エジプト、ツタンカーメン王墓を発見したハワード・カーターの誕生日

今日はGOOGLEのTOPページのホリデーロゴにもありましたが、ハワード・カーターの誕生日。生誕138周年(なんか中途半端ですね)だそうです。
児童文庫(確か、講談社の青い鳥文庫)に「ツタンカーメン王の秘密」という一冊があり、私も小学生の頃に読んで、ハワード・カーターの諦めない熱い想いに感動した記憶があります。
イギリスで高等教育を受けることができず(17歳で遺跡のスケッチ係として初めてエジプトに赴く)、そのためツタンカーメン王墓を発見した後も考古学者としては低く見られ、業績に反して不遇の人生を送った人です。
エジプトとイギリス、二国間の政治的駆け引き、発掘にかかる膨大な費用、未盗掘の遺跡の発見は盗掘と同じくファラオの眠りを覚ますもの・・・発掘は苦悩の日々だったといいます。
有名な話ですが、彼とパトロンのカーナヴォン卿は、発掘許可が切れる最後の年1922年にツタンカーメンの墓を発見しました。世評に翻弄されず発掘に挑み続けた、何とも粘り強い人だったようです。
情熱の量から考えたら、ツタンカーメン王墓の発見は彼以外に考えられなかったと思います。ツタンカーメンも彼に発掘されて満足だったのではないでしょうか。

ミイラのすぐ上に被せられていた写真の黄金のマスクは来ませんが、棺型のカノポス容器(肝臓を入れておいたもの)は今現在大阪天保山に、8月には東京にもやってきます。
人でごった返すんでしょうね・・・、カイロの博物館でさえそうなんですから。

西アフリカ、セネガルのジャズ・フェスティバル

アフリカ大陸の東端に位置するセネガル。
首都ダカールは「パリ・ダカール・ラリー」のゴールとしても有名ですが、アフリカ通の方には最新のアフリカンポップスと最先端ファッションの発信地でもある、アフリカ的な意味でのHIPな街として知られています。
首都ダカールの北、セネガル川の河口に1659年フランスによって建設され、1854年にフランス領セネガルの首都となったサン・ルイ(Saint-Louis)があります。コロニアルで美しい町並みと、その町並みを水面に映すラグーンで知られた街です。
サン・ルイは、アメリカのセントルイス(名前は同じ、ルイ聖王にちなんで名付けられました。英語読みか、フランス語読みかの違いです)と姉妹都市でもあり、双方の街でジャズ・フェスティバルが開催されています。今年の開催は5月。弊社でもツアーを企画しており、皆さんは5月24日に出発されます。
出演者は、なかなか渋いラインナップなのですが、今年の目玉はカメルーンのサックス奏者”マヌ・ディバンゴ”。「ソウル・マコッサ」の世界的大ヒットで知られたアフリカを代表するミュージシャンの一人です。あの70年代のアフリカを代表する名曲がナマで聴けるなんて・・・。
6月24日から、今度はモロッコのエッサウィラでもFestival Gnaouaというフェスティバルが開催されます。

これから夏に向けて、日本各地でも音楽フェスが開催されますが、一度くらいアフリカの音楽フェスにも足を運んでみてはいかがですか?
セネガルのツアー一覧はこちらです。

マサイ・マラの小さなロッジで過ごす・ケニア モニターツアー 7日間 2

2012年3月24日出発、マサイ・マラの小さなロッジで過ごす・ケニア モニターツアー 7日間に参加された竹山 和幸様からのレポートです。
「オルケリ・マラ・サファリキャンプ」はマサイ・マラの北東の公園外に2012年3月オープンしたテントロッジで緑に囲まれた敷地内にテントが並んでいました
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アットホームな雰囲気のキャンプでスタッフの皆さんの気配りが行き届いており責任者のデビットさんやドライバーのジェームスさん、ピーターさんは日本語が堪能なので安心して過ごせました
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各テントは茂みで隔てられ十分に距離が置かれ隣のテントの物音を気にすることなく早朝は鳥の鳴き声、夜は動物や虫の鳴き声を楽しむことができました
日の入りと日の出についてはキャンプ内から草原を見渡すことができませんが朝夕のサファリで素晴らしい日の出と日の入りの草原を見渡すことができました
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夜はマサイ・マラではナイトサファリができませんがキャンプ内で見上げた星空が最高で流れ星が何回も見ることができました
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動物に会うにはキャンプから動物たちの見られるエリアまで移動しなければならないかと思っていましたがそんなことなくキャンプ周辺でたくさんの動物を会えました
ウォーキングサファリに参加してキャンプのまわりを歩くとキリンのファミリーや象を見ることができ通常のサファリとはひと味違った生の感覚を味わうことができました
特にアフリカへ行く前に心配していたのは食事・シャワー・蚊のことでしたが蚊の虫刺されやハエなどには悩まされず快適に過ごすことができシャワーについてはサファリ後に各テントが一斉にシャワーを使ってもぬるくならず熱いシャワーを気持ちよく浴びることが出来ました
シェフの料理は日本人好みの味に仕上がっておりバリエーションが豊かで朝昼晩の三食を楽しむことが出来ました
特に最後の夜のアフリカンバーベキューは絶妙のスパイスで美味しいアフリカ料理を堪能しました
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アクティビティは通常の「朝夕のサファリ」に加えて「ウォーキングサファリ」、「バルーンサファリ」、「1日中のロングサファリ」、「マサイ村の訪問」を楽しみました
マサイマラで3日間サファリ漬けでしたが全く飽きる事なく満喫することが出来ました
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アットホームなキャンプで親切なケニアのスタッフに囲まれおいしい食事と清潔なテントで初めてのアフリカの素敵な思い出を作ることが出来ました
食事のときなどにデビットさんと日本語でどんなサファリをしたいか相談しながら決められるので希望に沿ったサファリを楽しめました
3月は草食動物の赤ちゃんも見られ微笑ましく、また乾燥した草原に寝転がってケニアの風に吹かれるのはとても気持ちが良かったです
素敵なツアーに参加させていただきありがとうございました
「マサイ・マラの小さなロッジで過ごす・ケニア 8日間」ツアーページはこちら。
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サファリ・動物がテーマのツアー・旅行一覧はこちら。

日本にやってきた最初のアフリカ人、モザンビーク出身の黒人青年「弥助」

日本の歴史上、使節団が訪米する際にアフリカ大陸にも寄っていますので、何人もの武士(やその子弟)がアフリカに足跡を残していますが、逆にアフリカから日本にやってきたという話はあまり多くありません。記録上、日本に最初にやってきたアフリカ人って誰かご存知ですか?
記録に残されなかった交流によって、かなり以前から日本人がアフリカ出身の人と接してきた可能性はあるのですが、記録に残っている最初の人物は、日本名で『弥助』と呼ばれる、モザンビーク出身とされる黒人青年(年齢は20歳台後半だったと言われています)でした。
彼が日本に上陸した時代は、安土桃山時代。そう、日本史上のヒーローの一人であるあの織田信長が生きていた時代です。
新しもの好きの信長のことですから、もちろんこのアフリカ人に会っていますし、彼を連れてきたイタリア人の宣教師(伴天連)アレッサンドロ・ヴァリニャーノに申し付けて(この「弥助」は奴隷の身分だったこともあり)、自分の近習として召抱えたそうです。
本能寺の変で捕らえられたものの、処刑を免れ南蛮寺(当時のキリスト教会ですね)に送られた後は行方知れず。

400年以上も前の話ですが、ミステリアスでロマンある話です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8A%A9

自然の神秘!絶壁から雲が流れ落ちるケープタウンの「テーブルクロス現象」

条件が良いと見られる、写真のような「テーブルクロス現象」。
テーブルマウンテンの上に、まるでテーブルクロスのように雲がかかり、絶壁から流れ落ちる現象のことです。
ケープタウンならではの絶景をご堪能下さい!!

画像について : KodachromeFan, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons