フランコ&TPOKジャズ 『ギター・ヒーロー』

「コンゴ音楽の王様」の全盛期だった66年〜77年までの録音を集めた編集盤です。
コンゴ民主共和国(旧ザイール)といえば、誰もが認めるアフリカ最大の音楽大国。そしてその中心地は首都のキンシャサです。日本で「リンガラ・ミュージック」といわれるコンゴの大衆音楽が流行ったのは(ある一部で、かもしれませんが・・・)1980年代。その頃に日本の音楽ジャーナリズムが「リンガラ・ポップス」と名づけたので、日本では今でもそう呼ばれていますが、現地では今も昔も変わらず「ルンバ・ロック」と呼ばれています。

元々は奴隷としてカリブに渡った人々が作り上げた音楽が、「サルサ」の原型になった「ソン」「マンボ」や「ルンバ」ですが、いわば逆輸入のような形で、それらの音楽がアフリカの若者たちによく聴かれるようになります。そして、いつしか自分たちの主張や日常を描いた歌詞を書き、自分たちで音楽を奏で、自分たちの言葉で歌うようになります。それがコンゴの50年代。その中で、後のアフリカ音楽に多大なる影響を与える偉大なミュージシャンたちが続々と生まれてきます。その一人で「コンゴ音楽の王様」と呼ばれる偉大なる音楽家がフランコ。1955年にバンド(フランス風にはオルケストル?)「フランコ&TPOKジャズ」を結成した彼の、ルンバなどのキューバ音楽を主体としたダンス音楽をベースに、流行のサウンドを吸収しつつ独自のスタイルを築き上げた全盛期が、60年代後半から70年代中盤にかけてといわれています。
そんなフランコ全盛期の録音を集めたのがこの編集盤。煌びやかなギター、力強い歌声、躍動するリズム、そして楽曲そのものの完成度の高さは、フランコの全盛期=コンゴ音楽が最も豊かな音楽性を持っていた時期、といえるのではないかと思います。最新のルンバ・ロックを聴くと、若干古臭く感じるかもしれませんが、何より彼の音楽、この時代のコンゴの音楽には力強さとその背後にある「エレガンス」を感じることができると思います。
このアルバム、日本のライスレコードさんから発売されていますので、amazon等でも購入できますし、大きなCDショップにも置いてあると思います。すべてのアフリカ音楽ファンにお勧めできる、暑い夏の夕にぜひ聞いていただきたい1枚です!そして、もっとディープなコンゴ音楽にひたりたい方は、ぜひ東京渋谷のレストラン&バー、「ロス・バルバドス」へ!
by 羽鳥

パパ・ウェンバ

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あまりにも大御所過ぎて、pick upも何もないのですが、先日ナイロビの街でコンサートを行ったばかりのこの人、コンゴ民主共和国はキンシャサの大親分、パパ・ウェンバの紹介です。

コンゴ民主共和国はザイールという国名の時代から、アフリカ大陸きっての音楽大国。
コンゴの音楽スタイルがはっきりと形成されたのは50年代、日本では「リンガラ・ミュージック」と呼ばれていますが、アフリカ大陸では「ルンバ」と呼ばれるスタイルの音楽です。
管楽器やエレキ・ギター、ドラムスを導入した大楽団が奏でるダンスミュージックは、50年代には「ルンバ・コンゴレーズ」と呼ばれ、その後、60年のベルギーからの独立、65年まで続くコンゴ動乱の最中も人々はこの音楽を愛し続け、70年代に入ると管楽器を抜いたギター・バンドによって「ルンバ・ロック」へと発展していきます。60年代末に、もはや大人の音楽と化していた「ルンバ・コンゴレーズ」スタイルに反抗するかのように、首都キンシャサの下町で、ストリート上がりのラフな若者たちが生み出した新しいスタイルの「ルンバ・ロック」。そんな「ルンバ・ロック」のカリスマ的存在がこのパパ・ウェンバです。
49年にカサイ州で生まれ、母親が葬儀で死者の為に歌うマタンガ(泣き女)であった事から、幼いころから音楽に親しんだウェンバ少年。アメリカのソウルミュージック、特にオーティス・レディングに熱中して自身も音楽を続けていたと聞きます。オルケストル・ベルギ、ザイコ・ランガ=ランガなどに参加し、紆余曲折を経てついに花開いたのが77年、自身のバンド「パパ・ウェンバ&ヴィヴァ・ラ・ムジカ」で華々しくコンゴの音楽シーンに登場。キンシャサの下町マトンゲ地区に「モロカイ」と呼ばれた共同体を結成し、音楽だけに留まらず、ファッションやライフスタイル、全てが若者のカリスマとなっていきます。
順調にヒットを飛ばし続け、90年代にはついに世界デビュー、以後20年以上経った今でも、世界中を「ルンバ・ロック」で躍らせ続けています。
もちろん日本にも過去には来日したこともあり、先日はナイロビの街で「ヴィヴァ・ラ・ムジカ」を引き連れて、70歳近いとは思えない圧巻のパフォーマンスで若者からご年配までを踊り狂わせていました。私事ながら、憧れの大親分、パパ・ウェンバの生ライブをナイロビで体験できた事は一生の自慢です。

コンゴ民主共和国のトラック

アフリカは今、大きな経済成長を遂げようとしており、話題になっています。
訪れる度に新しいビルが建っていたり、きれいな舗装路ができていたりと、驚かされることがありますが、それに反してアフリカらしい(?)パワーや熱気が徐々にではありますが、なくなりつつあるように個人的には感じています。
6月にコンゴ民主共和国へ行ったときのこと。
カフジビエガ国立公園の入り口で、人々の営みを眺めていたところ、巨大なトラックがやってきました。
トラックには、山のように人が乗り込んでおり、見ているだけで楽しい風景ですが、後ろに積まれていたポリンタンクの山に注目。どうやれば、こんなにたくさんのポリタンクを詰めるのでしょう?
下から覗いてみましたが、まったくわからず……。

これから、パームオイルの収穫に行くという人々は、コンゴの熱帯林に延びるひどいダートを何時間揺られて行くのか……こんなトラックが、一日に何台も走っていきました。
こんな荒々しくて、人間のパワーに満ち溢れた風景は、アフリカのひとつの醍醐味だと思います。
日本人は到底かないませんね。
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アフリカ中央部にのみ生息する森の哲人「マウンテンゴリラ」

彼らはアフリカ中央部のウガンダ、ルワンダ、コンゴ民主共和国にまたがるヴィルンガ山地の死火山にわずか800頭ばかりが生息しているだけです。生息地が限られている事や、人間の生活圏とも近い事などから、大型の哺乳類の中ではトップクラスに絶滅が危惧されています。また、世界中の動物園にいるゴリラは全て「ローランドゴリラ」と呼ばれる亜種で、実は人間の飼育下にあるマウンテンゴリラは1頭もいません。
ゴリラというと、ついつい映画「キングコング」に代表されるような非常に荒々しいイメージを抱きがちですが、実は非常に繊細で優しい動物。
争いが起きそうになっても、威嚇行動は起こすものの実際に相手に攻撃を仕掛ける事は殆どありません。家族が集まった群れで行動する事が多く、群れのボスはシルバーバックと呼ばれ、うなじから背中にかけて体毛が白く変わります。情報の発達した現在でこそ、マウンテンゴリラの状況は広く世界中で知られていますが、その存在が発見されたのは20世紀に入ってから。わずか100年足らず前の事です。それまではアフリカ大陸中央部の火山地帯に住む謎の未確認生物(=UMA)という扱いでした。そんな希少な彼らですが、実は「わりと簡単」に会いに行く事が出来ます。ウガンダ、ルワンダではゴリラの保護を目的として、生息する山岳地帯を国立公園に制定し、幾つかの群れを「人付け」といって何年もかけてゴリラを人間の存在に慣れさせた状態にしています。この人間に慣れたゴリラ達は、きちんとガイド付きで山に入れば運次第ではありますが、100%近い確率で会いに行く事ができます。1日1時間のみ観察する事ができ、その為のお金はゴリラの保護へと充てられています。このゴリラ達の仕草、振る舞いはあまりにも人間臭さに満ちていて、観察していても他人事ではないような気がしてきます。またゴリラの赤ちゃんの可愛さといったら、もう反則に近く、3頭身ぐらいの変な体形にぐりぐりの眼で見つめられると、思わず力が抜けてしまいます。とにかく一挙一投足から眼が離せません!
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