2017.8.11出発 ケニア・サファリ・ハイライト 10日間

弊社のケニアのサファリツアーの中でも特に定番である、「ケニア・サファリ・ハイライト 10日間」に4年ぶりに同行しました。
ケニアの大統領選挙中ということでナイロビ空港からホテルまでの間は緊張していたのですが、道路状況や渋滞等は全く混乱もなく到着しました。暫くぶりのナイロビは、なんと片側2車線の環状線が完成しており、アンボセリからナクル湖に向かう時やマサイマラからナイロビに戻る際は毎年渋滞覚悟の市内中心部をスルー出来るようになっていました。インフラも段々と良くなってきていますね。
サファリに使用する車は懐かしいデザインのトヨタ・ハイエース4WD。最近のモデルは後部座席の窓が小さく、サファリにはこの旧モデルの方が人気があったりします。黄色の弊社エンブレムが眩しい・・・

サファリカー
サファリカー

翌日いよいよ出発。ナイロビ市内ではどんよりと曇っていた空も、アンボセリ国立公園にでは青空が広がり、キリマンジャロをバックにキリンがお出迎え。

キリマンジャロとキリン
キリマンジャロとキリン

肝心のサファリの方は、ちょうどヌーの大移動の時期ではありましたが、なかなか目の前で川を渡って貰えず、他の場所でちょうど渡り終わった瞬間を見ることが出来ました。それでもBIG5(ゾウ・サイ・ヒョウ・ライオン・バッファロー)は制覇。

クロサイ
クロサイ
チーター
チーター

マサイマラでは他の車がいない状態(私たちだけで独占という意味)でチータが横を歩いていたり、シマウマを啄むハゲワシがいたりとサファリを満足されたと思います。

シマウマを啄むハゲワシ
シマウマを啄むハゲワシ

ちょっと気になったのは、ナクル湖の水面上昇でしょうか。写真に写っているのは、元々サファリ用の道にある「標識」です。以前はあの標識からまだまだ先に行くことが出来たのですが、今年はこのような状況でした。

ナクル湖の標識
ナクル湖の標識

年末年始のケニア旅行、なかなかお休みが取りづらいという方に年末スペシャルとして限定ツアーを12/28出発1/3着の7日間で作りました!
■年末スペシャル マサイ・マラでサファリ 7日間
団体のお客様がいない部屋数の少ない静かなロッジを押さえました。みなさまのご参加をお待ちしております。
久世

石好きの話

本日は、弊社内でもそれなりに石好きな久世がご案内いたします。
幸運にもアフリカの色々な国へ訪れる機会があるのですが、その度にいくつか石や鉱物を拾い集めています。もちろん国立公園や保護地域、禁止されているところはご法度です!
さて、先日のナミブ砂漠とナマクワランドのツアーにご一緒しましたお客様から嬉しい報告とお写真が届きました。
ナミビアと南アフリカの国境を流れるオレンジ川の河原で採取した石を博物館で調べて貰ったとのこと。この石、なんと重さ2kg超え(笑)。

年代はカンブリア紀の海底で生成、白い線は当時の生物起源である炭酸カルシウムの結晶でした。

何という遥かなる時間の流れ・・・ロマンですねぇ。
鉱物も大好きですが、もっと、こう、う~む。しっくりくるようなというイメージでしょうか。そんな感じの石が見つかると、心の中でガッツポーズ!
宮田珠己さんが書いていますこちらの本ですが、石好きの感覚がとても面白く書かれていますので、一度読んで頂けると嬉しいです。(私も本の中に出てきます!笑)
https://bookmeter.com/books/8058431

by 久世

ナイロビのランチ

週に1度はかならず通っている、オフィス近くにある料理屋。マトゥンボという牛の腸が私のお気に入りで、ケニア人にも人気があり、若干の癖はあるものの、歯ごたえがあっておいしいです。
ちなみにですが、ローカルな地域では心臓、肝臓、腎臓はお年寄りが優先的に食べられるそうですが、胃は誰でも食べれられるそうです。他の部位より人気があり、まずはマトゥンボから食べるという人も多いようです。
旅行中のロッジやホテルではあまり見かけませんが、見かけた際にはぜひ挑戦してもらいたい料理です。

2017.8.5出発 ディスカバー・アンゴラ 9日間

8月に初企画となるアンゴラのツアーへ同行させていただきました。
名前だけは知られていても多くの方にはピンとこない国の一つがアンゴラかもしれません。
‘世界一物価の高い国’にも選ばれているアンゴラ。噂ではミネラルウォーター1本が1,000円、ピザが1枚5,000円などと聞いていたので、私はもちろんツアー参加者の方からもツアー前には「ミネラルウォーターは日本から持って行ったほうがいいですか?」「現金をどれくらい持って行っていいかわからない」といったお金に関するご質問が非常に多かったのでした。そんなわけで、皆さん、実際どれだけ物価の高い国なのか興味津々でした。

アフリカのドバイのような首都ルアンダ。ビーチに並ぶヤシの木はマイアミから船で運ばれてきたと聞きました。
アフリカのドバイのような首都ルアンダ。ビーチに並ぶヤシの木はマイアミから船で運ばれてきたと聞きました。
車を走らせるとバオバブがたくさん。村の人は一本の枝に飛び乗ってスルスルと上のほうまで登ってしまいます。
車を走らせるとバオバブがたくさん。村の人は一本の枝に飛び乗ってスルスルと上のほうまで登ってしまいます。
内戦の後、そのまま捨て去られたままの戦車。ついこの間まで内戦が続いたアンゴラは信じられないほど平和な空気が流れます。
内戦の後、そのまま捨て去られたままの戦車。ついこの間まで内戦が続いたアンゴラは信じられないほど平和な空気が流れます。
子供たちはみんなシャイ。外国人があまり多くないからでしょうか。
子供たちはみんなシャイ。外国人があまり多くないからでしょうか。
アフリカで2番目に大きい滝として知られるカランドゥーラ滝。地元の人も週末には観光に訪れるそうです。
アフリカで2番目に大きい滝として知られるカランドゥーラ滝。地元の人も週末には観光に訪れるそうです。
ホテルの敷地内にあった未完成のジャイアントセーブルの石像。これ以外にもゾウもありました。何ができるんでしょうか。
ホテルの敷地内にあった未完成のジャイアントセーブルの石像。これ以外にもゾウもありました。何ができるんでしょうか。
奇岩地帯ペドラス・ネグラス。奇岩のひとつに登りました。
奇岩地帯ペドラス・ネグラス。奇岩のひとつに登りました。
ボートサファリの途中で何度か漁師さんたちに会いました。
ボートサファリの途中で何度か漁師さんたちに会いました。
ヤシハゲワシのカップル。ボートからも、そして空を飛んでいるのもたくさん見かけました。
ヤシハゲワシのカップル。ボートからも、そして空を飛んでいるのもたくさん見かけました。
キッサマ国立公園のゲート。アンゴラにはいくつか国立公園がありますが設備が整っているのはまだこの公園くらいだそうです。
キッサマ国立公園のゲート。アンゴラにはいくつか国立公園がありますが設備が整っているのはまだこの公園くらいだそうです。
公園に入ってすぐ出迎えてくれたキリン。内戦で動物が激減したキッサマには2000年初頭、隣国から大型草食動物が移入されてきました。
公園に入ってすぐ出迎えてくれたキリン。内戦で動物が激減したキッサマには2000年初頭、隣国から大型草食動物が移入されてきました。
車の屋根まで隠れるほどの高さの草むらを走り、開けたところでエランドとご対面。自然の色にマッチした美しいレイヨウです。
車の屋根まで隠れるほどの高さの草むらを走り、開けたところでエランドとご対面。自然の色にマッチした美しいレイヨウです。
月のビューポイントという意味のミラドゥロ・ダ・ルア。夕陽前の時間帯が特に美しく見られるようです。
月のビューポイントという意味のミラドゥロ・ダ・ルア。夕陽前の時間帯が特に美しく見られるようです。
ミラドゥロ・ダ・ルアの反対側の景色。断崖の先には大西洋が広がります。
ミラドゥロ・ダ・ルアの反対側の景色。断崖の先には大西洋が広がります。

気になる物価ですが、ビールもスーパーマーケットで100円くらい~、ピザもピザハットみたいなお店で1,000円ちょっと~、と意外に普通の値段でした。ただルアンダのちょっとお洒落なレストランで1人8,000円近くしてましたからアフリカにしては高めかもしれません。
今回の旅で印象に残った一つは人のよさ。ホテルのスタッフも、立ち寄った村の人も移動途中で出会った人たちも誰もが優しくて少しシャイでした。そして素朴な自然。キッサマ国立公園は決して動物が多いとはいえませんが、内戦で激減した動物が2000年代になって再び戻り始めてきたばかり。これからは隣国から肉食動物も移入される予定があるそうですし、サバンナ、森、川、湿地帯と多様な自然の中で動物がもっと増えるでしょう。白いバオバブとライオン、なんて絵になりそうですね。
紙田
■アンゴラのツアー一覧はこちら

フランスにおける航空政策-アフリカにおいて-

1978年のアメリカで始まった航空自由化は、オープンスカイ政策の導入、中東系航空会社やLCCの全世界的運航、運賃設定の届出制、パンナム、トランスワールド、スイス航空、サベナ航空の倒産など、ありとあらゆることの引き金になったといっても過言ではありません。
それ以前の航空業界は国家による保護が大きく、フランスにおいては、航空会社の消耗を避けるべく、長距離便においては独占的な運航範囲が定められました。
フランスのナショナルフラッグキャリアのエールフランスは、アジア、中東、北米、南米、東アフリカ、北アフリカ、セネガルのダカールなどへ運航しました。

それ以外の地域を運航したのは、UTAフランス航空(Union de Transport Aerien)で、南アジア、東南アジア、中東、北米の一部、オセアニア、西アフリカ、中部アフリカ、南部アフリカでは、その濃紺の垂直尾翼が独占をしていました。日本では、東京-ヌーメア(ニューカレドニア)間を運航していたので、南太平洋への架け橋のイメージが強いと思いますが、UTAのドル箱は何と言ってもアフリカでした。

アフリカの就航地点数は、エールフランスをしのぎ、パリ線の主要なライバルはAir Afriqueのみで、そのライバルとはカルテルを結び、収益をしっかりと確保していました。
しかしながら、ヨーロッパでの航空自由化の影響に伴い、UTAの筆頭株主であったシャルジューウール・レユニ(Chargeurs Reunis)は、UTAの株式をエールフランスに売却をして、1992年末にエールフランスと吸収合併されました。
画像は、パリにあったUTA本社所在地だったビルに、UTAのDC-10、B747-400です。DC-10は東京-ヌーメア線の主要機材でした。
by 虎