北アフリカ、エジプトやスーダンの綿は世界屈指の品質

皆さんにおなじみの綿衣類。
綿(木綿)=コットンはワタという植物の種子からとれる繊維ですが、この繊維を編んだものが綿布、それを裁断・加工したものが綿衣類となります。
ここまでは、どなたでもご存知のことと思いますが、綿の原産地はインド。インダス文明を担った人々が最初の生産者と言われています。
世界への伝播は意外に遅く、1世紀頃にアラブの商人を介してヨーロッパに伝えられました。栽培法が伝わったのは9世紀頃。十字軍が持ち帰って一気に広まったという説もあります。当時のアラブ世界は文化的にヨーロッパの先をいっていたというのは、良く知られた話ですよね。
現在の綿輸出国ベスト5は上位から、アメリカ、インド、ウズベキスタン、ブラジル、パキスタン。インド・パキスタンが入っているのはさすが発祥の地といったところ。

質の良い綿は世界中にありますが、特にエジプト綿とスーダン綿は世界で1、2を争う質の良さを誇っています。アフリカ諸国では、他にモザンビーク、ジンバブエ、ベナン、マリ、チャド、ブルキナファソなどで盛んに栽培され、中国やブラジルなども技術指導を行なっています。
写真はスーダン北部の街シェンディで綿織物を生業とする一家が所有する綿織り機。弊社のスーダンツアーでも立ち寄り、見学させてもらいっています。
伝統的手法で今でも綿布が織られているのですが、この一家はイスラム教徒の比率が限りなく100%に近いスーダンでは非常に珍しいクリスチャン。
話す言葉はアラビア語、服装も他のイスラム教徒と全く変わらず、家の中にお邪魔してみなければ全くそうとはわかりません。
家業としての綿織りを何百年も続けてきたそうですが、安価な機械織り全盛の時勢で、後継者はいないそうです。
人が時間と手間をかけて作ったものは、機械で作ったものより味わい深いと思ってしまうのは、思い入れのせいなのでしょうか?
後継者が見つかり、質の高い、手織りの綿布がいつまでも作り続けられることを祈ってやみません。
スーダンのツアー一覧はこちら。

ハネムーンでアフリカに行く方が増えています

手配を担当しているスタッフとして、明らかに実感するほど、ハネムーンの手配のご依頼をいただくお客様が増えています。
「ハネムーンでアフリカへ」、一昔前ではにわかには信じられなかったことだと思います。
「ハネムーンでしか長い休みが取れないからアフリカへ」、「一生に一度だから変わったところに行きたい」、「一生に一度だから憧れだったアフリカへ」、「他の地域への旅行は年をとってからでも行けそうだから」、「圧倒的な大自然の中でロマンチックな日々を過ごしたいから」・・・などなど、理由は色々おありかと思いますが、日本人のハネムーナーには縁遠くても、欧米人にとって「アフリカ」は身近な選択肢の一つ(治安状況さえ良ければ常に)ですので、”ハネムーンでアフリカへ”というのは、さほど珍しいことでもなく、アフリカ54カ国の中にはハネムーンの行き先として向いている国も当然あります。
モーリシャスやセイシェルは、他地域と比べてもハネムーンのお客様が多い国ですが、その他例えば、ケニア、南アフリカ、モロッコ、チュニジア、エジプト、マダガスカルなども、ハネムーンに向いている一面を持っています。
弊社は元々アドベンチャー色の濃い旅行会社ですが、『専門知識のあるスタッフの集団』を自負していますので、少しアイディアの方向を変えれば面白いハネムーンアレンジが作れるはずと思い、すでに各担当者がモデルプランの作成に取り掛かっています。
ちなみに編集人は現在、モロッコのハネムーンアレンジメントを鋭意製作中です!

※アフリカでのハネムーンにご興味のある方は、ぜひアフリカでハネムーン&ウェディングのページもご覧ください。

エジプト、ツタンカーメン王墓を発見したハワード・カーターの誕生日

今日はGOOGLEのTOPページのホリデーロゴにもありましたが、ハワード・カーターの誕生日。生誕138周年(なんか中途半端ですね)だそうです。
児童文庫(確か、講談社の青い鳥文庫)に「ツタンカーメン王の秘密」という一冊があり、私も小学生の頃に読んで、ハワード・カーターの諦めない熱い想いに感動した記憶があります。
イギリスで高等教育を受けることができず(17歳で遺跡のスケッチ係として初めてエジプトに赴く)、そのためツタンカーメン王墓を発見した後も考古学者としては低く見られ、業績に反して不遇の人生を送った人です。
エジプトとイギリス、二国間の政治的駆け引き、発掘にかかる膨大な費用、未盗掘の遺跡の発見は盗掘と同じくファラオの眠りを覚ますもの・・・発掘は苦悩の日々だったといいます。
有名な話ですが、彼とパトロンのカーナヴォン卿は、発掘許可が切れる最後の年1922年にツタンカーメンの墓を発見しました。世評に翻弄されず発掘に挑み続けた、何とも粘り強い人だったようです。
情熱の量から考えたら、ツタンカーメン王墓の発見は彼以外に考えられなかったと思います。ツタンカーメンも彼に発掘されて満足だったのではないでしょうか。

ミイラのすぐ上に被せられていた写真の黄金のマスクは来ませんが、棺型のカノポス容器(肝臓を入れておいたもの)は今現在大阪天保山に、8月には東京にもやってきます。
人でごった返すんでしょうね・・・、カイロの博物館でさえそうなんですから。