Magic System

マジックシステム(Magic System)は、1997年にデビューしたコートジボワールを代表する男4人組です。

現在はフランスを拠点に全世界で活動をしています。アフリカで言うとダカール【セネガル】からバンギ【中央アフリカ共和国】までを席巻していると言っても過言ではないと思います。
私がアビジャンに滞在していたときは、サッカーコートジボワール代表が、アフリカ予選で戦っていたときにテーマソングを歌うのは彼らでした。2011年に、彼らはアビジャン市内のアヌマボ地区(マルコリー地区)に寄付をして、その名も「マルコリー・アヌマボ・マジックシステム小学校」を寄付で建設してしまいました。
個人的には、滞在していたときに流行していた「On va bouger bouger(動け、動け)」が好きで、歌詞はフランス語の授業で習うようなフランス語も入っていますが、ヌシと呼ばれているローカルの言語と混じったフランス語の単語も入っていて、現地の人にはスッと耳に入っていくと思います。
リンクを張っておきますので、ぜひ「On va bouger bouger」を聞いてください!!
https://www.youtube.com/watch?v=n-87MCxKzb0
by 虎

アフリカン・ミュージックのレジェンドたち

写真はナイロビのJames Gichuru Road沿いにあるアフリカン・レストラン(ナイロビにあるのに「アフリカン・レストラン」というのも変ですが、ここは西~東アフリカの代表的ローカル料理を、少々洗練したスタイルで提供してくれるレストランです)Le Palanka Nairobiの壁に描かれた、アフリカン・ミュージックのレジェンドたち4人の肖像です。

アフリカン・ミュージックとひと口に言っても、星の数ほど有名なミュージシャンがいますし、「誰をレジェンドとするか?」ということに関しては様々なご意見はあると思いますが、オリジナリティ、ポピュラー度、政治的な影響力等々を含めると、この4人はまず間違いなく上がってくる名前だと思います。
左から、マヌ・ディバンゴ(カメルーン)、ユッスー・ンドゥール(セネガル)、フェラ・クティ(ナイジェリア)、ミリアム・マケバ(南アフリカ)。皆さんお分かりになりました?左側のお二人はご存命、右側のお二人は伝説を残して既にお亡くなりになっています。
ここに、コンゴやマリのミュージシャンが入っていないのは少々残念ですし、実際のところ今のアフリカ音楽シーンと比較すると古さは否めないのですが、70年代~現在までこの4人がアフリカ音楽を国内外、大陸内外に紹介し、牽引してきたのは間違いありません。
それぞれ超有名な代表作を持っていますが、ここではあえて触れません。この4人のアルバムで、日本で手に入るもの(ほとんどの場合代表作です)をお聴きになっていただければ、間違いなく上質なアフリカン・ミュージックに触れることができますので、アフリカ音楽を聴いてみようという方は、まずこの4人のアルバムから聞いていただけると、わかりやすいかもしれません。それぞれオリジナリティー溢れる音作りをしており、それぞれの音楽は似通っていません。ひと言で「アフリカ音楽」と言いますが、実際にはひと言で言い表せない多様性がお分かりいただけるのではないかと思います。
因みに、この絵が描かれているレストラン「Le Palanka Nairobi」は、私も、弊社ナイロビ駐在員もおすすめのレストランですので、機会があればぜひ足を運んでみてください。
by 羽鳥健一

フランコ&TPOKジャズ 『ギター・ヒーロー』

「コンゴ音楽の王様」の全盛期だった66年〜77年までの録音を集めた編集盤です。
コンゴ民主共和国(旧ザイール)といえば、誰もが認めるアフリカ最大の音楽大国。そしてその中心地は首都のキンシャサです。日本で「リンガラ・ミュージック」といわれるコンゴの大衆音楽が流行ったのは(ある一部で、かもしれませんが・・・)1980年代。その頃に日本の音楽ジャーナリズムが「リンガラ・ポップス」と名づけたので、日本では今でもそう呼ばれていますが、現地では今も昔も変わらず「ルンバ・ロック」と呼ばれています。

元々は奴隷としてカリブに渡った人々が作り上げた音楽が、「サルサ」の原型になった「ソン」「マンボ」や「ルンバ」ですが、いわば逆輸入のような形で、それらの音楽がアフリカの若者たちによく聴かれるようになります。そして、いつしか自分たちの主張や日常を描いた歌詞を書き、自分たちで音楽を奏で、自分たちの言葉で歌うようになります。それがコンゴの50年代。その中で、後のアフリカ音楽に多大なる影響を与える偉大なミュージシャンたちが続々と生まれてきます。その一人で「コンゴ音楽の王様」と呼ばれる偉大なる音楽家がフランコ。1955年にバンド(フランス風にはオルケストル?)「フランコ&TPOKジャズ」を結成した彼の、ルンバなどのキューバ音楽を主体としたダンス音楽をベースに、流行のサウンドを吸収しつつ独自のスタイルを築き上げた全盛期が、60年代後半から70年代中盤にかけてといわれています。
そんなフランコ全盛期の録音を集めたのがこの編集盤。煌びやかなギター、力強い歌声、躍動するリズム、そして楽曲そのものの完成度の高さは、フランコの全盛期=コンゴ音楽が最も豊かな音楽性を持っていた時期、といえるのではないかと思います。最新のルンバ・ロックを聴くと、若干古臭く感じるかもしれませんが、何より彼の音楽、この時代のコンゴの音楽には力強さとその背後にある「エレガンス」を感じることができると思います。
このアルバム、日本のライスレコードさんから発売されていますので、amazon等でも購入できますし、大きなCDショップにも置いてあると思います。すべてのアフリカ音楽ファンにお勧めできる、暑い夏の夕にぜひ聞いていただきたい1枚です!そして、もっとディープなコンゴ音楽にひたりたい方は、ぜひ東京渋谷のレストラン&バー、「ロス・バルバドス」へ!
by 羽鳥

Ommy Dimpozとダルエスサラーム市内列車のお話

今回は、タンザニアン・アーティストのOmmy Dimpozです。
彼は「Tupogo」というラブソングを2タイプ出しています。甲乙つけがたく…、どちらもご紹介します!
(*tupogoとは、「俺たちはここにいる。そしてこれからも一緒さ」のような意味の造語です。)



こちらは、ナイジェリア人アーティストのJ.Marinsとのコラボ。
所々に入っている、ジャズサックスが新しいです。今までにない雰囲気でお洒落。


こちらは、ザ・ボンゴフレーバー!テイスト。陽気な雰囲気に思わず体が動きます。
そして注目頂きたいのが、登場する列車!
曲を聴きながら、是非この列車の面白さをご覧ください。
これはダルエスサラームの市内列車。街中と郊外を結んでおり通勤通学に利用されています。なんとディーゼル機関車が牽引しています。(01:39あたり)
路線は2つあり、この動画に出てくるのはTRL線。
ダルエスサラーム駅-ウブンゴ・マジワ駅を結んでいます。
主人公たちは曲のはじめにダルエスサラーム駅から乗車し、いくつか駅を通過し、ラストにはウブンゴ・マジワ駅(恐らく…)で降車しています。
ダルエスサラーム駅では、ホームが無い所から乗車しています。ホームが列車より短いのです…。そうなると(01:15あたり)のように「よいせっ!」と少々ハード。これは他の駅でも同様です。
また、この列車には女性専用ならぬ「児童専用」車輌があります。(01:30あたり~)
ここに出てくる生徒たちはかなり盛り上がっていますね(笑)
ちなみにOmmy Dimpozと彼女が乗車したのは一般車両です。
ダルエスサラームの市内の様子も、一瞬ではありますが伺うことが出来ます。
ボンゴ動画から、街の様子や生活の様子も見られるのがイイところですよね。
また今回は、なかなか見ることができない列車内部の様子を知ることが出来るので、個人的には高ポイント!
by 歌津

パパ・ウェンバ

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あまりにも大御所過ぎて、pick upも何もないのですが、先日ナイロビの街でコンサートを行ったばかりのこの人、コンゴ民主共和国はキンシャサの大親分、パパ・ウェンバの紹介です。

コンゴ民主共和国はザイールという国名の時代から、アフリカ大陸きっての音楽大国。
コンゴの音楽スタイルがはっきりと形成されたのは50年代、日本では「リンガラ・ミュージック」と呼ばれていますが、アフリカ大陸では「ルンバ」と呼ばれるスタイルの音楽です。
管楽器やエレキ・ギター、ドラムスを導入した大楽団が奏でるダンスミュージックは、50年代には「ルンバ・コンゴレーズ」と呼ばれ、その後、60年のベルギーからの独立、65年まで続くコンゴ動乱の最中も人々はこの音楽を愛し続け、70年代に入ると管楽器を抜いたギター・バンドによって「ルンバ・ロック」へと発展していきます。60年代末に、もはや大人の音楽と化していた「ルンバ・コンゴレーズ」スタイルに反抗するかのように、首都キンシャサの下町で、ストリート上がりのラフな若者たちが生み出した新しいスタイルの「ルンバ・ロック」。そんな「ルンバ・ロック」のカリスマ的存在がこのパパ・ウェンバです。
49年にカサイ州で生まれ、母親が葬儀で死者の為に歌うマタンガ(泣き女)であった事から、幼いころから音楽に親しんだウェンバ少年。アメリカのソウルミュージック、特にオーティス・レディングに熱中して自身も音楽を続けていたと聞きます。オルケストル・ベルギ、ザイコ・ランガ=ランガなどに参加し、紆余曲折を経てついに花開いたのが77年、自身のバンド「パパ・ウェンバ&ヴィヴァ・ラ・ムジカ」で華々しくコンゴの音楽シーンに登場。キンシャサの下町マトンゲ地区に「モロカイ」と呼ばれた共同体を結成し、音楽だけに留まらず、ファッションやライフスタイル、全てが若者のカリスマとなっていきます。
順調にヒットを飛ばし続け、90年代にはついに世界デビュー、以後20年以上経った今でも、世界中を「ルンバ・ロック」で躍らせ続けています。
もちろん日本にも過去には来日したこともあり、先日はナイロビの街で「ヴィヴァ・ラ・ムジカ」を引き連れて、70歳近いとは思えない圧巻のパフォーマンスで若者からご年配までを踊り狂わせていました。私事ながら、憧れの大親分、パパ・ウェンバの生ライブをナイロビで体験できた事は一生の自慢です。