Africa Deep!! 57 ザイール名物クワンガを口に入れるたび涙が滲むという話

この前、短期間のアフリカ観光から帰ってきた人が、「アフリカでは食べものに困りませんでしたよ。どれもおいしかったわ」と言うので、「おいしかったでしょう、ウガリは。フーフーも食べたんですか?」と聞き返すと、「え、それは何ですか」と首をひねっている。
旅行の仕方にもいろいろあるだろうが、高級ホテルや高級ロッジに宿泊して高級レストランで食事するという旅行の場合、出されるのはだいたい西洋料理みたいなもの。ブッフェで好きなものを取るスタイルも多い。ブッフェの片隅をよく見れば、トウモロコシ粉を湯で練りこんだソバガキのようなウガリが置かれていたりするのだが、旅行者らはチキンや肉料理やサラダ、パスタなどをまず優先して皿に盛るので、見た目もパッとせず味もなんとなく淡白な感じのするウガリなどには手をつけないことが多い。それで結局、アフリカ人の主食ウガリやフーフーには箸をつけないまま日本へ帰ってきてしまうことになる。
アフリカ人はこの主食となる穀類に、「ソース」と呼ばれたりする肉や野菜のシチューを絡めて食べるスタイルが一般的。食堂で彼らの食べる所作を何気なく観察していると、食べるスピードが速い。僕たち日本人のように「よく噛んで」食べる人は稀だ。炊きたてのおからのように見えるウガリも、表面のすべすべした感じがどことなく餅に思えるキャッサバ粉からつくったフーフーも、アフリカの人は右手でちぎって丸め、それをソースに浸して口に放り込む。そしてあまり噛まないで飲み込む。だから速い。
昔ザイールと呼ばれていた国(現、コンゴ民主共和国)を旅したことのある人なら、クワンガと呼ばれるこの写真の食べものを絶対に食しているはずだ。なぜならレストランの数が少ない上に、道路事情が極端に悪いから、移動しようと思えばなんらかの携帯食を用意しなくてはならないからである。キャッサバ粉を練ってバナナの葉でくるんだこのクワンガは市場に行けば必ず手に入る。僕はいつもこれとバナナやパパイヤをザックに入れて歩いていた。できたては非常にうまい。ピーナッツをすり潰したバターを塗って食べると、どことなく遠く故郷の安倍川餅を思い出して涙がじんわりと溢れてきたもの。しかし何日かたってしまうと最悪だ。固くてパサパサになり、発酵が進んでオシッコと似た香りがつんと鼻を衝く。すると今度は情けなさでやはり涙が滲んでくるのであった。
写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。
公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/

Africa Deep!! 56 スーダン人のひとの良さはいったいどこから来るのだろうか

スーダンという国はアフリカでも最大級の面積を誇る大国でありながら、存在感が大きいとはいえない。実際に訪れたことのある人も少ないだろう。90年代にはあのオサマ・ビンラディンが滞在していたので、アメリカからテロ国家と呼ばれて空爆を受けるなど、どちらかというと日本人には負のイメージの方が強いと思われる。ただスーダンの名誉のために書き添えておくと、当時アメリカ政府は「世界に脅威を与える化学兵器を作っている」という言い分で空爆したのだが、実際に破壊された工場は何の関係もない民間の医薬品製造会社だったことが明らかになっている。
最近では、西部のダルフール紛争や南スーダンの独立など政治的に不安定な時期が続いているため、日本人からはますます遠い存在になっている。純粋に旅を楽しむ目的でスーダンに入国する人はどのくらいいるのだろうか。
しかし僕が知るかぎり、スーダンをしばらく旅したことのある人は、例外なくスーダンの人々のホスピタリティを褒め称える。外国人に対してとにかく人懐っこく、優しい笑顔を投げかけ、歓待してくれる。観光立国である隣国のエジプトでは話しかけてくる人のかなりの割合が商売目的であるのと対照的に、スーダン人はとにかく下心抜きで純粋に外国人に接してくる。好き嫌いは人によってもちろん異なるだろうが、ひとの良さという面ではアフリカ大陸においてスーダンはダントツで抜きん出ていると思う。
エジプト国境のワディ・ハルファという村からイギリス植民地時代に敷設された列車に乗って首都ハルツームに向かったことがあるのだが、途中で列車が立ち往生し、数日間をヌビア砂漠の真っ只中で過ごす羽目になった。持参の水と食料が切れたが、同乗のスーダン人たちから次々と差し入れをいただいた。しかし彼らとて余分を持参しているわけではなく、僕の代わりにじっと空腹を耐え忍んでいた。そういう人たちなのだ。街では木陰で甘いチャイを飲ませる店を数多く見かけたが、代金を受け取ってくれないこともしばしば。何事にも不慣れな旅の外国人をとにかくもてなしたいという気持ちがいつも伝わってきた。
やはり国土の多くが砂漠という厳しい環境にあることが、そのような性格を形成しているのだろうか。助け合わないと生きてゆけない世界。ニュースなどで巷に流れている負のイメージというものがいかにいい加減であるか、それはやはり実際に旅に飛び出して身体でナマの人たちと接しないとわからないものなのである。
写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。
公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/

Africa Deep!! 55 これってネタで発行しているの?と思わず突っ込みたくなる紙幣

まず写真を見てほしい。ぱっと見てこの数字を読み取れる人はいないと思う。手前の紙幣は額面が百兆ドルだ。ゼロが14個も並んでいる。百兆ジンバブエドル。では、ここで問題。日本円に換算したらいったいいくらの価値になるのでしょうか?
日本ではいま政府が国内をインフレにしようと躍起になっている。そうしないと給料が上がらないからだ。しかしモノの値段が上がりすぎてしまうと、額面の大きな紙幣をどんどん発行しなくてはいけない経済状態になってしまう。ハイパーインフレだ。そうなると今度は通貨の価値が下落してしまう。経済というのはバランスが大切で、だからこそ政府の手腕も必要となってくるのだ。
ジンバブエの場合は明らかにそのあたりの手綱を誤ったといえるだろう。僕が初めてかの国を訪れたのは1980年代だが、当時ジンバブエは「アフリカ経済の優等生」と呼ばれていた。それが今世紀に入ってから様相が一変した。理由はいろいろあるだろうが、ひとつには法律を改正して白人の資産を合法的に収奪してしまった点にある。この政策で、経済を索引していた大規模農場主などの白人が国外へ逃れてしまった。その結果、経済が立ち行かなくなってしまったのである。
政府はデノミ(通貨切り下げ)の連続によってこの難局を乗り切ろうとしたが、そのたびに旧紙幣は使えなくなるため、だれもジンバブエドルを信用しなくなってしまった。インフレは加速度的にスピードを上げ、2007年には翌日にはモノの値段が2倍になるという嘘のような本当の事態に。
冗談のような百兆ドル紙幣は2009年に発行されたものの、当然そのようないつ紙屑になるかも知れない紙幣など受け取る人は誰もいない。国民はみんな自衛のため米ドルや南アフリカランドを決済に使った。案の定、百兆ドル紙幣は三カ月で発行停止となり、それを最後にジンバブエは自国通貨を刷っていない状況が続いている。ちなみに最初の質問の答えだが、百兆ドルは約2000円に相当する。ただし通貨の価値ではなく、ヤフーのネットオークションでコレクター向けに出まわっている価値であるから念のため。
写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。
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Africa Deep!! 54 食堂に描かれた壁画 人々の夢と希望がそこにあった

「アフリカの角」に位置するエリトリアは1993年に独立した若い国だ。エチオピアからの分離独立を果たすべく30年にわたって独立戦争が続いた。戦争が終結し、独立した直後に、僕はバックパックを背負って旅したことがある。
当たり前のことだが、国土はとても疲弊していた。官公庁の建物には大量の機銃掃射の跡が生々しく残っており、破壊された戦車が路地にそのまま打ち捨てられていた。駅舎は徹底的な爆撃を受けて吹き飛び、鉄の塊と化した機関車が転がっていた。鉄路はぐにゃりと折れ曲がり、ヤシの木が黒焦げになっていた。
19世紀末からイタリアの植民地支配を受けたため、街並みはかつて訪れたことがあるイタリアの田舎町の雰囲気とよく似ていた。表通りには重厚な建物のカフェがならび、もし戦争が起きていなかったらさぞかし寛げる空間だったと思われる。しかし当時は店の多くはまだ閉められており、街には活気は戻っていなかった。
足の向くまま歩きまわっていると、裏通りに一軒のレストランを見つけた。おそらくイタリア植民地時代の建物だろう、外観はちょっと傷んでいたが、内部は天井が高くて広々としており開放感があった。大衆食堂だが、よく掃除もされて清潔が保たれている。何よりも、壁面いっぱいに絵が描かれているのが気に入った。結局、滞在中は、朝・昼・夜とここで食べることになった。
エリトリアの食事もイタリアの影響を受けている。パスタやマカロニ、トマト味のスープなどが主である。ただ食べ方はイタリアとはちょっと違っていた。トマトベースのミネストローネスープに固いパンをちぎって入れ、すりこぎのような棒ですり潰して食べたりした。こういう店では食べ方がわからなければ、店員や客がよってたかって指導してくれるからありがたい。
壁面いっぱいにペンキで描かれている絵のモチーフは、山や森や川といった自然の中での人々の暮らし。他のアフリカの国々でもこうした壁面画には動物や鳥などが配置された豊穣な自然が描かれていることが多い。このレストランの絵は長かった戦時に生きた人々の一服の清涼剤だったのは想像に難くない。
写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。
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Africa Deep!! 53 アフリカ大陸に落下した世界最大の隕石

マニアとまではいかないが、旅先ではよく鉱物や石などを買い集めるほうである。ラピスラズリの目の覚めるようなブルーや紫水晶の放つ怪しい光は、じっと眺めていると「その奥」の世界へ引きずられていきそうになる。化石もしかり。その生物が生きていた時代のことをあれこれと夢想するのは楽しい。
そのうちに手に入れたいと思いながらもいまだ果たせていない石のひとつに隕石がある。旅先の土産物屋で「これは隕石だよ」といわれたことが何度かあったが、信用することができなかった。隕石ならば必ず並外れたオーラを出しているはずだ、という思い込みがあるからだ。実際に日本国内で確認されている隕石の数はわずかに50個程度ということなので、土産物屋でそう簡単に手に入るしろものではないのである。
ナミビアの農場の真ん中に、世界最大の隕石が落ちたままの姿で保存されている。ホバ隕石というのだが、これはさすがにオーラを出しまくっていた。黄色い大地に真っ黒い塊がのめり込んでいる。指でさっとなぞっただけで、その重量感は半端なものではなかった。約3メートル四方に高さが1メートル。それなのに重さは60トン以上あるという。60トン! 大人が千人分の重さだ。それだけ密度が高いということである。
科学者の研究によるといまから約8万年前に落下してきたそうだ。成分の83パーセントが鉄、16パーセントがニッケルで、他にコバルトなどの微量元素もたくさん含まれている。鉄隕石という分類に入る。ホバ隕石の表面にはおそらく研究用に採取されたとみられる削岩跡が何箇所もあるのだが、その断面は日本刀を思わせるような鈍い銀色に光っている。僕はことさらこの断面の怪しい輝きに魅了され、何度も何度も触れてみたのだった。
隕石であるかどうかを判定するためには、放射線と同位体元素の測定が不可欠らしい。その結果、発見された隕石のほとんどは太陽系が出現した当時、45億年前に生成された始原的な物質であるという。だれもが子どもの時分に「宇宙ができたころってどんな様子だったんだろう」と空想した経験があると思うが、隕石はまさにその記憶を秘めているのだ。ああこんなことを書いているとまたナミビアに行きたくなってきた。
写真・文  船尾 修さん

船尾修さん
1960年神戸生まれ。写真家。1984年に初めてアフリカを訪れて以来、多様な民族や文化に魅せられ放浪旅行を繰り返し、いつのまにか写真家となる。[地球と人間の関係性]をテーマに作品を発表し続けている。第9回さがみはら写真新人賞受賞。第25回林忠彦賞受賞。第16回さがみはら写真賞受賞。著書に「アフリカ 豊穣と混沌の大陸」「循環と共存の森から~狩猟採集民ムブティ・ピグミーの知恵」「世界のともだち⑭南アフリカ共和国」「カミサマホトケサマ」「フィリピン残留日本人」など多数。元大分県立芸術文化短大非常勤講師。大分県杵築市在住。
公式ウェブサイト http://www.funaoosamu.com/