きな布にしたもので、そこには幾何学文様や動物、人などのさまざまな文様が織りこまれている。素材は、綿や絹、また最近ではレーヨンも使われている。絹の布は王様やチーフだけが着るものであるがその絹は日本からも輸入されたという。細幅の布の織りは、中央アジアのステップからコーカサス地方、アフリカ北西部に至る地域で2000年以上の歴史を持つ。イスラム教の勢力拡大とともに、サハラ砂漠を越えて西アフリカに伝わったという。西アフリカのほとんどの地域で、布を織るのは男性の仕事である。布を織ることはとても神聖な作業だった。職工は一日の仕事を終えると、儀式的な事をして仕事場を去った。機織りの道具で人をたたいたりすると悪病をもたらすと信じられた。また機織り機は、その持ち主が死ぬと壊され、他の人に引き渡されることはなかったという。

ケンテクロス
ケンテクロス

ケンテクロス
ケンテクロス

エウェクロス
エウェクロス

エウェクロス
エウェクロス

アシャンティ族は15世紀以前からこの地方に住みつき、交易などで繁栄、王国を形成した。金を産出したこととヨーロッパとの交易が盛んで鮮やかな染料や絹などの素材が入手できたこともあり、エウェのそれに比べて艶やかな布が多い。一般の人たちの着る藍と白の綿布とは別にして、絹を用いたり草木染めで色をつけたり、文様を複雑化して独特の発展を遂げた。アシャンティの人々の間では、使われる色や文様によってそれぞれの布に呼び方がある。布の名前は、“唐辛子”“トウモロコシの葉”など文様のデザインで呼ばれるものと、ことわざで呼ばれるものがたくさんある。アシャンティ族はことわざが豊富なのでその数は計り知れない。身分によって使える色や文様は決まっていて、エウェ族が動物や人などの具象的な文様を使うのに対してアシャンティの文様は全て幾何学文様である。エウェ族にも、日常に用いる布とエウェの言葉で“アダヌド”と呼ばれる特別の布がある。“アダヌド”はチーフや年配者が着る布で質の良い綿、または絹で織られ、複雑な文様が織り込まれる。アシャンティほどの厳しい決まりごとがないので、身分による決まった文様も見られない。こちらにもたくさんの布の名前がある。アシャンティのようには高価な鮮やかな染料が入手できなかったので、主に天然染料や、ややくすんだ色合いが使われた。しかし結果的にエウェの色合いには天然染料や落ち着いた色合いが多いので一般的な評価は高い。
機を織る老人(マリ)
機を織る老人(マリ)

写真提供/小川 弘さん

小川 弘さん
1977年、(株)東京かんかん設立。アフリカの美術品を中心に、アフリカ・インド・東南アジアの雑貨、テキスタイルなどを取り扱っている。著書にアフリカ美術の専門書「アフリカのかたち」。公式ウェブサイト http://www.kankan.co.jp/

Africa Deep!! 43 アフリカの砂漠に打ち捨てられた砂上の楼閣

このところ「時間により色彩が刻々と変化する赤い砂漠」でツーリストに人気のナミビア。この国には他のアフリカにはない「地球の古い時代の記憶」というものがあちこちに露出しており、私もまた訪れたいと思っているところだ。
アフリカ大陸全体にさまざまな地下資源が埋蔵されているのは最近よく耳にするようになった。携帯電話をつくるのに欠かせない貴金属もある。しかし貴重な地下資源といったらやはりダイヤモンドの右に出るものはないだろう。その中でもナミビア産のダイヤモンドは品質が良いということで事情通にはよく知られている。
その理由として、ナミビア産のは「海洋ダイヤモンド」と呼ばれるもので、もともとは海中に存在していたためキズが少ないのだという。そしてその海洋ダイヤモンドはナミブ砂漠一帯に分布している。
金鉱と同様、富が埋もれる場所には人が一攫千金を夢見て集まるのはいずこも同じ。砂漠という本来は人間が住むことができない場所にも、かつて人が集った。日露戦争よりさらに時代をさかのぼる1908年、ナミビアが「ドイツ領南西ナミビア」と呼ばれていた植民地時代に砂漠の中でダイヤモンドが発見されると、大西洋岸の港町との間で鉄道が敷設され、たくさんのドイツ人が入植してきた。
ドイツ風の住宅や学校、病院、さらには発電所や劇場、カジノなども建てられ、コールマンスコップという街が忽然と姿を現したのである。当時アフリカで初めてのレントゲン機器が導入されるなど、コールマンスコップはダイヤモンドという小さな光り輝く石のおかげでアフリカでも最も裕福で先進的な街になった。
ところがこの砂漠の街は突然打ち捨てられた。その石が採れなくなったからである。戦後の1954年には完全に廃れた。街の最盛期はわずか20年ほどだった。栄枯盛衰。人間の欲望の象徴のようなこの砂上の楼閣は、いまはただ風が舞い砂に日々埋もれていくのみである。
写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。
公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/

初心者がゼロから始める登山 キリマンジャロへの道 Lesson 1 「中高年登山」も「山ガール」も大歓迎!

十数年前からブームが始まり、すっかり定着した感のある「中高年登山」に加え、数年前から続く「山ガール」ブーム。キツイ、クサイ、キタナイと3拍子揃ったマイナースポーツ時代が長く続いた登山・トレッキングも、オートキャンプなどと同様に自然と親しむアウトドアアクティビティの代表格として幅広い愛好者を再び獲得し、ブームはますます加速していく様子です。登山・トレッキングを、趣味を超えたライフワークとして続けてきた身からすると、非常に好ましく感じます。
一方、インターネットを通じた山の情報収集や局地的な天候予測が可能になったことや、道具・ウェア類の進化によって間口が広くなり、初心者が登山を始める環境もかなり整ってきました。反面、山では常識とされる知識と経験の欠如は、初心者の遭難や山岳事故の増加を顕著にしている、という事実もあります。
ここ数年で登山を始められた方にとっての目標の山は「富士山」だそうです。もちろん、日本一の山ですし、素晴らしい山だというのは十分承知しておりますが、夏場だけで毎年20万人を超える人々が登る親しみやすい山(簡単だ、という意味ではありません)である富士山を最終目標としてしまうのは、ちょっと勿体ない。そんな風に感じてしまった弊社登山ツアー担当スタッフが、アフリカ旅行専門店として最も得意とする山『キリマンジャロ』を目標にしていただき、氷河が溶けてしまう前に(※)その絶景をご覧いただきたいと、「初心者がゼロから始める登山―キリマンジャロへの道―」と称した講習会を約3年のスパンで計画しました。
冬以外(降雪が多くない山であれば冬季も考慮します)の期間、机上講習と年数回の日帰り~数泊の山行を、毎回テーマを設けて行います。目指すはもちろん『キリマンジャロ登頂』ですが、この講習を通じて末永く生涯スポーツとして登山・トレッキングを行い、自然に触れていただけるだけの知識は身に付けられる予定です。
「登山には非常に興味があるけど、どこから始めていいのかわからない」、「始めたいけど一人で行くのは不安だし、教えてくれる人もいない」という方、特に女性のご参加をお待ちしております!大学山岳部出身の筋金入りの山男スタッフが、講習会・講習山行を通じて「登山・トレッキングのイロハ」をお教えします。
写真 : キリマンジャロは山頂の氷河で有名ですが、温暖化によりあと数年で全ての氷が消失する恐れがあります。
羽鳥