悠久の大地セレンゲティ 滞在型サファリ 9日間

『悠久の大地・セレンゲティ滞在型サファリ9日間』にご参加頂いた、山下信子さんからのツアーレポートです。(2009年9月)
訪れた人にしかわからないセレンゲティの魅力。日本からの長いフライトやナイロビからナマンガそしてアルーシャまでの悪路も許せてしまう・・・。サファリでの動物たちのドラマに涙が止まらなかったり、マサイ語で「果てしない平原」という名のとおり360度地平線、 圧倒される大自然に癒されている一人の人間がいる事に気づかされました。また訪れたい、そんな気持ちにさせられる。それが、セレンゲティ。
サファリ1日目
アルーシャから軽飛行機でセレンゲティへ 正味約1時間が何箇所も経由して2時間30分のフライト(正直、こんなに沢山の飛行場があるとは知りませんでしたが)。長いと文句をいってはいけません。ラッキーです。遊覧飛行です。マニャラ湖やンゴロンゴロを眼下に楽しい飛行でした。チェックイン後、昼食、休憩、そしていよいよ、1日目のサファリです。飛行場からロッジまでの道程がもうトムソンガゼルやキリンのお出迎えだったので期待は高まるばかり・・・ 期待どおり、ハネムーン中のライオンのカップルが木陰でのんびりしているに出逢えました。
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サファリ2日目
昨日はしょっぱなから、ライオンの子供たちが遊んでいる姿や豹がトムソンガゼルを木の上まで運び、食べるシーンにでくわし、その興奮がまださめやらぬところで今日は2日目です。残酷なシーンなのですが、観察している車からは距離があり、匂いもしないのでなにか映画の1シーンを見ているようで、自然のなかでは毎日こういったことが営まれているんだなぁという思いでした。豹親子の狩の練習シーンは失敗に終わりましたが、土煙をあげて走るすがたの綺麗だったこと。
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サファリ3日目
ブレック・ファースト・ボックスを持って少し朝早く出発です。ハゲワシ達がトムソンガゼルの子供の死体に群がって肉を啄ばんでいる近くで お母さんが悲しそうに鳴いている声がなんとも物悲しく、私の眼から知らぬ間に涙があふれていました。ワニがトムソンガゼルを食べる迫力のあるシーンも観察することが出来ました。ワニが水中で獲物を食べるなんて・・・水面から顔をだして獲物を振ってちぎって食べるすがたは圧巻でした。水牛の大移動は凄かったです。1千頭ほどの水牛がゆっくり行進してくるのは、迫力満点でした。
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今日もブレック・ファースト・ボックスを持って出かけました。早朝のサファリ。日の出がすばらしい草原の丘の上で食べる朝食は格別。因みに、トイレもあり快適です。この日は雄ライオン2頭が草原を一定の距離を保ちながら走っている姿が観察できました。チーターの子供が親とはぐれて親を呼んでいる声のかわいらしいこと、夕暮れに豹の子供が木から下りてくる一瞬。数え挙げればきりがありません。
アルーシャにたつ軽飛行機に乗るまで時間の許すかぎりサファリ三昧でしたが飽きることがありません。2ヶ月ぐらいの三頭の子ライオンが親からトムソンガゼルの足をもらって、食事の訓練をしていました。
セロネラ・ワイルドライフ・ロッジですが改修がされ、とても快適に過ごすことができました。レストランも巨岩を利用してあり南に面したガラス窓からは、サバンナや気球の飛んでいる雄大な景色を見ることが出来ます(バスタブがあったのが最高)。
今回、9日間でしたが、セロネラ地区にしぼられていたので、すごく身体が楽でした。帰ってからも、旅の疲れも無く、直に日常に戻れたのが凄く良かったです。
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78歳タッシリ・ナジェールを行く

タッシリ・ナジェールのツアーにご参加頂いた、岩井信子さんからのツアーレポートです。
タッシリ・ナジェールは、私が十数年来、夢見つづけてきた地である。
地球上に世界遺産は数多い。だが私は権威の象徴たる遺跡、賛を尽くし天を衝くような建造物などに興味はない。タッシリに現存する絵、古代人が岩に描いた岩絵は、人の暮らしの「遺産」である。すべての人が平等に、主体的に生きた古代の、日常生活の遺産である。しかもその絵は、かつてサハラが緑ゆたかに水流多き大地であったことを証明する。即ちサハラの歴史を、引いては地球の返遷を語る遺産である。この壮大なロマンに私は魅せられてやまなかった。
タッシリの岩絵の存在を知った時期、私はエチオピア奥地に石器時代さながらの暮らしを営む少数民族の探訪に没頭していた。その当時の私は「遺跡は変化しない。が、人の暮らしは急速に変わってゆく」と、エチオピアを優先させてきたのであった。
念願のタッシリ行きが実現したのは、昨年(二〇〇八年)。一二月二十六日関空を発った。南フランスのマルセイユから地中海を横断し、ニジェール国境に向かう空路、眼下にひろがるアルジェリア領サハラは、底知れぬ神秘を射放っていた。タッシリへの基地、一夜を過ごすオアシスの町のホテルは、壁に魔法のランプが灯っているのでは?と思わせるたたずまいであった。
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岩絵のある台地へは、名にして負う急峻な峠を登る。十頭のロバに荷を積み、私たちは水とカメラ程度の軽装で、胸躍らせて麓に立った。そして峠を見上げて絶句した。この峠がただならぬ難所であることは知っていた。累々たる大岩が今にもなだれ落ちそうに峻険。道なき岩山。これを喘ぎ喘ぎ登った壮年男性の体験記も読んでいた。破れんばかりの心臓音が聞こえるような手記であった。それにしても!予想と覚悟を絶する山の姿にさしもの私も一瞬怯んだ。「78歳が来るところじゃなかったか?」
が、懸念は無用だった。山に取り付くと不安は吹き飛んだ。八人の現地スタッフは、ガイドをはじめ実に優秀である。誠実で的確な仕事ぶりは申すに及ばず、絶対的な信頼のおける人たちである。その上、人一人くらい、片手で軽く受け止められるほどに鍛え上げられた頑強な体躯の持ち主。私は“安心して命を預けられる”と実感した。78歳の私が彼らに援けられ、同行の仲間に励まされ、難なくこの難所を踏破したのである。
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岩絵の場所は夥しく、岩絵の数は殆ど無数と言ってよい。どの絵も躍動感にあふれ、その臨場感に息をのむ。目鼻は描かれていないのに、遊ぶ子どもの声や人の会話、叫び声、動物のいななきや疾走する地響きが聞こえ、今にも砂煙りが巻き上がって来るようである。古代人の高い表現能力に私は酔い痴れた。また、精神世界を思わせる絵、死生観や思想にいざなう絵など、近々を古代人に見え、その息使いが耳を打つような感動の連続であった。
しかも、この遺産が、柵一つめぐらさず、ロープ一本張るでなく、野放し同然に開放されているのである。私は一人でも多くの人が、アルジェリアのこの厚遇に俗することをおすすめしたい。国によっては、遺跡現場には人を入れず、絵はレプリカにして観覧に供していると聞く。
岩陰でのテント泊も、これまた実に楽しいものであった。毎夜焚火を囲み、火明かりにスタッフと集う団欒には、時を忘れた。茶葉をぐつぐつと焚火で煎じた民俗茶は、就寝前の体を芯から暖めてくれた。
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毎食、コックが作ってくれる食事は「これが不毛の地、砂漠での食事か」と目を瞠るほど、多彩で新鮮、そしておいしかった。何よりレモン酢がふんだんに使われ、なお二つ割りのレモンがドンと添えられているのには、感動しきりであった。「家にいるときより栄養状態がいい」と話し合ったことである。
ただ一つ、残念なことは、遙かな時をへて、岩絵が風砂に削られ自然消滅が進行していることである。今のうちに何か復元できないものか、切にそう思う。
私はもう一度、ぜひ行きたいと思っている。見落とした絵や撮りこぼした風景がある。タッシリナジェールには、些細な悔いも残したくない。もう一度行って、この絵を描いた古代人と、これほどの遺産を惜し気もなくオープン「展示」するアルジェリアに、敬意を表したい。
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2008年2月 究極のタンザニア・サファリ

タンザニアのセレンゲティ国立公園になんと7連泊。リピーターの参加が多い、こだわりのサファリツアーに参加された土井治夫さんのツアーレポートです。(2008年2月)
現地1日目 到着⇒アルーシャへ
ナイロビ到着後、貸切専用車にてケニアとタンザニアの国境の町ナマンガへ。距離は約 190Km、所要時間は約3時間。出入国手続きを済ませて、アルーシャへ。距離は約110Km、所要時間は約2時間30分。21時40分ごろ、無事ホテル着。疲れました。
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2日目 ンゴロンゴロへ
セレンゲティからアルーシャへの帰りは軽飛行機利用。一人15Kg以内で且つソフトバッグという制限、ハードケースはホテルに預けておく。朝食後、ンゴロンゴロ自然保護区のソパ・ロッジに向けてトヨタのランドクルーザを走らせる。距離は約190Kmだが、道路が舗装されているため快適なドライブ。先ず我々の車のドライバーはKMさん。日本語がかなり達者!4人の子供があり、ドライバー歴9年の性格の明るい中堅ドライバー。もう一方のサファリカーのドライバーはTAさんで、7年前と同じドライバーで、某大手TV番組の取材時は良くドライバーを務めており、かなりの有名職人気質のドライバーだ。
途中、マニャラ湖近くの道端で添乗員さんが赤いバナナの大きな一房を購入してきた。赤いバナナは太く短いが、甘味が濃くとても美味しい。中々手に入らない。
14時近くにソパ・ロッジに到着。早速、昼食をとり14時30分から初めてのクレーターサファリ開始。ロッジは標高2,400mの外輪山にあり、クレータの底まで約600mを一気に下っていく。底に着くとクレータ全体を一望でき、内部は殆ど一面の平地。最初に見た動物はバッファロー。小高い丘の斜面に黒く、大きな岩が点在していると思ったが、よく見るとバッファローの群れが寝そべっていた。少し進むと、オスライオンが3頭お腹を膨らませており、近くにバッファローが横倒しとなっていた。キンイロジャッカルがライオンを警戒しながらお裾分けをくわえ、離れていった。すると今度はハイエナが匂いを嗅ぎつけ、風下からバッファローに近づいてきた。一気に近づくと思いきや、ライオンが寝返ったり、頭を持ち上げる度に戻りかけたり、死角の方に移動したり警戒を怠らない。やっと、獲物にありついて内臓を一切れくわえると急いで離れていった。
夕方17時半ごろ、クレータに虹が架かり、我々を歓迎してくれているようであった。今回のツアーでは、親子連れの動物が多く見られるということで、出来るだけ親子一緒のシーンを、更に動物の表情が分かるように顔のアップをカメラに収めることをテーマとしたい。
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3日目 オルドバイ峡谷からンドゥトゥ地区へ
朝食後出発。今日は途中オルドバイ峡谷に寄りながらンドゥトゥ地区のキャンプ地に向かう。行程にして約150Km。オルドバイ峡谷は前回も訪れており2回目だが、今回はあの有名なグレートジャーニーを成し遂げた関野さんが2002年2月8日にここを訪れたという記念碑が立っていた。その後、ンドゥトゥ地区に向けて平原を走ると待望のヌーの群れが現れてきた。今の時期は南から北に向けて移動しており、その数は半端じゃない!!目算でざっと数千頭か?これから北のセレンゲティ国立公園を目指しているが、子供を連れたヌーも沢山いる。やっと、アフリカに来たという実感に浸る。
13時半過ぎに宿泊地クハマ・キャンプに到着。ここのテントに2泊の予定であり、節水、夜の一人歩き禁止等の説明を受ける。シャワーを浴びたいときはボーイに言うと、バケツでお湯を運んできてテント上に設置された布製の袋に入れてくれる。これで約2分間シャワーが使用可となるが、女性が髪を洗う時は大変と思う。割り当てられたテント内は意外と広くて、10畳ほどの広さがあり、ダブルベッド、シャワー室、トイレが完備している。荷物を解き、16時からのサファリまで自室でのんびり過ごす。外はカミナリが鳴り、雨模様。今までテントに泊まった経験はなく、夜は野生動物、サソリ、ヘビ等がテントに近づいてこないか一抹の不安はあったが何事も無かった。
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16時からサファリに出発。ここンドゥトゥ地区はンゴロンゴロ自然保護区に属しているが、オフロードサファリが可能なため、動物がいれば車で近くまで入っていくことができる。その分シャッターチャンスも多い。胸が高鳴る。ライオンのオスとメス4頭が寝そべっている。しかし、いつまでも寝ており移動しそうにないため、早々に諦めて次の動物探索に。オオミミキツネの群れ、セグロジャッカル、ハイエナ等に出会う。母親チータと1歳ほどの子供4頭の群れに出会った。ここンドゥトゥ地区の最初のサファリでチータの親子に会うとはラッキー。遠くにトムソンガゼルの群れがいたが、横取りを得意とするハイエナがいたため残念ながら狩はしなかった。18時半にキャンプ地に戻る。19時からシャワーの予約をしていたので少し待っていたら、ボーイがバケツにお湯を入れて運んできた。早速シャワーを浴びる。髪を洗ったが、電源コンセントがないためドライヤーは使えず、自然乾燥を待つしかなかった。
夜中、オスライオンが縄張りを回りながら、ウーッウーッと鳴いている声に目を覚ました。テント内は外気が直接入ってくるため、意外と寒い。多分15℃位の気温だろう。フリースを着ないと寒すぎる。
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4日目
8時からサファリに出る。出発して直ぐに、メスライオンと生後数ヶ月の赤ちゃんライオン3頭の群れに出会った。メスライオンは倒したヌーをくわえて近くの木の下に移動させている途中で、後から3頭の赤ちゃんが付いていた。匂いを嗅ぎつけたのか、近くの木に数羽のハゲワシが飛んでくる。親子とも既にお腹一杯食べた後と思われ、3頭の赤ちゃんは木に登ったり、じゃれあったりして遊んでいた。
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その後、平原に出て暫くすると昨日のチータ親子に出会った。1時間ほど様子を見ていたところ、TAさんが急に車を走らせ遠くのトムソンガゼルの群れに近づいて停めた。「今からあの赤ちゃんをハンティングするよ」と予言した。チータとガゼルの距離は300~400m、我々の車とガゼルの距離は100m以内。すると、突然チータがガゼルを目掛けて走り出し、あっという間にくわえていた。車で後を追ったが、余りにも一瞬の出来事でカメラに収めることが出来なかった。残念!チータに近づいてみると、まだガゼルの赤ちゃんは手足をバタつかせていた。これも自然の摂理と受け止めるしかない。今回でアフリカは4回目だが、初めて狩のシーンをこの目で見ることができた。やはり、オフロードサファリの強みか?昨日、今日とラッキーが続く。
キャンプ地に戻り昼食。少し休んで、16時から再度サファリに向かう。午後はヒョウを狙いたいものだ。期待はどんどん高くなる。TAさんはンドゥトゥ湖の周りのアカシアを中心にヒョウを探してくれたが、残念ながらヒョウに会うことはできなかった。ヒョウは後日の楽しみに取っておこう。湖にはフラミンゴが群れていた。逆光のためフラミンゴが湖面に映り、丁度8分音符「♪」がきれいに並んで、譜面を見ているようだ。
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5日目 セレンゲティ国立公園を目指して
朝食後、ンドゥトゥ地区をサファリしながらセレンゲティ国立公園へ車を走らせる。セレンゲティ国立公園の入り口は、ナービヒルと呼ばれる小高い丘にあり、その頂上に登ったが、ここからの見晴らしは絶景で、これから行くであろう道が公園の中心部に向けて延びている。
ロッジへ向かう途中、公園の中心部に向けて北進しているヌーの大群に出会う。まるでゴマを撒いたように黒い点が無数に散在している。あちこちで赤ちゃんを産んでいるのだろう。2匹のキンイロジャッカルがまだ新しい胎盤をしきりに食べていた。栄養は満点。よいご馳走にありつけたものだ。遠くの山では噴煙が上がっていた。オルドイニョレンガイ山(マサイ語で「神の山」の意)で毎日活発に活動しているようだ。ロッジ到着後昼食。16時から待望のセレンゲティ国立公園へサファリ開始。これからが今回のツアーのメイン。今日はロッジから南のモル・コピエと呼ばれる地域をサファリ。トピの群れに出会う。更に、ヒョウを発見。1頭のみであったが、暫くして岩山の方へ登っていった。セレンゲティ国立公園最初のサファリでヒョウに出会えるとは幸先がよい。小さな池の辺にカバの骨が横たわっていた。車から降りて骨に触ってみた。ドライバー さんによると死後3ヶ月程度経っているという話。
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6日目 ランチボックス持参で終日サファリへ
毎日同一パターンで6時起床、7時朝食。今日はランチボックスを持参で終日サファリの予定。そろそろ疲れが出てくるころで、動物になかなか会えず。
12時30分ごろビジターズ・センターに行き、ランチボックスで昼食をとる。既に20台ほどのサファリカーが集結しており、用意されている場所は満杯状態。補助の椅子を出してもらいどうにか場所を確保。添乗員さんが日本からミニカップラーメンを持参しており、全員に差し入れしてくれた。久し振りの日本食に感激、美味しく頂いた。
その後、広い平原に動物を求めて車を走らせたが、殆ど見つからず。まだ時期が早いのか、ヌー、シマウマ、バッファロー等の草食動物ですら1頭もいない。ロッジに帰る途中、インパラのハーレムに出会う。今日は張り切って終日サファリをした割には収穫が無かった。これが本来の姿で、今までが余りにも幸運でありすぎたのだと自分を納得させる。
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7日目
6時サファリに出発。今日はいつもとは違って、朝食ボックスを持参して早朝サファリに挑戦。シンバ・コピエと呼ばれている場所にライオンの狩を期待したが、残念!この辺りには小さな池があり、カバが10数頭の群れで池を占領していたり、池の中ほどにある島でカンムリツルが卵を抱いていた。9時過ぎにナービヒルに行き、少し遅めの朝食。朝食後は、更に南の方をサファリするとシマウマやヌーが草を食みながら北に向けて移動している群れに出会った。先頭がまだこの辺を移動している状態。角がハートの形をしたハーティビーストの親子に出会う。
14時過ぎにロッジに戻る。直ぐに昼食をとり、暫くはベランダにてお茶。こののんびりした時間がなんともいえない至福の時。ロッジのプールでは白人の家族が泳いだり、日光浴していた。プールで泳いでいる日本人は見たことがない。今日は、午前中のサファリでお仕舞い。走行距離にして約200Km、ドライバーも我々も少々疲れ気味。丁度良い休養となった。明日は、ここから更に北方のセレナ・ロッジへ移動するため、荷物の整理およびバッグへの詰め込みを行う。
夜の食事が済んだ時、3日目の最後の夜ということでレストランのコック、ボーイそれにウエイトレス達がお別れの歌を歌いながらケーキを差し入れてくれた。ケーキに立てられた花火に火をつけ、より一層声を張り上げ歓送してくれたので我々は手拍子で応えた。
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8日目 更に北のセレナ・ロッジを目指して
朝食後、サファリをしながら、北方の宿泊地セレナ・ロッジを目指す。朝の外気温は15℃前後、いくら夏といえども標高が1,400,mあると流石に朝晩は寒い。
早速、インパラの群れに出会う。約50頭の群れで相当に大きい。オスは流石に凛々しい。しかし、ハーレムに君臨できるのは平均3ヶ月という短さを思うと頑張れよと励ましたくなる。キリンの親子をカメラに収める。子供にはまだへその緒が付いており、生後1週間程度という。この辺りには、ソーセージツリーが生えており一杯の実を付けていた。遠くから見ると確かにソーセージが縦にぶら下がっているように見える。しかし、この実は硬くて頭の上に落ちてくると怪我どころではないという。こちらではこの実から酒をつくっているという話を聞いた。
ヒヒの群れを発見。面白い光景が見られた。赤ちゃんを連れた母親が座っていると、後から来たヒヒが大人も子供も1頭ずつ、赤ちゃんにハグしたり、手で触ったり何らかのスキンシップをしながら追い越していく。多分、ボスの赤ちゃんであろう。動物の世界は上下関係が厳しいようだ。
セレナ・ロッジの近くまできたところ、突然車の左手からヒョウが出てきた。我々は立ち上がってカメラに収めようと必死。夢中でシャッターを切った。よく見ると子連れであった。車の後ろを横切って草むらに隠れてしまうまで10秒以内。後でカメラを確認したら、どうにか親子のヒョウが写っていた。ラッキー!!
12時半過ぎにセレナ・ロッジに到着。昼食後、暫く休み16時からサファリを再開。先ほど親子のヒョウに遭遇した場所近くに来たところ、木にヒョウが登って休んでいるということで数台のサファリカーが集結していた。よく見ると、インパラを木の上に持ち上げており、既に食後なのかお腹を大きく膨らませたオスのヒョウがいた。結局、16時からのサファリではこのヒョウ達を見ているだけで暗くなってしまったが、このようなシーンは簡単に見られるものではなく、今日はツキにツイていた。名残惜しいが、そろそろ帰らなければと帰路についた。
20時に食事。ここのロッジでは毎夜21時から専属の若手黒人たちによる楽器演奏と民族舞踊、それにアクロバット・ショーが披露されている。男女3人ずつ6人が激しく腰を振る民族舞踊を踊っていた。30分で終演。
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9日目
今日もランチ・ボックスを持参して終日サファリの予定。 最初は池の辺でサバンナモンキーの群れに出会う。赤ちゃんをお腹に抱えた母親がいれば、既に母親から離れて盛んに木登り等の遊びに夢中な子供もいて楽しい限り。更に車を走らせていると、道路上をノッシノッシと歩いているアフリカオオトカゲに遭遇。体長は約70~80cmありグロテスク。直ぐに道路から離れ、草むらに入っていった。
ムバラゲティ川のカバの生息地に行きトイレ休憩。ここの川は川幅が50mほどあり、川に入って頭だけを出しているカバ、岸辺に上がって寝そべっているカバ、総数は約 50頭。正にウジャウジャいるという言葉がピッタリ。また、近くにはワニの姿も見られ、共存しているようだ。
道端に1頭のキリンが立ち止まっていた。よく見るとキリンの首から背中にかけて ウシツツキという鳥が数羽止まっていた。
ドライバーさんは、象の親子を見たいという我々の要望を聞き入れて、早速象の群れに案内してくれた。約40頭の群れで、数家族が集団を作っているようだ。親子をねらってカメラに収めた。象は人間と同様に大人になるまでに10年以上要するため、子供の象といえども大から小まで様々。今日は朝から終日サファリのためドライバーも少々疲れ気味、16時半にはロッジに戻った。
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10日目
バルーンサファリに参加するOご夫妻は既に飛行地点に向け出発。我々は朝食ボックスを持参して早朝サファリ。まず、4羽のダチョウに遭遇。メス1羽に3羽のオス。オス達が羽根を少し広げてくるくる回転したり、羽根をばたつかせたり盛んに求愛ダンス?をしている様子。その後、一斉に走り出したが、足の速いこと、確かに歩幅は広いが、それにしても時速50Kmほどは出ていると思われた。
遠くにはバルーンが2機、朝焼けの空に浮かんでいた。前回来たときはバルーンに乗ったが、高所恐怖症の筆者でも怖がらずに乗ることができ、上昇下降もエレベータのように重力を感じないため非常に気持ちがよい。
バッファローの大群に出会う。動物の移動は、最初にバッファロー、その後にシマウマ、ヌーが続くという。草を食みながらゆっくりゆっくりセレンゲティ国立公園の中心部に向けて移動していく。やっと、先頭がここまで移動してきたということだ。遠くから見ると、黒い帯が延々と続いているようで数百頭は下らない。親子のバッファローや顔の表情をカメラに収める。近くで見るととてつもなく大きい!なるほどビッグ5の中の1つに数えられるはずだ。これほど大きな獲物を倒すとはライオンもすごい。
遠くの地平線上にキリンを発見。その数20頭以上。子供はいなかったが、地平線 上に首を斜めに突き出した姿は、まるで工事現場のクレーン車の様。その後、象、ウォーターバック、エボシクマタカ等を見ながらロッジに戻る。今日のサファリはこれにて終了。昼食後の時間は休養に当てる。
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11日目 最後のサファリ
5時30分モーニング・コール、6時サファリに出発。今日はサファリ最後の日となるため、ドライバーも気合が入っており、我々も幸運を祈りつつ車に乗り込む。出発して暫くすると平原に出た直後に朝日が昇り、タイミングよくご来光を拝むことができた。目指す方角は、セレンゲティ国立公園の南東に位置するゴル・コピエ。枯れた木にヨーロッパ・コウノトリが20羽ほど止まっていた。最初、遠くから見たときは白と黒の花が咲いているよう面白い光景であった。無線でヒョウとライオンがいるという情報が入った。目的の地点まで、全速力で車を走らせる。最初はヒョウ。
枯れ木にメスのヒョウが背中を向けてチョコンと座っていた。ドライバーさんが言うには、ヒョウはライオンの存在に気づいて木に登っているが、ライオンはヒョウに気づいていないとのこと。暫くするとヒョウは木から下りて草むらの中に消えてしまった。そこで、今度はライオンのところへ移動したが、ゴロンと寝そべっているのみで、全く動く気配無し。諦めて、別の場所に移動。水辺の草地にインパラの大群を発見。40頭は下らない大きなハーレム。オスの顔は流石に凛として、同行の女性からは思わず「すてき」という言葉がでた。
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暫くすると、遠くを見つめているオスライオンに出会う。視線の先を追うと、そこにはシマウマの群れ。ライオンの存在に気づいていないかのように親子のシマウマがどんどん近づいてきた。このままでは危ないと思ったが、30mほどに近づいた時ピタッと足を止めた。
その後、やっとチータに出会うことができた。草地に1頭のチータが寝そべっていて、時々頭を上げ様子を伺っていた。徐々に運が向いてきた。更に車を走らせると岩の上に2頭のチータを発見。親離れして間もない兄弟のチータらしい。これからは自分たちで狩をしなければならない。君たちには厳しい現実が待っているよ。
この先の岩山で昼食をとろうして到着した時、先客がいて、「あの岩山でチータの親子を見かけた」という話を聞き、昼食は後にして直ぐ車を走らせた。2台で岩山の周りを探したところ、生後3週間ほどの赤ちゃんを2頭連れたチータを発見。チータ親子は危険を察知して岩山の中腹まで登って身を潜めた。両者の根競べで、お互いジッと待つこと10分。チータ親子が動き出し、岩山を降りて木陰の中に姿を隠してしまった。
昼食地点に戻ってランチボックス。今日はロッジから直線距離にして60Km以上南東に来てしまっていたので、少し早目ではあったが、帰路についた。途中、オスの象が1頭ゆったりゆったりと草原を歩いている姿が目に入ってきた。これぞまさしくアフリカの景色、アカシアの木をバックにシャッターを切った。最後の日にヒョウ、ライオン、チータ、象という大物を見ることができ、ドライバーに感謝。そして、このセレンゲティ国立公園にも感謝。
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12日目 帰路につく
9時にサファリをしながらキリマンジャロ空港を目指す。Nご夫妻の奥さんがドライバーさんに「最後にヒョウが見たい!」と半分冗談で難しい注文を出した。ドライバーのKMさんは90%以上不可能と分かっていたためYESとは言えず、自分は虫や花が専門で動物は専門ではないと冗談を飛ばしてはぐらかしていた。ところが、出発して直ぐにヒョウがいるという情報が無線で入り、その場所を目指 して車を走らせた。メスのヒョウで、木の枝に頭を向こうに向けて寝そべっていた。 半分冗談の注文が現実となり、我々もドライバーさんもハッピー。
飛行機のフライトまで余り時間が無かったので、早々に切り上げ空港に向かった。ところが、途中にもう1頭ヒョウがいるという情報。我々の行く手には既に10台程の車が停まっており、行く手を遮っていた。このヒョウで本当に最後の見納め。どうにかカメラに収めることができた。幸運は続くというが、怖いくらい!
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今回のツアーでは、アフリカの風を肌で感じ、更に野生動物の様々なシーンに出会い、感動を受けました。ドライバーさんたちの一方ならない熱意と努力、そして参加された皆さんの幸運の賜物と感謝しています。最後に、このような感動を与えてくれたタンザニアに「ありがとう」とお礼を言うとともに、何らかのお返しができたらと思っています。
Asante Sana(どうもありがとう)
Tutaonana(また会いましょう)
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ウガンダ・ホームステイ

アフリカの素朴な田舎生活を体験し、そこに住む人たちと交流してほしい・・・そんな思いから生まれた、ウガンダのホームステイプラン。このツアーに参加し、たっぷり村のステイを満喫していただいた松田真依さんのツアーレポートです。(2007年6月)
ンシェニ村ステイ 1日目
ンシェニ村1日目の朝。昨日は、夜中トイレに行きたかったのだけど、電気のないトイレに夜一人で行くのが怖くて我慢してた。朝5時ごろ、我慢しきれず暗い中を懐中電灯片手に行き、帰って二度寝。起きたら6時半すぎで空はほんのりピンク色で靄がかかっていた。他のメンバーが起きてくるまで玄関でガイドのエヴァンスとギターで歌を歌う。イッスンムルンジ~(教えてもらったウガンダの歌)。それに応えるかのように、鳩の声がした。
村では、一人100頭~200頭のアンコーレ牛と呼ばれる角の大きな牛を飼っており、村の一日はそのアンコーレ牛の乳しぼりから始まる。私たちも教えてもらいつつ、一緒に乳しぼりをさせてもらった。教えてくれた村の少年エノミ(雄牛という意味らしい)は、時々わたしが失敗してミルクをピューっと飛ばすと笑って「いいよ。いいよ。」と、慣れた手つきでまた乳房にミルクを溜めてくれた。「これなら、出るよ。やってみて」。Webale, ENOMI! (ありがとうエノミ)
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乳しぼり後、朝ごはんを食べて腹ごしらえをしたら、サバンナを車で走り、タンザニアとの国境の川へ。「川の向こうはタンザニアの動物公園だから、暑いとカバや他の動物が水を飲みに降りてくるのが見られるよ」とのことだったのだけど、残念ながら今日はそこまで暑くなくカバは見られず。川辺で村の青年達と偶然会って、家や川辺を案内してもらった。別れ際、そのうちの一人“サム”に求婚される。「俺、牛200頭持ってるから、嫁に来てくれるなら、そのうちの100頭を君にあげるよ」村一番のイケメンの言葉にちょっと心が揺らいだ。
一旦、家に帰って昼食をとった後、マトケ畑を案内してもらった。マトケはウガンダの主食で緑のバナナのこと。このあたりはどこに行ってもマトケ畑が広がっている。その光景はうっとりするほどきれい。そんなマトケ畑でマトケの採り方を実演してもらった。
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マトケ畑を抜けて、近くの村へ遊びに行く。エヴァンスのギターで「上を向いて歩こう」と「今日の日はさようなら」の歌を披露。村の人たちはとても喜んで、家の中まで見せてくれた。ここはとても小さな村で、家は3つだけ。村民は全員家族。「どうやって結婚するの?」と聞くと、近くの村(と言っても遠い)へお父さんが出かけて行き、お父さん同士で結婚相手を決めて帰ってきて、結婚式の当日、初めて結婚相手がわかるという風になっているらしい。「そしたら、相手が気に入らなくて離婚になったりしないの?」と思っていたら、この村には離婚なんてないらしい。「それはcan’t なの?」と聞くと「don’tだ」と言われた。どんなに相手と相性が合わなくても、彼らは離婚「できない」のではなく、「しない」のだと。
夕食はもちろん昼間とったマトケ。この村では電気もガスもないため、夜はランタンの灯りだけ。ランタンのあったかい灯のなか食べる晩ごはん。ご飯の後は、外の焚き火を囲んでダンスをした。私たちのために村の人がみんな集まってくれた!
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今日はいっぱいいろんなことしたなぁ、そう思いながら床についた私は2秒後にはもう夢の中だった。
ンシェニ村ステイ 2日目
今日も朝から乳しぼり。今日の乳しぼりの先生はエノミの弟ルノワ。わたしがちょっとずつ覚えてきたルニャンゴーレの言葉を話すとルノワは大喜び。「君、ルニャンゴーレの言葉喋れるんだ!」おかげですっかり仲良しに。今日はその後に、ニワトリの餌やりもさせてもらう。コロコロコロと言いながらニワトリを呼び寄せる。予想外にアグレッシブな鶏に逃げまくる。
朝食後、近くの小学校へ見学に連れて行ってもらった。校長先生が全校生徒を集めてくれて、全校生徒の前で自己紹介をした私たち。子どもたちは、歓迎の歌を歌ってくれた。そのお礼に私たちはまた「上を向いて歩こう」を歌う。子どもたちの歌ってくれた歌はエイズの歌だった。学校の木にも「Together we can fight AIDS」と書かれた看板がくくりつけてあったりと、ウガンダの小学校ではエイズ教育がしっかり行われていた。
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小学校の後はマーケットに行った。キテンゲ(ウガンダの布)を大量購入。自分の分、家族の分、友達の分…。先生(ステイ先のママ)が見事に値切ってくれた。
マーケットの後は国境を越え、タンザニアへちょこっと入国。レストランに入る。料理が出来上がるまで1~2 時間かかるということで、待っている間、近くにいた子供たちのところに遊びに行く。片言のスワヒリ語。彼らに教えてもらう形で仲良くなっていく。エヴァンスに昨日教えてもらったjambo!の歌。スワヒリ語の歌だけど、ケニアの古い歌らしくタンザニアの子どもたちは知らなかったので教えてあげると、子どもたち大喜び。最初は5人ほどだったのが、いつのまにか村中の子供たちが集まってきていた!!
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ご飯が出てきてからも「マイー」「マイー」と構ってほしそうに言うので、わたしが唯一覚えていた I want to にあたるスワヒリ語の表現だけを使って、ご飯を食べながらもスワヒリ語カタコト会話。「何が食べたい?」「何が飲みたい?」聞くだけ聞いて彼らの答えは結局何を言っているのかわからなかったわたし。何度目かの「どこに行きたい?」の後、隣にいた英語もわかる大人に何気なく聞いてみた。「彼らは何て言っているの?」彼は笑顔で答えた。「『日本に行きたい』ってさ」。胸がいっぱいになった。「ナクペンダー、ワトト!!(みんな大好きー!!)」思わずさっき教えてもらった表現を叫ぶ。
ご飯も食べ終わり、帰ろうとすると後ろから「マイー!」「マイー!!」と子供たちが走ってきた。手を出すから、握手だと思って握り返すと手の中に何か入ってきた。見るとウガンダ100シリングが。一生懸命わたしに何かを伝えてくれている彼ら。でも何を言っているのかわからなかったので、近くにいた大人に通訳を頼む。「これ、あなたが今から行く国のお金でしょ?みんなからのマイへのプレゼントだよ。使ってね」目の奥で涙が動いた。Asante sana.ありがとう。その時のコインはもちろん今でも手元に大事にとってある。
帰って夕食をとった後は、また焚き火を囲んでのダンス。ルワンダとの国境近いこの村にはルワンダから来た人たちも多いらしく、今夜はルワンダのダンス。村の若い男の子たちが布を持ってダンスに誘いに来てくれる。布を巻いてもらって、男の子たちも自分で布を巻いて二人で踊る。焚き火の灯に黒く浮かびあがった、布を巻いた彼らのシルエットにドキドキした。ンシェニ村、最後の夜。
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ンシェニ村ステイ 3日目
今日はいつもより1時間早起き。昨日一緒に踊ったティムとロバートの家を見せてもらい、そこで牛の乳しぼりをさせてもらう。彼らは朝ごはんも昼ごはんも夜ごはんも全食牛のお乳、牛乳のみ。そのかわりものすごい量を飲む。乳しぼりの合間に外で飲むのだけど、飲むときはちゃんとしゃがんで飲んでいた。立ったまま飲むのはお行儀が悪いからなのだそう。わたしたちも搾りたての牛乳を飲ませてもらう。
帰ってきて朝ごはんを食べたあと、今日はヨーグルト作りをさせてもらった。瓢箪みたいな容器に牛乳を入れてひたすら振る。できたてのヨーグルトはとってもおいしかった。お腹こわしたりしないかなぁ、と少し不安だったけど大丈夫だった。
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最後に先生は、わたしのカンガでウガンダ巻きをしてくれた。「いつでも戻ってくるんだよ。ここはもうあなたの家だから」目に涙をいっぱい溜めてぎゅっと抱きしめてくれた先生。ありがとう。本当にありがとう。
帰りの車の中、みんなそれぞれウガンダネームをつけてもらった。わたしのもらった名前は Kenyangyi(ケニャンジ)。ウガンダの白い美しい鳥という意味。Enyangyi(エニャンジ)という白いきれいな鳥がいて、女の子を褒めるとき「よくできたね。エニャンジ。エニャンジ」と褒めるのだそう。それにKを付けて女の子の名前としてつけるらしい。もう夜のトイレも怖くない。牛の乳しぼりも一人でできる。ウガンダネームはそんな私たちへの彼らからの修了証みたいなものだったのかもしれない。ケニャンジ。ケニャンジ。あまりにも嬉しくって、車の中、わたしは何度もその名前を繰り返した。そしてまた絶対戻ってこようと、心の中で強く思った。
最後に、わたしはエヴァンスに 「ねぇ、あなたがもし日本に来たら 日本の人にウガンダの何を一番伝えたい?」と、聞いた。 彼は言った。「we live different, but normal」(俺達の生活は確かに違っているかもしれない。でもこれは普通なんだ。ノーマルなんだ)エヴァンスは外国に行って「ウガンダ出身だ」と言うと、まず「ウガンダってどこ?」って聞かれると言っていた。そしてそれはとても屈辱的だ、と。「東アフリカだ」と答えると 「えっ、アフリカ?大丈夫?大変だね」って言われるのだ、と。それほどショックなことはないよ、と悲しそうに言った。彼は言っていました。「みんなアフリカを原住民の国みたいに思っている。それか、紛争や貧困だけ暗いイメージしかなかったり。だけど違うだろ。世界はアフリカのことを知らなさすぎるよ。」「それにアフリカってひとくくりにされるのも好きじゃない。日本だって同じアジアでもカンボジアとは全然違うだろ?アフリカだって一緒さ。その中の国1つ1つは全然違うんだ」わたしは彼と握手して「大丈夫。私がそれをあなたの代わりに日本で伝えるから」そう、約束して帰ってきました。they live different, but normal.
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マサイ・マラ滞在記 2006年末

日比野倉氏 様から頂いたレポートです。(2007年2月)
1日目
マサイ・マラは、3回目の訪問であるが、今回はサーバル・キャット、カラカルの写真が撮れたらという思いでやって来た。可能性は少ないことは承知の上であるが、同じロッジに6連泊の予定であった。ケニア渡航前より、マサイ・マラは、雨が降っているという情報であったが、旅行会社のスタッフから今年の雨は、尋常ではないと念を押された。サバンナの雨が、どう尋常でないのか全く予測はできなかった。
ナイロビのウィルソン空港から、マサイ・マラの数箇所にエアーケニアの便は着陸するが、最初に降りた滑走路は、ぬかるんでいた。飛行機もスタックの危険があれば、着陸しないだろう。
宿泊は、タレック川沿いのイルケリアニ・ロッジだった。川を見ると濁った水が増水し、いつもの穏やかな流れではなく、濁流の音が響いていた。その音を耳にしながらランチを摂った。
少し休憩する間もなく午後のゲームドライブに出かけた。曇り空のため暑くはなく、丁度良いサファリ日和。トピ、ゾウに出遭った後、雨に濡れ色鮮やかになったサバンナに3頭のチーターを発見というより先に発見して見ていたサファリカーを発見したともいえる。その後、ハイエナ、メスライオンと初日からなかなかの好スタートであった。
2日目
2日目は、フルディサファリ。朝、雨が降っていたため、小雨になるまで1時間程待機してぬかるんだ道を出発した。東のエリアに向かう予定のようだ。しばらく、走るとキリンの群れを発見すると手前に丸くなって寝ている動物がいた。最初はハイエナと間違えたが、体の模様、頭の形からチーターと判明。しばらくすると、雨に濡れた体の毛づくろいを始めた。キリンとチーターの組み合わせは、初めてだ。撮影には動物までの距離が少し遠いが、とりあえずシャッターを押した。おもしろい写真が撮れないかと期待したが、チーターは、しばらくしてキリンの群れから遠ざかっていった。
この日の夕方、ライオンの群れに遭遇、オスはいなかったが、数頭のメスに数頭の子供が、戯れていた。マサイ・マラに訪れるたびにライオンの子供に遭えるが、仕草、表情は、いつまで見ていても飽きない。みんな成長してほしいと祈りつつ、ロッジへの帰路に着くが、だんだん雲行きが怪しくなってきた。
01

ロッジに到着したとたん、雨が降り出した。この時、翌朝のことは想像もしていなかった。夕食を摂り、テントに戻るが、川の濁流音が気になってしかたがない。私のテントは、タレック川のカーブしている場所に張ってある。目の前で濁った水が、渦巻き、木の枝が水の流れに振り回されていた。寝ようとベッドに横になるが、激しさを増してくる濁流音が、気になって眠れないので、懐中電灯で川を照らしてみると水かさは、増しているではないか。このまま増えていったらと考えると不安がつのる。
3日目
濁流音を気にしながらテントの隙間から外を見ると、薄明るくなってきた。テントを出てみると、雨は小降りなのだが、川の水は昨晩より増えていた。テントの張ってある大地の部分と、水面との差は、あと50センチぐらいしかない。雨は、小降りなのだから、もう、水は増えないかもしれないと思いつつ、歩道を歩いて敷地内の様子を見ようと途中まで行くと、目の前に池が広がっていた。自分のいたテントは、わりと小高い場所だったことを悟った。
02

水深が分らないため、水に入ることはやめて自分のテントに引き返した。これでは、食事するテントにも行けないし水が引くまで待つことにした。しばらくするとロッジのスタッフがやってきて、朝食だと呼びに来たが、どうやって来たのか不思議だった。
ついて行くと遠回りして水かさの低いところを選んで来たようだ。でも、膝ぐらいまで水に浸かって食事をするテントに着いた。
マネージャーは、うろうろしているし荷物が沢山置いてあった。他の宿泊客の話を聞くと、夜中にテントが浸水しかかった時、荷物を持って安全なテントに引越しを繰り返していたと聞いて驚いた。
03

自分のテントは、浸水しなかったため、そこまでの状態になっているとは想像していなかった。ドライバーは、一晩中起きてテントを見回っていたというのだ。
テントが、流されて犠牲者が出ていたら、CNNのニュースで放送されていただろうか。手配会社のドライバーは、ここは危険だからとにかく引越した方がいいと言うが、どこへ・・・・・。マサイの村に泊めてもらうという案も出してきた。行く所がないのならもうしかたないのか。
そのうち、引っ越すことができるロッジの部屋の確保ができたらしいと情報が入るが、タレック川が、増水してタレックゲイト近くの橋を渡れないし、他の橋は、「gone(流された) !」と聞かされた。
水が引くまで待ってゲイト近くの橋を渡るしかないのか、ドライバーといっしょに川を見に行くと増水した川の手前で、数台の車が渡ることができず待機していた。川を見て、待つしかないと諦めた。話かけてきたマサイの青年に、泳いで渡ろうかと言うと、笑ってくれた。ロッジに戻ることにして、途中車の中でドライバーの携帯に着信音が鳴る。新しい情報が、入ったようだ。
04

人間だけ移動させることができる方法が、見つかったのだ。同じタレツク川沿いにフィッグツリーというロッジがあるが、タレック川に架かるエントランスの橋を渡ってロッジに入る造りになっているので、今宿泊しているイルケリアニのロッジからフィッグツリーのロッジの裏まで車で移動し、ロッジ敷地内を徒歩で通らしてもらいエントランスの橋を渡って、タレック川の対岸に行き、引越し先のキーコロックというロッジから車で迎えに来てもらうというのだ。
タレック川沿いにマラ・シンバ、フィッグツリーというロッジがあるが、そこは無事だったらしい。慌しくチェックアウトをして、ロッジを後にして車でフィッグツリーに向かった。フィッグツリーの橋を渡る時、驚いたのは、水面から橋まで3メートルぐらいしかなかった。いつもなら、かなり下に水面がある。
キーコロック・ロッジの車に乗って、晴れた良い天気のサバンナを走った。昨晩、寝ていないのと暖かい陽射しが眠気を誘う。キーコロックに到着、チェックイン。後から聞いた話だが、丁度必要な部屋数だけ空いていたということだ。
とりあえず、人間だけ引っ越すことはできたのだが、手配会社の車とドライバーは、来れないのだから明日から、どうなるのか。夕方連絡をすると言っていたが連絡が来ない。
まあ、明日からここでゆっくりするしかないのかと思い夕食を摂っていると、ドライバーが現われた。車のドアの真ん中ぐらいまで水に浸かって川を渡ってきたというのだ。よかった、これで明日からのゲームドライブはできる。このロッジは、部屋によっては夜中にカバが、歩いて近くまで来るらしいが、鳴き声と草を踏みしめる足音が聴こえた。
4日目
2007年1月1日は、良い天気だ。6時半から朝のゲームドライブ。道は、やはりぬかるんでいた。ニューイヤーは、2頭のセグロジャッカルから始まった。雨上がりの濡れたサバンナで、朝陽に照らされたジャッカルが立っていた。車が近づいても逃げないで、じっと太陽の方向を見ている。体の毛は、濡れていた。 近所の犬のような表情でこちらを見ていた。
その後、ダチョウの親子を発見。数羽の雛が、いっしょにいた。近くには、トピの子連れの群れがいる。朝陽の中、濡れて鮮やかな緑となったサバンナで穏やかな光景が 繰り広げられていた。
10分ほど進むと、数台の車が止まって乗客が、遠くを見つめている。何がいるのか?ドライバーが、遠くに チーターがいるという、どこにいるのかわからない。
しばらくすると、急に車のスピードを上げ、ぬかるんだ道を走り出した。車は、激しく上下動をし、体は座席シートから宙に浮く。ドライバーがしきりに「Sit down!」と叫ぶ。何のことだろう。揺れるから座ってろということなのか。
すると、「チーター」と一言。車の前にチーターの子供が、3頭座っていた。すぐそばに母親のチーターがいる。まだ、生後1ヶ月程の子供が、じゃれ合いながら草の中を走りだした。チーターの子供をマサイ・マラで見たのは2回目だが、背中にタテガミのような毛が残る生後1ヶ月のチーターは、初めて見た。動きが早くて、あまりシャッターを押すことができないまま、親チーターと共に遠ざかっていく。子連れだと親は、危険性を感じると安全な距離まで離れて行ってしまう。ファンダーを覗いていると、子供がジャンプして前足で親の頭を掴んでいる。もっと近くでやってくれたら、無邪気なシーンが撮れたのに残念。
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その日の午後は、若いオスライオン、ロッジ近くで遠くにクロサイを発見。小さい虫ほどの大きさにしか見えないが、確かにクロサイだった。4年振りのクロサイだが、遠かった
5日目
ニューイヤー2日目は、スタックした車のけん引から始まった。今回、マサイ・マラに来てから雨で、道やサバンナがぬかるんでいるため、一日4~5回はスタックした車のけん引をしていた。乗っていた車が4WDなのでスタックすることはなかったが、救助することが多かった。ゲームドライブに使用する車は、すべて4WDにした方が良いのだろうが、ケニアでは大変なコストが かかるだろう。
晴天で陽射しも強く、気温も上がってきた。午後は、レア物を発見。フンコロガシである。牛糞の沢山あるマサイ村などでは、よく見かけるが、サバンナでは初めてだった。砂地のところをソフトボールぐらいの丸い塊を2匹のフンコロガシが、運んでいた。1匹が、こけた。すぐに体制を整えて、また運びだした。車から降りて、グッとマクロレンズで撮ってみたいが、原則としてサバンナには降りられないのだ。昆虫も観察しているとおもしろいものだ。
午後は、ヒョウのテリトリーでしつこく観察したが、10台以上の車が来ていた。見たという噂なのか本当に見たのかわからない。
その日、ロッジへの帰りに激しく雨が降り出した。道があっという間に川状態。雷も鳴り出した。ライトをつけての走行となるが、雨が強くて先が見えにくいほどの雨量だ。途中で、スタックして傾いている車を発見、今度ばかりは救助しようがない。ドライバーは、助けを呼びに行ったようで車にはいなかったため、ロッジへ急いだ。
その雨も夕食を摂る時間には、すっかり止んで星が見えている。これが、サバンナらしい雨なのだ。
次の日は、フルディサファリをしようかと言っていたドライバーも、雨でスタックする危険があるから遠くへ行くことはやめようということになった。
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6日目
次の日は、雨は降っていなかったが、早朝、サバンナへ出ていくとスタックしたままの車が数台道の脇で傾いている。さっそく、ワゴン車のけん引となった。地元の人たちが、乗っていた。みんな車中で夜明かしした様子だ。しばらく進むと、今度は物資を積んだトラックが、スタックしていた。
ロッジへ運ぶ物資を積んでいた。今回の雨は、いろんなところに影響を及ぼしているようだ。旅行会社のスタッフが、ゲームドライブに行く時は、食べる物を持っていってくださいねと言った意味が理解できた。ロッジに戻れず、車でお泊りもありえるのだ。
その後、見通しの良いサバンナで、数頭のハイエナを見た。イボイノシシは、可愛いと女性に人気があるが、ハイエナも耳が丸くクマのようにも見えなくもないのか好きな女性ファンもいる。
朝のゲームドライブを終えて、午後のゲームドライブまでは、ロッジ敷地内のサバンナモンキーを観察した。子連れの授乳を見ていたら、子供がこちらをジッと見つめていた。
午後のゲームドライブでは、チーターの発見があったらしく、数台の車が同じ方向に走っていた。その後について走っていくと、見通しの良いサバンナに1頭のチーターがいる。周りには、トピ、ガゼルの群れが警戒していた。こんなに見通しの良い場所では狩はできない。チーターは、獲物に接近できる最短距離まで近づいてダッシュするから、身を隠す場所も必要なのだ。何も起こらないと判断して、ヒョウのテリトリーに急ぐ。夕方からまた雨が降りそうな雲行きなのだ。
そんな時、サバンナに虹が出た。
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ヒョウは、昼間はほとんど木の上で過ごすしている。テリトリーに着くと1台の車が止まっていた。ヒョウがいる気配だ。木の枝が動いた。確かにいる。望遠レンズで覗いてみると、垂れ下がるシッポと胴体が見える。寝ているのか呼吸する動きで体が動く。
顔が見えないが、やっとヒョウに出遭えた。一昨年は、キーコロックのテリトリーで発見し、良い写真が撮れたが、今回は良い写真にはならないが、一応これでBIG5は、クリアーした。
昨日夕方のような雨のこともあるため、帰りを急ぎぬかるんだ道で車のスピードを上げる。なかなか運転のうまいドライバーだ。ラリーに出られるかも。ロッジに着く前に、雨が激しくなってきた。たたきつけるような雨と雷だ。帰えれるのかと心配になるぐらいの雨なのだ。なんとかロッジに着くが、部屋の前はかなりの水溜りだった。深夜には、雨は上がっていた。
今回は、雨で色々と予定外が多かったが、新しい体験もできた。小雨季でも、ゲームドライブには、食料、長靴、寝袋などが必要になるものだと実感した。やはり地球の天候は、顕著に変化してきている。ケニア北部は乾燥化が進んでいるし、昨年、ケニアでは豪雨による洪水で沢山の犠牲者が出ている。
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