南アフリカ・スタディーツアー

2005年3月に催行した「南アフリカスタディーツアー~HIV/エイズについてともに考え、ともに生きる」にご参加頂いた成瀬 文 様からのレポートです。私たち日本とも無関係でないHIV/エイズ問題の南アフリカでの状況を学び、この問題に関わる人々を訪問します。3月のツアーでも、HIV/エイズだけでなく、南アフリカそのものについても深く知って頂ける機会になったようです。
ヨハネスブルグへ
3月14日から8日間、道祖神主催の南アスタディツアーに参加してきました。このツアーは南ア社会に色濃い影響を与えているHIV/エイズの現状を目で見て実際考えてみようという目的のもと催行され、今回は私を含む4名の参加者がありました。皆南アフリカ共和国に何らかのかたちで興味を持っているけれど一度も行ったことがなく、初のアフリカ大陸上陸に興奮していました。
1日目 HIV POSITIVE
さて、ツアー最初の訪問先は南ア一の大都市ヨハネスブルクから少し車を走らせたところにある、クリニック内で活動しているHIV/エイズ患者のサポートグループです。
車で到着した途端目に飛び込んだのは「HIV POSITIVE」の文字。グループのメンバーたちがお揃いで着ているTシャツです。自らがHIV陽性であることを受け入れたばかりでなく、その事実を公言している彼女たちの姿は、とても潔く見えました。
クリニック内を見学した後、外の芝生に丸くなってこのグループの活動内容やメンバーになったきっかけを聞いたのですが、逆に私たちがわざわざ南アに来たきっかけやHIV/エイズに対して思っていること等を質問され、答えに窮してしまいました。
事前にHIV/エイズや南アフリカ共和国に関して多少は調べて行ったにもかかわらず、実際求められるとはっきり自信を持って意見できない自分に苛立ちを覚えつつも、「しっかり勉強し直さないと」と思わせてくれるこの状況に刺激を受けずにはいられませんでした。
同じように苦しんでいる患者のために立ち上がったメンバーたちの活動は少しずつ普及してきており、グループメンバーになって自分がHIVに感染しているという事実を受け入れる努力をする人も増えてきているとのことでした。どんな小さな活動も、やらなければゼロだけど、少しずつでも続けていると何かは変わるのだなと思いました。
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ファーストフード店にて
そしてお昼ご飯に立ち寄った南アで人気のファーストフード店では、道祖神の現地駐在員さんに注文をお任せ。するとチキンとバン(ハンバーガー用のパン)とサラダが出てきました。
「好きなように食べればいいんですよ」との言葉に従い、とりあえず付属のホットソースをチキンに絡ませ、バンに挟んでがぶり。辛い!しかし冬の日本を発ってきた私には夏の味という感じがしておいしくいただきました。しかも日本で見たことのないファーストフード店だったので「本当に南アに居るんだなぁ」という実感が湧き、一瞬旅行者気分に浸りました。
しかしガラスで仕切られている店内の様子は外から丸見えで、ムルングと呼ばれる白人のカテゴリーに属する私たち日本人の姿は非常に目立ちました。その状況を考えると、駐在員さんやその知人の南アの人たちが一緒でなければ「金を持っている外国人旅行者」に見えるであろう私たちの身も決して安全ではなかったのかも知れません。
現地に詳しい方に案内してもらって本当に良かったと強く思った瞬間でした。この日は他にも、先進的な治療を施している大病院付属のクリニックを訪ねて医師の方らと議論をしたりと盛りだくさんの内容で一日を終えました。
2日目 TAC
十分な睡眠をとって疲れもない私は、元気に二日目を迎えました。
この日はまずHIV/エイズの治療環境改善を政府に訴えている団体TAC(Treatment Action Campaign)事務所を訪問し、HIV/エイズや子供の権利に関する多くの資料をいただきました。この団体は政府提言を行うばかりではなく、国民に HIV/エイズに関する情報を周知させていく活動等も活発に行っており、事務所内に貼られた数々のポスターはコミカル且つメッセージ性の高いものばかりで、興味深かったです。
日本人でもこの団体の姿勢に賛同して会員になっている方もいらっしゃるそうで、知らないところで頑張っている日本人も多いなと改めて感心したりしました。
ところでこの事務所に入る際、入り口に鉄格子があり、昼間でも鍵がかかっていました。身分証明できる人間でないと中に入れないようになっており、これは後ほど訪れた多くの場所でも同じようになっていました。
会社や事務所等はもちろん、レストランなどの公共機関も鍵付き格子付きのところがありました。ヨハネスブルクの治安を考えると当然のことなのかもしれませんが、やはりそれでも威圧感を感じずにはいれませんでした。
また、この事務所は道路沿いのビルに入っていたため、車は近くの路上に駐車したのですが、駐在員さんが路上に立っている人にいきなりお金を渡されていたので疑問に思ったところ、その人は路上駐車場に停められた車を運転手が帰ってくるまで見張る仕事をしているそうです。
車上あらし対策ということなのでしょう。車上あらしの頻発する他の大都市でも見たことのない光景に、私は驚きを隠せませんでした。ただ、中にはお金をもらってもそのまま逃げる人もいるようで、現地の事情がわからずに旅行するのは危険だなとつくづく感じました。
アパルトヘイト博物館
それから向かったのが、アパルトヘイト博物館です。ここでは充実した資料群に圧倒されました。
金鉱跡に建てられた豪華な遊園地の近くに位置するこの博物館は、入り口から凝っていました。ランダムに入場券が渡されるのですが、「白人」と「黒人」は別々の入り口から入ることになっています。私はたまたま白人の入り口から入ることになったのですが、ツアーメンバーの他三人は黒人側の入り口から入場し、区切られた空間を歩いている間、なんだか非常に複雑な気分でした。展示場にたどり着くまでの間にも姿見状の置物が坂の下から上まで連なっており、その一つ一つにさまざまな年代の人が描かれています。後ろから見ると老若男女ということしか分からないのですが、前から見ると人種の違いが一目瞭然という造りになっています。この造りは「人間は誰でも同じなのに」ということを強烈に感じさせます。さらに、それらは鏡なので、自分の姿も映ります。誰でも同じ人間、しかし果たして自分は本当にそう思っているのか、と自問させられ一瞬ドキッとする場所でした。
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ドロッピングセンター
それから南ア最大の黒人居住区(アパルトヘイト時代に政府が黒人専用居住区として作った街)であるソウェトにある孤児院、そしてエイズ孤児たちのためのドロッピングセンターを訪ねました。
このドロッピングセンターでは保護者をHIV/エイズで亡くし、子供だけで生活していて栄養のある食事をとれない家庭のために食事や遊び場を提供しており、学校が終わるとそれぞれがここにやってきて同じ状況下の子供たちと遊びます。
このセンターはエイズ孤児に対する偏見を避けるため、カラード(インド系などの混血の人々)の人々が主に住む地域に建てられており、専門知識を持ったソーシャルワーカーもいます。アフリカで出会った子供たちのほとんどは想像を絶するくらい元気で、実際一緒にボールや遊具で遊んだのですが、息が切れるほど遊んでも遊び足りないようでした。
空手ごっこをしたりただ走り回ったりする彼らの笑顔を見ていると、彼らのおかれている状況、そしてこれから背負う人生の重さが現実のものとは思えなくなるくらいでした。もちろん中には母子感染している子供もいるようで、顔に発疹ができた子もいました。彼らの無邪気な顔を見ていると一刻も早くHIV/エイズの無料治療が広く普及することを願わずにはいれません。
この日はそのままソウェトの民家にホームスティしました。
私のステイ先の家族は両親に子供4人でしたが、広いリビングにDVDまであり、ご飯も何度も出てくる歓迎ぶりで、非常に快適に過ごしました。ただ夜はトイレに行きたくてもバケツで済ますようにとのことでした。南アの元黒人居住区では外にトイレが設置されていることが多く、門の中といえどもレイプの多い夜に一人で外に出るのは危険だということでバケツで用を足すのが普通のようです。
シャワーが浴びられなくても平気だった私ですが、他人の前でバケツを使うのにはさすがに勇気が要りました。朝食前に近所を散歩して、ソウェトでポピュラーだという揚げパンのような朝食を摂っていざツアー3日目へ突入です。
3日目 HIVSAとPHRU
朝からHIVSAというバラグワナホスピタル内にあるNPOを訪問しました。
ここはPHRUというリサーチユニットと協力して活動しています。PHRUがHIV/エイズの患者に治療やケアを提供し、HIVSAがカウンセリングや教育等のサービスを行っています。ここは特にHIVに感染した妊婦に対するサービスにおいて先駆的な施設で、男性への教育やカップルカウンセリングも行っており、HIV/エイズ患者の増えている日本でも参考にすべき取り組みがたくさんあるように思いました。
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それからソウェト内のクリップタウンを歩きました。ここはスクウォッターキャンプと呼ばれる違法居住区なのでソウェト内でも整備されておらず、狭い地域に3万人くらい住んでいるとも言われているところです。トイレと水場も共同で使用しています。
私が訪れたある家庭では、小さな家(ティンハウスと呼ばれるトタンなどで作ったバラック小屋のようなもの)に家族十数人が住んでおり、家族の生計はおばあさんのもらう年金で立てているとのことでした。
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南アでは最低賃金が700ランド(日本円で12,600円くらい)程度なので、エイズ患者含む身体障害を持つ人がもらう年金が740ランドであることを考えると、働くよりも収入がよい場合があり、低賃金の仕事には出稼ぎにやってきたジンバブエ人らが就くのだそうです。
それゆえ年金を頼る人も多く、このまま患者が増え続けると南ア政府の台所事情はかなり厳しいものになりそうだということでした。
その後かなり広い墓地内を車で通過しながら見学したのですが、子供のものと思われる小さな墓もたくさんあり、また新しい墓がたくさん見受けられました。
広大な敷地が次々埋まっていくらしく、エイズ患者が多いことも原因の一つだろうというお話でした。
Let Us Grow
それからオレンジファームというヨハネスブルクから車で一時間弱の黒人居住区にある、サポートグループLet Us Growを訪ねました。
オレンジファームにはHIV/エイズ患者のためのグループが無かったため、地域で苦しんでいる人々をサポートしたいという思いでこのグループは設立されました。地域への教育から患者のメンタルケア、そして組織の統率までこなす代表はとてもパワフルな方で、エイズ拡大を防ぐにはまず正しい教育が必要で、子供をしっかり教育できる親の育成が必要と説かれていました。
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また、HIV/エイズ患者に対しては、「自尊心を持つこと、そしてどうやって勇気を出すか」ということを教えたいと強く語られていました。オレンジファームには2泊しましたが、最後の夜にはこのグループ主催のバーベキューパーティに参加しました。パップやチャカラカなどの南ア料理を食べて南ア音楽で踊り、本当に楽しいひとときを過ごしました。
エイズバッヂ(グループの資金源になるビーズ細工)を共に作ったり、皆の好物である鳥の足(普通にスーパーに売っている)に挑戦させてくれたりと、ここのメンバーには仲良くしてもらったので別れを惜しみながらヨハネスブルクに戻りました。
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最終日 AIDS HOSPICE
最終日はエイズホスピスを訪れました。
ここにも無邪気に遊ぶエイズ孤児の子供達がいたのですが、以前いらっしゃった日本人ボランティアの方に私の雰囲気が似ていたらしく、皆懐かしそうに話しかけてきてくれたので、出会ってすぐに親しみが湧きました。
このホスピスを作り上げてこられた神父さんは非常に穏やかな方で、南アの面している問題やこの施設と日本との関わりなども話してくださいました。実際に現場を知っている方のお話は非常に説得力があります。
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今回のツアーではこの神父さんを始め、非常にたくさんの方のお話を直接聞くことができました。また、現地に住んでコミュニティに入っているからこそわかる話を駐在員さんからたくさん聞くことができ、深刻な問題も山積しているけれどエネルギッシュな南アフリカ共和国という国にますます興味を持ちました。
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今回はHIV/エイズにフォーカスしたツアーでしたが、この問題は南ア社会にあらゆる側面から影響を与えているためこの国の全体像も垣間見ることができたように思います。そして南ア社会全体を概観したことは他の社会、例えば日本社会を考えるのにも大いに役立つヒントになりました。たくさんの経験ができ、たくさんのことを考えさせてくれた南アフリカ共和国。今回の思い出を胸にまた必ず行きたいと思っています。
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ソウェトでホームステイ(現地発着)

弊社現地発着ツアー「ソウェトでホームステイ(泊数自由)」にご参加されたY.I 様からのレポートです。
ヨハネスブルグへ
ナミビアの楽しい旅はあっという間に終わってしまい、次はヨハネスブルグへ向った。
とても治安が悪いのでヨハネスを避けて通る旅行者も多いけれど、激動の地と言われているだけに一度見ておかなければならない気がした。
ヨハネスブルグでは「SOWETO」という、アパルトヘイト時代の黒人居住区でホームステイをする事になっていた。南アフリカには、かつて「集団地域法」で有色人種が住む地域として計画的につくられた「タウンシップ」という住宅地がある。このタウンシップの中でも最も有名なのがSOWETOで、ヨハネスブルグの南西部にあったため、South Western Townshipの頭文字を取ってSOWETOと名づけられのたそうだ。
アパルトヘイト崩壊後も全てが急に改善される訳ではないので、未だ SOWETOに住んで厳しい暮らしをしている人が多い。この実態を世界各国の人々に伝えていくために、タウンシップ体験ツアーを受け入れているのだそうだ。旅行本には「SOWETOのツアーは観光化されすぎてしまってリアルな暮らしが見えづらい」というコメントも多い。
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今回は現地の人々と身近に接したかったので、一般的なSOWETOツアーでなく特別にホームステイをアレンジしていただく事になっていた。
ヨハネス空港にはこの駐在員の高達(コウダテ)さんが迎えに来てくださったので、早速車に乗って町へと向う。いよいよヨハネスに来てしまったんだなと緊張していると、高達さんがヨハネスブルグの歴史、アパルトヘイトの事などを語りだした。高達さんは旅行社の人というよりは、フリーのジャーナリストの様な感じの人だ。ヨハネスでの駐在暦は4年という事だけれど、もう何十年もいる様な感じで地域や人々の抱える問題、背景をよく知っている。そして、何より思い入れがある。特にSOWETOは第二の故郷みたいな存在の様で、何だか熱いものを感じてしまった。
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SOWETOへの道中、ヨハネスブルグの旧白人居住区をドライブする。白人の方や富裕層が多く住むという住宅街は、どれも豪華な住宅ばかりで、まるで香港やシンガポールの町並みの様だ。綺麗に手入れされたビューリンゲンの植木、優雅にテニスをする少女たち、道行く高級車…。ここが本当に「世界で最も危険な町」なのかなと疑ってしまうくらい穏やかな空間だった。
市街を行くと急に東洋人だらけの地域を通りかかる。どうやらヨハネスブルグにもチャイナタウンがある様だ。ヨハネスブルグには古くから中国人がたくさん移住してきていて、それなりに成功している人も多いのだそうだ。こんな所でもコミュニティを築くなんて、中国人はやはり強いなあと関心した。
ダウンタウンへ
住宅地の後は町の中心部、ダウンタウンへと向う。ダウンタウンが近づくと、ガラリと雰囲気が変わって緊張感が高まった。白人、東洋人の姿はほとんどなく、通りを歩くのは黒人の人たちばかり。もちろん旅行者らしき人もいない。時間帯・場所によっては、白人、お店を持っているインド人、中国人などもいるそうだけど、この日は日曜の夕方という事もあって、特に閑散としている。黒人の人たちは、地元の人たちの他、南アの他の地域、ジンパブエ、モザンビーク、ナイジェリア、エチオピア、ソマリアなどから出稼ぎに来ている人たちなど様々という事だった。
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ビルも空室だらけで閑散としている。昔はこのあたりに国際企業の事務所があって栄えていたけれど、治安の問題で続々とサントン地区に移動してしまったのだそうだ。町の象徴と言われるカールトン・センターですら、治安の問題でカールトン・ホテルが撤退を余儀なくされたという。今ではガラ空きになったビルもたくさんあって、何だかもの悲しかった。
このあたりは強盗がとても多いという事なので、車外から見られない様にそっとシャッターを切る。
カールトン・センターや中央駅周辺などは特に危険な地域で、旅行者はもちろん、南ア人でも余所者だと分かると強盗に合ったりするのだそうだ。乗り合いタクシーの運転手が、休憩中にカモを見つけて強盗に早変わりしてしまう事があるという噂すらあるのだという。
サントン地区などは高級車がよく走っているのでカージャックが多い様だけれど、街中では圧倒的に強盗の被害が多いのだそうだ。性犯罪もとても頻繁に起こっているという。本当にそんな事が普通に起こりそうなくらい、町の空気がヤバくて本当に恐い。NYのハーレムやモスクワのダウンタウンにも行ったけれど、ここの方が何十倍も危ないなあ。せめてカージャックや強盗には合いませんように。車中ながら、知らず知らずカチコチになっている自分がいた。
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ソウェトへ
ダウンタウンを出ると、いよいよSOWETOへと向う。ハイウエイで走る事数十分、「Welcome to SOWETO」という看板と共にSOWETの町並みが現れる。道路中央に建てられたLOREALの看板が、妙に町とマッチしていて不思議な感じだ。
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SOWETOの町や労働者がペイントされた発電所跡、体育館の様な教会、シビーンというもぐりの飲み屋…。中心部の市街地では見られなかった光景が続々と現れる。高級車は姿を消し、道を行くのはSOWETOの人々がぎゅうぎゅう詰めに乗ったミニバス、そしてひたすら自分の足で歩く人、人、人…。
SOWETOの人々はヨハネスブルグで仕事を得ても、毎日すし詰めのミニバスで長時間かけて通勤しなければいけない。大体5時頃に起きて職場に向う人が多いのだそうだ。
SOWETOの町を更に行くと、スクウォッターキャンプを通りかかる。スクウォッターキャンプとは不法居住区の事で、SOWETOの中でもとても厳しい生活を送っている人が住んでいる地域だ。住宅というよりは掘っ立て小屋の様な建物が何百件、何千件と密集して建っている。暮らす場所を見つけるのも難しい状態なので、こんなに小さな掘っ立て小屋の中にも何人もの大家族が住んでいたりするのだそうだ。
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電線すらしかれていない所も多く、あたりはとても薄暗い。このあたりは、エイズに苦しんでいる人も多いのだという。お金を貯めるために一時的にここに住んでいるだけの人もいる様だけれど、全般にとても苦労している人が多い地域の様だ。
「遠い夜明け」に出て来た様な場所が、未だに実在するんだなあ。日本にいるとアパルトヘイトの撤廃で何もかも良くなったと思ってしまうけれど、問題はまだまだ解決されていないのだなと思った。
ピリ地区へ
スクウッターキャンプを抜けると、ホームステイ先のピリ地区へと向う。ピリ地区は合法の居住区なので、スクウォッターキャンプよりは水準が高い。それでも地元の人以外を見かける事がまず無い、ディープな場所だという。そこら中走り回っても、私と高達さん以外外国人は誰も見かけない。今日はここに泊まるんだなと再び緊張感が高まる。
ピリ地区の様な合法居住区には、政府が労働者のために計画的に建てたという家が整然と並んでいる。旧白人居住区の豪邸と比べて「マッチ箱」と言われている様だけど、敷地は日本の戸建てより広く何だか不思議な感じだ。良く見ると一戸建て、二軒長屋、三軒長屋と色々なタイプの家がある。それぞれ母屋らしき建物に継ぎ足して増築したり、カラフルに塗装したり、外装に凝ってみたり…いろんな工夫がされている。SOWETOの人たちは働いてお金を稼いでは、こうして家のリフォームやお洒落、お酒にお金を使っていくのだそうだ。ある意味、日本人より一日一日を楽しく生きるのが上手いのかもしれないと思った。
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ビッグママの家へ
ホームステイ先は、そんな町の一角にある長屋だった。
高達さんの車から降りると、早速何人かが出迎えて歓迎してくれる。皆温かくていい人そうなので、ほっと安心する。
SOWETOは恐いところと言われているけれど、一度地元の人たちに溶け込んでしまえば家族的につきあえる事もあるのだという。とはいえ旅行者がふらっと来て急に入り込めるわけでもなく、今のところSOWETOに入り込めている日本人は、高達さんとあとわずか数人だけだという事だった。
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長屋の中に入っていくと、まだ夕方だというのに何人かの人たちは既にお酒を飲んで出来上がっている。
この家はガレージにテーブルや椅子を並べて、飲み屋を経営していた。タウンシップには、ビールやドブロクをライセンス無しで売る「シビーン」という飲み屋がたくさんある。言わば「モグリの飲み屋」だけれど、生活を支えるための重要な産業として栄えている様だ。
SOWETOの人たちはこの「シビーン」でとにかくよくビールを飲む。飲んで、飲んで、その日を楽しく終えるのだそうだ。 エクステンドルーム、ガレージなど、敷地一杯に増築された家の奥に入っていくと、リビングルームで100数十キロはありそうな大きな女性が待っていた。ホームステイのホスト役のビッグママだ。歓迎の意と共に一先ず抱きしめられ、圧倒される。何でも二年前までは体重が170キロ(!)あって、今はもっと太ったかもという事だった。体格もすごいけれど、何というか親分的なオーラがあってとても迫力がある。
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SOWETOでは、子供や家を守らなければならないという意識から、女性の方がしっかりしていたり強かったりする事が多いのだそうだ。ビッグママもシビーンを切り盛りしたり、大家族を養ったり、いろいろ苦労も多いんだろうなと思った。
ビッグママへの挨拶が終わると、お茶をいただきながら、娘さん、息子さん、子供達…、順々に紹介をいただく。ビッグママの影響か、皆明るくてきっぷのいい人たちだ。ノリがよくお洒落で、アフリカ人というよりはブラック・アメリカンの様な感じがする。とりわけお洒落のレベルは高く、原色の服を格好よく着こなしたり帽子や眼鏡を上手くコーディネートしていたりしている。SOWETOの人たちは老若男女問わず、とにかくお洒落に余念がないのだそうだ。
ソウェトの子供達
皆への挨拶が終わると、夕食までの間子供達と遊ぶ。子供達は写真が好きな様で、撮って撮ってとねだってくる。
南アの子供達は写真を撮られる時、人差し指や小指をたてたピースの様な仕草をする。どうやらテレビで流行った「オラ・セブン」という番組のポーズの様だ。写真をたくさん撮らせてくれるのは良いけれど、普通にしてた方が可愛いいからと言っても必ずこの格好をしてしまう。撮影会に悪戦苦闘しつつ、子供達と戯れるのは楽しい。皆無邪気で可愛いけれど、中には事情があって両親と一緒に暮らせなかったり苦労を抱えた子もいるのだそうだ。
この子達が大人になる頃には、もっと多くの事が解決されていると良いなあと思った。
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ソウェトでの夕食
この日は家族の一人が誕生日だったので、ビッグママの娘さんたちが腕をふるってご馳走をつくってくれた。誕生日の当人が一番一生懸命料理をつくってくれていて、こんなイージーさもSOWETOらしさなのかなと思った。
メニューはカレー風味のチキン、サラダ、カボチャの煮物、ポテト等々。とてもボリュームがあって美味しい。
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ビッグママの家族、遊びに来ている近所の人たちも一緒に大勢でワイワイ食べる。時々シビーンの常連客が居間に流れこんできて、歌ったり踊ったりしてくれる。皆、歌も踊りも上手いので見ているだけで楽しい。SOWETの家庭はとてもオープンらしく、娘さんの友人たち、近所の人たち…。この日だけでも20人くらいの人が出たり入ったりしていた。夜遅くまでおしゃべりしたり、飲んだり、踊ったりそれぞれに楽しんでいる。近所の人たちも、娘さんの友達も、皆家族の様に仲が良い。
皆それぞれ苦労も多い様だけど、日本人より本当の楽しみ方をよく知っているのかもしれないなあ。
この晩は、ビッグママが用意してくれた可愛い客室で眠る事になった。大きなベッドに横たわりながら、子供達が床で寝ていた事を思い出し申し訳ない気持ちになる。
明らかに寝る場所が足りないけれど、皆ちゃんと眠れるだろうか?このあたりも強盗がたくさん出るっていう事だけど、シビーンのお客さん達は無事に帰れるんだろうか?シビーンや居間では、まだまだワイワイやっているのが聞こえる。今日は本当に衝撃的な事ばかりだったな。こんな世界があるなんて知らなかった。自分は本当に世界の一部しか見てなかったんだなと思い知らされる一日だった。
ソウェトを去る朝
翌朝の飛行機は早かったので、慌しくビッグママの家を去る事になった。
朝食を食べながら別れを惜しみ、お別れの挨拶をする。短い間だったのに、ビッグママが「また来てね」と泣いてしまったので、私もホロリと来てしまった。 SOWETOの人たちはとても情が深い。今回はヨハネスのトランジットついでに短期間で来てしまったけれど、皆と一緒に過ごしたり、町や施設を見たり、もっと経験すべき事はたくさんあったんだろうなあ。
ビッグママの家を去ると、再びSOWETOの町をドライブしつつ空港へと向う。
貧困家庭に政府が無料や安価で提供しているというRDPハウス(RDP=Re-development Plan=復興開発計画)、SOWETOに隣接・近接した地域にある混血の人が住むカラード・タウンシップ、インド系の方が住むインディアン・タウンシップ…と、いろいろな場所がある。アパルトヘイトが撤廃されても、SOWETOから旧白人居住区の豊かな暮らしにステップアップできるのはまだごく一握りの人たちだけなのだという。
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短い滞在期間だったけれど、SOWETOでのホームステイは、私の旅の中で、人生の中で、最も衝撃的な経験の一つになった。SOWETOの人たちの抱える問題に比べたら、日本人の悩みなんて本当にちっぽけなもんだなあ。もっと一日一日を楽しく、強く生きなければ駄目だなと思い知らされる体験だった。
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2005年2月 究極のタンザニア・サファリ

2005年2月に催行した「究極のタンザニア・サファリ 13日間」にご参加頂いた 井口 恵美子 様 からのレポートです。後半にはお客様ご自身が感じた「サファリに持っていったら便利グッズ」が記してあります。是非、ご参考にして下さい。
タンザニアへ
アルーシャで一泊した後、ンゴロンゴロ自然保護区に向けて出発。意外に道は舗装されていて、とっても快適でした。途中、遥か遠くにキリマンジャロを眺めながら、約3時間程でンゴロンゴロの入り口に到着。
ここは、大噴火口と周辺のサバンナ・森からなる自然保護区で、巨大なクレーターはなんと深さ600mもあるとか。標高は約2800メートルと高く、日中の気温は35度以上、朝晩は10度ぐらいになるそう。温度差が激しいので、フリースなどがあると安心です。
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午後にいよいよ一回目のサファリに出発。ホテルからクレーターの底まで一気に下ると、そこはまさしく「野生の王国」!!!
車は4WDのロングボディで、屋根が持ち上がるようになっていて、そこから顔を出して動物を観察したり写真を撮ったりできます(もちろん車の外に出るのは絶対禁止、ランチは車を降りて専用のサイトで食べますが遠くには行けません。ちなみにサイトには水洗トイレもあります)。
クレーターの底では、ライオン、シマウマ、チータ、ゾウ、カバ、クロサイ、ヒョウなどなど、キリン以外のほとんどの動物を見ることができます(ンゴロンゴロにキリンはいません)。
私はちょうど、チータの子供3頭と母親が狩をしているところに遭遇しました!狩を覚え始めた子供たちが、トムソンガゼルの子供を捕らえては放し捕らえては放し、それを母親が見守っているという野生動物の厳しい一面を見ることができました。
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この日の宿泊はンゴロンゴロ・ソパロッジ。このロッジはクレーターの縁に建っており、各部屋からはクレーターが一望でき、なかでも夕日が沈む姿は本当に感動ものです。タンザニアのロッジやキャンプはアフリカの自然に溶け込むような作りになっていて、インテリアや部屋の作りなどもとっても素敵でした。
今回のツアーのロッジ
今回の旅では、町のホテル以外に4ヶ所のロッジやテントに泊まりましたが、それぞれアフリカの雰囲気にピッタリでした。テントと言っても私が想像していた物とは全然違い、高床式で木のドアやベランダがついており、水洗トイレやシャワーもありました。ただ、電気やお湯はどこに行っても時間制限があって(大きな町は別)、電池の充電やシェイバー程度の物ぐらいしか使えません。お鍋など電気を消費する電気製品は難しいと思います。
びっくりしたのが、大抵のロッジにプールがあったこと。日中の暑いときに飛び込むと最高です。水着はぜひ持って行って下さい。私もプールサイドに双眼鏡や本などを持って行き、動物ウォッチングしながら水浴びを楽しみました。
セレンゲティ国立公園
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写真は、セレンゲティ国立公園のなかにあるミグレーションキャンプです。ここは私の一番のお気に入り。テントはそれぞれ間隔を置いて一棟ずつ建てられており、夜になると道沿いにランプが灯され、陽が落ちた後は懐中電灯とこん棒(!)を持ったスタッフの方が送り迎えしてくれます。
途中、藪の中を懐中電灯で照らしたりしつつ、ドキドキしながら自分のテントまで5~6分ほど歩きます。部屋には懐中電灯と笛が置いてあり、食事に行くなどテントから出たいときは、レセプションの方向に向けて3度ライトを点滅させるとスタッフが迎えに来てくれます。笛は緊急用。一度だけどこかのテントで笛が鳴っていましたがあれは何だったのでしょう?!
夜になると頭のすぐ近くでカバが(ブヒ?ブー?ブタとはちょっと違う)鳴いていました。なにしろ壁はテントなので臨場感溢れるアフリカの音!!夜中には遠くでライオンの鳴き声も聞こえていたとか・・・。
ここのテントはモーニングコールを頼んでおくと、ポットに入った熱いコーヒーか紅茶とクッキーを持って来てくれます(電話はなし)。日本茶党の私はホットウォーターをお願いし、毎朝熱ーい日本茶でお目覚め。食事はもちろん好みもありますが、まあまあです。バイキングもあればフルコースのときもありました。そして、どこのロッジでも冷たいビールは飲めましたよ!
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マサイの人々の村を訪問
そして、楽しみにしていたマサイの人々の村にも行くことができました。村も小さいものから大人数が暮らすものまでいろいろあるようです。村に着くと、歓迎のダンスや歌で迎えられ、家にも招き入れてくれました。やっぱり牛糞の家に住んでいました~!!でも、思ったほど匂いはなかったですよ。
マサイの人々は評判どおり男性も女性もおしゃれ好き。身にまとう布も色鮮やかで、褐色の肌に実に良くマッチしています。ビーズなどで作った腕輪、髪飾り、ネックレスなどの装飾品が素晴らしく、彼らにとてもよく似合っていました。私の首にも誰かがよだれかけの様なネックレスを掛けてくれたのですが、その似合わないこと!
彼らは普段、牛や山羊などの世話をして暮らしていますが、観光客相手の仕事も重要な収入源だそうです。私たちは3人で行ったので1人20ドルずつ払いました。現金はあまり必要ない生活のように思えますが、マサイの人々の中にも大学に行く人が出はじめ、その資金になっているようです。
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タンザニアの物価
タンザニアの物価はそれほど安くはなく、日本と変わらない物もあります、ミネラルウオーターは1ドルだったし、ビールも安くはなかったです。水は一度買ったきりで、あとはロッジの部屋にサービスで必ず置いてあるし、サファリに行くときにもサービスでくれるので大丈夫ですが。でも飲みすぎにはご用心を。広い草原で緊急事態になったら・・・!
持って行くと便利な物
さて、これからタンザニアに行かれる方のために、持って行くと良いものをちょっとご紹介します。
ビーチサンダル
サファリ中、車から写真を写すとき椅子に上がって構えるのですが(本当はダメみたいだけど黙認してくれました)、頻繁に上り下りするので靴だと面倒。車から降りて歩くことはないのでサンダルでも大丈夫だし、その他、室内履きやシャワー室でもそのまま使えるのでとても便利です。
シャワーキャップ
車の屋根を全開にして走るため、砂埃がどんどん入ってきます。写真を撮るとき以外はシャワーキャップでカメラ全体を覆っておきましょう。毎日交換しなくてはならないほど埃がひどい。特にデジカメは埃に弱く、途中で故障なんてことになったら悲しいですものね。
ハエタタキ
これはアフリカに15回も来ているというベテランさんのお勧め。タンザニア西部にはツェツェバエといって、針で刺されたような痛みとその後の痒みがひどいハエがいる(乾季には特に)のですが、このハエが少々叩いたぐらいでは死ななくて、ハエタタキが一番有効です。百円ショップで一本買って持って行かれると良いですよ。
車が走っているときはいいのですが、止まるとワッと入ってくるので、私たちは皆でバシバシと賑やかでした。ツェツェバエは刺されると眠り病にかかることがあると言われていますが、タンザニアのは大丈夫のようです。ちなみに私はアフリカに行く前に黄熱病の予防注射を受けましたが、いつでも接種できるわけではないようなので早めに受けるといいと思います。
小さい懐中電灯
サバンナのロッジは電気のつく時間が制限されます。ローソクは用意されていますが、1つ持っていくと便利です。
ツアーに参加して
アフリカのタンザニア、その中のセレンゲティとンゴロンゴロというほんのごく一部(といっても広大な地域ですが)でしたが、それでも十分にアフリカを感じることができました。野生動物の生き生きとした美しさ、目の輝き、肉食動物のシャープな筋肉質の体、子供達の可愛らしさ、広大なサバンナに落ちる夕日…アフリカに魅せられて何度も通う気持ちが分かるような気がします。
一緒に行った6人のうち3人はそれぞれ、6回、10回、15回とすっかりアフリカの虜になった方たちでした。私もまたいつか必ず行きたいと思っています。
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砂漠の音楽祭

1月の上旬に実施した「砂漠の音楽祭11日間-企画手配-」に御参加頂いた K.I 様 からのレポートです。情報の少なかったこのフェスティバルは果たしてどんな結末を迎えたのでしょうか?
以下のレポートはページの都合上、編集してあります。原文をお読みになりたい方は「とも様キングス」のホームページまで。とも様キングスとは・・・筆者の所属する完全プロ級バンドです。今回のツアーでマリにおける最も有名な日本人ミュージシャンになった事は間違いありません。※詳しくは以下のレポートをどうぞ。
BAMAKO~(約5時間)~SUN~(約2時間)~SEVARE
マリBAMAKOのMANDEホテルで5:00頃に目が覚めてしまいました。やっぱり時差ぼけですかね。喉が渇いていて、水を飲んだところで気付きました。部屋に蚊がいます。もう、眠れません。1匹仕留めて、又1匹見つけて、1匹仕留めて、又1匹見つけて、、、 3匹仕留めたところで疲れて、あきらめに近いものが浮かんで寝ました。
朝食の席で、S藤さんの部屋も蚊がいたらしく、大格闘をしたと聞きました。 20匹くらい仕留めたけど刺されたと言って、マリ1日目からかなりブルーです。道祖神M浦さんから、マラリアの薬をもらいました。マラリアは潜伏期間が1週間なので、発症するころは日本だから日本で治療が受けられます、と慰められつつ、朝食のコーヒーで流し込みました。
ホテルのロビーで出発を待っている間に、両替商がやって来ました。マリで一番流通しているのはセーファフラン(CFA)という通貨で、我々はまだユーロしか持ってなかったので、ここでこれからの数日で必要な現金を両替しておきます。100ユーロ(14,000円)ずつCFAに替えてもらいました。これが66,500CFA になりました。
8:30、我々の車 は出発しました。運転手のカマラさん、ガイドのムライさん、我々日本人4人の6人です。
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車はトヨタの4WD、ランドクルーザーでしたよ。今回の旅で4WDを多く見かけましたが、ほとんどがトヨタでしたね。時々日産を見かけましたが。BAMAKOの街中で雑貨屋によって、水1.5Lのペットボトルを買ってもらい1人1本もらいます。今回の旅の条件で、1日に水1.5L(但し砂漠キャンプ中は3.0L)を提供というのがあったのです。砂漠のフェスティバルらしい条件でしょ?
市街を抜け、アスファルトの道路に出ると、混雑した BAMAKOの街から一転してマリの大自然が現れました。
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赤い土の大地、低く曇った空、黄色く枯れた草、日干し煉瓦(ムーチェとムライさんは言っていた)でできた家、日中35℃の気温。 何十分か走り続けると、小さな村や市が現れます。村を抜けるとまた何十分か走り続け、また村や市が現れます。
道の両端では所々放牧がなされているようで、牛・羊・山羊の群れとその匂いがします。私は以前バイクで北海道の北と東の外側の道を走ったことがあるのですが、その時の走った記憶が甦りました。
その雄大さと放牧の匂いが同じに感じられたからです。ただ、北海道は青くて緑が深いのですが、マリは赤くて黄色いのです。
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14:00に昼食ポイントのSANの街に到着。ホロホロ鳥のトマトソース煮込みとライスの食事でした。美味しい。ムライさんからはホロホロ鳥はマリ人がしょっちゅう食べるものではなく、特別な料理だと聞きました。デザートはマンゴーがでました。
15:00に再び出発し、本日の宿泊地、SEVAREを目指します。2時間のドライブの後、17:00過ぎにHOTEL de SEVAREにチェックインしました。荷物を置いた後、近く(車で15分くらい)のMOPTI観光に出かけました。
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MOPTIという街はニジェール川を使った交易港であるらしく、BAMAKOとは又違った意味で人がごったがえしています。物売りの子供達もよってきます。ここで小さなボートに乗せてもらいました。ニジェール川クルーズと言ったところでしょうか。
今日はマリ1日目なのに、とにかく移動移動で、時速100kmで7時間も突っ走ってきたわけですが、このボートでの時間でそれが程よく緩められて、とてもゆったりした気分になれました。ほんの15分くらいでしたが、夕暮れのニジェール川はよろしかったです。
HOTEL de SEVAREに帰ってきて19:30から夕食です。マリの料理をリクエストすると、そういうコースがでてきました。野菜のスープ、カピタン(ニジェール川で取れる魚)のバナナ添えでした。カピタンはマリでとてもポピュラーな魚らしいです。これまた美味しかった。マリの食事は美味しいです。日本人にとってはなんの問題もないのではないでしょうか。
ムライさんからドライブ中に聞いた話
マリはバンバラの言葉でカバのことだそうです。
明日向かうTIMBUKTUは、ブクトゥおばあさんの井戸という意味なんだそうな
マリには野生のライオン、象、キリン、カバがいるらしい。(見れませんでしたが)
マリ政府は観光を進めていこうとしている
マリ人の80%がイスラム教を信仰していて、10%がクリスチャン、10%が土地の信仰
SEVARE~(約5時間-パンク修理含む-)~DOUENZA~(約2時間)~フェリー乗り場~(約40分)~対岸~(約40分)~TIMBUKTU
6:00起床、6:30朝食、7:00出発。マリ2日目ですが、今日も長距離走ります。HOTEL de SEVAREを出てとにかく走りました。というのは、12:00か13:00にニジェール川を渡るフェリーに乗らないといけないからだそうです。しかしこんな日に限って途中でパンクしたり、別の車と待ち合わせが必要だったりと時が過ぎてゆきます。
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フェリー乗り場まであと90kmというところで、時間は12:00。あと1時間です。道はこれまでのアスファルト舗装されたものから、砂を踏み固めただけのガタガタ道になっていて思うようにスピードも出ません。運転手カマラさんはそれでも時速90kmをキープします。
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このおかげで、途中何台かの車を抜き去りつつ、フェリーの時間に間に合いました。まあ、13:00についたのに、出発したのは13:30くらいでしたが。フェリー乗り場は、タマシェック、ソンガイ、バンバラなど多様なマリの人々、ヨーロッパからの観光客、我々日本からの観光客と様々な人種、国籍の人間がいて不思議な取り合わせになっています。それらが一つのフェリーに乗り込んでニジェール川を渡り、向こう岸のTIMBUKTUに向かいます。
今日のドライブは砂の中を駆け抜けてきました。空はずっと砂煙でうすく煙っていました。ただこのフェリー乗り場について少し晴れ間が見えてきました。が、口の中に砂が入ってくるくらいに、風が砂っぽく埃っぽいです。
フェリーが港に着くと、再び車で走り、15:00くらいに本日のホテル、ヘンドリナ・カーンに着きました。このホテルはTIMBUKTUでも最新のホテルとのことでした。中の設備もよかったです。明日から砂漠でキャンプなのでデジカメの充電もここでしときました。
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16:00からTIMBUKTUの街中を観光に出ました。この街は本当に砂の町です。これまでのマリの街はその土の色が影響して街全体が赤っぽく感じたのですが、TIMBUKTUは足元も全部砂なので、まったく砂の街です。砂の上にいろんな建物が立っています。
ここで暮らしている人々はとても穏やかで挨拶してきてくれます。特に子供達が。アジアの人間が通ると珍しいのか特に手を振ってついてきます。まあ、中には物売りの人もいたりするのですが、そんなにシツコクないのですよね。いくつかモスクなど見物した後、TIMBUKTU博物館も見ました。ここでお土産をと思い、腕輪と指輪と絵葉書を買ってみました。14,000CFA(2,800円)。
TIMBUKTU~(約2時間)~ESSAKANE
いよいよフェスティバル当日になりました。今日から三日間、サハラの中でキャンプ生活です。このホテル、ヘンドリナ・カーンはとても快適でとてもよく眠れました。しかし夕べ干した洗濯物はあまり乾きませんでした。涼しいからですかね。
6:30に起床し荷造りしてチェックアウトしてから、いつものようにパンの朝食を摂りました。外は涼しいです。 曇った秋の日くらいでしょうか。ホテルのロビーで25℃でした。乾燥しているからかとても涼しく感じます。朝食後、ホテルのロビーは出発待ちのお客であふれてました。皆、フェスティバルに向かう観光客です。もともと8:00発と言われてたのですが、合流するはずの車がまだ昨日我々が乗ったフェリーに乗船中らしく、一向に出発しません。その間に道祖神M浦さんはガイドのムライさんにお願いして、出発前にもう一度街を見に行こうということになりました。
15分程市場を見てきて10:30に帰ってくると車も揃っていて出発となりました。
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これまでの道も厳しかったのですが、ここTIMBUKTUからフェスティバル会場であるエッサカネまでの道は今回の旅で一番きつかったです。アスファルトなんてものは当然なくて、でこぼこの砂の上を4WDで駆け抜けます。TIMBUKTUあたりまでの砂地だけども木が所々生えているようなところをサヘルというらしいですが、いよいよ本物のサハラに突入といったところです。
そして12:30、2時間近く走ってやっと砂漠のフェスティバル会場のエッサカネに着きました。ゲートをくぐり、砂だけの会場の中を自分達のキャンプサイトまで向かいます。
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今回、テントはタマシェックの人々が使っているのと同じテントが用意されると聞いてきましたが、その実物を見てびっくり。屋根と周りが囲ってあるだけでした。下は砂。前は閉じてません。これからの三日間はかなりハードなキャンプになりそうです。
ちょっと会場内を歩き回ってみると、既にいくつか小さな店もでています。ラクダにも乗ってみました。みんなが「らくだ~」といいながら、乗ってみろと誘ってきます。これはツアーに付いているのでタダなのですが、ラクダを操る少年に片道3分くらい行ったところで降ろされて、「なんか買って」と言われます。まあここでもNOと言い続ければよいのですが、私は欲しいなと思っていたティルバンを5,000CFA(1,000円)で買いました。ラクダ乗りからテントへ帰ってきたらティルバン巻いているので皆に驚き笑われましたが、ティルバンは砂漠の生活でとても役に立ちました。(日除けになって、夜はあったかい)
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ラクダの後16:00頃、ステージの様子を見に行きましたが、まだPA一式がトラックに乗ったまま。ほんとに今日始まるのでしょうか?といったところです。
20:00にキャンプの夕食を頂いてからステージが始まるのを待ちましたが何にも始まりません。ずっとPAチェックしてます。で、23:00くらいになってやっとステージが始まりました。ですが、この日はステージに関しては書くことがありませんでした。この日のステージはもひとつでした。初日はサウンドチェックとリハだけだったのかいな?
ESSAKANE
フェスティバル2日目です。8:30に起きると朝食が始まってました。今回、+1℃までOKの寝袋Deuter Plus One Sというのを持ってきたのですが、この季節のサハラでは丁度良かったです。明け方ちょっと冷えたくらいです。
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で、朝食後、テントに戻ってきてお茶を入れたりしました。今回、キャンプ用ストーブとして自前で Optimus No.80 NOVA というのを持ってきました。BAMAKOで仕入れてきたガソリン(ESSENCE)はストーブで湯を沸かすのに問題なく使え、ガスカートリッジ式のストーブを持ってこなくて良かったなと改めて思いました。マリでは日本で売っているようなキャンプ用のガスカートリッジは入手できなさそうです(多分)。
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サハラの気候は、午前は涼しくてよいのですが、昼になるにつれて日差しと暑さが厳しくなります。するとテントから動けなくなってきて、S藤さんは日本から持ってきたギターで気を紛らわせます。フェスティバルの中は音楽であふれていると私は思っていたのですが、実は楽器を弾いている人はほとんどおらず、ギターを弾いているS藤さんは近くを通りがかる人々から注目を集め、いろんな人が我々のテントに寄ってくるようになりました。そのうち8割くらいが物売りの人で、主に石と金属で作ったアクセサリーを広げて見せてきます。
夕暮れ近く、今度は広場で民族の催しが始まりました。広場の真ん中で演奏していて、その周りをラクダに乗ったタマシェックの民が囲んで見ています。その催しを見ているときにもS藤さんのギターは珍しいらしく注目を浴びて、触らせてくれ触らせてくれと人が集まってきました。
19:30に夕食をとってステージに行きました。この日はほぼ予告されていたプログラム通りに進行してました。Khara Arby は迫力のあるステージでよかった。私、帰りの空港でこのお母ちゃんのカセット・テープ買ってみましたよ。Baba Sarah はスマートなステージでかっこよかったです。Mamar Kassey は見るべきだったのですが、私、眠くて寒くてテントに帰ってしまってました。(→ニジェールのトップスターらしく、尺八のような笛の音と力強い歌声は、寒さを忘れさせてくれました。)
ESSAKANE
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フェスティバル3日目、最終日です。今日が最終日なので、ホームページに掲載されていた大物が軒並み出演するのだろうと期待してました。
9:00に起き出しましたが、夕べは風が強かったらしく、砂が前日より多く、自分の寝ていたシュラフの上に降り積もっています。朝食後、またまたS藤さんのギターに人が集まってきます。珍しいのでしょうね。日本製ギター。私は横でお茶を入れて、やってくる客人にジャパニーズ・ティーやコーヒーを振舞ってました。タマシェックの人からもお茶をよばれたりしてね。マリの人は甘いお茶を飲むようで、日本の緑茶やブラックコーヒーを飲むと驚いてましたね。特にコーヒーはほとんど飲む習慣がないらしいです。
また、この日は日本から持ってきた「奮発!1800」(注※筆者の所属するとも様キングスのニューアルバム)を日本のCDだと言って10枚ほどばら撒きました。そのうち1枚は、初日にS藤さんのギターをカメラで映していったマリTVの人に渡ってます。ひょっとして今マリで一番広まっている日本人のCDかもしれません(多分)。
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さて問題のステージ。Habib Koite と Afel Bocoum が “Desert Blues” というセッションで参加したっきり。このセッションも合間になんか無理やりつけたような踊りが入ったりしてステージとして面白くなかったんです。せっかくなんだから、演奏だけをたっぷり1時間くらい見たかったかな。結局、Dee Dee Brigwater、Salif Keita、Tinariwen、などのホームページで見て期待していた大物アーティストは出演しませんでした。Mamadou Doumbia 氏も来てませんでしたね。しかも最後は欧米のダンスミュージックをCDでかけて、ステージに観光客が上がってディスコになってました。なんなんでしょうか、これは?
後でガイドのムライさん達に聞いたのですが、CDにもなった昨年は本当に Salif Keita など大物が出演したのですが、フェスティバル主催者がギャラを支払わなかったらしく、怒ったアーティスト側は参加しなかったということらしいです。
まあ民族のお祭りのフェスティバルに観光客として参加させてもらっている立場とは言え、公式プログラムが出鱈目というのは残念に思いました。この砂漠のフェスティバルというシチュエーションで本物を見たかったなあと悔しい思いです。
ESSAKANE~(約1.5時間)~TIMBUKTU~(約3時間-フェリー&昼食含む-)~DOUENZA~(約4時間)~MOPTI
5:00起きです。フェスティバルも終わり、今日はMOPTIまで又長距離ドライブをせねばなりません。隣のテントのスウェーデン夫婦も我々と同じ旅程のようで、同じく出発しました。またまたガタガタの砂漠道です。ただ、帰りは道が踏み固められたのか、往きよりはかなりましでした。帰り道は時間も短く感じられます。
砂の街TIMBUKTUを通り抜け、再びニジェール川のフェリー乗り場でフェリーに乗り込みました。で、フェリーを降りるとまたドライブが始まります。とにかく走りに走って15:00過ぎにMOPTIのHOTEL KANAGAにチェックインできました。ここは今回の旅で一番快適なホテルでした。砂漠キャンプの後だからというのは抜きにして、ですよ。
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MOPTIでは市場に連れて行ってもらい、ちょっとした観光ができました。この市場は観光客相手のものではないらしく、生地を切ったりミシンで縫ったりする職人さんが大勢います。私はシャツを4枚買ってしまいました。 40,000CFA(8,000円)ティルバン(ターバン)もここは色が沢山あって、実は青以外が欲しかった私は、ここで買えば良かったなと思いました。他にも金物関連の店があったり、時間があればもっとゆっくり見て廻りたかったですね。
マリの主要産業品目は、ガイドのムライさんによると木綿、魚(ニジェール川でとれる)、山羊・羊、皮革製品、金、銀などらしいです。今回の旅行ではあまり多くの市場を見て廻れませんでしたが確かに皮革製品や木綿を使ったものを売っているのはよく見ました。魚、羊はよくレストランで食べましたし。
MOPTI~(約6時間)~SEGOU~(約3時間)~BAMAKO
6:30起きです。この日がこの旅一番のハードドライビングとなります。 MOPTIからBAMAKOまで一気に帰ってしまいます。
この日もとにかく走ります。車は順調に走り、13:00くらいにSEGOUに到着しました。ここで本日の昼食、そして少しだけSEGOUのお土産物屋さんを見ました。
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店の並びを抜けたところが川岸になっていて、ほんの少しその風景を見物することもできました。このSEGOUで地ビールを作っている所を見せてもらって、飲ませてもらったりもしましたよ。
14:30頃、またBAMAKOに向けて出発し、走りに走って、18:00にホテルMANDEに戻ってきました。夕方のBAMAKO市街は車の渋滞がものすごく、BAMAKOに戻ってきたことを実感しました。ホテルMANDEでは汗を流して荷物を詰めなおすだけですぐ出発し、夕食をとりにレストランに行きました。
21:00に空港に向けて出発し、空港の前で運転手カマラさん、ムライさんにお礼を言って分かれました。今回の旅が面白かったのはこのお二人がとてもよくしてくれたからでした。ありがとうございました。このお二人にも「奮発!1800をお礼の気持ちを込めてお渡ししてます。また運転手カマラさんには、私の持っていた日本の交通安全のお守りを、今後も安全運転でとの祈りを込めて差し上げました。
空港は人で溢れ返っており、マリに到着した日のことを思い返させます。搭乗手続きのカウンターで、スーツケースを日本まで直送してくれよと道祖神M浦さんが言い含めた後、入国の時より厳しい何回ものチェックを受けて出発ゲートに入りました。出国するときのほうが厳しいのですね。
23:50発のパリ行きの便に乗り込みました。ここからはひたすら飛行機です。飛行機に乗り込むと、あらためてマリがBAMAKOが遠のいていく気がします。赤い大地と人なつっこさが心に残る国でした。今回は本当に出会う人々に恵まれた旅行でした。
MOPTI~(約6時間)~SEGOU~(約3時間)~BAMAKO
4カ国リレーのスーツケースは奇跡的にロストせずに関空で受け取ることができました。今回の旅も無事終わりました。体調もくずさず、食べ物も美味しく(食べすぎなくらい)頂いて、良い旅でした。
アフリカと一口に言ってもとても広く、地域や国でかなり印象は違うのだと思います。私は今回来た西アフリカ・マリしか知らないのですが、初めて見て体験したアフリカは乾季だったということもあり快適で、食事が美味しくて、居心地の良い所でした。
帰ってきて皆に、「西アフリカのマリという国に行って来ました」といっても、「どこそれ?」という反応が多く、アフリカは知られていないのだなあと思いました。エジプトとかは有名ですけどね。地球の歩き方シリーズからも今はアフリカの本が消えており、アフリカの情報は日本では探さないと目に飛び込んでこない状況なのですね。
そうそう、今回残念だったのは肝心のフェスティバルのプログラムが無茶苦茶だったことです。ただ、私はマリという国の人が悪いのではなく、たまたまこの主催者の性質が悪かったのだと思います。今回の旅で出会ったマリ人は、ほとんどが明るく親切で善良な人たちでした。
ところで近々もしもマリに行かれる方がおられましたら、「ニジェール川の音楽祭」というポスターをセグーで見つけたのですが、挑戦してみませんか? Salif Keita 、Ali Farka Toure、 Tinariwenなどが出演するそうです。2005年の2月の4、5、6の3日間のようですが、本当に Salif Keita はやってくるのでしょうか?
マリのツアー・旅行一覧はこちら。
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メルー国立公園

2004年9月27日出発のツアーにご参加された渡壁 大 様から頂いたレポートです。
ルート
NAIROBI~(国道A2号線)約1時間30分~ EMBU ~(国道B6号線)2時間~ MERU ~約2時間~ Meru N.P. ~約30分~ エルザ・コプジェ(Elsa's Copje)所要時間約6時間
NairobiからEmbuまでは快適な舗装道路をひた走る。途中水田地帯などを走り、ちょっと東南アジアっぽい風景が楽しめる。Embuからは山間部に入り、山の谷間を見下ろしながら豪快なルートを走る。相変わらず舗装が行き届いた快適なルートで、 バナナ畑や山間の小さな集落を見ながら走りぬける。
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Meruを出てからMauaへ向かうルートを取り、しばらくすると舗装が途切れる。 最初は比較的整備された砂利道だが、舗装が途切れてから15分も走ると左右に体が大きく揺すられるような極悪路に入る。この極悪路はかつてのNamanga~Amboseliの悪路(現在はきれいに整備されているが)よりひどく、 いつまで続くのかと途方に暮れるが、この極悪路は約20分程度で終わり、再び整備された砂利道に戻る。厳しい悪路はゲート手前のこの区間、約20分程度のみ。整備された砂利道に戻ってからは約10分でメルーのMureraゲートに着く。
休憩は往路はMeruのMeru safari Hotelで一度だけ取ったが、Nairobiから一気にMeruまで行くとちょっと厳しい。Meruまで約3時間半とはいえ、結構な距離があり、車もかなり飛ばしての時間。途中、Embu、Meru以外では他に休憩が取れる所もないので、Embuで一度休憩を取りたいところ。(帰路ではEmbuのIzaak Walton Innでも休憩を取ったところ、大変楽だった)
メルー国立公園
Nairobiの東北東約100キロ(走行距離は約350キロ)の地点にあり、面積は約870k㎡ある。(参考:アンボセリNP:392k㎡)
標高が低いためサンブルと同様、とても暑い。年間を通じて雨が多く、公園内には大小の川が流れており、草原の他に森林に囲まれた地帯もある。全体的な光景はサンブールによく似ているが、山や丘に囲まれるサンブールと違い、メルーは広大な大サバンナが広がり、 そこに沈む夕陽の美しさには思わず息をのむ。公園内のゲーム・サーキットは非常によく整備されいる一方で、ブッシュが高く、また動物も非常に警戒心が強いため、動物になかなか近づくことができない。
Nairobiから遠いためか訪れる人も少ない(サファリ中に他のサファリ・カーに出会うことがほとんどない)が、これが「本来の姿」と言えるのかもしれない。見られる動物はサンブールに似ており、種類も多い。グレーピー・シマウマ、レッサー・クドゥ、アミメ・キリンなどを見ることができる。
メルー国立公園はジョイ・アダムソンの著書「野生のエルザ」の舞台となったところでもある。ジョイ&ジョージ夫妻が活動したこの一帯は1968年にメルー国立公園としてオープンしたが、90年代後半まで密猟者が横行。動物が激減し、シロサイは全滅、ゾウも壊滅的となった。この密猟はつい最近まで続き、果てはキリンなど草食動物まで激減したが、KWSの取り締まり強化により密猟もなくなり、他の国立公園・保護区からも動物を移住させ、2000年以降は動物の数も徐々に回復している。
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サファリ
ブッシュが高く動物の警戒心が強いとはいえ、動物の種類は多く「探検的」サファリが楽しめる。メルー国立公園は飛行機で来る人が多く、基本的にサファリはロッジの車になる。広大なメルー国立公園内で、サファリで回るのはほんの一部だが、ウォーキング・サファリ、ナイトサファリなどのバラエティ溢れるオプションも用意されている。
Elsa’s Copjeのサファリカーは屋根はもちろんのこと、窓はおろかドアもないランドローバーのフルオープンで、座席に座るとすぐ横はもう地面、という状態。「ライオンが来たら闘ってください」とドライバーにジョークを言われるほどだ。それだけに臨場感もありとても楽しい。 密猟によって激減した動物も移住によって回復してきたとはいえ、基本的に最小限の移住で、後は自然繁殖に任せている状態なので、その数はまだまだ少ないようだ。だが、レッサー・クードゥやツチブタなど、普段はなかなか見られない動物に出会えたり、ブッシュからウォーターバックが飛び出してきたりと、エキサイティングなサファリである。動物がすぐに逃げてしまったり、動物との距離が少し遠いため、フォト・サファリは難しい。ここでは血眼になって動物を探すよりも、双眼鏡を片手にメルーの風を全身に受けながら、アフリカの大地を感じるサファリを楽しみたい。
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サンセット・バー&ブレックファースト・サファリ
夕方からのサファリでは、美しい日没の時間に合わせて夕陽が美しく見えるポイントにクルマを停め、ドライバーが「サンセット・バー」を設営してくれる。バーとはいえ、クルマのボンネットにマサイブランケットを広げ、その上に数種類のツマミと希望のドリンク(事前にロッジで希望を伝えておく)が用意される程度だが、美しい夕陽に今日の感動を感謝しつつ乾杯するのは至福の時間である。また、早朝のサファリでは「ブレックファースト・サファリ」ができる。朝食をお弁当にしてサファリに出かけるというものである。
途中、川沿いの美しい森に囲まれたポイントにクルマを停め、そこで朝食をいただく。朝の涼しい川沿いの空気を吸いながら、鳥のさえずりを耳にしながらいただく朝食。非常に贅沢で楽しい時間である。
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オプショナル・ツアー
ロッジにて申し込むと「ウォーキング・サファリ」と「ナイト・サファリ」を楽しむことができる。(ただしこれらはエキストラ料金が必要。それぞれ1人15ドルで、これはKWSに支払われるとのこと)今回はウォーキング・サファリとセットで申し込み、ウォーキング・サファリ終点でピックアップしてもらい、そのままナイト・サファリに出発した。
ウォーキング・サファリ
夕方16時にロッジの玄関に集合。まずはガイドをしてくれるロッジのマネージャーから注意事項の説明がある。「ライオンに出会った場合」「バッファローに出会った場合」などを大マジメな顔をして説明されるので、こちらも大マジメな顔をして拝聴する。ウォーキングサファリでライオンに出会えることなどあるのだろうか、会えたらラッキーだな、と思う反面、出会うことが無いとも限らないので、ちょっと緊張する。ガイドをしてくれるマネージャーはかなりの「役者」で、こうした盛り上げが非常に上手い。(ちょっとクサい演技もあるが)説明後は同行のレンジャーと共にサファリカーに乗り込み、スタート地点で降ろされて歩き始める。ライフル銃を肩に下げたガイド役のマネージャーを先頭に一列縦隊になって歩くのだが、これがなかなか楽しい。
結局ライオンはおろか、見ることができた動物はグレーピー・シマウマとガゼル程度。しかし動物たちと同じ地面に立ち、シマウマと視線が合うというだけで非常に楽しいし、そもそも自分の足でサバンナを歩いているだけでも満足感がある。
動物を間近には見られなかったものの、途中で「足跡当てクイズ」「アリ地獄掘り」などをしてくれたり、落ちている糞の説明をしてくれたりして、なかなか楽しめたウォーキング・サファリ。終盤は川沿いを歩き、最後はピックアップ地点でサファリカーに拾ってもらう。所要時間は1時間半程度。
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ナイト・サファリ
サンセット・バーの時間までは通常の夕方のサファリを楽しみ、日没後からが本格的なナイト・サファリとなる。ナイト・サファリといっても、ドライバーは運転をするだけ。サーチライトを照らし、動物を探すのはお客さんの役目。
今回は同行していただいた道祖神の三輪さんにサーチライト役という重責(?)を果たしていただいたが、このサーチライト役はかなりエキサイティングで夢中になってしまうらしい。後ろから夢中になっている三輪さんを眺めていると、それがまたナイト・サファリの光景の一部となって楽しい。
サーチライトに反射して光る目をまず探し、動物を同定するのだが、闇に光る目を探すのはワクワクする。一番多く見られたのがブッシュ・ベイビー。 1時間半近くのナイト・サファリ中に25匹のブッシュ・ベイビーを確認。その他、バッファロー、カバ、ヒョウ(?)を発見することができた。
暗闇の中、バッファローやカバを間近に見るのは、日中と違い、異様な雰囲気で少々怖い。(もちろん、ドライバーが安全を確保してくれているから安心なのだが) ロッジへの帰路出会ったヤマアラシが、針を立ててカサカサと音をたて、ヒョコヒョコと逃げて行く姿が愛くるしく、緊張が続いたナイトサファリの最後を和ませてくれた。
KWSとは・・・KENYA WILDLIFE SERVICE ケニア全土の国立公園を管轄している組織
ロッジ【エルザ・コプジェ】
小高い丘の上に、岩と地形を上手に利用して建てられた9棟の戸建てロッジと、センターハウスから成る小規模な高級ロッジ。それぞれが完全に独立している。サバンナに面した方角には壁がなく、目前に広がる大サバンナとの一体感が感じられる。
部屋は非常に広く開放感に溢れている。洗面所、シャワーブースも広々としており、設備も充実しているが、お湯は一日あたり180リットルまでという制限があるし、夜23時から翌朝6時までは停電となる。限られた水と電力ゆえのことだが、節約して使えばお湯を180リットル使い切ることはまずないし、夜の停電後に、壁の無いベットルームから月明かりにうっすらと浮かび上がるサバンナを眺めるのも、非常に美しく感動的で、そのまま夢路につくのも悪くない。
部屋のタイプは9部屋すべて内装が違う。4部屋のみバスタブがついている。一部屋はファミリースイートで最高5人が泊まれる部屋である。各部屋にある無線(トランシーバー)でレストランなど共有スペースから離れた部屋にいてもロッジスタッフと連絡が取れるようになっている。
食事は非常に美味しい。ディナーは日によって魚料理と肉料理が交互に出てくるようで、どちらも満足できる。ロッジによくあるブッフェスタイルではなく、各テーブル毎にサービスをしてくれるので、温かいものは温かく、冷たいものは冷たくいただける。ランチはブッフェスタイルだが、新鮮な野菜が多く用意されているのが嬉しい。食後は部屋でのんびり過ごすのも良いが、併設されているバーで洒脱な会話を楽しみたい。
夜はバーとなる場所では、日中もドリンクをサービスしており、ソファやデッキに座ってゆったりと午後のひと時を過ごすのは、とても豊かな時間である。
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なお、このロッジは小高い丘の自然の地形を上手に利用して作られており、ロッジからダイニングなどの移動はそこそこの距離がある。特に夜間は懐中電灯は必携(各部屋に備え付けてある)で、ヘビなどもいるため足元には注意したい。日中はハイラックスが部屋まで遊びに来ることもあるが、ヤモリ、トカゲも非常に多く、部屋の中まで訪問してくる。この手の生き物が嫌いな人には向かないかもしれない。小規模なロッジならではの行き届いたサービス。高級ロッジながら過剰なサービスもなく、宿泊客の心を豊かにしてくれる「心に贅沢な」ロッジである。
かつて「野生のエルザ」の原作者、ジョイ&ジョージ・アダムソン夫妻 がキャンプをしていた場所の近くにあるロッジだけに、内部にはエルザの絵や写真が多く飾られ、また、洒落た調度品も多く置いてあり、質素な雰囲気の中にほどよい上質感を感じることができた。言うまでもなくロッジ名”Elsa’s Copje”の”Elsa”は野生のエルザのことであり、”Copje”はこのロッジが建っているような「岩の丘」という意味である。
まとめ
マサイ・マラのようにあちこちに動物を見ることができるような場所ではない。そういう意味では「とにかく動物をたくさん見たい」という人には不向きだろう。だが、マラから移って来たというドライバーが「これが本来のサファリだ」と強調していたように、野趣溢れるサファリを楽しみながら、大アフリカをゆったりと満喫することができる。
野生動物の保護に尽力したアダムソン夫妻とエルザに想いを寄せながら、 悠々たる時間の中に自分の身をサバンナに同化させる・・・。それがメルー国立公園の楽しみ方のように思う。サバンナにいるだけで幸せ、と思える人に勧めたい、美しい国立公園である。
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