日本食レストランHARU

ジラフセンター、お土産屋ウタマドゥーニのあるカレン地区にある韓国人経営の日本食レストラン「HARU」。
内装は他と比較するとおしゃれな感じ、びっくりしたのはドリカム、徳永英明のBGMが流れていたこと。値段は他と変わらず。ランチなら2人で2,500シリング~3,500シリング(1シリング=約1円 2011年9月現在)位でしょうか・・。味は悪くないですが、全体的にうすい気が・・。
写真のお寿司は「バタフライ・ロール 900シリング」。日曜日は休み。
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WILD AFRICA 13 ボツワナサファリの穴場 マシャトゥ

南部アフリカのボツワナ共和国はサファリのメッカである。ゾウが多いことで有名なチョベ国立公園や、モレミ動物保護区、オカヴァンゴデルタなど、世界的に有名な場所がいくつもあるからだ。一方で、知名度はさほど高くないものの、負けず劣らず魅力的なスポットも多数存在する。マシャトゥ動物保護区(Mashatu Game Reserve)もそんな「穴場」の一つだ。
マシャトゥは南アフリカとボツワナとの国境を形成するリンポポ川沿いに位置している。川を挟んで対岸は南アフリカのマプングブウェ国立公園だ。緩やかな丘の連なるサバンナや、緑豊かな河辺林(かへんりん)、湿地帯や岩山などの多様な環境を持つ。哺乳類50種、鳥類約350種を数えるなど、被写体の多さに関しても申し分ない。
宿泊施設は2カ所、高級ロッジのあるメインキャンプと、よりベーシックなテントキャンプのみである。いずれも3食、サファリ付きで、セルフドライブはできない。そのため保護区の面積が広大な割に、一度に滞在できる人数が限られていて、よりプライベートなサファリを楽しめる。しかも南アフリカのサビサンズ動物保護区などに比べ、料金もだいぶ割安だ。
私にとって、マシャトゥのハイライトは何と言ってもヒョウである。このエリアのヒョウたちは何世代にも渡ってサファリカーの存在に慣らされてきたので、かなりの至近距離から容易に撮影できるのだ。しかも、ガイドたちはどの個体がどのエリアにいるのかを常に把握しており、発見率が信じられないほど高い。
しかし、良い写真を撮るためには、良い被写体に巡り合うだけでは不十分だ。車の運転を他人に任せる場合、ドライバーがこちらの要求をどれだけ理解しているかによって結果が大きく左右される。その点マシャトゥでは、南アフリカのサファリ会社が動物写真専門のワークショップを開催しているため、ドライバーやガイドたちが撮影者の要求を熟知している。おまけに道を外れて、ブッシュに車で分け入ることが許されているので、ポジションを自由に決められるし、オープンカーなので撮影可能範囲がとても広い。
写真は2010年11月にマシャトゥで撮影した、1才を過ぎたオス。後ろには母親の背中が見えている。夕暮れ時だったため、スポットライトを使用している。
撮影データ:ニコンD700, AF-S 500mm f4, 1/60, f4, ISO1250 車載三脚使用
ヒョウ
英名:Leopard
学名:Panthera pardus
体長:♀104〜140cm
♂130〜190cm
体高:70~80cm
体重:♀28~60kg
♂35~90kg
寿命:20年
写真・文  山形 豪さん

やまがた ごう 1974年、群馬県生まれ。幼少期から中学にかけて、グアテマラやブルキナファソ、トーゴなどで過ごす。高校卒業後、タンザニアで2年半を過ごし、野生動物写真を撮り始める。英イーストアングリア大学開発学部卒業後、帰国しフリーの写真家に。南部アフリカを頻繁に訪れ、大自然の姿を写真に収め続けている。www.goyamagata.com

African Art 9 DIDIER AHADJIのアフリカ風物詩(トーゴ)

耳をつんざくような音量を上げてがなりたてる音楽がマーケットじゅうに響き渡っている。野菜、果物、日用金物、ポリバケツ、砂糖、ビスケットなど様々なものを積み上げたキオスクやリヤカー引き、コーラ、水売りの商人たちに溢れた西アフリカのマーケットは活気に満ちている。日本では何十年も前に消え去って、もう見ることのできなくなった懐かしい光景がここトーゴの首都ロメでは日常的である。

ガソリンスタンドでタバコを吸う危険な男たち
ガソリンスタンドでタバコを吸う危険な男たち

コカコーラ売り
コカコーラ売り

自転車で水を運ぶ家族
自転車で水を運ぶ家族

そんな現在の風物をブリキで表現する作家がいる。彼、DIDIER AHADJIは貧富の差が大きいアフリカでの不条理を一つ一つシーンにして作品を創っている。例えば、金持ちが大枚の札束をテーブルに置いてゆうゆうとビールを飲んでいる傍らには壊れたイスに座って羨ましそうに悲しい目つきで主人の姿を眺める使用人がいる。この光景は、今なお人々の心の奥底にくすぶる、かつての宗主国フランスに対する鬱屈した感情の表れである。また、持てる限りの荷物と子供を背中にしょって自転車で物を運ぶ家族、炎天下コツコツと一生懸命畑を耕す少年、遊び盛りの女の子がミニスカートから白い下着をちらちら見せながらおしゃれに着飾って踊り楽しむシーン、ガソリンスタンドでタバコを吸う非常識な若者、こっそりと女のシャワールームを覗き見して興奮する男の姿など。それぞれの多様なシーンには、電車の中で大股を広げてふんぞり返る日本の若者の姿や東京と同様、都会の煽情的な光景が重なって見えてくる。
金持ちとその使用人
金持ちとその使用人

シャワーを浴びる女を覗く若い男
シャワーを浴びる女を覗く若い男

この15年ほどの間に現代アフリカ造形作品は西欧でも高い評価を受けるようになり注目を集めてきた。今をときめくEl Anatsuiは日本でも展覧されているが、それらの作品には抽象的なものが多い。アフリカで初めて美術学校が開設されるようになったのは1930年頃である。最初の頃、ヨーロッパ人が現地の象牙職人などに絵具と筆を与えて書かせたのはほとんどが動物の絵であった。その後、ヨーロッパ美術の影響やアフリカの作家が西欧に留学したこともあり、アフリカと西欧の創造の合体がアフリカ現代美術に素晴らしい発展をもたらせた。しかしそれとは別にアフリカの地元にとどまり独自の技法で自らの世界をコツコツと創造する作家もまだいる。いわば、紀元前の昔から引き継いできたアフリカ的創造の方法である。私はこの伝統的なやり方にどこか引かれる。数年前に出会った作家、このDIDIER AHADJIは、純アフリカ的視点から発信するもう一つの現代アフリカンアートの造形作家である。
写真提供/小川 弘さん

小川 弘さん
1977年、(株)東京かんかん設立。アフリカの美術品を中心に、アフリカ・インド・東南アジアの雑貨、テキスタイルなどを取り扱っている。著書にアフリカ美術の専門書「アフリカのかたち」。公式ウェブサイト http://www.kankan.co.jp/

Africa Deep!! 42 アフリカ女性の命はヘアースタイルにつきる

アフリカの女性はおしゃれだと思う。
特にヘアースタイル。アフリカを旅したことのある人なら、実に多種多様な彼女たちのヘアースタイルに感心したことがあるに違いない。
そのこだわりと、手入れの時間のかけ方が半端ではない。木陰や家の前などで女性が数人集まっているところをのぞくと、たいてい髪型を整えている最中だ。日本のように定規型の歯が細くて短い櫛ではなく、どちらかというと縦型で歯がすごく長くて隙間があいているタイプのものが使われる。
地毛はものすごい巻き毛だから、日本で使われる櫛では髪はふつうに梳けない。だからたいていはふたりが一組になり、ひとりが後ろにまわって蜂の巣のような髪に櫛を差し込むようにして梳くのである。梳いた髪はそのままの形でぴんと立ったままだ。だから梳いている最中は、彼女たちの頭は超バクハツといった形のまま固まっている。この中途半端な髪型のときに話しかけたりカメラを向けたりすると、あまり見られたくないようで、「きゃー、いやぁー」と笑いながら身をよじって拒絶されることが多い。
このあとヘアースタイルの選択肢はふたつある。いわゆるエクステンションを地毛に絡ませて編みこんでいくか、あるいは直毛パーマをかけるかである。エクステンションは市場に行けばそれこそさまざまな色や種類のものが売られている。アフリカ女性の髪は非常に癖が強いため、ピンやゴムを使わなくても編みこむだけでしっかりと止まる。
直毛パーマは日本と同じでカーラーを巻きつけていく。アフリカ人女性はほぼ百パーセントが巻き毛なため、直毛に対して僕たちが思っている以上に強い憧れをもっている。ないものねだりをするのが人間の常なのである。だから美しい黒髪の日本人女性は彼女たちにとっては羨望の的なのだ。日本人の女性ならストレートな髪型でアフリカに行ったほうが絶対に受けが良いと思う。同時に、アフリカに行ったら髪の毛を触られまくるのを覚悟しておいたほうがよい。
現地では、おしゃれは何も大人だけの専売特許ではなく、子どもたちも母親や姉に編んでもらうことはふつうだ。凝った髪型をしている小さな女の子はちょっと得意げである。意外に多いのが、カツラ。こちらは短髪の人がよく利用する。カツラを外すとまるで別人のような顔になるため、僕はよく人違いをして恥ずかしい思いをしたものだった。
写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。
公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/

高達潔のソウェトウオッチング46 ソウェト・ツアー事情 その12

広大な墓地、アバロン

元々ソウェト観光は美しい景色を見るものではなく、アパルトヘイトの歴史・遺産や、ソウェトに暮らす人々を見るのが主ですが、その途中で、外国など外から来た人達にとっては、さらに非日常の景色を見ることもあります。
その一つが、墓地。アバロンという墓地は、ソウェトの端っこにある、広大な墓地です。この墓地に立ち寄るツアーはほとんどないと思いますが、ここには、アパルトヘイト時代に、反アパルトヘイト活動を率いた人達や、ソウェト蜂起の犠牲者が多く眠っており、特にソウェト蜂起の犠牲者には慰霊碑も建てられています。この墓地に週末行くと、お葬式の大渋滞がありますが、平日はいたって静かな所です。反アパルトヘイト運動と女性運動を率いたヘレン・ジョセフ(白人ですがソウェトの墓地に眠っています)、リリアン・ンゴイ(ANC女性リーグ初代代表)のお墓を訪ねることもできますが、現在、写真撮影は禁止とのことです。

スクウォッターキャンプの一つ、クリップタウン

もう一つ、旅行で来られる(その経済力がある)人達にとっては非日常(そうではない人もいるかも知れませんが)と思われる場所が、スクウォッターキャンプ(不法居住地)です。ソウェトをスラムと思っている人がいますが、ソウェトは、元々市営住宅のいわば普通の住宅地で、スクウォッターキャンプはまさにイメージ通りのスラムで、貧困者が多い地区です。
ソウェトには、いくつかのスクウォッターキャンプがありますが、その中で、最も観光客の目に触れている地区は、クリップタウンでしょう。現ウォルター・シスル・スクエアから、線路を挟んで反対側のスクウォッターキャンプが、通常クリップタウンと呼ばれています。地図を見ると、フリーダム・チャーター・スクウェアとか、ウィーニーキャンプとか書かれていることもあります。
クリップタウンとは、アフリカーンスで「石の町」という意味。1920年代、大きな石がゴロゴロした土地に、インド人、カラード、中国人などの住宅地ができ、黒人居住区ソウェトに隣接していたため、元の住人は他の地区に移住していき、その空家に不法居住して、周りに掘立小屋が建って拡大した地区です。クリップスプリットという川の近くまで家が迫っている場所もあり、この間の夏の大雨で流された家、浸水した家もありました。

クリップタウンの横を通るメトロ
クリップタウンの横を通るメトロ

危険ではあるが普通の人達が暮らしている

通称クリップタウンと言われる地区は二つの橋の間に46,000人が住んでいるといわれていますが、さらにその橋の先には、チキンファームや、別のスクウォッターキャンプもあります。この橋の一つをソウェト観光のバスが通り、橋の上から、お客さんに貧困地区の景観を見せているところをよく見かけます。時には、バスを降りて、入口の所で写真を撮り、近所の子供たちにお金や飴などをせびられている人達もいます。こういう姿はここだけでなく、世界中の観光客が立ち寄る貧困者が多い地区で見られる光景でしょう。

クリップタウンに住む知り合いの女の子
クリップタウンに住む知り合いの女の子

この地区は貧困者が多いことと、人口密度がかなり高く、犯罪者になっていく若者が多数おります。そのため、ここは危険な地区だと思われていますが、中に入ってみると、確かに貧しいが、悪党でもない、普通の人達が暮らしています。但し、頼れる知り合いがいないと危険なことは確かで、特に夜間は真っ暗な場所が多く(基本的に電化されていませんから)、黒人であってもむやみに立ち入ることはしません。
私のソウェト・ツアーでは、お客様によっては、知り合いの家(掘立小屋です)にお連れすることもありますし、スタディーツアー(の様な感じのツアー)では、この地区で活動するNPO、保育園などを訪問することもあります(もちろん日中の明るい時間帯ですよ)。と、書きましたが、ここは旅行業としてではなく、個人的な理由で知り合いの家に行くことがちょくちょくあり、私にとっては凄く身近なスクウォッターキャンプで、今は簡単に言い表すのが難しい場所でもあります。