「美」 ギャラリーで、カフェで、エチオピアン・アートと出会う

ディープなエチオピアン・アート

三千年の歴史を有するエチオピアン・アートの世界はディープだ。世界文化遺産に残されてきた絵画、クロス、写本などの「教会美術」がまず深い。テキスタイル、ジュエリーなどの「民衆美術」にも歴史の重みがある。このディープさを求めて世界中から観光客がやってくる。優れた美術品を時系列に紹介する『30,000 years of art』には、エチオピアからはAD300年のアクスム王国「オベリスク」、1462年Fre Seyon画「聖母マリアその息子と天使たち」、1743年彫金「ゴンダールクロス」がエントリーしている。オベリスク以外は一般公開されていないが、ラリベラの教会群では古い絵画や写本、クロスなどを観ることができる。

ラリベラ教会群の一つが所蔵する写本、希望すれば見せてもらえる
ラリベラ教会群の一つが所蔵する写本、希望すれば見せてもらえる

ギャラリー、アートカフェ&レストランが続々オープン

ディープなアートに押され、現代アートの存在はごく最近まで知られていなかった。ここに商機をみたTesfaye Hiwet氏は15年前に移住先の米国からエチオピアに戻り15人のアーティストと、レストラン&ギャラリーを併設した「Makush Art Gallery&Restaurant」をオープン。顧客の7割は観光客と外国人、残りは裕福なエチオピア人が占めている。アートな店内を見せたくて、私もよく日本からのお客様をお連れした(ちなみにこの店のピザマルガリータとほうれん草サラダも美味)。今では70人ものアーティストを抱え、常時650点以上の絵画が収蔵されている。ギャラリーからの収入は30万ドルを超えレストランの2倍以上という。現代アートがにわかにクローズアップされ、急成長するアートシーンに、ギャラリーやアートカフェが急増している。

Makush Art Gallery。扉の中がイタリアンレストラン
Makush Art Gallery。扉の中がイタリアンレストラン

人気のエチオピアンアーティストMezgebu Tesemaの作品
人気のエチオピアンアーティストMezgebu Tesemaの作品

アジスアベバで観るべき作品

Modern Art Museumに展示されているGebre Kristos Desta氏(1932–1981)の作品は、エチオピアで観るべきアートのひとつだろう。モダンアートの父と呼ばれ尊敬を集めた同氏は、「人間の悲惨さと複雑さ」を斬新な表現とアプローチで芸術に取り入れている。
National Museumで公開されているAfewerk Tekle (1932–2012)の油絵「アフリカの遺産」も知名度の高い作品だ。アフリカとキリスト教のテーマが多く、アフリカ連合本部にある「アフリカの悲しみ、闘い、未来と希望」を描いた大型ステンドグラスが最も有名な作品。同博物館には米国でも評価の高い、ゲーズ語をつかって言語の美的可能性を描くWosene Worke Kosrof(1950–)の作品も展示されている。

アフリカ連合本部ビル(入場許可が必要)に飾られた大型ステンドグラス
アフリカ連合本部ビル(入場許可が必要)に飾られた大型ステンドグラス

アートと出会えるお奨めの場所

有名アーティストの作品や宗教美術を観るならModern Art Museum、Ethnological Museumがお奨め。若手の意欲的な作品を観るならAsni Art Gallery、Lela Gallery、Netsa Arts Village、5Artist Galleryなどの小規模ギャラリーがよい。名の知れたアーティストの作品や美術工芸品を扱うSt.Gorge Art Gallaryも見逃せない。最も穴場的な存在のお奨めは、Sheraton Hotel内のアートコレクションと、同ホテル開催のアート展示販売会だ(1階ロビー、許可を得て2階のアートも無料で見学可能)。ちなみに最近では現代アートがネット購入できるようにもなった(https://www.thenextcanvas.com/)。

アジスアベバにあるModern Art Museum
アジスアベバにあるModern Art Museum

若手アーティストが共同でオープンした「5Artists Gallery」
若手アーティストが共同でオープンした「5Artists Gallery」

写真・文 白鳥くるみさん

白鳥くるみさん
(アフリカ理解プロジェクト代表)
80年代に青年海外協力隊(ケニア)に参加。以来、教育開発分野で国際協力に力を注ぎ、多くの課題を抱えるアフリカのために何かできたらと「アフリカ理解プロジェクト」を立ち上げる。エチオピアを中心に活動の後、2015年、日本に拠点を移し本の企画出版などの活動をつづけている。

Africa Deep!! 64 難破船の墓場を歩く シップレック・トレイル

先日ある雑誌への原稿を書くために、書棚にあった岩波文庫の「海神丸」という本を読み返していた。もう何十年も前に読んだ小説なのだが、なぜ再読したかというと作者のことを記事にしなくてはならないからであった。
作者の野上弥生子は大分県の臼杵市の生まれ。文化勲章なども受賞している作家なので郷土では有名人で、記念館もある。彼女の生家は臼杵市の大きな造り酒屋で、その分家はフンドーキン醤油という大分県民なら知らぬ人はいないという大会社だ。
それはともかく「海神丸」は野上弥生子の代表作のひとつで、僕も再読しているうちにあらすじの記憶がよみがえってきた。この小説のモデルは大正時代に臼杵周辺で難破した実在の船舶である。57日間漂流し続けたという記録が残っている。
結果的にこの船は救出されるのだが、乗組員がひとり死亡した。そしてそのひとりはどうやら他の乗組員に殺害され食べられたという噂が広がった。野上弥生子はそれがほぼ事実であったことをひょんなことから知り、創作欲をかきたてられたと言われている。実際に本書を読むと、極限状況に置かれた人間がどのような心理状態に陥っていくのか、思わず文章にぐいぐいと引き込まれていく。やはり名作なのだった。
そのとき思い出したのが、「そういえば南アフリカで難破船を見たことがあったな」ということだ。話が思い切り飛んでしまい申し訳ないが、それは喜望峰にほど近い海岸だった。シップレック・トレイル(難破船のトレイル)と名付けられていたが、岩がごつごつ露出した海岸線を歩くというもので、トレイルそのものがあるわけではなかった。
とにかく風が強かった記憶がある。喜望峰は1488年にポルトガル人のディアスによって発見されたとき、あまりの風の強さに最初は「嵐の岬」と名付けられた。実際に喜望峰を訪れたことのある人なら知っていると思うが、台地状にせりあがった断崖には波が音を立てて打ち寄せている。
古い記録によれば、「発見」から300年ほどの間に20数隻の船がこの近辺で難破したという。トレイルを歩き始めてすぐに砂浜に半ば埋もれた難破船を見ることができた。鉄骨だったのでそんなに大昔のものではないかもしれない。調べてみると、戦時中や戦後も結構このあたりで難破した船があるようだった。原因は強風と濃霧だという。この人たちは無事に生き延びることができたのだろうか。それとも……。
文・写真 船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。アフリカ関連の著書に、「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から」「UJAMAA」などがある。最新作の「フィリピン残留日本人」が第25回林忠彦賞と第16回さがみはら写真賞をW受賞した。
公式ウエブサイト http://www.funaoosamu.com/

ナイロビ ダイアリー no.21 ナイロビでの食事

ケニアに来られる方々は
サファリやケニアについて
いろいろな質問や疑問を持たれている。
中でも意外と多いのが「普段は何を食べているのか?」。
今回はその質問に答えたいと思う。

ソマリ料理

道祖神ナイロビオフィスのあるタウンはビジネス街であり、たくさんの飲食店が並んでいる。最近はソマリア料理店がどんどん増えてきており、いつも混んでいる印象だ。タウンにはソマリア人がかなり多く、ナイロビオフィスの入っているビルにもソマリア人経営の会社が多数ある。隣国とはいえ、やはり故郷の味が恋しくなるのだろう。
ソマリア料理店では、ラクダの肉が食べられる。1度食べたが、次からはラクダか牛を選べと言われたら牛を選ぶだろう。部位にもよるだろうが、骨ばかりで食べにくかった。他にもヤギや羊の肉料理もあるが、ソマリ料理のカバーブ(kabaab)は一般的に想像するケバブではなく、肉団子のことなので知っておこう。

中華料理

ナイロビオフィスの前に1軒、自宅近くにも1軒、中華料理の店がある。ケニアには中国人が数多く住んでおり、やはり客層はアジア人が多い。食事会などでしか行く機会はないが、カニなど海外ではあまり食べる文化のないものから、ケニアのものまでが一緒に入った鍋はおいしかった。日本で食べる中華料理とは違うイメージだが、皆で鍋をつつくひと時は格別だ。

日本料理

残念ながら日本人経営の日本食レストランは、居酒屋「CHEKA」を除いてケニアには存在しない。ケニアにある日本食レストランの多くが、韓国人か中国人の経営だ。一時期、日本の飲食系企業がケニアに進出したと話題になった「TERIYAKI JAPAN」も、今はケニア人が経営していると聞いている。私は不思議と日本食が恋しくならないので滅多に行くことはない。

ケニア料理

ケニアに住んでいる以上、ケニア料理を避けることはできない。ロッジやホテルではお目にかかる機会が少ないが、ウガリをはじめ、ニャマチョマ、マンダジ等々…。インドから来ているものも多いが、サモサやチャパティ、ビリヤニなどもケニアの食事と言って過言ではないだろう。

何十年も続けているビリヤニ屋のビリヤニ
何十年も続けているビリヤニ屋のビリヤニ

特にウガリは日本人にとってのお米以上に大事な主食であり、奥さんが夕食にウガリを出さないと夫婦ゲンカなることも多々あるとか…。サファリドライバーの一人は「米なんかお菓子だ。ウガリじゃないと腹に溜まらない」と、大きなお腹を反らせて豪語していた。確かにウガリは腹持ちが非常にいいが、あの大きいお腹を見ると、ウガリは控え目にしとかないと…などと思ってしまう。
ケニアでは欠かせないウガリ
ケニアでは欠かせないウガリ

日常の食事

私はオフィス周辺で昼食をさっと済ませてしまうことがほとんどで、やはりケニア料理が大半を占めている。特に気に入っているのは、マトゥンボとチャパティの組み合わせだ。マトゥンボとは牛の胃という意味で、癖が少しあるので好き嫌いが分かれるかもしれないが、歯ごたえがあってたまらない。マトゥンボにライスの組み合わせが一番なのだが、なにしろ量が多いのでチャパティで済ませている。ちなみにウガリを頼むと、夕食も食べられなくなるような量が出てくる。それでも300円前後で済んでしまうのだから財布にはやさしい。

お気に入りのマトゥンボ・チャパティ
お気に入りのマトゥンボ・チャパティ

正直なところ、何を食べても美味しいと感じてしまう私の舌には豪華な食事はもったいない気がしてしまい、いつも同じようなケニア料理ばかり食べている。
表紙 : オフィス近くにあるハラール料理屋。ソマリア人も多いが、お昼時にはケニア人のお客さんで賑わう

2017.8.11発 クルーガー国立公園手配旅行 10日間

今回はパンフレットに載ってない特別サファリの添乗に行ってきました。南アフリカのクルーガーでサファリと言えば国立公園隣接にある私立の保護区でサファリをするのですが、今回は国立公園の中でサファリをしました。宿泊先はコテージやハットのレベルに泊まり、スーパーで食材を買って自炊や片づけをするというものです。
もう一つのテーマは変わった所に泊まる、星空を見ながら寝るという事にもトライしました。

2日目の夜はこんな所に泊まりました。日本でいえば貸別荘の感覚です。500mほど離れにあるコテージを貸切りです。
2日目の夜はこんな所に泊まりました。日本でいえば貸別荘の感覚です。500mほど離れにあるコテージを貸切りです。

オーナーの許可を得てシートを敷き、その上にマットレスを置いて寝袋で寝てみました。標高が1600mもあるのでとっても寒かったけど星はきれいでした。
オーナーの許可を得てシートを敷き、その上にマットレスを置いて寝袋で寝てみました。標高が1600mもあるのでとっても寒かったけど星はきれいでした。

夕食のメニューはポトフとサラダとぐるぐる巻きソーセージ、とってもおいしかったです。
夕食のメニューはポトフとサラダとぐるぐる巻きソーセージ、とってもおいしかったです。

南アフリカには道の駅に似たこんなおしゃれなお店もあります。ジャムやパン、フルーツ、炭やおみやげを購入しました。この店オリジナルのソースが好評でした。
南アフリカには道の駅に似たこんなおしゃれなお店もあります。ジャムやパン、フルーツ、炭やおみやげを購入しました。この店オリジナルのソースが好評でした。

公園のゲートにはデザートローズも咲いていました。
公園のゲートにはデザートローズも咲いていました。

湖のそばではアフリカサンショクウミワシのカップルがいました。
湖のそばではアフリカサンショクウミワシのカップルがいました。

公園内のピクニックサイトにいたら掃除のお兄さんが手招きしてくれ、コノハズクを見せてくれました。
公園内のピクニックサイトにいたら掃除のお兄さんが手招きしてくれ、コノハズクを見せてくれました。

クルーガーはゾウの多さで知られています。
クルーガーはゾウの多さで知られています。

所々に大きな川があり、橋の上に来ると必ず周りをチェックします。
所々に大きな川があり、橋の上に来ると必ず周りをチェックします。

キリンも多くいます。
キリンも多くいます。

定番のシマウマです。
定番のシマウマです。

お休み中のリカオンにも会えました。
お休み中のリカオンにも会えました。

食事の内容はスーパーマーケットで決めます。おいしそうなお肉やバターナッツを見つけて購入します。それを炭火で焼きます。
食事の内容はスーパーマーケットで決めます。おいしそうなお肉やバターナッツを見つけて購入します。それを炭火で焼きます。

朝食の一例です。パン、サラダ、ジャム、スープ、牛乳、コーヒーなど。
朝食の一例です。パン、サラダ、ジャム、スープ、牛乳、コーヒーなど。

ランチボックスの一例です。パン、コーン、インゲン、ハム、ゆでたまご、リンゴ、バナナ、コーヒー。
ランチボックスの一例です。パン、コーン、インゲン、ハム、ゆでたまご、リンゴ、バナナ、コーヒー。

3日目と4日目は公園内のハットに宿泊です。1部屋が1棟でシンプルな作りです。外には焼肉をするスペースがあります。ここで炭火のダチョウハンバーグを作りました。脂の少ない赤身でした。牛肉のハンバーグも合わせて作って味比べをしました。どっちもおいしかったです。
3日目と4日目は公園内のハットに宿泊です。1部屋が1棟でシンプルな作りです。外には焼肉をするスペースがあります。ここで炭火のダチョウハンバーグを作りました。脂の少ない赤身でした。牛肉のハンバーグも合わせて作って味比べをしました。どっちもおいしかったです。

5日目はバードハイドに泊まりました。左側が火をたくところ、右は鳥を見るための小屋です。小屋の中には簡易ベッドが付いています。貸切りなので外にシートを敷いて寝袋で寝てみました。風もなく暖かで、星空を眺めながら静かな夜を満喫しました。公園の中で、10km四方には誰もいないという孤立した夜でした。
5日目はバードハイドに泊まりました。左側が火をたくところ、右は鳥を見るための小屋です。小屋の中には簡易ベッドが付いています。貸切りなので外にシートを敷いて寝袋で寝てみました。風もなく暖かで、星空を眺めながら静かな夜を満喫しました。公園の中で、10km四方には誰もいないという孤立した夜でした。

小さな湖ですが、カバも住んでいます。夕食時には声が聞こえました。
小さな湖ですが、カバも住んでいます。夕食時には声が聞こえました。

7日目はツリーハウスに宿泊です。電気はありませんが、ソーラーの明かりが一部ありました。大きな農場の一部を利用して作られてるのでセキュリティは万全です。家から300mほど離れているのでとても静かです。着いた時には宿に誰もいないのでチェックインの手続きはありません。出て行くときも誰もいないのでチェックアウトの手続きもないという添乗員にとっては初めての経験でした。今回の旅行でここが一番好評でした。
7日目はツリーハウスに宿泊です。電気はありませんが、ソーラーの明かりが一部ありました。大きな農場の一部を利用して作られてるのでセキュリティは万全です。家から300mほど離れているのでとても静かです。着いた時には宿に誰もいないのでチェックインの手続きはありません。出て行くときも誰もいないのでチェックアウトの手続きもないという添乗員にとっては初めての経験でした。今回の旅行でここが一番好評でした。

窓も壁もありません。寝袋に入って寝ます。朝の最低気温は15度位でした。乾季なので蚊もいませんでした。
窓も壁もありません。寝袋に入って寝ます。朝の最低気温は15度位でした。乾季なので蚊もいませんでした。

敷地内にはたき火スペースがあって、3人はここでたき火を囲み、静寂の中、星空を見ながら寝ました。
敷地内にはたき火スペースがあって、3人はここでたき火を囲み、静寂の中、星空を見ながら寝ました。

トイレは水洗です。暖かいシャワーがありましたが、この時は誰も浴びませんでした。
トイレは水洗です。暖かいシャワーがありましたが、この時は誰も浴びませんでした。

皆さんと記念撮影です。女性6名様と私の7人です。
皆さんと記念撮影です。女性6名様と私の7人です。

南アフリカは治安が悪いと言われてますが、地方に行けばこれといった問題を感じません。逆に道路などのインフラはアフリカでトップレベルです。大きなスーパーマーケットもあるので食材の購入には困らないし、公園内にもショップがあるのでキャンプ用品や食料、炭なども購入できます。ショッピングモールではフライドチキンやハンバーガー、ピザのお店もあります。そういう面では自炊はさっぱりしたものがいいような気がしました。フルーツも結構買いました。オレンジをたくさん買って100%のジュースも作りました。さすがにおいしかったです。お腹を壊す人はいませんでした。心配だったので日本からドレッシングとか醤油を持参しましたが、ほとんど使う事がありませんでした。
藤井
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風まかせ旅まかせ vol.30 グラキリス成育日誌~出会い

先日、家の近所の園芸店で、見てはいけないモノを見てしまった。
ハンドボール程のまん丸の胴体、上部から空に向かって手のような枝が3本伸びている、その先に3-4cmの小さな葉が10枚ほど申し訳程度についている。どこかで見た記憶がある。どこで見たんだろう…。もっと巨大なモノだったような・…。イエメン、ソマリア、ナミビア…?ああ、マダガスカルだと気が付いた。
マダガスカル島の南西部、イサロだ。一度見たら忘れない、宇宙人を連想させるような独特の容姿。現地ではドラム缶サイズの巨大なものが岩山の中腹やロッジの中庭で、黄梅に似た花を咲かせていた。欲しい!持って帰りたい!と思ったが、国立公園の植物を持ち帰る訳にはいかない。それ以後、その独特な容姿はナミビアのウェルウィッチアやバオバブとともに頭の片隅に残ったまま何十年か経っていた。
植物に付いた札には、『パキポディウム・グラキリス 発根済』とある。店のスタッフに、発根済の意味を訪ねると、マダガスカルから到着した際には根が無い状態で、日本で栽培中に根が出て、日本の環境に適した個体のことを指すそうだ。南半球のマダガスカル、イサロの山岳地帯で採集され、牛車やトラック、飛行機に乗せられ、遠く日本に送られてきたグラキリスと、こんな近所で出会うとは!
店の女性は、「マダガスカル政府の厳重な管理の下で輸出されていますが、現地でも数が減ってきているので何時、輸出禁止になるかわからないです。日本で種から栽培してきたものもありますが、環境のせいか、この子ほど丸くならないんです」。この子、だと…解るような気がした。ずんぐりとした容姿は植物と言うより、動物に近い感情を抱かせる。昔の恋人に出会ったような気分、とはこういう事を言うのだろう。その上、「今日入荷したばかりで、次の入荷がいつになるかわからない」などと言うではないか。これで買わずに帰れる人間がいるだろうか?!長年の恋人なのだ。
訊くと、価格は55,000円!自転車が買えるじゃねぇ~か!と思ったが顔には出さず、ことさら平静を装い、「カード使えますか?」と言ってしまった。
(次号に続く)